秋田犬系男子のエスコート
「昨夜はよくお眠りになられましたか?」
王城の侍女がリズの金色の髪を梳りながら鏡越しに問いかける。
視線は髪に向いていてリズの目を見る事はなく作業も澱みない。流石に王城の侍女だと感心するばかりの仕事ぶりだった。
「マジぐっすり寝れてんだけどー! そのベットやばくなーい?」
「そうなのですね。侍女である私にはわかりませんが、そんなによろしいのですか?」
「うん! マジやばー!」
鏡越しに見えているキングサイズのベッドの寝心地は素晴らしかった。リズではないがマジヤバかったわけだ。ギャル時代の煎餅布団とは比べるまでもなく、聖女時代の寝台よりも、公爵家で使っていたベッドよりも、そのどのベッドも凌駕していた。
謁見も終わって今後聖女がやるべき事も分かったというのに、リズがなぜまだ王城にいるかと言えば。
昨日の説明を終えたリズは、さっさと家族と合流して、そそくさと帰ろうとしたのだけれど、そこに王からストップが入った。
翌日から学院に通う予定になっているから、今後も王城に滞在するようにと。
王がそう言った。つまりそれは王命という事になる。
本当は実家に帰りたかったが、学院の場所が王城の方が近く、アルバートが学院まで案内する関係もあって、自宅に帰るよりも王城に宿泊して、そのまま一緒に向かった方が効率的だと言われてしまい、仕方なく滞在する事にした。
公爵家の人間もそれぞれに仕事があるため、流石にずっと王城に留まる事はできず、リズだけが王城に残る事となり、家族は再び離れ離れになってしまった。
くそう、王命めえ。
と、リズはイラッとしたが、この部屋に案内された途端にリズの気分は変わった。
案内されたこの部屋は、ここ一週間過ごしていた仮滞在用の部屋とは全く違っていた。
もちろん今までいた部屋も貴賓を滞在させるための豪華な部屋であったが、今回はそれとは全く格が違っていた。全ての調度品が最低でも一ランクは上がっている。そんな部屋の中でも特徴的なのはリズがマジやべーと評価しているこの大きな天蓋付きのベッドだった。
さっきまでモヤモヤとしていたリズの気分は、凪いだ大海原のように整えられた大きなベッドを見つけて一気に高揚した。
だってさ、しゃーなくない?
大きなベッドを見たら飛び込むのがギャルのしきたりですので、貴族としてははしたないですけれど悪しからず。と、思いきりそこへ飛び込んだ時、リズは王城への宿泊を許諾した自分を褒めちぎった。
「いやーマージで! あーしえらい! ベッドすげー」
ベッドに転がり、寝心地を確かめ、凪いだ海面を思い切り波立たせ、自分の寝心地の良い形に整え終わった頃には、いつの間にかリズはスヤスヤと眠りについていた。なんだかんだ言いながらも疲れていたのだろう。
風呂にも入らず寝てしまったが、聖女は通常の人よりも汚れにくいらしいから、一日くらいでは臭わないだろう。ちなみにギャル時代も汚ギャルではなかったからね。
そして今はそんな風にぐっすりと眠って明けた朝で。
こうやって王城の侍女に朝の身支度をしてもらっている最中である。ベッドの話題で盛り上がっている間にリズの金色の髪はあっという間に整えられ、さらりと真っ直ぐに肩のあたりまで落ちている。化粧に関しては侍女の判断で、
「化粧などする意味はありませんね、完璧です」
との事だったのでしていない。
しかしギャルの魂がそれに不満を漏らす。
「えーもう少し肌を黒めにしたいんだけどー」
やっぱりギャルといえば小麦色の肌だろうと主張するリズの言葉に。
鏡越しの侍女の目が昏く光った。
「その肌に何かを塗るなんてとんでもないです。もし塗れとご命令されたなら、私はこの職を辞する覚悟がございます」
表情を変えずに感情の圧力だけを強めるという器用な芸当に、リズは即座に褐色の肌をしぶしぶ諦めた。褐色にしたいのはしたいが、侍女の言うようにこの抜けるように白い肌が素晴らしいっていうのは、リズも同意する所だったから。
しかし悲しいものは悲しい。リズは明らかにしょんぼり顔になった。その表情から化粧を諦めたと認識した侍女は満足げにうなずいて次の支度に移る。
リズに椅子から立つようにうながし、立ったかと思えば、あっという間に来ていた部屋着を脱がし、リズが脱がされた事実に少し遅れて気づいた頃には、事前に準備されていたかのようにサイズがピッタリとあった美しいワンピースでその身を飾られていた。
「はっや!」
驚きの声をあげるリズに侍女は涼しい顔で、プロですのでと軽く応えて、言葉を続ける。
「これにて朝の支度は終わりでございます。聖女様、朝食の準備が整っておりますので、食堂へどうぞ」
「え? うん。朝食はうれしーんだけどさ、あーし食堂の場所わかんないよ? 連れてってもらっていい?」
「いえ、私はここまでです。大丈夫です、扉を開ければわかりますよ」
ワケ知り顔で侍女は笑う。
「そう? じゃ行くかー」
と扉に向かって足を進めたリズがふっと足を止めて振り返る。
「ねえ、侍女さん、名前、聞いてよい?」
王族は普通侍女の名前に興味などもたない。
侍女は振り返ったリズの言葉に今日初めて少し驚いた顔をしながら答える。
「ジェイダ、と申します」
そう言って視線と頭を軽く下げた。
「うん! ジェイダさん綺麗にしてくれてあんがとね! またよろー!」
「光栄にございます」
ジェイダはもう一度小さく頭を下げてリズを見送った。
リズは綺麗に着飾ってもらって、なんだかとても上機嫌になり、それをもたらしてくれたジェイダの方に感謝の視線を投げながら、部屋の扉のノブを掴んで内側に開いた。
開いた扉の先に視線を向ける。
なんとびっくり、アルバート。
扉の外にはアルバートが直立で立っている。
「おわあ! びっくりしたあ!」
リズは思わず驚きの声をあげてしまった。
そりゃあ朝っぱらから美男子が姿勢正しく扉の前で立っていたら、そりゃあ誰だって驚くだろう。しかも相手は一国の王子。いや、すでに王太子になっていたか。
侍女のジェイダはこれに気づいていたから開ければわかると言ったのだった。
アルバートはリズが驚いた事に逆に驚いた表情であわてて謝罪する。
「あ、す、すまない。驚かせてしまったか。驚かせようと思ったわけじゃないんだ。ただ……その……待ちきれなくて……」
大型犬じみた美男子のしょんぼり姿は、垂れ下がった耳と、股に挟まった尻尾を幻視するよう。そんな情けない姿ながら、朝日に照らされていると、神々しいまでに愛らしかった。
そんな姿を見てはリズの驚きはどこかへ消えて微笑ましい感情がやってくる。
「んーん、ちょっとびっくりしたけど、いいよいいよ! だいじょぶだいじょぶ! オッケーオッケー! ところでこんな朝からどしたん? あーしになんか用事なん?」
アルバートは男としては好みの見た目ではないが、人としてはとても優しいのがわかる。幼い頃の記憶と、聖女修行中にやり取りした手紙の記憶からもそれはよくわかる。今回の女性の部屋の前で無言で待ち続けるという少し突飛な行動も、自分を心配するあまりの行動だろうと理解した。
ギャル時代には周りには全くいなかった人間だけれど、今のリズは何だかそれが好ましく感じる。
だから両手を大きく振って問題ない事をアピールしてから訪問の理由を問いかけた。
「ああ、朝の食事に迎えに来た。王城の食堂はわからないだろう? 案内をするから朝食をとるといい」
リズへ返した言葉と一緒に、大きな手がスッとリズの眼前に差し出された。
昨日とは違い、今日はアルバートから差し出される手。
エスコート、ってやつ?
リズはその手の先を辿り、腕、胸、首、顔、と視線を進める。
その全てからリズの手に触れたい気持ちが溢れていて、それはもう幻の尻尾が大きくわっさわっさと振れている。そんなアルバートの姿を見て、祖母の家で飼われていたむく毛の秋田犬を思い出してふと懐かしくなった。
「ふふ、あんがと、アルバート! じゃあ一緒に行こっか?」
目の前に差し出された大きくて逞しい手に、しっかりと自分の手を重ねてみて、リズはその手の感触に少し驚いた。昨日の握手ではなにも感じなかったけれど、掴んだその手はとても力強く、かつ、とても優しかった。
その手の感触にリズは少しだけ自分の頬が温かくなったのを感じた。
もちろんアルバートにそれを気づく余裕などあるはずもなく、リズの手をまるで壊れ物のように優しく包み込んで、細心の注意を払いながらそれを引き、リズの歩幅に合わせてゆっくりと廊下を歩き出した。
リズはまるでお姫様の様に自分が扱われている事がとても新鮮で、何だか急に胸がこそばゆい感じになり、それを誤魔化す様に隣を歩くアルバートに語りかける。
「ねーねー! アルバートってチョー鍛えてるんだねー。手がカッチカッチだわー」
「あ、ああ。聖女を、貴女を、守るために必死で鍛えた」
聖女、すなわち自分を守るためとなんの衒いもなく答えるまっすぐな言葉に、またリズは少しこそばゆくなってしまう。同時にとてもうれしい気持ちも湧いてきて。異世界に魂ひとつで飛んできて、公爵令嬢、しかも聖女になった身としては、その守られている感じがとても心地よい。
その感謝を伝えようと、むく犬の守護騎士の頭をわしわしと撫で回そうと隣を見れば、あまりに高い位置にある頭。うーん、これは流石に無理だなーと諦めたリズは。
「うんうん、えらい手だねー! よしよしー」
撫でる先を手に切り替えた。
繋いだ手とは逆の手で、その繋いだ手をヨシヨシと撫でたのだった。その感触はゴツゴツとしてかたいがそれがとても頼もしい。リズの頬はまた少しだけ熱を持った。
リズからしたら、ただの照れ隠しで、なんて事のない行動だったが、アルバートにとってそれはあまりの衝撃で、そこから食堂に至るまでアルバートの手と足はとてもぎこちなくしか動かなくなった。
こんな風に辿々しくアルバートの甘やかし大作戦は始まった。
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