水の歪みが降って地が固まるって事で
許されたい。
そんなアルバートの甘い期待は見事に裏切られる。
「アル! バ! カッー!」(アルバのバカ!)
リズはチャーシューメンのリズムで怒鳴りながら、アルバートをアッパーカットでぶん殴った。
いわゆるひとつの聖女昇竜拳!
聖女に許しを与えられるべく、恍惚とした表情で近づいてきたアルバートはそのパンチを受けて、そのまま背後に倒れ込んだ。普段のリズなら多分アルバートを許していただろう。またアルバートがちゃんと反省した顔で近づいてきたなら軽く叱った後に許しただろう。でも今回はダメだった。悪い事をした後にもう許されましたよね? みたいな秋田犬ヅラで駆け寄ってきたあの顔がどうにもムカついた。
だから思い切りぶん殴った。
本当は頭を思いっきり叩くくらいにしたかったけれど、身長差の関係でそれが無理なのはわかっていたので、仕方ありませんよね、地を這うようなアッパーでアゴを思い切り殴ってやりましたわ。
もちろん殴った自分の手の方が痛いのはわかっていたし、アルバートに物理的なダメージが皆無なのは理解した上での行動だ。その上でマジであの顔はムカついた。犬なら可愛いかもしれんが人間だと腹しか立たん。
昇竜拳からくるりと回転して着地したリズはフンと鼻を鳴らしてから、地に倒れたアルバートを見下ろした。
画面にKOの文字がデカデカと幻視されそうなほどのドヤ顔だ。
一方、許されなかったアルバートはやられたフリが上手いのか、リズの拳を受けて背後に倒れ込んだまま、今は大の字に寝転んでいる。それはまるで秋田犬が降参して腹を見せている様だった。
ほほう、こいつさては、もう地面に歪みはないからぶっ倒れても大丈夫だとわかってて、あーしに許してもらうために、こうやってやられた降参ポーズをしているんだな。
一度騙されたんだ二度は騙されんぞとリズはそう判断して、アルバートを見下ろし、ジンジンと痛む拳をふるふるとふるって痛みを誤魔化しながら、頬を膨らませてムウと怒る。
「もう! どれだけあーしが心配したと思ってるんだ! バカアルバ!」
アルバートの耳に落ちた言葉はまるで雷だった。
それもそうだろう。リズはとても怒っている。
さっきまで目の前にあった光景が思い出されてさらに憤りが募る。
だってさ!
足元に転がってきたアルバートのあの姿。傷だらけだった。こっちに来てからずっと見ていたアルバートがあーしの知っている形を保っていなかったんだもん。あーしを軽々と抱き上げたあの腕も、そのまま学院まで一足で駆けたあの脚も。堅いけど柔らかい不思議なあの胸も。
全部が歪んでたんだよ!
マジで死んだと思ったからね!
あの姿を見た瞬間、息が止まるかと思ったんだよ。会いたかったアルバの姿をやっと見つけてうれしくて跳ねた心臓が、今度は別の意味で跳ねさせられた。あんな感情のジェットコースターはもーマジ無理。今回の件はちゃんと反省してもらって二度としないようにしてもらわないと困るから。あの反省したフリの顔ではもーぜったいに許さん。
「リ、リズ……」
殴られたアルバートは、大の字になったまま顔だけ軽くもちあげて、自分に怒っているリズの姿を見上げる。
実はリズが思っているよりもリズのパンチはアルバートに効いていた。
精神的ショックはもちろん、物理的にもバッチリ効いていた。リズは忘れているけれど、現状のリズは聖女パワアが満ち溢れた状態で身体能力が上がってる上に、リズが言う様にアルバートはマジで死んじゃう五秒前状態から蘇ったばかりで、そりゃ当然衰弱状態なわけだ。
んで、そんな状態でぶん殴られているわけだからダメージは甚大だった。
リズを見つめるその表情も、実に情けない顔をしている。
でもリズにはそんなのは伝わらない。また反省した顔をして嘘をついていると思っている。
「アルバ、ダメだよ! そんなシュンとした顔しても! あーしはもう騙されないんだからね! 反省したフリはやめて、ちゃんと反省して!?」
平成の女子高生姿で腰に手を当ててプンと怒っている。
アルバートに向けて顔を伸ばす形で腰が少し曲がり、その動きに合わせて金色の髪の毛がさらりと肩から落ちる。浄化された日の光に照らされたそれはまるで煌めき溢れる砂金のようだった。
「………は、反省は本当にしているんだ」
そんな姿に見惚れてしまったアルバートの返答は一拍遅れて。そしてリズはそこに不審を感じる。自分の姿に見惚れているなんてミリほども思ってない。
「ほら! ウソだねー! ちゃんとすぐに答えられてないもん! それに反省してたらそんな寝転んだまま謝りませーん!」
「こ、これは、本当は身体を起こしてきちんと謝りたいんだけど、最後の力も……えっと……さっき尽きちゃって……その、動けないんだ。ごめん、でも私は本当に反省している」
全てが聖女に許される。
その期待だけでさっきまで動いていたアルバートの体はリズの拒絶パンチに完全に折られていたらしく、アルバート曰く頭だけを起こしているのはそれしかできないからだという事だった。
「え? そなの? それって、もしかしなくてもあーしのせいじゃんね? だいじょぶ? 生きてる?」
自分がアルバートにトドメを差し掛けていると認識したリズは急にアルバートが心配になった。お怒りポーズでフンと見下ろしていた状態を解除して、トトトと小走りに倒れているアルバートの頭の方に駆け寄った。
自然と寝転んでいるアルバートの視界には近づいてきたリズのゆらゆら揺れる短いスカートが視界にはいるわけで。つい視線がそちらを自動追尾してしまう。しかし守護騎士としてその中だけは絶対に見てはならぬとばかりにギュウと固く目をつぶった。見たい見たくないで言えば断然見たいけれど、そんな心中の思考は守護の剣で瞬時に突き刺されて消滅した。
リズにはアルバートのその所作の意味がわからず、瀕死の人間が目を閉じたという状況から、ついにアルバートの意識が消えたかと思い、アルバートの頭のそばに膝をついて、その生死を確かめるように、おずおずと頭に手を置き、ふわふわとした金色の髪の毛を撫でてみた。
柔らかい。
暖かい。
気持ちが落ち着く。
多分生きてる。
タヌっちを撫でている時も幸せを感じるけど。
こっちの方はなんか違う。
ぎゅってしたくなる。なんか違う。
よくわかんない。
「ね、アルバ、生きてる?」
よくわかんない感情をそのままに。
頭を撫でながら目を閉じているアルバートに問いかける。
怒りの感情は一気にほどけて声が和らぐのが自分でもわかる。
「ウ、ウン、イキテル」
頭を撫でられているアルバートとしては、よくわかんない、どころの話じゃない。理解がすっ飛んでいる。さっきまで怒られていて、アゴをぶん殴られ、そのまま倒れた状態で説教を受けていたと思ったら、そこから一転、頭を優しく撫でられているのだ。
飴と鞭にしても両極端がタイムレスすぎる。
正直、今回の件は、さっきまでの行動を含めて全て自分が悪かったと思っている。素直に二人で協力して事にあたっていればこんな状況にはなっていなかっただろう。どれだけ怒られても仕方ない。リズのいう通りに自分の言動が信用されないのも当たり前だと思う。愚かな自分はさっきまではすでに聖女に許されたような気になっていた。我ながらバカだなと思う。そんな気持ちもさっきのパンチで吹っ飛ばされた。こうなったら許されるまでどこまでも謝ろうと思っていた。
なのに、この状況はなんだ?
優しく声を掛けられて、なおかつ頭を撫でられているではないか。
理解が追いつかない。
「よかったー。マジで心配したんだよー」
閉じたまなこではリズの顔は見えないけれど、声は明らかに心配してくれている。
その声音は優しく温かく柔らかくて慈しみに包まれているように感じる。
まさに聖女だ。
「リズ……本当にごめん」
そんな慈愛に包まれて、自分でも気づかない内に、口からは謝罪の言葉が出ていた。
ごく自然に気持ちがそのまま言葉へと変わっていく。
アルバートはここまでの行動を謝った。
この十年、自分だけで歪みを浄化するために全てを注いでいた事から始まって。その理由はリズを自分の手で守りたかったからで。あの頃のリズは愛らしくて弱々しかったから私が全部を守らなきゃと思ったのだと。そしてそれは今も同じだと思い込んでいて。それが今回の行動の原因になった。リズはこんなに強いのに。私はバカだ。でも、この十年間、ガイアにもグラッド師にもいっぱい協力してもらった。その結果が今日出せると思っていた。でもダメだった。私は弱かった。リズがいなければ私は死んでいた。いや、私だけじゃない。きっとガイアも死んでいただろう。
「リズ、助けてくれてありがとう」
謝罪と感謝の言葉が入り混じる中で、アルバートの閉じた目からは涙が流れる。
リズはアルバートのふわふわの髪の毛を撫でながら。
その涙を逆の手で拭ってから、そのままその手を優しくアルバートの頬に寄せた。
「うん、大丈夫。アルバの気持ちはわかったよ。あーしも無理に納得させてごめん。これからはさ、言葉にしよーよ。ちゃんと二人で話をしよ。あーしも言い出したら聞かない事はあるし、アルバが思ってたよりも頑固だってのもわかったから、絶対にぶつかると思うけどさ。でも、話そ。そしたらうまくいくよ。だいじょぶだいじょぶ。あーしが保証するって」
「ああ、初めから私はそうするべきだった」
「もー! アルバだけじゃないってば! あーしも一緒! 一人で、じゃないよ、二人で!」
「ああ、そうだな。二人で、だな」
そんなリズの言葉に涙の雨は止み。
ふふ、と二人は笑い合った。
瞼を開いたアルバートの目には美しい顔にくしゃりとした笑顔を浮かべたリズがいて。
見つめあう。
「これからよろしくね、アルバ。ピース!」
顔のそばで小さくピースサインを作ってアルバートに微笑みかける。
「ああ、これから私は君の隣で君を護るよ」
そんな愛らしいリズを見てアルバートは微笑み、その表情の下で決意を固めた。
お互いでなんだか照れ臭くなって軽く頷き合っていると。
リズはふと何かを思いついた顔になり、その何かをアルバートに言おうかどうか逡巡した様子を見せた。
その様子を敏感に感じ取って問いかけるアルバート。
「リズ、どうしたの? 言いたい事があるならちゃんと言って。いまそういう約束をしただろう?」
その心配顔を横から上からたっぷりと見つめてから。
そうだね、とリズはひとりごちるように言って言葉を続ける。
「うん……多分だけど……あーしはアルバートのことが……」
その後に続く言葉は。
ガイアが放った救難信号の火筒の爆発音にかき消されて。
アルバートの耳にもリズの耳にも届くことはなく。
その後。
救難信号を見つけた近辺の救援部隊が三人を救出しに来るまで。
アルバートがいくら聞いてもリズがもう一度その言葉を口にする事はなかった。
これにて水の歪みは浄化された。




