これが守護騎士の限界か
「ガイアァァァ!」
歪みの水球から放たれた漆黒の槍が。
師匠の腹を抉る。
アルバートは決して届かない手を伸ばしてガイアの名を叫んだ。
戦況はこれで決定的に劣勢となった。
◇-◇-◇-◇-◇
少し時間を戻す。
歪みとの第二ラウンドが始まってほどなくの頃合い。
宙に浮いた歪みの水球は一つ。
目もないのにアルバートとガイアに向かって正確に歪みの槍を放ってくる。しかしその槍の速度はそこまで早くなく、避ける事自体はそこまで難しくない。
そして対しているのは国一番と二番の剣士だ。
ガイアの言う通りに聖女であるリズが来るというのであればそこまで持ち堪えるのは難しい事ではない。
リズが来たら聖女の力で歪みを浄化して、彼女を置いてけぼりにしたアルバートは叱られる。
それで解決。
普通に考えればそうだったろう。
ガイアもそう考えていた。
しかしアルバートはそう思っていなかった。
ガイアから檄を飛ばされた上に、リズがこちらに向かっているという言葉に、アルバートは敗北のショックから一瞬で立ち直っていた。
リズが来ている。
それはアルバートにとってとても重大な事だった。
守るべき人がこちらに来ている。
そう知った途端にカチリと思考が切り替わった。
敗北した自分への憐憫に浸ってる場合じゃない。
森の中に入ってからずっと膜が張られていたような思考が少しだけクリアになって、意志と身体が噛み合った気がした。
もうアルバートは油断をしていなかった。
失敗はアルバートを一つ成長させた。
宙に浮かび。
器用に自分たちを攻撃してくる球体を注意深く観察する。
見れば見るほど歪みというのは得体が知れない。まるで意思を持っているように感じる。あれはただの自然現象じゃないのかもしれない。もしかしたら人間との戦闘という事を理解している可能性まである。そうなると現状一つの球体がそのままでいる保証はない。
そんな懸念をもって歪みの球体に相対していた。
だから監視するように、湖面からも水球からも絶対に二度と目を離さないと誓い、放たれる歪みの槍を避け続ける。
触れば障る。
その言葉に象徴されるように。
アルバートもガイアも歪みに触る事に忌避感があったため、歪みの槍を剣で切る事はせず、ただ避ける事に終始した。耐久戦を覚悟して体力も戦力も温存する方向で二人の意思は統一されていた。この瞬時の意思統一は長年の師弟関係と冒険者としてパーティを長らく組んできた事に起因している。
歪みから一方的に受ける攻撃を意図的に避ける状況になった。
槍の攻撃自体は鋭さも速度もあるものの、アルバートとガイアの一流冒険者なら難なく避けられる程度の攻撃で、攻撃の複雑さで言えばむしろパターン化されていて、単調と言えるレベルのものだった。
ガイアをチラリと見れば、あまりの単調さに少し飽きているようで、普段のガイアの動きより精彩さを欠いているように見える。自分にはあれだけの檄を飛ばした癖に、なんて思わないでもないが、十分な安全マージンを取っているのは見てわかったから特に何も言わず、アルバートは自分の戦闘に集中した。
こうやって戦況はしばらく膠着した。
しかし。
やはりというべきか。
すぐにアルバートの予想通りの展開へと戦況は動いた。
歪みの水球は数を増したのだった。
だがしっかりと監視していたはずのアルバートはそれに気づけなかった。
むしろしっかりと監視しすぎていたからこそ気づけなかった。
なぜならその発生場所は湖面からではなかったから。
歪みはそこを偽っていた。
二度。
湖面から球体を発生させて、己を水だとふるまって、そうやって水の発生源は湖面だと思わせる事に成功した。発生源を湖面に限定させるように誘導していたのだった。そしてそれに見事に騙されたアルバートが湖面と水球を睨みつけるように監視しているのを嘲るように、次の球体を森の中から音もなく出現させる。水の歪みはそのために自らを霧状にして森の中に広げていたのだ。
森の中。
それはつまりはアルバートとガイアの背後。
二人はまんまとそれに気づけなかった。
こうやって動いた戦況は歪みの水球の狙い通りになった。
攻撃を単調にして膠着させ相手の意識を固めた上で、歪みの槍を上手いこと配分してアルバートとガイアがお互いをカバーできないように自然に距離ができるように位置を整えた。
そしてそこへ不可避の槍を放つ。
歪みは渾身の槍をその腹から放つためにその形を歪めた。
そんなもう一つの水球の出現にいち早く気づいたのはアルバートだった。
湖面と水球に注視していたアルバートの意識が何か嫌な気に誘われるように森の中にそれた。それは守護騎士の本能のようなものだったのかもしれない。
それた意識の先の視界の端にうつったのは、懸念していたもう一つの歪みの水球だった。
水球の中央は鋭く尖って。
今まさに漆黒の槍を放つ寸前だった。
「ガイア! うしろだっ!」
自分の叫ぶ声が遅れて、自分の耳に聞こえた気がした。
まるで時間がゆっくりになったようだった。
自分の身体もゆっくりになって思うように動かない。
普段の私ならあそこまで一瞬で駆けて自分にしてもらったようにガイアを投げ飛ばして油断してんじゃねえと檄を飛ばせるはずなのに。なんでできない。したいんだ。いやそうする。私にはできる。私は守護騎士だ。守る存在だ。結界魔法でもなんでも飛ばせばいい。
できるできるできるできるんだ!
手を伸ばす。
口の中で呪文を詠唱する。
しかしそれは届かない。
しかしそれは間に合わない。
できないのだ。
漆黒の槍が師匠の腹を穿った。
槍に貫かれる瞬間。
ガイアはアルバートを見て、小さく手を動かし、その意思をアルバートに伝えた。
『にげろ』
アルバートが冒険者になった時に師匠であるガイアと決めたハンドサイン。
冒険者時代には使う事のなかったサインだ。
槍はそのまま突き抜けて。
ガイアはそのまま地に落ちた。
「ガイアアアアアアアア!」
アルバートは叫び。
「よくもガイアを!」
次の瞬間に激昂し剣を抜いた。
ガイアはアルバートにとって師匠であり兄であり仲間であった。
唯一の自分の理解者だった。
自分の良い所悪い所の全部を言ってくれる人間だった。
大事な師匠を……
怒りのままに歪みの水球に駆け寄り、上段から真っ二つに切った。
避ける事もせずに歪みの水球は剣をその身に受けて二つに別たれた。
普通の水であればばしゃりと地面にこぼれ落ちるだろう。
しかし歪みの水は水のようであって水じゃない。
球体は地には落ちず、二つに分かれてまた球体を作った。
数が増えた。
「な!」
失敗したと思った。また感情に任せてしまった。相手は水の属性を持った歪みだ。水じゃない。切っても意味のないのは最初に湖面を切った時にわかっていたはずなのに。同じ失敗だ。なぜだ。なぜこうも行動が裏目に出る。考えればわかる事がわからない。思考がぼやっとする。
ガイアが逃げろと言った。
あの時に即座にガイアを抱えて逃げれば良かったんだ。
いや、今からでも遅くはない。
そう考えてガイアの身体を抱えた。森の中へ逃げようと視線をずらす。歪みはそれを許す気はない。いつの間にかさらに数を増やした歪みの水球が森への退路を絶っていた。
「完全に手のひらの中か……」
もうダメかもしれない。
アルバートが諦めかけたその時。
「もー! アルバー! なにしてんのー!」
二人の命を救う声が森に響いた。




