名前を呼んでもらえないのマジ不安だったんだけど!
リズの叫びを聞いて。
アルバートはなんらかの敵襲だと判断した。
カチリと、一気にアルバートの気持ちが切り替わる。
守護者とは常在戦場。
それは場所が学院の中であろうが、ホワホワ気分であっても変わらない。
リズの叫びで瞬時に警戒体制に移行する。
「警戒! 抜刀ッ!」
アルバートは腰を少し落とし、剣に手をかけて、一気に鞘から抜きさる。
その切先が敵を探すように細かく動く。
自分が常に展開している索敵魔法にはなにも引っ掛からなかったが、聖女独自の探知に何かが引っかかったか? もしくは精神感応魔法でも展開されたか? 第二妃のスレイの手のモノが暗殺を仕掛けてくる可能性もある。他国の間者が聖女を拉致しにきた可能性もある。そんなありとあらゆる可能性がアルバートの頭の中を駆ける。
目視で周辺を確認するがやはり敵らしき姿は見えない。
敵意もない。
魔力もない。
人の気配も、獣の気配もしない。
これは相当な手だれだと判断する。
なおもぴょんぴょんと飛び跳ねながら、己を優しく叩いているリズの肩をやさしく抱き、その身を大柄な体躯で覆い隠すようにする。これならば飛び道具で狙われてもアルバートの体が盾になる。自分の身にかえても聖女の安全だけは絶対に守ると決めている。
片手に剣を構えながら、逆の手でリズの肩を抱いた形で、リズに言葉を伝える。
そうすると自然と耳元で囁く形になる。鍛えた筋肉と拡張された肺から溢れる低音がリズの耳に触れる。
「リズ、私の体に隠れるようにして、敵の気配がわかるなら教えてほしい。私が必ず貴女を守るから!」
「え? あっと……ん、敵?」
抱きしめた途端に大人しくなったリズは問いかけに言い淀む。その様子は何かに戸惑っているようで、敵の気配を教えてと言われて、とりあえずキョロキョロと辺りを見回してみてから、ふるふると頭を振って否定を返した。
「どうした? 大丈夫か?」
アルバートは斜め上から見たリズの様子がおかしい事に気づく。よく見るとリズの耳が赤い。その状況から、リズがすでに何らかの攻撃を受けていると判断した。
毒か? 精神攻撃か? 音波攻撃か? 魔法攻撃か?
普段の訓練ではどの攻撃でも判断がつくはずなのだけれど、今のアルバートには何も感じられない。本番に弱い己の不甲斐なさに、くうと呻き声を漏らして、リズに状況を確認する。
「リズ! 耳が赤いが大丈夫か? 少しだけ我慢してくれ、私がすぐに原因になっている敵を倒すから」
見えない敵を剣先で威嚇しながら、リズを胸に抱いて、周囲をキョロキョロと確認していると。
ツンツンと左腕が引っ張られるのを感じた。
敵への警戒を解く事なく、軽く下に視線を落とすと、リズが無言で袖を引っ張っているのが視界の端に入る。
「……アルバート」
袖をひきながら、小さな声で自分の名前を呼んでいる。
敵に襲われている緊張の中にも関わらず、かわいいという感情がアルバートの心を支配しそうになるが、すぐにそれを心の中の守護者の刃で突き刺した。
そういう場合じゃない。
しかしリズが無事で安堵したのは本当で。
「よかった。リズ、無事か? 喋れる? 敵の攻撃はどんなものかわかる?」
「違うの」
俯きながらふるふると頭を小さく振るリズ。アルバートの視界の中では金髪で輝いた小さな頭が揺れる。シンプルに撫でたいと思う欲求を、これまた瞬時に心の中の守護者の刃で突き刺した。きゃうん。
「ん? 違う?」
「あー、うん。違うの。その、ね、敵とかじゃ……ないんだ。多分だけど、あーしの叫び声で勘違いさせちゃったんだよね? マジでごめん」
しゅんと小さい頭が俯く。撫でたい欲即斬。モグラ叩きじみた精神世界。
理由はわからないが、なんだかしゅんとしてしまっているリズに聞くために優しく問いかける。
さっきまで警戒から太く響く唸るような低音だった声音が、途端に暖かく柔らかい声音に変わる。
「敵じゃない?」
「うん」
こくりと動いた頭と、肯定の一言に、アルバートの警戒レベルが少し下がる。
敵じゃない。
確かにリズは一言も敵が来たとは言っていない。叫んで自分の肩をパシパシと愛らしく叩いていただけだ。そう考えれば、自分の索敵魔法にも敵の気配はなかったし、この場には自分とリズの気配しかなかった事に思い至る。
「え? じゃあ……どうしたんだい?」
「えっと、ね……あーし、つい嬉しくなっちゃって、思わず叫んじゃった。ごめんね、びっくりさせて……」
「嬉しかった? 何かあったっけ?」
全く思い当たる事がない。
疑問に首を捻るアルバートの腕の中でモゾモゾとリズが動き、背中合わせの状態からアルバートの方に向き直ろうとしているらしい。それに合わせてアルバートもリズが動きやすいように腕の力を緩める。でも決してその包囲を緩めない。守護者はまだ警戒中だからね。離したくないからじゃない。耳と尻尾が見えている気がするけど、それは見ないフリをする。
アルバートの顔を真っ直ぐ見るリズの瞳が潤んでいた。
「うん……アルバートがさ、あーしの名前を呼んでくれたじゃん? あれ、嬉しかった」
リズに言われて気づいた。
あれだけ緊張して呼べなかったリズの名を自分がいとも簡単に呼んでいた事に。
リズが自分の不純な視線を検知して怒っていたわけではない事に安堵して、それと一緒にリズに対する緊張も解け、つい自分語りの時のように、愛するリズの名前を呼んでいた。
それをなぜかリズが喜んで。
叫ぶほどに喜んで。
アルバートがその叫びを敵の攻撃を受けた悲鳴だと勘違いしてしまった。
これがこの騒動の顛末。
でもなんでアルバートがリズの名前を呼ぶ事が、リズにとって叫ぶほど喜ばしいのか?
それがアルバートにはわからない。
逆に気安く名前を呼ぶなと怒られた方がまだ納得がいく。いや……それを言われたら、数日寝込むかもしれないけれど。でも喜ばれる理由の方はもっとよくわからない。
え? もしかして? リズは私を?
そんな勘違いがむっくりと起き上がってきたので、守護者の刃で突き刺した。きゃうん。
勘違い即斬。
アルバートは守護者だ。不埒な可能性は即斬り捨てる。
だからこそ理解が追いつかない。
疑問が言葉となって口をつく。
「あ、名前……リリリリ、リズの名前……呼んでよかった? なれなれしくない?」
さっきまでは安心して力が抜けた所に敵襲への対応という状況になっていたからまったく意識していなかったが、名前を呼んでいるという事実に気づいた途端にリズの名前が口から出にくくなる。
ずっとアルバートは不安だった。
この十年、婚約者としてそこまでの関係性を築けてきた自信はない。
聖女修行中のリズとは直接の面会はないし、自分の心の支えになっていた手紙のやり取りだって、客観的に見たら事務的に見えるだろう。そんな事はわかっている。リズがこうやって聖女に至るまでは自分達は仮の婚約者だったし、聖女に至れなければ王家によってその婚約は簡単に解消される程度のものだった事も。
全部。
知っていた。
もちろんアルバートはリズが聖女になれなくても婚約を解消するつもりはなかった。
幼い頃に自分の聖女はリズだと決めていたから。
でもそれはあくまでアルバートの意志だ。
リズがどう思っているかと言えば、そこはあくまで貴族の義務的なものだろうと思っていた。
だから名前も呼べなかったし。
それを兄のように思っているガイアに相談もした。
そのために色々な方法もベッドの中でぐるぐると考えた。
そんなアルバートの色々や不安を。
「ううん、全然、平気だよー! なによーなれなれしいってー! もー、あーしら婚約者じゃーん」
全てリズの元気な声が吹き飛ばす。
「そ、そうか! 婚約者だもんな!」
アルバートは自分の言葉を肯定された事に喜んでいて気づいていないが、リズの言葉。普段のギャル調に戻っているようだけれど、わずかに声が震えている。
リズもまた不安だった。
アルバートが自分の名前を呼ばない事がどうにも気になっていた。
聖女になって、ギャルの魂が宿って、言動も変わって、アルバートの中では自分がリズ・ギャルレリオではなくなってしまったのではないかと。そう推測していた。ギャルと聖女がうまく折り合いをつけるにはこうなるしか他に方法がなかったのでけれど、それによって存在を認められないのはやはりどうにも苦しい。
自分がアルバートの中でリズでなくなってしまったから、名前を呼ばないのではないかと、リズの頭の中にはそんな考えが浮かび上がり、いくら振り払ってもそれは払拭できなかった。
アルバートは再会してあまり時間は経っていないけどとても良くしてくれる。
自分への好意も隠さない。
見た目はリズの好みではないけれど、それでも優しくされたり、好意を向けられるのは嬉しい。
だけれど、名前だけは決して呼んでもらえない。
好意と排斥。
そんなチグハグさが少しだけ不安で、だから今回、名前を呼ばれたタイミングで思わず叫んでしまった。自分でもその声の大きさにびっくりしたが。
それだけ今のそのままの自分を受け入れてもらえたのは嬉しかった。
まあ全部勘違いだったわけだけれど。
リズもアルバートも結局二人して勝手に勘違いしてすれ違っていただけだった。
「そうか、そうかそうか! 私たちは婚約者になったんだもんな。名前を呼んでもいいんだ」
その喜びに感動したアルバート。その感動はほと走りあふれ返り勢い余ってリズの体を横抱きに抱き抱えた。右手に持っていた剣がカランと転がった。
「んぎゃあ! びっくりしたあ!」
「ごめん! つい嬉しくて!」
急に抱き抱えられたリズは驚きの声をあげて、反射的にアルバートは謝る。とはいえ、リズも抱き抱えられた瞬間は驚いたが、ちょっと前まではこの姿勢で王都の中を高速で移動していたのだからもう慣れたもので正直そんなに気にしていない。
「んふふ、いーよー。あーしも名前を呼んでもらえてうれしーからー」
「うん、そう、嬉しいか。あ、あーえっと……リ、リリ、……リズ?」
「急にどしたん? アルバート?」
会話の中でいきなり名前を呼ばれたリズは大きな目をキョトンとさせる。そんなリズにいたずらっ子のようにアルバートが微笑みかける。
「いや、呼んだだけ。練習だよ。なんせ十年ぶりに貴女の名前を呼ぶからな」
「ププ、なにそれー変なアルバー!」
「ははは! 確かに名前を呼ぶ練習って変だよな! ……って、え!? 待って! アルバって!?」
愛称で呼ばれた事に気づかず、いったんスルーして、そのまま話を流しかけたアルバートが、そこでギュインと急ブレーキを踏んだ。さっきまで軽快に上を向いて笑っていた顔が、残像を残して一気にリズへと向いた。
リズからは顔が二つに見えた。
「おお! びっくりしたあ、え? ダメだった? ニックネームエヌジー?」
英会話がえぬじーだと思う。
相変わらず英会話が通じると思っている。そもそもリズはずっとこの国の言葉を流暢に離している。だから英語にしても通じないものは通じないと思うのだろうけれど。
「ニックネーム!? そんなに仲良くしてくれるの?」
なぜかアルバートには通じるんだな。これが愛の力か。
「お、おん。これくらい普通じゃん?」
アルバートの勢いに若干ひき気味になり、婚約者の距離感をはかり違えたかと、頭の中を漁ってみるが、聖女の記憶でもギャルの記憶でも、ニックネーム程度は友達でも呼び合うから問題ないと判断した。
「ふ、ふつう。ね、ねね。も、もう一回呼んでもらっていい?」
そのふつうは第一王子を経た王太子、異端の聖女の守護者であるアルバートにとっては普通ではない。彼を愛称で呼べる人間は限られているし、呼ぶ事のできる王や王妃とはそこまで親子的な関係を築いていない。
アルバートを愛称で呼ぶのは人生の中で冒険者のガイアくらいだった。
「うん、アルバ!」
「リ、リズ!」
だから愛称で呼ばれ、名前を呼ばれるというのは二人にとってとても幸せな出来事だった。
名前を呼び合い、見つめ合う二人。
「「へへへ」」
お互いの顔を見合ってテレテレとしているだけで時間が過ぎていく。
それは二人にとって、とても幸せな時間だった。
そんな中、大変残念なお知らせだけれど。
たった今、一限目、終業の鐘が鳴ったぞ。
遅刻どころじゃないからそろそろを現実に帰ってこい。
お読みいただきありがとうございます。
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