私は君を守りたいんだ、ごめん
夜。
さっきまで揺らめいていた焚き火は、いつの間にか熾火に変わり、小さくパチパチと音を立てている。
一人。
アルバートは椅子に座り、無言でその音を聞いていた。
月と星と、ほんの少しの火の灯りが、アルバートの顔を照らす。
横顔は美しく憂いを帯びていて、その秋田犬じみた純朴さの中に隠された妖艶さを、夜の闇が照らしだしているようだった。
その視線は真っ直ぐにリズが眠っているテントを見つめている。
「はあ」
ほんの数時間前のリズの恫喝を思い出し。
思わずため息がもれる。
あの美しい顔と美しい声に怒鳴りつけられた。それだけで否も応もなくリズに肯定を返すしかできなかった。自分の中の不満は、心のしっぽと一緒に股に挟まってしまった。
でも挟まって隠れただけだった。
決して消えていない。
リズの言いたい事はわかる。リズにはリズの使命がある。リズはそのために十年の時間と自分のアイデンティティを投げうった。聖女の魂がどんなものかもわからない。聖女に至れるかもわからない。そんな不安定な道に、世界のために身を投じた。それは尊いものだし、尊重されるものだと思う。
思うけれど。
でもそれは自分だってそうだと。
アルバートは思う。
私にも私の使命がある、と。
そのために十年の時間と自分のアイデンティティを投げうった。王太子のままであれば、あんな血反吐を吐くような努力はしなくてもよかった。王太子の立場にあぐらをかき、十年間の努力をしない方がよかったか、と言えばそれは違うと思うけれど。それでもリズにはリズの使命があるように、私には私の使命があって、それに殉じているのだと、アルバートは鼻息を荒くした。
気づけば、股に挟まっていたはずのしっぽが、いつの間にかピンと立って主張してくる。
リズがいなくなった途端に強気なしっぽだ。
アルバートのしっぽを萎縮させる当の彼女はテントの中で幸せに眠っているだろう。
「アルバ、おやすみー! また明日ねー!」
眠そうな目をしぱしぱさせながら、それでも元気な声でそう言って、テントの中に消えていった。
アルバートは瞼を閉じた。
そんな彼女の愛らしい姿は、アルバートの網膜に焼き付いて消えておらず、鮮明に思い出せる。
似合うと思って持ってきた絹のパジャマは本当によく彼女に似合っていた。
二人で怒鳴り合ってから……正確にはほぼ一方的にアルバートがリズにキャン言わされてからだけれど……まあいい。あれからとしておく。
あれから……二人は協力して食事を用意した。リズは負の感情を後に残さないギャルの信条に従って、怒鳴って激怒していた感情をすぐに切り替えたため、食事はとても楽しいものになった。屋外とは思えないその味に舌鼓を打ち、満腹満足したリズは、アルバートが魔法で用意した風呂に入って、ガチガチになった腰と尻を温めほぐすとすぐに眠くなったのか、アルバートの記憶に残っているさっきの姿でテントに入って行った。
すぐにテントの中から寝息が聞こえてきたから、やはり慣れない環境で疲れていたのだろう。
アルバートはずっと見つめていたリズのいるテントから視線を外して。
街道の先にある山の麓の森へとそれを移した。
「あの場所に水の歪みの地があるんだ」
食事中、リズにそう説明した。
「じゃ……もぐ……さ……あ……むぐむぐ……明日……ごっくん……二人でいこーよー!」
アルバートに給餌され、口の中のステーキ肉をもぐもぐごっくんながら、リズはそう応えた。
白いほほが肉でぷくりと膨らみ、まるで白磁の壺のように美しく。
それに見惚れたままアルバートは、うんと答えた。
答えたけれど。
守る気のない約束だった。
二人で行く気なんてなかった。
アルバートは嘘をついた。
聖女を欺くなんて。
本来であれば守護騎士失格だろう。
でも。
自分には使命がある。
リズを守るという使命がある。
「リズを守るためなら私はどこまでも堕ちる、さ」
そうつぶやいて。
剣だこだらけの自分の手を見つめる。
あちこちに傷跡がある。およそ王太子の手には見えないだろう。
全て十年間の修練と実戦でついた傷だった。
アルバートにとっては勲章のような傷たち。
この十年間の苦労はリズの全てを守るために積んできた苦労だった。初めて会った時のリズはとてもか弱くて、聖女になって歪みを浄化できるようには見えなかった。
そんな彼女を絶対に自分が守るんだと決意した。
だから血反吐を吐いても肉が裂けても骨が折れても耐えられた。
全てはリズを自分の腕の中で守るため。
安全な自分の腕の中から外に出す気はなかった。
それがアルバートの考えていた正しいやり方だった。リズに言われてもそこを変えられる気はしていない。
だがその反面で、リズの主張も理解はしている。
理解はしているけれど、それを受け入れるとは言っていない。
ただ自分が正しいとも思わない。
多分間違っているだろう事もわかっている。
この様子をどこかで見ている護衛のガイアは呆れているだろうか、面白がっているだろうか。
自分にすら気配を感じさせない兄のような男は、絶対にどこかで隠れて自分を見ている。それだけはどちらにしろ確かだ。ガイアがいるから自分も安心してこの場を離れる事ができる。
「頼むぞ」
夜の闇に一言投げれば。
「はいよ」
夜の闇が一言応える。
どこから声がしているかすらわからない。
十年近くの付き合いになるけれど、いまだなお底がしれない男だ。
こう言って、ガイアに護衛を任せはしたが、自分が守らないとは言っていない。
彼は念のための保険みたいなものだ。自分以外がリズを守るのは絶対にあり得ない。ガイアは兄だと思っているからギリギリそばに置いておけるが、彼以外だったらどんな手を使ってでも八つ裂きにしてから出発しただろう。自分以外の男の姿をリズに見せたくない。
だから本当はガイアの姿もリズには見せたくない。
ガイアの出番などないようにアルバートはリズの眠っているテントに向かって魔法を発動する。
「北から招こう。闇の爪も魔の口も全て拒む御手よ。彼方を護りたまえ、守護者の一分」
詠唱の終了と同時にリズの眠っているテントのある地面が円状に光る。光の線はだんだんと面になり、やがてそれは半球の形となって、テントを包み込んだ。
アルバートの結界魔法が無事発動した証だった。
強度を確認するために、軽く石を投げつけてみると、その石は魔法の壁に当たって目眩しのように光ったかと思うと、その光をはらんだままに、アルバートの方へ高速で跳ね返ってきた。
アルバートは超速で迫るその石を、これまた目にも止まらぬ速さで抜剣して切り捨てた。
「よし、反射魔法も問題ないな」
結界魔法に仕込んだ反射魔法は、攻撃を感知すると、その攻撃エネルギーを吸収増幅し、攻撃者に対して速やかにお返しするというものだった。どうやら普通の魔法ではないらしく、はじめてガイアに見せた時には驚かれたが、ダンジョン攻略では重宝がられた。攻撃が強ければ強いほど反射する攻撃も強くなるため、ダンジョン深層のモンスターでも一撃で仕留められるのだから、この辺りの獣程度ならなんの問題もないだろう。
「さて、行くかな」
そう言って歪みの地に一人で旅立つべく、テントに背を向けて。
一歩踏み出す。
テントを振り返る。
一歩踏み出す。
テントを振り返る。
「ああ、だめだ」
両手で顔を覆い、その場でしゃがみ込んでしまった。
どうにもリズが気になって歩が進まない。
リズのために歪みを一人で潰さなければいけないけれど。
リズを一人で放って行かなければならない。
二律背反する使命の狭間でアルバートの脚は遅々として進まない。
そんな事を繰り返していると、暗闇から呆れたようなため息とともに声が響いた。
「早よいけ、バカ弟子。最悪は俺がいる」
暗闇から響く声の主人はガイアだった。
声音から心底呆れているのがわかる。そらそうだ。
「……うん、わかった。行くよ」
本当はガイアにも任せたくないからこうなっているのだが、このままこうやっていても埒が開かないのは分かりきっている。心底から任せたくはないのだが、ガイアの言葉に安心はしたのも事実。これを契機にやっとアルバートの歩が進みはじめた。それでも後ろをチラチラと振り返りながらだったが、テントからもアルバートからもお互いが見えなくなった頃に、やっとアルバートは速度を早めた。
そうなればアルバートのその姿を夜の闇の中に消える。
キャンプ地には何も知らないリズが残されたテントの中で軽いイビキをかいていた。
夜は更ける。




