第97話 闇が蔓延り、道標を
雪端町の駅の近くは、いつもより人通りが少なかった。
多分、吹雪のせいだろう。もう止みかけているけれど。
でも、これからどうしよう。
もう死ぬつもりだったから、どうすればいいのかわからない。
とりあえず、帰ればいいのかな。帰るって、どこに……
私に帰る場所なんてないのに。
雪が積もり、やけに白い景色の中の隅で座り込む。
なんだか前もこんなことがあった気がする。
リナと別れて、独り座り込んでいたことが。あの時は、雨だったっけ。
「先輩!」
不意に聞き覚えのある声がした。
そちらを向けば、見覚えのある茶髪が視界に入る。
それと同時に、彼女に手を掴まれる。
「間に合った……!」
「る、ルミ、え、あ」
ルミがどうしてここに。
それを思うと同時に、忘れていたことを思い出す。
ルミには私が死のうとしていることを伝えた。結局のところ、私は生き延びてしまったわけだけれど、そのことを伝えていない。
「先輩、死んじゃ嫌です!」
「あ、うん。えっとね」
「お願いです。考え直してください」
「あの、ルミ、ちょっと落ち着いて」
「先輩がいなくなったら私、寂しいですよ……!」
「あのね、私、死ぬわけじゃないから」
「……ふぇ?」
普段のルミから想像できないほどに間抜けな声が漏れる。
それほどまでに私の言葉は予想外だったらしい。
「し、死ぬわけ、でも、先輩」
「えっと、正確にはもう終わったんだ。で、なんかたまたま生き残っちゃって」
「え、その、あ、え?」
「ごめんね、連絡が遅れて」
それから、軽く説明した。
蘇生魔法を使ったこと。
リナに助けられたこと。
そして逃げるように出てきたこと。
「そう、ですか」
ルミは最初は困惑しているようだったけれど、話しているうちに落ち着きを取り戻してきた。やっぱりその辺の呑みこみ能力は鋭いらしい。私の要領を得ない説明でも、こうして理解してくれるのだから。
「なら、先輩は死ぬわけじゃないんですね」
「まぁ、うん。そうだね。結果的には」
本当は死んでいるはずだったけれど。
本当なら、こうしてルミとまた会うこともないはずだった。
「なら、いいです。また会えて嬉しいです。先輩」
ルミは、ずっとこうなのかな。
私と会って喜んでくれる。
彼女は私を追ってここまで来たんだろうけれど。
……どうしてそこまで私に肩入れするのかな。あまりよくわからない。
「どうして、そんなに」
私の疑問に彼女に考えるように指を頬に当てる。
「ミューリ先輩がいなくなったら、寂しいです」
「寂しい?」
「はい。寂しいです。だから、急いできたんです。
寂しい。
私が居なくなると、寂しい……? 私なんかが。
「だから、もうしないでくださいね。自らの命を投げ出すようなこと。って言っても無駄なんでしょうけど」
「……ごめんね」
実際、多分またリナのために命を捧げることにそこまで抵抗はない。
結局、私の命と言うのは、リナがくれたもので、多分、リナから奪ったものなのだろうから。
私は自分の命にそこまでの価値があるとは思えない。
「少しは否定してくださいよ……悲しいです」
悲しい。悲しいのか。
私も、ルミが死んでしまったら悲しむことができるのかな。あまり自信がない。
アオイが死んでしまった時、私は悲しめていたのだっけ。もう覚えていない。
「けれど、先輩もどうしてですか。リナさんと仲直りできたんですよね。どうしてこんなところに独りでいるんですか?」
ルミの問いに少し考える。
色々理由はある。
エミリーに言われて、考えたことがたくさんある。
けれど、一番簡単に言うのなら。
「私といても、リナは幸せには成れないからかな」
「そう、なんですか?」
「そうだよ。だって、私は、何も与えられないから」
私の答えに、ルミは不思議そうに首を傾げる。
「先輩がそれでいいなら、いいですけれど。でも、それで先輩は幸せなんですか?」
「……どうだろうね。わからないよ。私の事なんか。でも、リナには幸せになってほしいから」
それは本当だと思う。
生きて幸せになってほしい。
多分、それだけを願っている。せめてそれぐらいは願えていると思う。
「その、エミリーさん? なら、リナさんを幸せにできるんですか?」
「そうだと思う。少なくとも私よりは。だって、彼女は」
喉がつっかえる。
でも、私は言葉を絞り出す。
「エミリーはリナを愛しているみたいだから」
「愛してる、ですか?」
「うん。私はわからない。リナを愛したり恋したり……好きな自信がないから」
それだけ言えば納得してもらえると思った。
けれど、ルミはなぜか呆れたように、困惑したように首を傾げるままだった。
「愛、ですか」
彼女は呟く。
誰となく。
そして私に向き直る。
「愛してるなんて、よく言えますよね。そんな簡単に」
「えっと、そうかな」
「いえ、私はその人のことをよく知りませんけれど……でも軽く言いすぎじゃないですか。だって、愛なんか、わかりませんよ。誰にも」
私を見つめ、そして放たれた言葉に私は当惑を隠せず、間抜けな声を出すしかなかった。
「みんな、独りで生まれて、独りで死んでいくんです。どれだけ多くの人と繋がっても、最後は独りなんですよ」
独り。
そこまでも独り。
それはそうかもしれないけど。
でも、愛っていうものをみんなは知ってるのかと思っていた。
「愛情が他者を想う心であることは疑いようがありませんけれど、それがどのような実感を伴う感情かなんて、誰にもわからないと思います。正解なんて、誰にもわからないんです」
「そう、なの? でも、愛してるって」
エミリーがリナへの愛を語る時、そこに嘘があるようには見えなかった。
彼女は間違いなく、リナに愛を持っているのだと思ったのに。
「ただ、愛を語る人は、何かの感情を愛だと決めつけてるだけですよ。そのエミリーって人も同じです。誰もわからないんです。愛なんて。先輩と違うところがあるとするなら、その人は愛を持ってるって錯覚できただけです。ただそれだけだと思いますよ」
「錯覚……?」
「愛してないってわけじゃないですよ。ただ、それが愛かどうか確かめる方法はないってことです」
愛は、わからない。
誰にとっても。
ならどうなれば、愛しているというのか。
みんな愛を知っている訳じゃないのなら、どうして愛してるなんてわかるんだろう。
「だから、愛していないからとか、そんな些細ことで気にする必要なんてないと思います。それより大切なのは」
私の中で生まれた疑問を、ルミは些細なことだと切って捨てる。
「ミューリ先輩が大切にしないといけないのは、話を聴くことですよ」
ルミはそこで一度言葉を区切る。
ちらりと彼女の目を見れば、
「私の話も、あまり聴いてくれませんよね」
「そう、かな。聞いてるつもりだけれど」
「聞いていても、聴いていないです。でも、私のことは別に良いです。先輩が私にあまり興味がないことぐらい知っていますから」
そうなのかな……多分、ルミがそう言うのならそうなのだと思う。
前も同じような会話をした。私はルミのことを友人だとは思っているけれど、同時に彼女のことを何も知らない。
それに先輩も……最初に同室になった先輩も私に同じような評価をした。誰にも興味がない自分勝手な人だって。
そう思えばやっぱり私は独りがよく似合う気がする。
「責めてるわけじゃないですよ。興味を持ってくれたらいいなとは思ってますけど。でも。良いんです。私とこうして話してくれるだけで、友人でいてくれるだけで私は満足してます」
でも、ルミはそんな私でも良いと言った。
穏やかそうに。けれど同時にどこか苦しそうに。
「でも、リナさんは先輩にとって興味のある対象じゃないんですか?」
「興味……?」
「だって、そんなに必死にその人のことを考えて、幸せを願って、そしてしまいには自分の命すら投げ出して。リナさんのこと、どう見ても好きじゃないですか」
好き。
……そうだったはずだけれど。でも。今は。
「そう、なのかな。私、この感情がよく、わからないから」」
「あー、はい。好きじゃないかもしれませんね。もうなんでもいいです。でも、リナさんのこと考えているのは本当ですよね?」
「う、うん。まぁ、そう、なるのかな」
「なら、どうしてリナさんの話を聴かないんですか?」
「話?」
「そうですよ。愛とか、恋とか、そんなものを先輩は悩んでいたみたいですけれど、でもそんなの所詮は曖昧なものに過ぎないんですよ。想いなんか、想ってるだけじゃ何にもならないんです」
ルミの視線は非常に強い。
何かしらの強い意思が込められている。
エミリーの視線と似ている。けれど、彼女とは違い、怖くはない。
「想いは、行動してみないと何も起きないんです。そして、リナさんはきっとミューリ先輩にそれをしています。曖昧な想いを必死に伝えようとしているはずです。ずっと。私もそうしていましたから」
……たしかにそうだった。
今までも、リナは沢山私に言葉を尽くしてくれた。
私に願いも望みを話してくれた。
そしてそれが私に彼女の想いを伝え、熱が私を孤独から救ってくれた。
「どうしてですか。どうしてその言葉を聴かないんですか? 聴いて、そして話そうとしないんですか?」
「どうしてって……」
「リナさんの想いから逃げているんです。私から逃げることや、他のことから逃げるとはわけが違います。だって、先輩にとってリナさんはすごく大切な人なんですよね。なら、なら……」
ルミは今にも泣きそうな声をしていた。
彼女は苦しそうに言葉を発する。
「ならどうして、リナさんの想いから逃げるんですか。1人で悩んでいないで、2人で話してください。そうしてください。お願いです。そうしないと、きっと先輩は幸せにはなれません」
幸せになれない。
私が。
でも、それは。
私なんか。どうでもいいのに。
「本当は私が幸せにしたかったんです。きっとそうすれば、先輩の心が手に入ると思ったから。でも、それは無理なことですから。先輩の心の穴を塞いで、幸せの箱を埋められるのは、リナさんだけなんですよね。それは私にもわかってます」
「そんなこと……」
そんなことはないはずなのに。
ルミだって、私にとって大切な友人なのだから。
そう思ったけれど、彼女は首を横に振る。
「慰めはやめてください。私じゃ、無理です。私にできるのは精々繋ぎとめるぐらいです。ミューリ先輩も気付いているんですよね? リナさんといたら、幸せだって」
「それは……」
どうなのだろう。
幸せ、かはわからないけれど。
でも、この数日彼女と共にいた時間は、とても穏やかで。
そして息ができていた。今は難しくなり始めた呼吸ができていた。
「気づいていないんですか? 先輩、リナさんのこと話すとき、すごく楽しそうですよ。前とは違いますね」
「そう……なの?」
「はい。なのにどうしてですか。どうして幸せから逃げてしまうんですか」
何故か。
そんなつもりはないけれど。でも、そうなのかもしれない。私は自ら、あの穏やか時間を手放したのだから。
でも、それは。
「そうしたほうが、リナが幸せになれると思って」
「それも推測ですよね。リナさんが望んだことじゃないんですよね」
「けれど、私といても何もあげられない。そんなの、だめだよ」
「リナさんにそんなこと言われたんですか? 言われてませんよね」
たしかに、そうだけれど。
多分きっとリナは私といることを望んでくれるけれど。
でも、それは。
「一緒にいたら嬉しい人が、一緒にいることを望んでくれているんですよね? なら、そこに乗っかればいいじゃないですか」
「そんな。そんな単純な事じゃ……」
「単純な事ですよ。先輩は気にしすぎなんです。未来のこととか、自分の感情の事とか、難しいことばかり、答えのないことばかり気にしすぎなんです。どうだっていいじゃないですか。そんなこと」
単純なことなのかな。
わからない。
けれど、考えているたくさんのことが答えのないことばかりというのは、当たっている気がした。
「好きな人と共にいれる。その幸運をどうして手に入れないんですか? 何をそんなに怖がっているんですか?」
「怖がってる、のかな」
怖がっている、のかもしれない。
たしかに私は色々なことが怖い。
リナを傷つけるのも、リナの幸せを奪うのも怖い。
けれど、理由はわからない。
「はい。先輩は怖がっているように見えます。私には、わかりません。聞き出すことも、きっとできないと思います。先輩にもわからないでしょう。考えても、きっとわからないことです。わかるために、話してください。リナさんと。そうすればきっと、全部わかります」
そうなのかな。
でも、もしそうなら。
怖がっている理由が分かれば、リナへの感情の正体も少しはわかるのかな。
「もう、なんでですか。どうして私がこんな。敵に塩を送るみたいなこと……」
ルミは涙目で何かに毒づくように言葉を吐く。
「でも、私は先輩は話すべきだと思います。なにもわからなくても、感情がわからなくても……いえ、わからないからこそ、話すべきです」
ルミの言葉が怖くないのは、多分私を想って言ってることがわかるから。
多分、それがわかるのは、彼女が想いを必死に伝えようとこうして話してくれるからだろう。きっと、ルミが言いたいのはそう言うことなのだと思う。
「リナさんと話して、そして想いを探してみれば、そうすればきっと、何かがわかるはずです。それが先輩の望む結果になるなんて、そんな甘いことは言えません。でも、このままじゃ、あまりにもリナさんがかわいそうです」
可哀想。
どうして。
「可哀想、なの?」
「はい。だって必死に想いを伝えたのに、無視されるなんて。なかったことになるなんて、そんなの辛すぎます。それは確実に不幸です。悲しいことです」
「そう、なんだ」
「はい。経験してますから」
それが私への想いのことを言っているのは、鈍い私でもわかった。
けれど、それに何かを言う資格は私にはない。何も言うことはない。
でもリナに対してなら、言葉が見つかるかもしれない。
「……このままじゃ、リナは不幸なんだね」
「そうですよ」
「そっか……なら、うん。話してみる。どうなるかわからないけれど」
「やっとわかってくれましたか」
「ルミ、ありがとう。少し……うん。じゃあ。戻ってみるよ」
私はそう言って、立ち上がる。
そんな私にルミは何かを言おうとするけれど、言葉を詰まらせる。
そして一瞬の沈黙の後に、言葉を絞り出す。
「また……会えますか?」
「……うん。そうだね。またいつか」
私の言葉にルミはにこりと笑った。
そして私はそんな彼女に背を向け、来た道へと視線を向けた。