異世界でパラパラ踊れるってマジ?
「聖女ってマジすっごーーい! ねーねータヌっち! もしかして、あーし、駅伝選手行けるんじゃね?」
補助狸に前世の駅伝の話など通じるわけもない。聞かれた狸はリズの腰に巻きつきながら、駅伝ってなんだろ? みたいな表情を浮かべ、ふーん、とどっちつかずな返事を返している。
そんなバカなやりとりをしながらも、リズはものすごい速度で地を翔ける。
聖女の衣を纏う姿に変身したリズには聖女の力が溢れかえっていた。全身には力がみなぎり、一歩進めば嘘みたいに前進する。実際には駅伝選手なんて目じゃないほどの速度で、この速度が原因でガイアはリズを一瞬で見失っていた。
その速度でリズは真っ直ぐにオネーの森を目指す。
聖女の力が覚醒しているリズには歪みの地がどこにあるかも正確にわかる。
さっきまで滞在していたキャンプ地は穀倉地帯と草原が切り替わる位置にあった。
そしてそこからリズの目指すオネーの森までは馬車で休みなしで行けたとして一日。身体強化を使用したアルバートなら一晩かからない程度の距離にある。
おそらくリズのこの速度であれば三時間程度でその道を踏破するだろう。単純計算で馬車の八倍程度の速度で走っている。遅刻しないように王城から学院まで駆けたアルバートよりも断然速い。
純粋な移動速度で言えばこの世界で最速だろう。
ギャル時代に車やバイクに乗ってこの速度で走った記憶はあるが、生身でこの速度で走った記憶は聖女にもギャルにも存在しない。この速度で走れば本来風の抵抗で喋るどころではないだろう。
しかしそこは聖女。
腰に巻き付けた補助狸がしっかりと魔法で風をカットしている。
リズは進行方向に視線をむけ、速度を緩める事なく、腰のタヌっちに話しかけた。
「腰の居心地はどーよ? あーし的にはチョー可愛んだけど?」
そう言ってリズの腰でふらふらと揺れているご立派なしっぽをひと撫でする。
タヌっちは現在、リズの腰に巻きついて、尻尾だけを垂らしているため、まるでしっぽキーホルダーのようになっている。はじめは首に巻き付いていたんだけれど、オキニのマフラーが見えない事を嫌ったリズに腰に移動させられた。正直狸的には首であろうと腰であろうと巻き付く労力はそう変わらない。
「問題ないよう。僕は巻き付いてるだけだから、かわいいとかそういうのはよくわかんないよう」
狸は見栄えも特には気にしない。
本来なら愛らしい妖精になって聖女の周りを踊るように舞いながらキラキラとした祝福の光を振り撒く存在になるはずだったのが、いまや獣になって聖女の腰にしがみついて抜け毛を振り撒く存在になっているのだ。
まあなんでもいいやってのが正直な狸の感想だった。
それでも聖女への対応はきっちりとする。なんならきっちり以上にする。
涎と鼻水と涙でぐちゃぐちゃにされたけれど、元補助妖精、現補助狸は、この型破りで破廉恥な格好をした感情の起伏が激しい変な聖女の事を思いのほか気にいっている。
理由なんてわからない。
本能がこの聖女を気に入っているとしか言いようがない。
補助妖精が聖女をどの程度サポートするかはその聖女によって異なる。妖精はこの世界とは別の理で存在している。だから本来はこの世界がどうなろうと構わない。それでも聖女をサポートをするのは妖精が聖女を好むからだ。逆を言ってしまえば、妖精が気に入らなければ聖女は一切のサポートを受けられない。実際に歴代聖女の中には補助妖精に嫌われて全く補助を受けられなかった聖女もいる。
タヌっちが心の底からリズをサポートしたいと思っている。
それは妖精にとって重要な事だった。
「そーなのー? せっかく可愛いのにもったいなくなーい? あ、でもさでもさ、タヌっちはそーいうけどさ、あーしは可愛いと思うし、そんなタヌっちが補助狸で嬉しいよ? ありがとね、タヌっち」
タヌっちの心のうちなど知る事もないリズは素直に感謝の言葉を口にして、ヘソの下くらいの位置にあるタヌっちの頭を優しく撫でる。顔の毛並みが柔らかく後ろに流れ、タヌっちの目が心地良さそうに細められた。
うれしい。
タヌっちは撫でられた事で、自分の心がどうしようもない位に喜んでいるのを自覚する。感情が狸の体にひきずられ、その喜びからしっぽがどうしても揺れてしまう。本来は妖精に尻尾などないのに、どうしようもない感情にしっぽがゆっさゆっさと動いてしまうのだ。
タヌっちはそれを恥ずかしいと感じ、誤魔化すように話題を逸らす。
「……うう、もう僕の事はいいよう。リズは今から歪みを浄化しに行くんだ。聖女の浄化の方法をちゃんと聞かなきゃダメだよう!」
「なんだよー、照れちゃってー。さてはタヌっち、あーしが好きだなー? かわいいやつめー。うりうりー。でもまー仕方ない。そんな可愛いタヌっちの言う事を聞いて、浄化の方法を聞こうじゃないかー! そうだ! あーしには使命があるのだ! うはは! さーさーどうやんのか教えてー?」
狸が好きなリズにはタヌっちが喜んでいるのはお見通し。しっぽが揺れているし、言葉の中に混ざる甘ったれた鳴き声からもよくわかる。しかし同時に補助妖精としてそれを恥じているのも敏感に感じ取っていた。なのでタヌっちの話題に乗って誤魔化されてあげる事にしたのだった。実際問題として歪みに祓い方も知りたかったし。
「もう……なんだか軽いなあ」
「まーまーいいじゃんいいじゃん! どうにしたってやんなきゃいけない事なんだから、それならさ、楽しんでやった方が絶対に楽しい!」
これはリズの信条だった。
ギャルの、ではない。
ギャルは、誰に何を言われようと、やりたい事をやる。
それが信条だった。だからやりたい事しかやらないって言う仲間もいた。でもリズは違った。やりたくない事でもやらなきゃいけない事があるという事を知っていた。
それならば、と。
なんだって楽しんでやる事にした。やれという大人に熱がないというモヤモヤに対する対抗策として初めてみた事だったけれど、実際やってみたら本当に楽しくなって。
以来、やりたくない事だって、やりたい事だって、関係なく楽しむというのがリズの信条になった。
「ね、楽しんだらなんだって楽しいよ!」
最後にそんな言葉で締め括った。
「ふーん。楽しんだらなんだって楽しい、ねえ。歴代聖女にはそんな事言う人いなかったって聞いてるよう。大体が神妙な顔して、世界は私が救うのです! みたいな感じだったっていうよ? やっぱりリズは変わってるね」
そんな風変わりなリズが好きでたまらないという鳴き声がその言葉の中に混ざっている。
「えーそれマジつまんなさそ」
「つまんないかな? まあリズが言うならそうなのかもねえ」
半信半疑ではあるけれどリズが言うのならばと狸すらも納得させる聖女の説得力。もしかしたら妖精が狸の体に引っ張られて騙されやすくなっているだけかもしれないけれど。どちらでも結果は一緒だ。
「そうそう、やっぱ、聖女は楽しまなきゃ! で、タヌっち、歪みの浄化ってどうすんの?」
話は本題に戻る。
その頃にはすでに景色は草原というよりも山里に近い風景に変化して、眼前には目指すオネーの森が広がっている。あと少しで目的地である歪みの地があるという場所に辿り着こうという頃合い。
「あ、そうそう。それね。やる事自体は単純だよう」
「そなの? ならあーしにもできそうだねー。で、実際には何すんの?」
「踊るんだよう」
踊る。
歪みを浄化する方法は聖女が踊る事だと狸はいう。
聖女の舞には歪みを浄化し、世界を正常化させる特殊な力がこめられている。これこそが歪みの浄化が聖女にしか行えない理由だった。守護騎士には聖女の舞は舞えないし、補助狸が聖女の舞は知っていても、歪みを浄化する力はない。
つまり聖女がいなければ世界の歪みは浄化されない。
「え? 踊んの?」
リズは踊るという言葉にぽかんとした表情をしている。意表を突かれて感情がすぽっと抜け落ちた。
そんな顔だった。
「うん、聖女の舞で歪みは浄化される」
リズの疑問符にタヌっちからは明確な肯定が返される。
その言葉を受けてリズに、無表情だったリズの表情に、喜びの蕾が芽吹く。
「ねえ! タヌっち! あーしが、踊るの!? ねえ! いいの? 踊っていいの!?」
「う、うん、そうだけど? どしたのう?」
踊る。
踊っていい。
シンプルで明確なその言葉で。
その表情に芽吹いた蕾は、たちまちに歓喜となって咲き誇り。
ただでさえ美しいリズの顔がキラキラと祝福の光を放つ程に華やいだ。
大好きだったパラパラが踊れる。




