第95話 道端を歩き、迷いを見つけて
「こちらです」
エミリーに連れられて、私は家の奥の部屋へと招かれた。
そこはたしか、私が居たときには空き部屋になっていた場所だったけれど。
中には畳まれた布団や、整頓された本や紙などが置いてある。
多分、今ここは彼女の部屋なのだろう。
「座ってください」
「あ、えっと。ありがとうございます」
備え付けられていた木の椅子を借りる。彼女も同じような椅子に腰かける。
どうやら腰を据えないといけないぐらいには長話が始まるらしい。
まぁ、ここまで逃げてこられたのがおかしなぐらい、話さないといけないことは沢山あるのだと思う。私にはあまりないけれど、エミリーからすれば、沢山。
「リナには眠ってもらいました。そうしないとあなたと話をするのは難しそうでしたから」
リナはどこに行ったのだろう。そんな疑問を見透かしたかのように彼女は呟いた。
そして私を見据える。その眼はとても力強くて、どこか恐ろしい。
「ミューリさん、あなたには感謝しています。リナを治していただいたことは本当に。リナがまだ生きていて本当に良かったと思っています」
何だかくすぐったい。
まさか感謝から始まるとは思いもしなかったから。
「いや、別に……私はただ、そうしたいと思っただけですから……」
けれど感謝される筋合いはない。リナに生きていてほしいというのは私の願いなのだから。
そしてそれを叶えられたのはエミリーがリナのことを知らせてくれたからでもある。そう思えば、私の方が彼女に感謝しなくてはいけないのかもしれない。
「いえ、感謝しなくてはいけません。誰にも治せないような病気を一夜のうちに治してしまったのですから。それに少なくない代償があったのでしょう?」
びくりとする。
まさかエミリーの口から蘇生魔法の代償についての話が出てくるとは思っていなかったから。
「……どこで、それを」
「簡単にわかりますよ。あの時のリナの焦り様を見れば」
リナが目覚めた時のことかな。
……そんなに焦ってくれたんだ。
「だからこそ本当に感謝しています。しかしながら聞きたいことがあります」
すぅっと息を吸う音が聞こえる。
審判の鐘の音のようで。
「ミューリさん、あなたはリナとどのようなご関係なのですか」
「どのような……」
視線を少しずらして答えを考える。
友人、ではあると思う。けれど、正確じゃない。
なら、恋人? 昔はそうだと思っていたはずだけれど。リナから好きと言われた時、私も彼女のことが好きだった時。そうだと思ったけれど……その時から間違えている気もする。
もう昔の気持ちを覚えていない。
記憶が曖昧で、上手く引き出せない。
穏やかで温かかったことは覚えているけれど……でも、それ以上のことはわからない。恋人、だったのかな。
まず、あれは恋だったのかな。
それすら、今の私にはよくわからない。
「えっと……」
「……質問を変えましょうか。リナをどのように思っているのですか?」
いつまでも答えを出さない私を見限るように、問いは変わる。
けれど、その問いにも私は上手く答えを返せない。
「初めて会った時に言いましたよね。『リナには私のことを忘れていて欲しい』と。どうやら今はそうではないように見えます。リナとの問題は解決されたんですよね?」
「どう、なんでしょう。互いの勘違いを正したと言った方が良いかもしれませんけれど」
エミリーは私の答えを聞いて、一度瞬きをする。
相変わらずその視線は強い。やっぱり怒っているのかな。でも、こうして話しても怒りのようなものは感じないけれど……
「リナは、ミューリさんのことが好きなのでしょう。それはわかります。しかしながら、あなたはどうなのですか? あなたはリナを愛しているのですか」
「あい、してって……」
そんなことを言われても。
私にはわからない。
愛なんて、知らない。
わからない。
何かを思ってはいる。想っている。
リナのことを、想っているけれど。
でも、これが愛なのかと聞かれても、私にはわからない。
私の中に在る感情は、未だに私にもはっきりとはわからない。けれど、想っていること自体は知っている。
「それは、わかりませんけれど……でも、リナは私と一緒にいたいと言ってくれました……だから」
「だから、一緒にいると言うのですか」
エミリーは、私の言葉に被せる。
それはまるで問い詰めるようで、絞り出そうとした私の言葉が虚空へと消える。
「自らの意志ではないと。そう言うのですね」
「そ、れは……」
わからない。
リナと共にいると温かい。一緒にいたいけれど。
でも、私の意思で一緒にいるのかと言われれば、よくわからない。私は流される人だから、自分の意志というものがどこにあるのかはよくわからない。
辛うじてわかるのは願いぐらいで、それもリナには幸せに生きていて欲しいという曖昧なものでしかない。
「ならば、譲っていただけませんか」
「ぇ」
自分でも驚くほどに小さな声が漏れる。
声が上手く出ない。エミリーの言っていることがよくわからなくて。
「その立場を譲ってほしいのです。こんなことを言うのは厚かましいのはわかっています。助けを乞うたのは私で、それをあなたは叶えてくれました。感謝しています。しかしながら、リナの隣に必要なのは私ではないでしょうか」
「そ、ぅ、ぇ」
どうしてそうなるのかわからない。
私は頭の中で浮かぶ様々な疑問に呑まれそうになりながら、かろうじて反論を見つける。
「でも。リナは……私といたいって……」
「だからこそ、あなたにお願いしているのです。ミューリさんから離れれば、リナも諦めがつくでしょう。彼女とふたりなら、私には彼女を幸せにする自信があります」
幸せに、できる……
リナを幸せにできるとエミリーは言っている。
きっとそれは、私にはできない。
私はどちらかと言えば、幸せを奪う側の人だから。
「な、なんで、ですか。やっぱり、私に怒ってるからですか……?」
恐る恐る問いを投げる。
けれど、エミリーは不思議そうに間を取る。本当に何のことかわかっていないようだった。
「怒っている? いえ、そんなことはありません。ミューリさんが、リナと仲直りできたようで、良かったと思っていますよ。ただ……」
そこで彼女は少し言葉を区切る。
言いよどみ、言いづらそうに言葉を詰まらせる。
「ただ、あなたとリナを見ていると不安になります。リナはあなたのことが好きなようですけれど、でも、ミューリさん、あなたの想いがよく見えないからです」
私の想い……
それがわからないから、この場を設けたということだろう。そのことを思考の片隅で理解する。
それはわかっても、自分の想いはわからない。
「あなたにリナから離れて欲しいと願ったのは、それが理由です。ミューリさんには、リナの想いに応える気がないように見えましたから」
「そんなことっ……そんなことは……」
ないとは断言できない。
だって私は今までも、沢山の想いを踏みにじり生きてきてしまったのだから。
「決めつけるようにして申し訳ありません。けれど、リナはこれまでたくさんの人を助けてきました。自らを犠牲にして。もうこれ以上彼女が何かをする必要はないと思います。私は確実にリナに幸せになってほしいのです。ミューリさん、あなたがリナを愛していて、幸せにできると言うのなら、こんなことは言いません。しかし、そうではないのでしょう?」
愛して、幸せにする……意味は分かる。けれど、方法がわからない。覚悟もない。空っぽで流されるばかりの私には、何もない。
今、リナは私といたいと言ってくれている。
彼女の想いは私に向いている。
それは確信できる。できるけれど、でも。
私には、リナを幸せにする自信なんてあるわけがない。
これまでの日々で、彼女が幸せだと言ってくれたことはあるけれど。
でもその幸せを持続できる自信がない。
それどころか、いつか壊してしまう予感ならある。
「リナの幸せを願うのは、私も同じです。ミューリさん、あなたの意志は私が引き継ぎます。それでは、いけませんか?」
リナの幸せを願う。
私にその感情を否定できるわけもなく、ただ黙ることしかできそうになかった。