モフモフパラダイスなんだけどー?
「力、欲しいの?」
リズの身体の中から声がした。
「欲しい!」
地面にへたり込んだ状態から、その声を掴むかのようにガッと立ち上がり。
気づけばリズは即答していた。
普段のリズならこんな怪しい言葉に即答したりしない。ギャル時代だってこんな簡単に釣られてたらとんでもない事になっていた。渋谷や池袋の路地裏には闇がいっぱいだったのだ。
でも今は違った。
この声は敵じゃないと確信できた。
それが聖女の力なのか。はたまた声の主に何か特別な力があるのかわからない。けれどリズの中でこの声が自分の道しるべになる事だけは確信していた。
だからこその即答だった。
しかし。
せっかく答えたというのに身体の中から湧いた声には反応がない。
「ちょっと! ふつーこーいうのって、答えた瞬間にさ、ドギャンってなって、ぐわーってなるんじゃないの? マジで遅くない!?」
と、リズはむくれ顔をしながら、訳のわからない擬音を混ぜながら憤慨している。
それに対して見えない声の息遣いはリズの即答に戸惑っているに感じられた。見えないのに息遣いと言うのもおかしな話だがそのようにリズには感じられる。
急いでいるリズにはその戸惑いさえもがまどろっこしい。
「ねえ! 欲しいから! 力! あくしてくれる!? あーしは急いでんの! わかる!?」
俯いた体勢から一転、天を仰いで叫ぶ。
そこにあるのは青空だけ。
声の主はいないし、雲一つもない。
リズの声は天に突き抜けた。
「わ、わかったから、お、落ち着いてよう」
ここでやっと見えない声が、リズに対して反応する。
その勢いに対して明らか引き気味なのがその声だけでもわかる。
「いいから! わかったなら! さっさとあーしに教えて!」
引かれてもリズはそんなの気にしない。気にしてる場合じゃない。ギャルはむしろ引かれてからが本番だ。リズは急いでいる。さっさと力を貰って、このむにむに結界を破って、自分を置いて一人抜け駆けしたアルバートにお仕置きをしなきゃいけないのだ。
聖女に嘘をついたらどうなるか、きちんと教えなきゃいけない。
「う、うん。じゃあさ。手のひらでお水をすくうような形を作れる?」
「こう?」
リズは両の手のひらを言われたようにお椀状にした。
変化なし。
朝の風が手のひらを撫でていく。
「……ねえ、何も起こんないんだけど?」
「声が怖いよ。それはまだ準備なんだから当たり前だよう」
言われた通りにしたのに何も起こらず、苛立ち冷えたリズの声音が、見えない声の主に突き刺さったようだ。正しい説明をしているのだろうけれど、必死な言い訳にしか聞こえないのが不思議。
「じゃあさっさと次やってー」
「わかったよう。まずはさ、僕は聖女を補佐する妖精なんだけど、まだ形になっていないんだ。だから、まず君に認識してもらわないと、僕は君の力の手助けができない。今から僕は君の手のひらに集まるから、君が僕を見つけてくれる?」
「見つける?」
「うん、そう。よく見て、行くよ」
見つけるという事がよくわからず戸惑い首を傾げているリズに。
見えない声がそう言った瞬間に。
リズは自分の手のひらが急に温まるのを感じた。
熱がある。いや違う。暖がある。
暖かい。優しい。ふわふわとしている。
リズはそこに確かに存在を感じた。
これはきっと自分の大好きな形だ。
「あ、もしかして、いま、ここにいる?」
「うん、いるよ。わかるでしょ? あとは聖女の目で僕を見て」
「うん、わかるわ。やってみる」
そう言ってリズは目を閉じる。
見て。
そう言われて目を閉じるのはおかしな事だけれど。
リズは自然にこれが正解だと思った。
こうすれば目で見えないものを見る事ができると感じた。
そしてその見える姿にも確信がある。
「やっぱり君は聖女だ……それが正解だよ……早く、僕を見つけて」
妖精の声は鈴が喜ぶように鳴っていて。
目を閉じた。
リズの瞼の裏に。
嬉しそうな妖精の姿が浮かび上がる。
「おー見える見えるー。チョーかわいいじゃん! えっと、少し小さめでぇ……」
「そう、僕はかわいい妖精だ。確かに人より小さい」
「目はくりくりまんまるでぇ……」
「いいね、妖精の瞳はいつだって可愛らしい」
「毛並みがふもふでぇ」
「そう、毛も流れるような金色で美し……って、毛並み、え? もふもふ? って何?」
「尻尾も長くて、あーヤバー、尻尾はデカくて、特別にもっふんとしてるわー」
「……待って、妖精に尻尾はないよ?」
「そんでー、目の周りには黒い縁取りがあってー、お耳はまん丸でー」
「ねえ! 待って待って! やめて!? 止まって! 僕、妖精だからね!」
「見えた! かわいい豆狸ー!」
「待ってってばあああー!」
リズの決定を告げる声と。
妖精の断末魔の声が。
重なって消え。
そのタイミングでゆっくりと開眼したリズの眼前には。
猫くらいの体躯のモフッとした狸が、その身体と同じくらいの大きさのモフッとした尻尾をぶら下げて。
とても不服そうな顔をして浮いていた。
どう見ても狸です。
逆にリズの表情に満面の喜色が溢れ出ている。
どう見ても犯人です。
そして犯人は狸に飛びかかった。
「はーーー! ちょーーー! 可愛いんですけどー! サイコー! タヌっちサイコー! ねえ? モフっていい? いいよね、いいよねえ!?」
許可を得る前に宙に浮いた狸をむんずと掴み、抱き寄せ、頬にすりすりと寄せながら、恍惚とした表情を浮かべている。リズは子供の頃から狸が大好きだった。動物園の狸の檻の前で動かずに親を何度も困らせるほど。
「ちょ、あつくるし、やめて、話できないから、やめてって。てか、タヌっちって何さ!?」
そう言って狸、もとい妖精は前脚でリズの頬を押し返す。
しかし残念、その拒否行動はリズにとって逆効果。
「はー、肉球ぅ! 幸せぇ!」
狸、もといようせ……もういいや狸で。
狸の抗議もリズにとってはご褒美にしかなっていないらしい。
リズの愛情表現は加速度を増すだけ。
「だから! もう! やめてってばあ!」
やがてついに我慢の限界を迎えた妖精狸氏は、狸に化けた配管工よろしく、空中でぶるんと回転し、その体と同じくらい大きな尻尾を以て、リズの頬をえいやと張り飛ばし、その魔の手から逃げ出した。
張り飛ばされた。
とは言ってもモッフモフの尻尾でやられただけなので、むしろリズからしたらご褒美でしかないわけだけれど、まあそれなりに勢いがあったので、地面にぽすんと尻餅をつくように倒れ込んだ。
狸もリズもキョトンとした顔をしている。
この場にアルバートがいなくてよかった。あの守護騎士がいたならば、リズに危害を加えた害獣として、宙に浮く狸は今頃膾に斬られ、有無を言わさず狸鍋になっていただろう。
「あ、ごめん、つい……」
吹き飛ばしてしまった狸氏もびっくりして謝っている。
正直、妖精にこんな力はないはずだった。
補佐妖精はあくまで妖精。現実世界ではない所から、ほんの少し聖女の力を借りて現界するだけの存在。聖女を張り飛ばせるほどの存在力があるわけもないのだ。むしろなんでリズが狸氏をモフれるのかもわからない。
「ん、オッケーオッケー! こっちこそごめんよー、ついつい興奮しちゃったよー。ほら、あーしってギャルの頃から狸大好きだったからさー」
狸氏の謝罪に軽く返すリズ。
尻餅をついた状態から立ち上がり、パンパンと尻についた土埃を払う。
舞った土埃を振り払うように頭を軽く振るとそれに合わせて金色の髪が踊るように大きく躍動する。
その金糸と肢体に合わせて揺れた絹のパジャマが朝日を浴びてキラキラと光り輝く。
その姿はまさに聖女だった。
あまりの神々しさに。
いやいや、君が狸大好きとか知らんよう。
そんな言葉を飲み込まされてしまった狸氏は、喉に詰まったその言葉をごくんと嚥下してから、気を取り直したように別の言葉のために口を開いた。
「ねえ、改めて自己紹介させてもらっていい?」
「うい、おっけー、よろー」
言葉だけは簡単に返しているが、喋る狸に興味津々なリズ。流石に狂気に任せて再度飛び掛かるのは我慢しているようだったけれど、その態度は隠しきれず、若干腰元がゆらゆらと獲物を狙う獣のように揺れている。
「ん……僕は補佐妖精だよう。守護騎士と対を成す存在で、聖女の力を引き出す存在なんだ。よろしくね。ちなみに名前はまだないよ」
「ふふーん、安心してー名前ならもー決まってるよー」
「え、そなの? あ、もしかして、あのタヌっち、ってやつ? さっきから言ってるけどさ、僕、狸じゃなくて妖精なんだけど?」
「ふふーん、ザンネーン。今は立派なもふもふたぬきだよー。ちょーかわいーよー。いえーい、ぴーす」
ピース。そんなリズの得意げな言葉に。
自分の手足、立派な尻尾を何度か確認してから、タヌっちは全てを諦めたようにキュウと鳴いた。正直な所、聖女が妖精を見てたぬきと言ってしまえば、妖精だって狸になるのだ。歴代の聖女はみな妖精と言えば羽を生やした美しく愛らしい存在を見たはずなのだけれど。今回は違ったらしい。
タヌっちは己の不遇に小さくため息をこぼす。
それすらもふーんと鼻を鳴らすもので、実に狸らしい所作だった。
「わかったよう。もう狸でもタヌっちでもいいよう」
全てを諦めた狸妖精のタヌっちはふわふわと浮いたままリズの首元にクルンと襟巻きのように丸まった。
「よしよし、いい子だねえ。あーしは聖女のリズね、あらためてよろー」
そんなタヌっちの行動が嬉しかったのか、リズは首元の毛並みに頬を擦り寄せながら簡単に自己紹介をした。とはいっても、補佐妖精のタヌっちはそんなのは事前に知っているのだ。なぜならリズが聖女になってからずっと、形のない存在としてそばにいたから。
もちろん。
この旅の最中もずっとそばにいた。
リズとアルバートの諍いも、イチャイチャも、過保護も、怒りも、全部見ていた。
そしてそれをリズがすっかりと忘れてしまっている事も。あんなに急いでいたのに。タヌっちは己の狸的な魅力を少しだけ自慢に感じた。
ならばそのお返しとして、補佐妖精の初めての仕事をしようじゃないか、と。
フンと小さく鼻を鳴らし。
リズの耳元で囁く。
「ところでさ、リズはなんか急いでたんじゃないの?」
ヒントだよう。思い出してえ。
「ん?」
急いでた?
リズの頭上に浮かぶクエスチョン。
ポクポクポク。
チーン。
リズの頭の中で鐘の音が鳴り。
クエスチョンがエクスクラメーションに変わった瞬間に。
忘れていた怒りの感情を思い出した。
「あーーーーー! 忘れてたーーーー! ちょ、ちょい! タヌっち! あく、あく、聖女の力ちょーだい。あーしは急いでアルバートを追っかけてお仕置きしなきゃいけないんだから!」
タヌっちは補佐妖精としての自分の初仕事の成功を喜ぶようにフンと鼻を鳴らしてから。
リズの首からするりと抜け出し、正面にふわりと浮いてから。
急にリアルな狸顔に変わり。
まっすぐリズを見つめて。
一つ真面目な顔で頷き。
タヌっちは世界を救う祈りを告げる。
「誓願!」
その浪々として狸らしからぬ声は、天に向かって響き渡った。




