第二話「あいつ、投獄されちゃってるよ」
「拓也くーん♡ どこにいるんですかー♡」
その声が近づいてくる。
俺は慌ててエリカに向かって走った。
「す、すみません! 急いで隠れる場所を…!」
「え? どうして?」
「と、とにかく! 誰が来ても俺がいることは絶対に言わないでください!」
エリカと村長は困惑した顔をしたが、俺は切羽詰まった様子を見て頷いてくれた。
「わ、わかったが…一体何が…」
その時、村の入り口から甲高い声が響いた。
「すみませーん♡ 拓也くんという男の子、見ませんでしたか?」
村長が窓から外を覗く。
「おお、美しい娘子だな。しかし…」
村長の顔が困惑に染まる。
「どうかしましたか?」
「なぜか鼻をひくひくと…まるで犬のように嗅いでおる」
俺の血の気が引いた。
やっぱり雪菜の嗅覚は異常だ。どこまで追いかけてくるんだ。
「あ♡ 拓也くんの匂い、確実にこの村にあります♡」
雪菜の嬉しそうな声が聞こえる。
村長が玄関に向かった。俺は慌ててベッドの下に潜り込む。
「こんにちは、お嬢さん。どちらからいらした?」
「はじめまして♡ 私、雪菜と申します。従弟の拓也くんを探しているんです♡」
声だけでも鳥肌が立つ。
「拓也…ああ、勇者のタクヤ殿のことか」
「勇者…? 拓也くんが?」
雪菜の声に微かな困惑が混じる。
「そうとも。ブラックウルフの群れを一人で倒した勇敢な若者だ。今は怪我の治療で休んでおられるが…」
「怪我!? 拓也くんが怪我を!?」
突然、雪菜の声のトーンが変わった。
今まで聞いたことのない。氷のように冷たい声だった。
「だ、大したことはない。疲労で疲れているだけで…」
「その怪我の原因は何ですか?」
「ブラックウルフとの戦いで…」
「魔獣が…拓也くんに傷を…」
ゾワリと背筋が凍る。
雪菜が本気で怒っている。
「お嬢さん、顔色が…」
「すみません、取り乱しました♡ それで、拓也くんはどちらに?」
また元の甘い声に戻る。この豹変ぶりが1番怖い。
「この家におるのだが…しかし今は…」
村長のひとでなしぃぃ!!!言っちゃダメだろ!!
雪菜が家に入ってくる気配。
俺は息を殺した。
だが次の瞬間――
「うっ! 何かの匂い!?」
雪菜の咳き込む声が聞こえた。
「匂い?」
「血の匂いです…獣の…うぷっ…」
そうか。俺の服には魔獣の返り血がついている。
雪菜はその匂いに反応してしまったんだ。嗅覚が鋭いから。
「す、すみません…気持ち悪くて…外の空気を…」
雪菜が家から出ていく。
「大丈夫かい、お嬢さん?」
「はい…でも、この匂いでは拓也くんの匂いが…」
雪菜の声が遠ざかる。
俺はほっと息をついた。まさか魔獣の血が役に立つなんて。
「タクヤ…大丈夫?」
エリカがベットの下を覗き込む。
「ああ…なんとか」
「あの人、本当にあなたの従姉? なんだか様子が…」
「複雑な事情があるんです」
その時、外から村人たちの悲鳴が聞こえる。
「きゃああああ!」
「た、助けて!」
俺たちは慌てて窓から外を見た。
そこには信じられない光景があった。
雪菜が包丁を振り回して、村人たちを追いかけ回している。
「拓也くんに怪我をさせた魔獣の仲間はどこですか!? 全部殺してあげます♡」
「ひ、ひい!」
村の男性が転んだ拍子に、雪菜の包丁が肩をかすった。
血が流れる。
「きゃあああああああ!」
女性たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「み、みんな!」
エリカが家から飛び出そうとする。俺は慌てて止めた。
「だめだ! 危険すぎる!」
「でも、村のみんなが…!」
雪菜の異常な行動は止まらない。
井戸に隠れた子供を見つけ出し、包丁を振り上げる。
「魔獣と関わった者は全員♡」
その時だった。
「そこまでだ」
低い声が響いた。
雪菜の包丁が、何かに阻まれて止まっている。
見ると、銀色の剣がそれを受け止めていた。
「何者ですか? 邪魔をしないでください♡」
雪菜が振り返る。
そこに立っていたのは、金髪に青い瞳の逞しい青年だった。
背中には大きな剣を背負い、全身に傷がある。
まさに英雄という風格だった。
「俺はアレン・レオンハルト・リオネール。王国騎士団の一員だ。無辜の民を傷つける者を見逃すわけにはいかない」
「無辜って…でも、この人たちは拓也くんに怪我をさせた魔獣の…」
「魔獣はこの村の勇者が倒したと聞いている。村人たちに罪はない」
アレンの剣が光る。間違いなく本物の英雄だ。
…俺とは違う。
「そんな…拓也くんが勇者? 嘘です…拓也くんはもっと可愛くて弱くて…」
「現実を受け入れろ。そして、その凶器を捨てるんだ」
「嫌です♡ 拓也くんの敵は全部殺します♡」
雪菜がアレンに斬りかかる。
だが、その瞬間――
ガキィン!
包丁が真っ二つに折れた。
「なっ…!」
「悪いが、お前の相手をしている暇はない」
アレンの剣の柄で雪菜の後頭部で軽く叩く。
雪菜はそのまま意識を失って倒れた。
「み、みんな大丈夫か?」
村長が恐る恐る近づく。
「軽い外傷が数名。命に別状はありません」
アレンは手慣れた様子で村人たちの傷を確認している。
「あ、ありがとうございます…英雄様…」
「俺はただの騎士だ。それより、この女性の身柄を預からせてもらう」
アレンが気絶した雪菜を担ぎ上げる。
「こ、この人はどうなるのですか?」
「王都で裁判を受けることになる。村人への傷害と殺人未遂…重罪だな」
俺は窓の隙間から、その様子を見ていた。
雪菜が連れて行かれる。
これで…俺は自由になれるのか?
「タクヤ?」
エリカが心配そうに声をかける。
「あ、あぁ」
「なんで村の人たちを襲ったの?」
どう説明すればいいんだ。
雪菜の異常な愛情を説明しても、理解してもらえるだろうか。
「複雑な…家庭事情で…」
「そっか…辛かったのね」
エリカが俺の手を握る。その温かさが、今の俺には救いだった。
外では、アレンが馬に跨り、雪菜を連れて王都に向かっている。
「これで平和が戻る…といいのだがな」
村長が呟く。
俺もそう思いたい。
でも、心のどこかで確信している。
雪菜は必ず戻ってくる。
その時まで、俺はこの村で身を潜めていなければならない。
「タクヤ、大丈夫? 顔が真っ青よ?」
「だ、大丈夫です…」
嘘だった。
全然大丈夫じゃない。
雪菜が投獄されたと聞いても、俺の震えは止まらなかった。
彼女の異常性を目の当たりにして、恐怖は頂点に達していた。
夜中に目が覚めるたび、窓の外に雪菜の影がないか確認してしまう。
食事も、雪菜の声が聞こえないか耳を澄ましてしまう。
「タクヤ、最近眠れてない?」
三日後、エリカが心配そうに尋ねてきた。
「あ、ああ…ちょっと環境が変わったから」
「そう…無理しちゃダメよ?」
エリカの優しさが身に染みる。
雪菜とは正反対の、穏やかで温かい人だ。
でも、その優しさを受け入れるのも怖い。
また雪菜に目をつけられたら…
俺の震えは、雪菜が投獄されても止まることはなかった。




