ギャルの中の獣が暴れ出す
「ギリギリセーフ!」
学院の正面口に辿り着いたタイミングで始業の鐘が鳴り響く。
その音はギャルの記憶にも聖女の記憶にもないほどに荘厳な音で、この学院の格調をそれだけで説明しうる説得力を持っていた。
何がギリギリセーフなのかはわからないが。
アルバートの腕の中からスッと抜け出したリズはそう言って学院を見上げた。
その背後には逃げ出した猫を見るように寂しげなアルバートがなんとも言えない表情で立っているが、リズにはいっさい見えていないのでほうっておこう。
リズの眼前にはまごうことなく異世界の景色が広がっている。
中央には象徴的な尖塔が聳え立つ。
リズはそれにすっかりと目を奪われた。
白亜の塔とはまさにこれといった荘厳な塔だった。
すっごーと呟きながら、上下に視線を動かしながらしばらく尖塔を眺めていると。
今度はそれを六角形に取り囲む石造りの校舎が目に入ってきた。天に昇っていくような尖塔のシェイプとは反対に、校舎はずっしりとして地に根を下ろし、その重厚さはまるで尖塔を守っているようにリズは感じた。
「マジででっかいねーこれー! 何階あんの? えっと……いーち、にー……」
リズが窓の数で建物の階数を数えると、校舎は三階建て、尖塔は六階建てになっていた。もちろんギャル時代の記憶の中には巨大なビル群が何個もある、ギャルの聖地であるマルキューなんかは、渋谷はもちろん町田のだってこの尖塔よりもよほど大きかったけれど、それでもこの建物はそれらとは違う、雰囲気というもので感情を圧倒してくる。
リズはシンプルにこの景色にくらっていた。
そしてその感動を共有しようとアルバートへ振り返る。
アルバートもリズを見ていた。
パチリと目が合ったその表情は普段より少しだけ崩れていて、幻視されるもふもふした耳と大きく揺れている尻尾から、どうやら秋田犬モードだったらしい事が察せられる。
リズの感動する姿を見るのが幸せだったのだろう。
そんな時に急にリズに振り返られたら普通だったら驚く。しかしそこはさすが王族。少しだけ眉毛がぴくりと動いただけで、リズのように大声をあげて驚いたりはしなかった。
同時に幻のむく毛の犬耳と尻尾はスッと消え失せて、その表情はすぐにいつもの柔らかクールに戻る。
その顔を見たリズはふと気づく。
もちろんリズはアルバートの心中の驚きなんて一つも察してはいない。
気づいたのは別の事で、それはアルバートがあまりにも普通だという事だった。
王城からここまでの決して短くない距離を走っているのに息一つ切れていない。肩で息もしていないし、もちろん膝に手をついたり、後ろに倒れ込んだりもしていない。
ギャル時代に体育の授業で長距離走をやらされたリズはほんの少しでギブアップして、大半は歩いた記憶がある。聖女時代なんて走る事自体がはしたないと禁止されていた。廊下を急いで走っただけでもふうふうと息が切れたというのに、目の前のアルバートといえば。
ノー疲れだ。
鍛えてるって言ってたのはマジで本当だったんだなあ。と、改めてリズはアルバートの王子然とした顔を見る。そうやってまじまじとよく見ても、額が少しだけ上気してうっすらとした汗が見えるだけ。それが唯一の変化。あとはふわふわ金髪碧眼の王子様そのもの。
全く変わらんなー。
その姿を見ながら、ここまでの距離とあの速度を思い返してリズは思う。自分には絶対無理だなーと、さらにはあんな距離は絶対に走れんなとも思う。普通でも無理なのに、しかもリズを腕の中に抱えてなんて絶対に無理。自慢じゃないがリズの体重は軽くない。
は? 軽くないってなに? 重いって事?
あ、なんか変なスイッチの入った音がする。
リズの中の女子が目覚めた。
ヤバ。
リズの心の中の獣が叫ぶ。
あ? そうだよ。軽くないよ? だからなんだよ? 軽いからいいって訳じゃなくなーい? なに? 本職のモデルみたいのがいいの? 違うっしょ? もーさーあのモデルどもの細さ、やばいんだよアレ、脚があーしの腕くらいしかないんだよ? やばいって! 色も白いしさー。もっと焼けてこ? もっと肉つけてこ?
うん、健康な女子は軽くないんだよ。そうだ! 女子には適度な肉が必要なの!
だいじょぶだいじょぶ。オッケーオッケー!
と、リズはズレにズレた思考の結果、一周回ってなんとか正常に戻る。心の中で暴れだした獣はよくわからない論理で自己解決されたようだった。
ふう。こわ。
そんな内部が荒れ狂っているリズだけれど。
外から見れば美しい女性がただただ無言無表情でアルバートを睨んでいる状態になる。
ジッと見てくる。
こわあ。
当然アルバートからしたら気が気ではない。
感動しているリズがあまりに可愛くて美しいから見惚れてしまったのがまずかったのか? ぴょこぴょこと揺れ動く魅力的な後ろ姿に守護者らしくない感情を持ってしまったのがバレたのか? いや大丈夫なはずだ。あれはすぐに心の剣で刺し貫いたから。ならなぜリズは無表情で私を見ているのか?
数限りない心配が脳天に降り注ぐ。
そしてその重圧が疲れ知らずのアルバートの膝を折った。
危うく膝から崩れて倒れ込みそうになったのを、なんとか両手で膝を押さえる事で姿勢を支え、中腰になった状態でアルバートはリズに問いかける。
「どうかしたかい?」
怒られたらどうしよう。
緊張で体が強張るのがわかる。
しかしリズの返答はあっけないものだった。
「ん? ああ、アルバートか」
獣に勝利したリズがそのタイミングで戻ってきた。
アルバートは審判を待ち、青白い顔して膝をガクガクさせている。
どしたーアルバート?
そんな顔できょとんとしてリズはアルバートを見つめる。
そこに一切の悪感情はない。
そりゃそうだ。リズはシンプルに心の中の獣と戦っていただけで。その戦いに勝利して凱旋してみればアルバートがガクガクブルブルしてんだから。リズからしたらなんのこっちゃわからん。
リズはとりあえず怯えているアルバートを安心させるために軽くアルバートの肩を叩いた。
「ごめごめ! こっちの話だから気にしないでー! ぼうっとしちゃってごめんよー。アルバートこそどしたん? 顔青いよ?」
リズは手を合わせてそう言った。
アルバートにもわかる。謝罪のポーズだ。
合わせた手越しにアルバートを見つめて謝罪する可愛いリズ。
アルバートの顔色まで心配してくれている。
ここまできて、リズが怒っていない事をアルバートは理解した。
本当は怒ってるも怒ってないもない。
始めから終わりまで全部アルバートの杞憂だったのだけれど、そんな事がわかるわけもないし、アルバートにとってリズが己の全部だ。嫌われたらと思うととても恐ろしい。
でもよかった。
リズは怒っていなかった。
そこでほっと息が抜けた。
全身から力が抜けてふっと自然体に戻ったのが自分でもわかる。安堵するとはまさにこの状態を表すんだろうななどと訳のわからない感想が頭を横切る。
どんな作用か。
そうすると今度は現実が急に思い返された。
学院だ。
今日はリズの初登院で、それを案内するためにアルバートは付き添っているのだ。
その役目を急に思い出した。
「そ、そうだ! リズ! 早く学院に行かないと……」
もう授業が始まっている。
と、続いただろう言葉はリズの叫びに刈り取られた。
「ああああああ!」
リズは急に叫び出し。
顔を真っ赤にしてアルバートの肩をバンバンと叩きはじめた。
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