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アルバートも歩けば棒に当たる

「は?」


 樹上で驚き混じりの息を吐いたのは、アルバートから監視を命じられたガイアだった。

 こちら樹上のガイアです。俺、驚いています。

 その驚きは大きく。

 吐いた息で枝葉が揺れるほどだった。


 リズがいるキャンプ地と、アルバートの向かった歪みの地のほぼほぼ中間地点。

 そこにガイアは滞在している。


 アルバートにリズの監視を命じられているとはいえ、ガイアはあくまでアルバートの護衛である。

 したがって仕事のメインはアルバートの安全確保だ。しかもその主人は一人で歪みの浄化に行っている状況。だからアルバートのピンチに即座に駆けつけられ、かつ聖女を具に監視できる、この中間地点に陣取る事にしていた。


 ガイアという男は剣聖と呼ばれるほどの剣の腕を持っているが、真に優れているのはこの監視能力で、馬車で一日程度の距離であっても、彼の固有魔法である監視ポイントという魔法が置いてある場所であれば、その場所の映像と音声がまるでその場にいるように知覚できる。

 ガイアはこの固有魔法を主軸にした優れた諜報能力があるために、平民、冒険者という卑賎な身分ながらも、王子であるアルバートを護衛できているのだった。


 おそらく、ガイアの監視能力はこの世界で唯一無二だろう。


 そしてそんな能力で監視をしていたのはもちろん聖女だった。

 寝ている間も、起きてからも、ずっと監視していた。

 朝、起きてからずっとバカみたいな行動をとっていた聖女を軽く嘲笑っていたら、急にその聖女が光だして、その光に包まれた聖女の姿を見失ってしまった。


 まずこの段階でガイアは慌てた。


 しかし敵の攻撃にしてはそこに敵意もないし、見失ってはいるが光の中から聞こえてくる音声は聖女の声らしく聞こえる。そこから聖女は消えたのではなく光に隠されたのだと判断して、ひとまず様子を見ていたら、その光が消えて、そこから泣き笑いの聖女が現れ、宙に浮いた狸と抱き合っていた。

 そこからは特に問題なさそうで首に巻きつけた狸と話を続けていた。


 その様子を確認して聖女は予想通り光の中に隠れていただけらしいと認識した。

 出てきた聖女は変な服装をしていたがまあまあ。

 ひとまずよかった。


 そこで、ふう、と。

 一安心したのが失敗だった。


 監視に疲れた瞼を落として疲れた目を軽く揉んで。


 再び開くまでのその間に。


 今度は本当に聖女が消えた。


 瞼を閉じて軽くマッサージをして開くまでの十秒足らず。

 その間にガイアは聖女を見失った。


「ふっざけんな!」


 さっきまで宙に浮いた珍妙な狸と、珍妙な服装で抱き合っていた。

 それから何度か会話していたと思っていたら。

 その次の瞬間、聖女が消えてただと? バカ言え。あんなアホっぽい女がそんな一瞬で消える? だってアルバートの結界もあったんだぞ? あれはどうなった?


 確認する。


 見れば、アルバートの結界は、見事に砕けて散っていた。


「はあ? やべえ! 誰が破った? てか破った? アレを?」


 結界を破れそうな敵性生物などいなかった。いや、それどころか獣すらいなかった。

 それは確証がある。ガイアの監視は敵意や害意に対して特に強く反応する。


 と、なると。

 考えられる可能性は一つ。


「ま、さか、聖女が……破ったのか?」


 あれを?

 ダンジョン深層の魔物ですら破れないあの結界を?

 ついさっきまで結界に顔を押し付けて面白顔選手権をやっていた奴が?

 破った?

 あの一瞬で?


 まさか、バカな。


 信じられる事ではない。


 だけれど。


「わかってる。信じられんが、状況的にはそうなってる。冷静になれ、俺」


 監視の基本。

 どんなに驚くべき状況でも事実を正しく把握する。

 そこに立ち返り、頭を軽く振って冷えた頭に、現状を打破する一つの方法が浮かぶ。


「ああ、アレがあったか」


 アレとは。

 ガイアがイタズラにリズにつけてあった簡易の監視ポイントだった。キャンプに設置してある詳細な監視ポイントは映像音声全てがガイアの知覚と同様に把握できる。しかし簡易の監視ポイントは、自分との相対的な位置情報程度しかとらえる事ができないもの。

 いつかなにかのタイミングで、アルバートをからかうのに役に立つかと思い、こっそりとそれを聖女に仕込んであったのを、冷静になった頭は思い出した。


「頼むぜ」


 樹上の枝の上に座り込んだ状態で、瞳を閉じ、片手を拳にして胸に当て、自分の体内の魔力を、簡易の監視ポイントAと共鳴させる。

 この位置把握の仕掛けは自分と簡易監視ポイント双方で魔力の波を発生させ、それがぶつかる速度でお互いの位置関係を把握する形になっている。位置が遠ければ把握に時間がかかるし、近ければその分早い。

 ガイアは聖女が遠くへ行っていない事を瞳を閉じながら祈る。

 そしてその祈りはすぐに天に聞き届けられた。


 しかしそれはガイアの期待している位置とは全く違っていた。


「つながった! って!? は? ま、この距離? 近すぎんだろ!? しかもどんどんこっちに近づいて……って事は、マジか! 目的地は歪みの地ぃ!」


 キャンプ地と歪みの地、そこを結んだ直線上の中間地点にガイアは居る。もちろん聖女はここにガイアが居る事など知る由もないのだから、ここに聖女が向かってきているという事、それつまりは聖女が歪みの地を目指しているという事なのだった。


「しかもクソ早え、どんどんこっちに来やがる。どうする……」


 ガイアは迷った。


 このままここに居て聖女の足止めをするべきか。


 今すぐに歪みの地に向かって主人であるアルバートに報告すべきか。


 どちらにしてもアルバートはプリプリと怒りそうだな、と思い、ガイアはふ、と小さく笑った。

 主人のアホ面が思い浮かんで、ガイアの肩の力が抜ける。


「ま、悩んだって仕方ねえ。こういう時は風に聞きますかね?」


 冒険者は運任せ。

 人がすべき事を尽くしたなら、あとは天が決める事。


 ガイアの信条だった。


 悩む事をやめたガイアは、目を閉じて、己に吹く風を感じる。

 風が吹く方向でどちらに向かうか決めるつもりだ。

 まさに風に聞いている。


 そんなガイアに向かって吹く朝の爽やかな風は、アルバートの元へと向かえとそう言った。


「ふ、風が俺に囁くってな」


 樹上にいたガイアは次の瞬間には主人の元へ向かうために姿を消していた。


 これがアルバートにとって幸運の一助となる。



 ◇-◇-◇-◇-◇



 一方で、アルバート。


 歪みの地がある、オネーの森の中を歩いていた。


 一人で歪みを浄化するという目的があるので、魔法での身体強化を使わずにここまでやってきたためすでに夜はあけ、太陽は天高く昇っている。時間にすればそろそろ昼前といった所だろうか。


 アルバートは天を見上げる。


 そんな時間だというのに、森の中は薄暗い。森に入る前は初夏の太陽が元気に存在を主張していた。だけれど今は全くそれが感じられない。もちろん森の中だから乱立する木々たちの生存競争の結果、日の光は彼らの葉によって遮られる。


 それは当然だけれど。

 でもそれだけじゃないと、アルバートは感じている。


 どうも森の中に。

 薄靄のようなものが充満しているのだ。それが上空まで立ち上って、木漏れ日が森の中に差し込むのを阻害しているようだった。だから昼前だというのに森が薄暗い。

 アルバートはこれを歪みによる影響なのだろうと確信し、同時にそれはここに歪みの地がある事の証左になり、安堵している自分と、それを不謹慎だと自戒する自分が、小さくせめぎ合っているのを、アルバートはまるで他人事のように見ていた。


 だってアルバートの頭の中はそれどころじゃないんだから。

 そんなのは今のアルバートの中では些細なことだ。


 頭の中はキャンプに置いてきたリズの事でいっぱいになっている。

 置いてきたのは自分なのに勝手な話だ。


 アルバートは己のポリシーに従ってリズをキャンプに置いて一人でこの森までやってきた。

 やってはきたが。

 やはりどうしてもリズの事が気になってしまう。


 もう、この時間だ。流石にリズは起きているだろうな。リズは規則正しい生活をしているからね。きっと起きて、私がいない事に気づいた頃だろうか。気づいてくれるよね? うん、それは気づくか。なにせ結界から出れないのだから。怒っているかな? 怒ったら暴れるかな? リズが暴れても怪我しないように結界の内部は特別に柔らかく作っておいたけど心配だ。きっと怒ってひと暴れした後にはお腹が空くだろう。結界の中に置いてある朝食は食べてくれただろうか? 私が食べさせてあげられなかったのは悔しいけれど。リズがお腹空かせたら困る。でももしかしたら怒って朝食どころじゃないかなあ。


 ぐるぐると想像のリズがアルバートの脳内を駆け巡る。


 ああ、リズは、今、何をしてるのだろうか。


 リズはリズは。


 リズは。


 リズ。


 リズリズリズリズリズリズリズリズリ……


 何かが這い寄る効果音になってしまいそうな程に、頭の中にリズが一杯になって、頭の中でリズが煮えたぎって、頭の中からリズが吹きこぼれている。


 その熱をなんとか冷ますように、アルバートはただただ足を前に進める。


 そうやって森の中をただただ進む。

 大きく力強い足が、森の中の落ち葉を含んだ柔らかい土に沈みこみ、同じように沈んだ逆の足を引き抜いては、また大きく一歩前に踏み出すと、同じように土に沈む。


 それの繰り返し。

 ただ愚直に。

 一歩一歩進む。


 そしてその一歩毎にアルバートの脳裏にはリズが浮かんで消える。


 笑顔のリズ。

 怒ったリズ。

 ふざけたリズ。

 軽いリズ。

 真剣なリズ。


「ああ、早くリズに会いたいよ」


 自分が置いてきた癖に、バカな事を言いながら、目指す目的地もわからずやみくもにただ歩く。


 そう、やみくもに。

 なぜなら目的地をアルバートは知らないから。

 くり返すが歪みの地の正確な場所をアルバートは知らないのだ。


 王家の調査部なら詳しい情報を持っていたのだろうけれど。彼らからも詳しくは聞いていない。アルバートは彼らをリズを危険な目に合わせようとする敵性一味だと判断して、自ら交渉を絶っていた。

 オネーの森のどのあたりにあるとか、どこから行けば近いとか、森の敵性生物だとか、色々と聞いておかなければいけないはずだったが。


 聞いていない。


 元来優秀な王子だったはずのアルバートはリズが絡むとどうにも暴走気味になるようだった。

 したがってアルバートにできるのは、リズを思い出しながらただただ歩くことだけ。


 これじゃ脱走した犬の散歩も同然で、歪みの地であるヤーン湖を探すどころではない。


 そもそも歪みの地は闇雲にただ探せば見つかるというものでもない。現代ではある程度発生場所の法則みたいなのが把握されていて、それらの場所に候補をしぼって調べる事で効率的に把握する事も可能になったが、古来であれば、聖女がその能力で正確に歪みを探知して、その場所に赴き歪みを浄化するのだ。


 なのだからこの現代においても守護騎士一人が来たとて本来はただの役立たず。


 な、はずだった。


 しかし。

 犬も歩けば棒に当たるし、アルバートが歩けば歪みに当たる。

 秋田犬属性の賜物だろうか。


「あ、あった」


 まっすぐ歩いたその先。

 アルバートの眼前にはぽっかりと空間が広がっていた。


 さっきまで鬱蒼と茂っていた森の木々は歪みを避けるようにしてその足を伸ばさず、強さの象徴のような下草たちもヤーン湖から発生する歪みには打ち勝てず、大好物であろう日の光の下に出る事をしていなかった。


 そこは枯れた世界。


 自然あふれる森の中に突如現れた死の世界だった。


 朝だというのに。


 暗い。


 森の中で感じた薄暗さよりも一層暗い。


 そこは開けた空間で。

 日の光を遮るはずの木々の枝葉もそこにはないというのにだ。


 それは言葉にしてしまえば暗いというよりも。


 昏い。


 そして目の前の空間にはおそらくその元凶であろう湖が広がっていた。


 水の代わりに。

 滔々と闇色の歪みを讃えた湖。


 それは湖の名の通り大きく。

 向こう岸はたちのぼる闇の靄ではっきりと視認できない。目を凝らしてみれば心なしか向こう岸が歪んで、中央部がノイズのような見た目になっているのがわかる。


「ここがヤーン湖か」


 森の中に充満している薄靄のようなナニカは、おそらくこの湖の闇が気化し、森へとその手を伸ばしているのだろうと、アルバートは推測した。そしてこの靄を放置しておけば向こう岸のように世界が歪んでしまう。やはり歪みの地は正さなければならない。


 歪みを浄化する。


 つまりはこのヤーン湖に滔々と讃えられた歪みの水を浄化すればいいという事だ。


「よし」


 敵は目の前にある。

 これを私が浄化すれば、リズに危険が及ぶ事はない。

 これこそが守護騎士である自分の本分。

 これこそがリズを護ると決めた私の本分。


 これが。


「私の願いだ」


 アルバートは、そう呟いてから。


 腹の底から力を引き出すような雄叫びを挙げる。


 その声は森中に響き渡り、遠い木々の葉っぱすらも震わせるほどに勇猛果敢だった。

 そうして息を吐き切ると。いつもの柔らかなアルバートの表情からは一転して引き締まり、その鋭い眼光で歪みの根源を睨みつける。同時に剣を正眼に握り締め、体内の魔力を練った。


 歪み浄化の幕はここにきられた。


 聖女は不在。


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