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やっべ使命忘れてた!

 アルバートはリズの問いに対してポツリと呟いた。


「……歪みを浄化しに行かなきゃいけなくなったんだ。ごめん」


 それを聞いたリズの顔はきょとんとしている。


 歪み。


 ゆがみってー、えー、と。

 自ら理由を聞いといて、これは完全に歪みを忘れている顔ですね。

 それを忘れちゃダメだろうと思うだろうけれど、アルバートに用意されたのんびりした一ヶ月の学院生活は、孤立していたとはいえ、聖女の使命を忘れさせるほどに安穏だった。何も起こらない。楽しい事しかない。守られる日々。リズはそれを素直に受け入れすくすくと育まれていた。


 アルバートの狙い通りだった。


 しかしそこはやっぱり聖女。


 あーしを忘れんなよ!


 リズの中の聖女(ギャル)の使命が怒りながら主張してきた。

 いや、使命さんもだらっと寝転んで自分が何者かすら忘れてたでしょうよ。

 と、言った所で仕方ない。今は双方思い出したので痛み分けってことで。


「……って、ああ! 歪みってアレか! あーしが浄化するってヤツだ! マジで忘れてたー! ん? あー! だからか!」


 リズはガッテンとばかりに手を打った。

 ここまでのアルバートの行動すべてに納得がいったのだ。馭者を断ったのも、こんな遠出なのに護衛がいないのも、その全部が絶対に自分だけでリズを守るという理念によるものからだったのだと。


 それはわかったけれど。


「アルバ? そーいうのはあーしにもちゃんと言わなきゃダメじゃん?」


「……私はそうは思わない」


 この一ヶ月。

 アルバートはリズを徹底的に囲ってきた。

 もちろん聖女になったリズには王家、貴族、あらゆる所から口や手が挟まれる。その全てをアルバートは切り捨ててきた。リズに不要な事は伝えない。幸せだけを伝える。それ以外の全てから私が守る。その一心でやってきた。結果としてここまでの一ヶ月はリズに完全な安穏を与えられたのだから。


 リズだって幸せだって言っていた。


 だからこれでいい。

 だから間違っていない。


 アルバートはそう考えている。

 それだからこそリズの言葉には不満がある。


 むう、と膨れたアルバートは、完全にお散歩終わり拒否秋田犬モード全開になる。もし首輪がついていたのなら首の肉やら頬の肉やらが顔に集中してとんでもない見た目になっているだろうが、残念ながらアルバートは人間で極めつけに超絶美男子である。むくれ顔でも美しい。


 それが少しかわいくて、ふき出しそうになるのを堪えながら、リズはアルバートの顔をのぞきこんだ。


「んんー? アルバー? あーしに秘密はいいのかなー? 守護騎士が聖女に嘘ついていいのかー?」


「いい。リズを守るためなら、私は堕ちる所まで堕ちる!」


 そう言ったアルバはとても頑固顔をしている。

 はー、とんでもない決意だねー。と感心やら呆れやらでリズの口からため息がもれる。困ってはいるけれど、うれしい気持ちもすごくある。リズも女子だ。ギャルの頃だって聖女の頃だって守られたい願望を持っていた。でもこれはちょっと違う気がする。何も知らないでのほほんとしているのはリズの性分に合わない。


 きっと言わなければいけないと思う。


「でもさ、それ、違くない? あーしを守ろうっていうアルバの気持ちはちょーうれしいんだけどさ。一切関わらせないのは違くない? あーしも聖女以前に人間だしさ。知った上で自分で判断したいよ?」


「むう。私に任せれば大丈夫なのに」


 アルバートはリズの反論にさらに顔をむくれさせて黙ってしまった。


 リズを守ろうと考えてやった結果がリズには気に入られなかったという事実に不満を感じている。リズを守るのであればリズを危険に近づけないのが一番だ。アルバートの中ではこれが最善だと思っている。

 それには自分が全て片付ければいいと、アルバートは結論づけていた。

 聖女にしか歪みを祓えないとなっているが、今のアルバートは剣も魔法もこの国で一番だ。だからこそ何とかなるのではないかと思っている。

 そのための準備だってこの十年で整えてきた。


 リズを同行させてしまっているのは不本意だったが、今回の歪み浄化こそがその試金石だと密かに意気込んでいた。


 そんな風にリズを思ってとった行動だったのに。


 ダメだったのか。


 その感情が表情だけでなく、全身に表れているむくれ姿を見て、リズは対応を変えた。


「わかったわかった。アルバがあーしを大事にしてくれてんのはわかったよ。それはちょーうれしい。ありがとね、アルバ。けどさ、あーしも事情を知らずにフラフラと連れ回されんのはやなのよ。なんで今回こーなったんかだけでも教えてよ。それくらいならいいっしょ?」


 頭をヨシヨシと撫でてやりながらそう言うとむくれ顔が少し緩和され、こっそりと生えた幻のしっぽがユッサユッサと揺れている。


「うん……言う」


 むくれ秋田犬から少しだけ人間に戻ってきたアルバートは今回の経緯を説明する。


 リズが聖女と成って。すぐに王家は歪みの地の候補の監視を強めた。歪みの発生する地はある程度のランダム性を持っているが、長年の歪み浄化の経験の蓄積によって、ある程度候補地は絞られている。特定の属性の歪みが発生しやすい地域というのは決まっている。

 予測は正確ですぐに一つの歪み候補地に異変が起きた。それが今回向かっているオネーの森だった。王都から馬車で数日の距離にあるこの場所は、複数ある候補地の中で水の歪みがダントツに発生しやすいため、王家の禁足地にされている森だという。


 王家が異変を察知したのはリズが学院に初めて登院した日で、そこからの数日で、あっという間に異変は歪みに変わり、オネーの森の中にあるヤーン湖は水の代わりに歪みをたたえるようになった。


 この段階で宰相をはじめとした議員連は聖女を派遣するように王家に要請を出した。しかしそれをアルバートは断固として拒否した。それはもう断固だった。けんもほろろ、とりつく島もない状態。何を言おうと返ってくるのは一言。


「リズにはまだ早い」


 この一点張りだった。

 議員の要請を拒否したアルバートは、本気でリズには歪みの浄化は早いと思っていた。聖女に覚醒したばかりの聖女を危険な役目に駆り立てるなど、リズを何だと思っているんだと憤慨していた。まあ確かにそうなのだけれど、それは半分正解で、それは半分間違いだった。聖女に危険がないようにしなければいけないのは勿論だが、聖女は歪みを浄化する事で成長するのだから、何もさせないのはそれはそれで間違っているのだった。


 何よりも歪みを浄化しなければ国と世界が滅びる。

 それを理解している冷静な宰相は王太子である守護騎士に唯一命令を下せる人間を使った。


 王の勅命。


 これにはアルバートも逆らいきれなかった。最低限の抵抗として、オネーの森は馬車で二日の距離にある事を理由にして、諸々の支度が必要であると言い、準備期間の一週間を確保するのが精一杯だった。

 得た猶予期間で、何とかリズを危険に晒さない方法はないかと数日考えた。自分だけで歪みを浄化しに行く。アルバートはリズから離れたくないからダメ。リズを連れて二人で逃げる。そんな事をすれば世界は滅んでしまうからダメ。右を向いても左を向いてもダメだった。にっちもさっちもいかない。

 つまる所、歪みを祓うしかないという結論に至り、リズには今回の目的を告げず連れ出し、二人きりの旅行をしているように見せかけている間に、自分だけでささっと歪みを切り捨てようと考えた。


 結果、今回の旅路となったわけだ。


 もちろん馬車のキャビンの中には旅路の途中でリズが困る事のないように、旅の全てが積み込まれている。過保護なアルバートが積みすぎたせいで、キャビンに人は乗れない状態になっているのは仕方ない。だからアルバートが馭者になった。隣にリズを乗せた。風や雨などは自分の魔法で防げばいいと考えた。


 全て万端でバレるわけがない、そうアルバートは思っていたのだが。

 バレてしまった。

 ならば説明はして、リズには旅だけを楽しんでもらおう。

 話しながらアルバートはそういう方向に話を進めようと考えを固めていた。


「だから、リズは今回は旅行だと思って楽しんでくれればいいから。野営道具はバッチリだし、魔法で風呂も出せる。料理も王宮料理人の料理を時間停止付きのアイテムボックスに入れてきた。追加で普通の食材もあるから、一週間は問題なく旅ができるよ」


 そう言って荷物パンパンになっている馬車のキャビンを指差した。


「は? もしかしてあの中に荷物がいっぱい詰まってんの? あーしらが馭者席に乗ってたのってそういう理由!?」


 アルバートが自分を隣に座らせたいから馭者席に呼ばれたのだとリズは思っていたがアルバートの説明によってそれが勘違いだと気づいて驚きの声をあげる。むしろキャビンに荷物がパンパンになっているのを気づかないのもどうかと思うが、まあギャルなので仕方ない。細かい事は気にしない。


 リズは椅子から立ち上がり、馬車まで駆け寄って、キャビンの窓を覗く。


 見れば確かに中にはパンパンに荷物が詰まっていた。

 今座っていた椅子もきっとここから取り出したのだろう。


 ふう、と息を吐いて、リズは椅子まで戻った。


 アルバートの言っている事と行動の理由は理解できた。

 自分をひたすら甘やかし、ぬるま湯に漬け、幸福以外は与えない。

 そんな強い意志を感じる。

 同時にそれに見事に浸っていた自分にも気づいた。確かに居心地が良かった。ひたすら守られる。ひたすら甘やかされる。あれほどのお姫様扱いはギャルでも聖女でもされた事がなかった。なんせ使命を忘れる位だ。リズは自分の事ながらアホだねーと反省した。


 アルバートを見れば、リズに褒められるのを期待してニコニコとしている。

 確かにこの一ヶ月はとても幸せだった。なんでもやってもらえた。使命に関しても同じだ。全部支度を整えてくれたのはすごくうれしい。あの量の荷物だ、お金もすごく掛かっているだろう。ただの聖女である自分にはこんな支度は整えられない。

 とてもありがたい。

 だけど、やっぱりやり方が違うと思う。


 ズレてる。

 リズはこのズレは埋めなきゃいけないと考えた。


「アルバ、ここまで色々やってくれて、今回も全部準備をしてくれたのはうれしい。ありがと」


「うん!」


 リズに褒められたアルバートは素直に喜んでいる。

 そのあまりにも善意の塊である笑顔を見ていると、ズレたままでもいいかもという逃げの思考が囁く、けれども同時にこのズレを放置した時の危険性もビンビンに感じている。

 多分、これは聖女(ギャル)の感だ。

 ここは逃げたらダメだとギャルも聖女も言っている。


 すん、っと鼻を鳴らしてから。

 まっすぐにアルバートを見つめてから。

 リズは口を開いた。


「でもね、これは違うっしょ?」


「違う?」


 もっと褒められると思っていたアルバートは、リズから放たれた否定の言葉にキョトンとしている。違う。何が違ったのだろうか。アルバートにはわからない。数日考えて。リズを守るための最上の方策がこれだった。国からも貴族からも歪みからも世界の全てからリズを守るにはこれが一番だと思って行動している。


「ん、違う」


「何も違わないよ」


 そうだ。何も違わない。アルバートの心がそう叫んでいた。

 自分が幼く弱かった頃、アルバートを守ってくれる人間はみんなそうだった。あちらに行ってはダメですよ。こっちは危険ですから。ほらほら殿下はここで待っていてくださいね、全部やっておきますから。貴方は何もしなくていいのです。

 ひたすらに居心地のいい言葉と、ひたすらに囲ってくる大人の手。

 そこは甘くて柔らかくて暖かいぬるま湯で、守られている安心感に溢れていた。

 冒険者を目指し始めてからもしばらくそれは続いたが、荒くれ者の冒険者に囲まれるようになってから、彼らの姿を見なくなった。でもアルバートの中での守護とはその行為と定義されていた。


「アルバは全部自分で何とかして、あーしに何もさせないつもりだったんだよね?」


「ああ、そうだ。それが守護騎士である私の役目だから! 危険には絶対に近づけない! 近づく危険は切り捨てる!」


 それが守護者の行動で、自分が受けてきた守護だ。

 守護者になると決めた時に、アルバートはそれをリズに与えると心に誓った。


「うん。それがそもそも違うんよ。姫と守護騎士ならもしかしたらそれが正解かもしんないけどさ。あーしの役目は聖女(ギャル)なんだよね」


「……聖女(ギャル)だと違うの?」


 ギャルって何の事だかわからないが。

 文脈から聖女の事らしい事はわかる。姫と聖女では守られ方が変わるのか? 王太子の守られ方と聖女の守られ方は違うのか。そんな思考が走り回ってアルバートの頭は混乱している。


 だとしたら、自分の十年は間違っていたのか?


 そんな感情まで生まれ出でて。

 アルバートの顔から血の気が引いていく。


「ね、聞いてアルバート」


 そんなアルバートの頬を両手で優しく包み込み。

 真っ直ぐに顔を見詰めて、決意と一緒に小さく息を吸い込んだ。


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