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ガイアが俺に囁く

「はあ」


 私室に戻ったアルバートはシャツの胸元を緩めながら椅子に腰掛けてため息をもらした。


 目覚めたばかりで朦朧としていたリズも美しかったが、今回は文字通りに桁が違った。うっすらと化粧を施され、髪を整えられ、上質なドレスに身を包んだリズは美の概念がその場にあるようだった。

 見た目だけじゃない、勝気な所も素敵だ。あの第二妃のスライがぐうの音も出ないのは実に痛快だった。あの女、次に同じような事をしたら絶対に斬るからな。


 そして何よりも素晴らしかったのは。


 手を見る。


 リズの手を握った余韻がいまだに体を支配している。ひたすら幸福感が脳と体を弛緩させる。今までの人生で取りこぼした幸せの全てが一気に押し寄せてきたかのような衝撃だった。


「……リズ」


 名前を呼んで。


 顔を両手で覆い。


 天を仰いだ。


 息を吸って。


 鼻腔でさっきまでの記憶を反芻する。


 リズ。


 本人のいない所であれば簡単に呼べる名。

 本人を目の前にしてしまうと全く口から出てこなかった。


 彼女とは幼い頃に何度か会ったきりで、初めはお互いにモジモジしたままでほぼ会話にはならなかったが、時間をかけてある程度の意思の疎通がとれるくらいにはなった。

 しかしある日から会う事はできなくなった。リズが聖女修行に入ってしまった事が主な原因で、聖女に至る間は男子禁制の教会にこもっての修行となる。男子禁制なのだからもちろん、婚約者であろうと親族であろうと面会すらできない状態になる。


 それと並行して。


 アルバートの方も王子教育が本格化し多忙となった。

 その多忙に加えて、アルバートの場合は守護騎士になるための修練が追加された。


 そちらは普通ではない。

 むしろ異例だった。


 王子が聖女の守護騎士となる。とは言うけれど、それはあくまで建前で、王になる可能性のある大事な身の王族が本当に守護騎士になる事は珍しい。というか建国王以来なかった事だ。

 基本的には王国騎士団から派生した聖女騎士団がメインで聖女を守護し、その騎士団長として次代の王が就任する事によって、それを守護騎士とする事が主流である。


 だけれどアルバートはそれを良しとしなかった。


 リズを自分の手で守りたいと思った。


 数度会っただけだけれど。心の底から彼女を自分が守りたいと思っていた。

 なぜかは自分にもわからない。


 魂からの衝動だった。


 だから守護騎士の修練も必要以上に身を入れた。

 王国騎士団の団長から直接指導を受け、時には高位冒険者と呼ばれる剣の達人からも教えを受けた。幸いというか何というか、アルバートには剣の才が有った。同時に魔法の才能も、さらに加えて努力の才能も有った。いわゆる万能の天才で、フィジカルにも恵まれたのか、身体は鍛えれば鍛える程に応えてくれた。


 そうして剣の腕は騎士団長すらも凌ぎ、戦闘能力では高位冒険者を超えていた。


 もちろん修行は辛かった。

 それに耐えられたのはもちろんリズを守りたいと思う気持ちからだった。

 婚約者という立場だから当然手紙のやり取りや季節の贈り物などのやり取りはある。手紙の中に記される聖女修行の内容や守護騎士の修行を気遣う内容を胸に秘めて、代わりに血反吐を吐き出した。全く騎士団長や冒険者どもは王子だと気遣う素振りもない。むしろ最初の方は王族への反感がこめられている気さえする時が有った。


 しかしアルバートにはそれが心地よかった。


 王族として生まれてから下にも置かぬ対応しかとられた事がない身には全てが新鮮で初めて一般の民という存在を知った気がした。

 今はたくましくなった自分の胸を軽く撫でる。

 そうすると、稽古と称したテイのいい追払い模擬試合で、騎士団長に思い切り胸を突かれた時の息切れを思い出して、口の端から笑いが漏れる。


「ふふ」


「喜びに浸ってる所までは我慢したが、一人で笑いだすのは流石にキモイぞ」


 背後から声がした。


「いたのか」


 しかしアルバートは慌てるそぶりもない。


「むしろいないと思ってる方がどうかしてるぜ。てか気づいてたろうがよ」


 いつの間にかに椅子の後ろに立っていた男が、若干引き気味な態度でアルバートに声をかけてきた。


 背後で囁くこの男は、アルバートを鍛えたガイアという高位の冒険者で、修行の最中にアルバートがあまりにも気に入ってしまったため第一王子の護衛兼私兵として雇用した。ガイアもガイアでこの風変わりの王子を気に入っていたので渋るふりをしながらその申し出を喜んで受け入れた。


 以来、歳の離れた兄弟のような関係性を築いている。


「だってしょうがないだろう念願のリズに会えたんだから。なあ、リズは凄かっただろう?」


「おー、確かに凄かったわ。色んな意味で驚きだったな。あの色ボケババアに正面から啖呵きるなんてなあ」


「ふふ、どうだ、私のリズはすごいだろう?」


「は、何言ってんだよ。正面向いたら名前すらまともに呼べないのに、私の、はまだ早くねえ?」


 ガイアは呆れたように肩をすくめた。


「う、そこも見てたの!?」


 痛い所をつかれたアルバートは口調が弟じみたそれに変わり、椅子に座ったまま上半身だけで背後を振り返る。そこには十年の付き合いになる一人の男が立っている。


 十歳で冒険者デビューし、そこから八年でA級冒険者に至った男。


 そこから十年経った今でもアルバートの護衛をしながら冒険者としても現役な超人。長身で硬く厚い筋肉に覆われたのが明らかな体躯、その肌は浅黒く男らしい顔立ちで。


 表情はニッカリと笑っていた。


「そりゃそうだろ、俺はアルの護衛だぜ? そばにいないと思うなんて俺に対して失礼だぜ」


 王族だけのプライベートスペースの会話を事もなげに聞いていたと言い、あまつさえその場にいたと言いのけるこの男の実力は計り知れない。アルバートもこの部屋にガイアがいるのは気づいていたが、あの時談話室にいたのには全く気づいていなかった。これほどまでに隠密能力が高いのに剣の腕も剣聖レベルというのだからアルバートが惚れ込むのも無理はない。


「なんで見てるのさ! はずかしーって!」


 すぐ後ろに立っているガイアの胸を拳で軽く叩いた。


「いやいや、俺はアルの護衛なんだからよ。しょうがないだろ? 不可抗力だっての! ま、それにしても、『リリリリー……ギャルレリオ公爵令嬢』ってのは笑ったぜ」


 胸を叩かれた意趣返しとばかりにリズの名前を呼べなかった場面を真似するガイア。長年の付き合いでそっくりな言いぶりだった。これにはアルバートも何も言えず、振り返るのをやめて、顔を赤くして下を向いた。


「……しょうがないだろ? この十年ずっと会いたかったんだよ?」


 不貞腐れたのか少し唇が尖る。


「ま、そうだな。これから歪みの浄化が始まるんだ。しばらく一緒に行動するんだろ? その間にお前らしく距離を詰めていけばいいさ」


 慰めるように、背後からアルバートの両肩をポンポンと二度叩いた。

 昔からの約束。王子らしくない弱気な思考に囚われたりした時はこうやってガイアがアルバートの肩を叩く。そこでアルバートはネガティブな気持ちを切り替える。出来ないを出来るに、怖くて目を逸らしそうになったら逆に怖い対象をよく観察するように。

 冒険者としてだけでなく、将来の王としても必要な思考の切り替えを、アルバートはガイアの助けを受けながらもすでに会得していた。


「私にできると思うか?」


「ああ、そりゃあもう。お前ならもちろん出来るだろうよ。俺の直弟子なんだぜ。優しくしてやりゃいい。そうすりゃどんな女だってお前にイチコロだろうよ。自信を持て」


 ガイアは知っている。

 この王子は実にモテる。街を歩けば道行く女性はみんな頬を赤く染めてその姿に見惚れる。歩くだけでそれなんだから剣の修行で上裸になって汗を流していようもんならそれを見た侍女が鼻血を垂らして倒れるなんて日常茶飯事だった。おかげで修行中は女人禁制になった位だった。


 しかし本人はそれに気づいていないし、多分ちょっとの興味もないのだろう。


 どれだけ外野がキャアキャア言っていようが常に態度は王子然として変わらない。とは言っても別に偉ぶるわけでもない。ただただ貼り付けた美しい仮面で通り一遍の対応をするだけ。それすらもちまたじゃ柔らかクールなんて呼ばれて喜ばれる始末。


 だが、本人はその自覚は全くない。だったら単純にアルバートが意識を女性に向けるだけで、アルバートの願いは容易く叶うだろうと考えた。だからこその優しくしてやりゃいいの言葉。ここにいるのは剣も権力も、この国一番の男だ。それに優しくされて拒否する女なんていないだろう。


 対してアルバートはガイアに与えられた指針に大きく喜んだ。

 道ができたら進むだけなのだから。

 簡単だ。

 自分で決めた事をひたすら実行する事ならば自信がある。今までもそうやって困難を乗り越えてきた。


「そうか! ならば私は彼女に目一杯の優しさを与えよう!」


 そう言って、決意をその拳に握りしめるように、中空に両の拳を掲げた。


 後ろからそれを見ていたガイアは、アルバートが何だかズレた優しさを振り回しそうな予感をヒシヒシと感じながら、弟分の決意と成長を見てつくづくと感じる。


 星が俺にもっとからかえと言ってる。


お読みいただきありがとうございます。

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