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第百話「ヤンデレ協定」

 

 翌日の朝、オルテンシアは馬車でエルフの村に帰っていった。

 魔法大学の入学試験に不合格だったとはいえ、彼女は諦めていない。


「次こそは絶対に合格するわ」


 オルテンシアが馬車の窓から手を振る。


 乗り出して危ない。

 馬車の乗り方も次会った時に、教えないとな。


「それまで、もっともっと勉強するから」

「頑張れよ」


 クロエと一緒に見送った。


 彼女の前向きな性格は、見ていて気持ちがいい。

 きっと次こそは、もう少しマシな点数を取れるだろう。


 オルテンシアを見送った後、俺たちはアドバンスクラスの教室に向かった。


 久しぶりに、仲間たちとゆっくり過ごせる時間だ。

 そして、俺にはみんなに自慢したいことがあった。


「そういえば、みんなに見せたいものがあるんだ」


 仲間たちに声をかける。

 レオナルド、ヴァル、アリシア、クロウ、リリー、ルーシーが集まってくれた。


 クロエは、図書室に行くと言って数分前に俺と離れた。

 造形魔法の魔導書の新編が出たそうだ。

 今度、見せてもらおう。


「見せたいもの?

 師匠、どんなものですか?」

「実は、新しい能力を手に入れたんだ」


 これは自慢できるものだ。


 瞬間移動のように、デメリットが俺の体力消費と雪菜のバフではない。

 予見輪は、俺のみの体力消費だから、俺が頑張れば誰も損をしない優れものだ。


「未来を見ることができる能力だ」

「未来?」


 天才魔法使いでも未来が見える魔法は、知らないようだった。

 これは唯一、アリシアに勝てる種かもしれない。


「そんなことが可能なんですか?」

「予見輪って奴だ」

「10秒後の未来が見えるんだ」

「すごいじゃん」


 ルーシーにお願いして、リリーは少し押さえつけてもらっている。

 すぐに抱きついてくるからだ。


「どうやって手に入れたんですか?」

「魔神からもらった」


 テレサスニカのことを簡単に説明すると、みんなが驚いた。


「魔神が能力をくれるなんて」


 確かに。

 俺以外が知っている魔神の印象は、俺を初見殺ししたアズラエルしか知らない。


 優しい(わからないけど)魔神がいるとは信じられないのだろう。


「本当に未来が見えるんですか?」

「見せて、見せて」


 魔族にも、予知能力を使える奴はいないのだろう。

 でなければ、ヴァルがこんなに興奮するわけがない。


「余も未来を見てみたい」

「分かった」


 右手で輪を作る。


「この輪を通して覗くと、10秒後の未来が見える」


 何気なく、ヴァルの方向に輪を向けた。

 そして、輪の向こう側を見た瞬間、俺の血液が凍りついた。


 そこに見えたのは、信じられない光景だった。


 ヴァルの頭が、スパッと切り落とされている。

 首から上がなくなったヴァルの体が、血を噴き出しながら倒れていく。

 そして、切り落とされた頭部が、宙を舞っている。


「うわあ」


 思わず輪っかを崩してしまった。


 手がガクガクと震えて、止まらない。

 予知輪で見た光景があまりにも衝撃的で、パニックになってしまった。


「…タクヤ、どう?

 …何、見えた?」

「ヴァルが」


 必死に声を出そうとするが出せない。

 

 どうして…

 早く伝えないと…


「ヴァルの頭が」


 でも、その瞬間だった。

 俺の体が、突然窓の外に吹き飛ばされた。

 まるで巨大な力で押し出されたかのように。


 同時に、ヴァルの頭部も宙を舞った。

 予知輪で見た通りの光景が、現実になってしまった。


「ヴァル!!!」


 叫んだ時には、もう遅かった。


 ヴァルの首は既に胴体から離れてしまっている。

 大量の血が噴き出していて、明らかに致命傷だった。


 そして、俺と一緒に地面に落ちたヴァルの頭部は、数秒も経たずに消滅した。

 まるで、存在そのものが消去されたかのように。


「嘘だろ」


 衝撃で声が出ない。


 ヴァルが死んでしまった。

 魔王の息子で、俺の大切な友達だったヴァルが。

 

 予知輪で未来を見てしまったことで、それが現実になってしまったのか。

 それとも、運命は変えられないものだったのか。


 俺の心は、罪悪感と絶望で押し潰されそうだった。

 教室の中からは、悲鳴と混乱の声が聞こえてくる。

 きっと、みんなもヴァルの死にショックを受けているだろう。


 俺は急いで教室に戻ろうとした。


 しかし、上の方から激しい爆発音がする。

 まるで戦闘しているかのように。


 これはまずい。


 でも、教室に向かう途中で、俺の足が止まった。

 廊下の向こうに、見覚えのある人影が立っていた。


 黒い長髪を持つ、美しい女性。

 でも、その美しさは、氷のように冷たい。


 雪菜だった。


「拓也くん♡」


 雪菜が甘い声で俺の名前を呼ぶ。

 その声は蜜のように甘く、毒のように危険だった。


「やっと見つけました♡

 やっと♡ やっと♡ やっと♡」


 俺のことをまるで、オアシスを見つけて生き返ると安心した人のような目で見つめていた。

 その目が、異常な光を放っている。

 その瞳には、狂おしいほどの愛情が渦巻いていた。


「探すのに10ヶ月かかりました♡

 305日、8760時間、525600分♡

 ずっと、ずっと、ずっと拓也くんのことだけを考えて♡」


 ゆっくりと俺に近づいてくる。

 その笑顔は、幸福と狂気が入り混じっていた。


「夢でも拓也くん、起きても拓也くん♡ 息をするたびに拓也くん♡ 心臓が鳴るたびに拓也くん♡」

「近づくな」


 後退りは虚しく、意味がなかった。

 雪菜は一瞬で俺の体をがっちりと掴んだのだ。

 その握力は、人間のものとは思えないほど強い。


 俺が産んでしまった化け物だ。


「ああ♡ 触れた♡  拓也くんの温もり♡ 拓也くんの匂い♡ 拓也くんの鼓動♡」


 雪菜が俺の体に顔を埋めた。

 生暖かい感触が胸いっぱいに広がった。

 想像したくもない。


「幸せ♡ こんなに幸せなことってある?

 ねえ、拓也くん♡」


 まるで鋼鉄の束縛具に捕らえられたかのように、身動きが取れない。


 ようやく理解した。

 先ほどのヴァルの死も、俺が窓から吹き飛ばされたことも。

 すべて、雪菜の仕業だったのだ。


 彼女が魔法大学に侵入してきたことの余波で、あんな惨劇が起こったのだ。


 クロエは?

 必死に考える。


 クロエは図書室にいたはずだ。

 でも、雪菜は俺以外の女性を容赦なく殺す。


 もしクロエが俺の妻だとバレていたら。

 よりひどい殺され方をする。

 どちらも嫌だ。

 

 いや、大丈夫なはずだ。


 自分に言い聞かせる。

 信じ込まないともうダメだった。

 立て続けに起きた事件のせいで、俺の頭はもうおかしくなっているのかもしれない。


 けど、クロエは無事なはずだ。

 そう信じるしかなかった。


「さあ、行きましょう♡ 二人だけの、二人だけの、いや、三人だけの素敵な場所に♡」


 三…人?


「もう誰にも邪魔されない♡

 永遠に♡ 永遠に♡ 永遠に一緒♡」


 雪菜に連れ去られることの恐怖と、仲間たちの安否への心配で、意識が朦朧としてきた。

 ヴァルの死のショック、雪菜の突然の出現、そして自分の無力さ。


 すべてが重なって、精神は限界に達していた。

 そして、俺は気を失った。




 ◇ ◇ ◇




 目が覚めた時、身体中が寒くて震えが止まらなかった。

 手首と足首が何かで拘束されていて、自由に動くことができない。


 でも、目は塞がれていないので、周囲の様子を見ることはできた。

 そこは、木でできた小さな小屋だった。

 質素な作りで、家具もほとんどない。


 窓から外を見ると、一面真っ白な世界が広がっていた。

 雪だった。

 しかも、豪雪と呼べるほどの激しい雪が降っている。


 この雪の量と寒さから判断すると、ここはイラリア大陸だろう。

 魔法大学があったヴェリア大陸からは、はるかに離れた場所だ。


 雪菜は、俺をこんな遠くまで連れてきたのか。

 これでは、誰も俺を見つけることはできない。

 絶望的な状況だった。


 その時、小屋の奥から声が聞こえてきた。


「あら♡ 起きましたね♡

 拓也くんの寝顔もずっと見ていたかったけど♡ でも起きてる拓也くんも素敵♡」


 雪菜の声。


 声の方向を見ると、小屋の奥に二つの椅子が置かれていた。

 そこに、雪菜ともう一人の人物が座っている。

 もう一人は、ピンク髪の小さな少女だった。


 リリーだった。


「リリー?」


 どうして…


「なぜ君がここに?」

「タクヤ♡」


 リリーが見つめてくる。


 その目は、いつものリリーとは違っていた。

 いや、隠していたものだ。

 より深く、より狂おしく、俺への愛情が渦巻いている。


「やっと目が覚めたかな♡ ずっと、ずっと待ってたかな♡」

「どういうことだ?」


 雪菜とリリーの接点は一切なかったはず。


 俺と雪菜がこの世界に転生してからはや三年、そのうち一年間は魔法大学に通っていた。

 その一年間は、雪菜を匂わせる行動はリリーはしていなかった。


「なぜリリーが雪菜と一緒にいるんだ?」

「この子とは♡」


 愛おしそうにリリーを見ている。

 まるで自分の分身かのように。


「初めて会った瞬間に分かりましたよ♡

 この子も私と同じだって♡」


 わからない。

 言っている意味も、何もかも。


「拓也くんを愛しすぎて、愛しすぎて、愛しすぎて、もう正気じゃいられない♡ そういう仲間だって♡」

「そうかな♡」


 その口調は、前のような依存型のヤンデレではなかった。 

 ずっと欲しかったものを手に入れられた子供みたいに、より明るく、より執着的で、より狂気に満ちていた。


「わたし、ずっと我慢してたかな♡

 タクヤを独占したいって気持ち、ずっと押し殺してたかな♡」


 いや、「わたしのものアピール」とかしてただろ。

 本当に、あれで終わって欲しかった。


「でも、もう我慢できないかな♡

 ユキナと会って、やっと本当の自分になれたかな♡」

「私たち♡」


 雪菜が嬉しそうに言う。


「一緒に拓也くんを独占しましょう♡

 二人だけで♡  永遠に♡」

「うん♡ タクヤは私たちだけのものかな♡」


 二人の視線が、俺の体に刺さる。


「他の女どもは、全部消すかな♡

 一人残らず♡」


 血の気が引いた。

 リリーが、雪菜と手を組んだのか。


 俺への愛情が、狂気に変わってしまったのか。

 いや、もともとだったか。


「拓也くん♡」


 俺を見つめるその視線は、愛情と狂気が混ざり合っていた。


「分かってますか? 私がどれだけ拓也くんを愛しているか♡」

「…わかりたくない」


 雪菜が立ち上がり、近づいてくる。


「一年間、毎日毎日、拓也くんのことだけを考えてました♡

 食事の時も、寝る時も、息をする時も♡ そして致す時も♡」


 手が、俺の頬に触れる。

 その手は、異常なほど熱かった。


「拓也くんの声が聞きたくて♡ 拓也くんの顔が見たくて♡ 拓也くんに触れたくて♡

 気が狂いそうでした♡」

「いや、もう狂ってたかもしれませんね♡」


 自嘲気味に笑っている。

 その笑い声が、耳の中に残る。

 こびりついて離れない。


「でも、それでいいんです♡ 拓也くんへの愛で狂えるなんて♡ こんなに幸せなことはありません♡」

「わたしも♡」


 リリーが俺の側に来る。


「タクヤのこと、好きすぎて、好きすぎて、好きすぎて、もう苦しいかな♡」


 小さな手が、俺を掴んで離さない。


 恋人繋ぎ。


 抵抗しようものなら、より強く掴む。

 俺の手が、もう俺のものではない気がしてした。


「夜も眠れないかな♡ タクヤのことを考えると、胸が痛くなるかな♡ でも、それが嬉しいかな♡」

「タクヤを想って苦しむのが、幸せかな♡」


 リリーの目から、涙が流れ落ちる。

 でも、その表情は笑っていた。


「おかしいかな♡ 狂ってるかな♡ でも、止められないかな♡」

「分かります♡ すごく分かります♡」


 狂ってる。

 二人とも。


「拓也くんへの愛が、痛みになって、狂気になって、でもそれが幸せなんですよね♡」


 二人が顔を見合わせて、微笑み合う。

 その笑顔は、あまりにも狂気に満ちていて、俺は恐怖で体が震えた。


「でも♡」


 表情が、突然暗くなる。


「拓也くんの周りには、邪魔な虫がたくさんいますね♡」

「エリカ、ルナ、クロエ、オルテンシア」


 リリーが一人ずつ、名前を挙げていく。


「みんな、みんな、みんな♡ 消さなきゃいけませんね♡」


 心臓が止まりそうになった。

 雪菜とリリーは、俺の妻たちのことを知っている。

 そして、彼女たちを殺すつもりだ。


「やめろ」


 必死に声を上げる。


 家族が死ぬところなんて想像したくない。


「俺の家族に手を出すな」

「家族?」


 二人は、落ち着くという言葉を知らないのかもしれない。

 そのくらい止まる気配がなかった。


「違います♡ あれは家族じゃありません♡ 拓也くんを騙して、奪って、私から遠ざけた泥棒です♡」

「そうかな♡」

「あの女たちは、タクヤを独占してたかな♡

 許せないかな♡」

「頼む、やめてくれ」


 拘束を解こうとするが、意味がない。

 このままでは本当に…


「俺がどうなってもいいから、家族だけは」

「ダメです♡」


 冷たくあしらわれる。


「拓也くんは私たちだけのものになるのは当たり前のことですよ♡ 誰にも渡しません♡ 誰にも♡」

「そうかな♡」

「タクヤを苦しめる女は、全部消すかな♡ 一人残らず♡」

「まずはルナから始めましょう♡」


 ルナは、お前らに何もしてないだろ。

 あいつは優しいんだ。

 だから、だから…


「あの女が一番ムカつきますから♡」

「いいかな♡」

「拓也くんの貞操を奪ったらしいですね♡」

「許せないかな♡」


 お願いします。

 そんな話をしないでください。


「ルナの血を流すの、楽しみかな♡」

「どうやって殺しましょうか♡」


 雪菜が嬉しそうに言う。


「一思いに殺すのは、もったいないですよね♡」

「ゆっくり、ゆっくり、苦しませるかな♡」


 リリーの目が、狂気に輝く。


「タクヤの目の前で、じわじわと殺すかな♡」

「素敵です♡」


 拍手が木製の小屋に吸収される。


「拓也くんに見せつけながら殺すなんて♡ 最高ですね♡」


 二人の会話は、悪夢のように不気味だった。

 狂気に満ちた愛情で、俺の家族を殺そうとしている。


 しかも、二人とも本気だった。

 冗談や脅しではなく、本当に実行するつもりだ。


「あ、そうだ♡」


 雪菜が何かを思い出したように言った。


「拓也くん♡ 見せたいものがあるんです♡」


 小屋の隅から、何かを持ってくる。


 それは、絵だった。

 俺とエリカが一緒に写っている絵。

 俺とルナが一緒に写っている絵。

 俺とクロエが一緒に写っている絵。


 過去に、似顔絵師に描いてもらったそのものだった。

 どうして雪菜が。


「これ♡ 全部集めたんです♡」

「拓也くんと他の女が一緒に写ってる絵♡ 見るたびに、胸が苦しくなります♡」


 雪菜が絵を一枚一枚、丁寧に破り始める。


「でも、もう大丈夫♡ これから全部、現実でも破壊しますから♡」

「私も持ってるかな♡」


 リリーも絵を取り出す。

 それは、俺とルナのキス絵だった。


 それは誰が描いたんだ?

 記憶にない。


「これ見るたびに、殺意が湧くかな♡」


 リリーが絵に爪を立てる。


「でも、もうすぐこの女を殺せるかな♡ 楽しみかな♡」

「そうですね♡ 楽しみですね♡」


 二人が肩を抱き合って、共感している。


「私たち、最高の仲間ですね♡」

「うん♡ タクヤへの愛が分かり合える、唯一の仲間かな♡」


 二人が微笑み合う。


 その光景は、地獄のような美しさがあった。

 二人の狂った愛情が、俺を完全に包囲している。


 逃げ場はない。

 助けも来ない。

 そして、俺の愛する家族たちが、危険にさらされようとしている。


「拓也くん♡」

「愛してます♡ 愛してます♡ 愛してます♡」


 何度も何度も、繰り返す。


「この世界で一番♡ いいえ、全宇宙で一番♡ 拓也くんを愛してます♡」


「わたしも♡」

「わたし、大好きかな♡ 好きすぎて死にそうかな♡

 でも死なないかな♡ だって、タクヤと一緒にいたいから♡」

「だから♡」


 二人が声が重なった。


「他の女は、全部消します♡」


 二人の声が、小屋に響き渡る。


 完全に絶望した。

 二人のヤンデレが手を組んだ時、もう誰も止められない。

 家族たちが、危険にさらされている。


 でも、俺は何もできない。

 拘束されて、身動きが取れない。

 暗い小屋の中で、二人の狂気に満ちた笑い声だけが響いていた。


「さあ、計画を立てましょう♡」

「一人ずつ、丁寧に、愛情を込めて♡ 殺していきましょう♡」

「楽しみかな♡」

「タクヤを独占できる日が、もうすぐかな♡」


 俺の絶望は、底なしに深くなっていった。



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