第94話 氷の上、想いが流れて
私がこの家に来てから、つまりは蘇生魔法を使った日から、もう数日が経った。
まだエミリーとは話せていない。軽く挨拶ぐらいはしたけれど、それぐらいしかしていない。
それは単に私が逃げ続けているからなのだけれど。
でも彼女からも無理に接触しようとはしてこない。
意外と怒っていないのかもしれない。
……そんなわけはない。それはわかっているけれど、でもどうすれば良いのかは相変わらずわからない。
それとも納得してくれているのかもしれない。自らの想いをすでに自分の中で決着をつけている説もある。もしそうなら、私がこの問題に対して話そうとするのは、問題を蒸し返すことにもなりかねない。
そんな風にも考えていたら、数日が過ぎていた。
そして今日も朝が来る。
朝と言っても、もう日は結構昇っている。
私はあまり朝には強くないから。
それに、夜遅くまで起きてしまっているのも原因だろうけれど。
別に早く寝られるなら、寝たいんだけれど、まだちょっと緊張する。
リナの隣で寝るのは、どこか緊張する。なんだか本当にここにいていいのか、不安になってくるというか……わからなくなってくる。
夜は酷く朧げな世界だからかもしれない。
全部が夢のように見えてきて、これが走馬灯のような気がしてくる。寝てしまえば、もう全部が泡と消えてしまうような。
だからあまり寝つきはよくなれない。
そんな風にしていれば、リナが私を手を握ってくれる。
それでなんだか少し安心して眠りについて、彼女に見つめられながら目を覚ます。毎日そんな感じだったけれど、今日は少し違うらしい。
扉を開ける音で目を覚ました。
薄っすらと目を開ければ、ちょうどリナが外へと出ていくところだった。
どうやらエミリーに呼ばれたらしい。
起きて彼女がいないのは寂しい。
けれど、まぁ特にやることは変わらない。
もう少しばかり寝ていても大丈夫だろうけれど、私はのそのそと身体を動かして、軽く支度をする。重たい身体だけれど、なるべく早く外に出たい。
酷く寒い外にわざわざ行くのは、どうかとも思うけれど、エミリーと同じ家にいるというのはどうにも緊張して辛い。
それに、ここ毎日はリナと一緒に外に出るのが習慣になっている。
どこに行くかは毎回決まってるわけじゃなくて、大体リナの案内に連れられて散歩しているだけなのだけれど。でも、楽しい時間で。
逃げるために始まった朝の散歩だけれど、今では密かに楽しみにしている。
でも、今日は少し違う。
初日と同じで、リナがこの部屋にいない。
彼女と一緒に外に出たいのなら、居間で立ち止まらないといけない。
そうなれば、エミリーからの視線を受けてしまうのも確実なことだけれど、やっぱりそれは怖い。
でも、独りで出ていけば、それこそリナを不安にさせてしまう。
それは嫌だ。もうこれ以上、リナを傷つけたくはない。既にたくさんの傷をつけてしまっているのだから。
扉をゆっくりと開く。
それと同時に2つの視線が私を捉える。
「ミューリ、よく眠れた?」
「う、うん。あの、リナ」
「今日も、外行く?」
リナから、提案してくれたことにほっとする。
話が楽で助かる。
「うん。そうしようかと思って」
「わかった。じゃあ、エミリー、また」
そう言って、リナは立ち上がり、私の手を取り玄関へと歩く。
「あの」
不意に声がする。
リナの声でなければ、もちろん私の声でもない。
エミリーが立ちあがり、こちらを見ていた。
ごくりと唾を呑みこむ。
ついに何か言われる。そんな気がして。
けれど。
「私もついていっても構いませんか?」
けれど、発された言葉は予想と違っていた。
一瞬、それは困ると思った。だって、私が外に出ているのはエミリーから離れるためなのだから。
「あ、うん。ミューリ、いいかな?」
リナは私の判断を仰ぐ。正直、あまり断るのも忍びない。
というか、ここで断れば、いよいよエミリーと仲良くなるのは無理だと思う。仲良くなれるのかな……まだ期待していいとは思えないけれど、そんな簡単に期待を捨てられるほど私は大人じゃない。
「えっと……はい。もちろん」
「ありがとうございます。すぐに準備しますね」
ということで、今日の朝の散歩は3人になった。
けれど、なんだか緊張する。でも、なんで今日は急にエミリーもついてくることにしたのかな。
少し考えたけれど、考えてみれば単純なことな気がする。
エミリーはリナが好きだから。想い人と一緒にいたいと思うのは当然なことだと思うし……
「どこか行きたいところはある?」
外に出て、リナが問う。
物思いに耽っていたせいか、それが私に問われたものだと気づくのに少しかかる。
「えっと」
「リナ、あそこはどうでしょう。この前行った湖です」
私がどこでも良いと言うよりも先に、リナの向こうからエミリーが答えを発する。
リナを挟んだ並びになったのは助かる。エミリーと隣り合わせになっても上手く話せないだろうから。
「い、いいですねー……」
「そう? じゃあ、そこにしようか。えっと、こっちだったかな」
上手く相槌を打てていただろうか。
なんだか微妙だった気もする。
どうしたらいいんだろう。
こうして共に散歩をしていても、人と仲良くなる方法なんてわからない。それも私を嫌ってそうな相手を。
嫌ってる……というのかはわからないけれど。
でも、敵だと認識していてもおかしくはない。
私はできれば彼女と仲良くしたいのだけれど。
でも……これは、私の勝手か。
もしも逆の立場なら。
私がここに来た時は、リナとエミリーは恋人なのかと思っていたけれど、あの時は彼女達を見て、酷く苦しくなったのを覚えている。
もう死んでしまうから、それぐらいだったけれど。でも今なら、もっと別の感情を覚えていてもおかしくはない。相変わらず私の感情は読み取れないから、わからないけれど。
「ミューリは、どう?」
思考の渦に呑まれている私を、リナの声が現実に引き戻す。
「ぇ? あ、ごめん。えっと」
「暑いのと寒いのどっちがましかなって」
「私は……寒いほうがましかな」
暑い日はちょっと燦々としたとした明かりが眩しそうで困る。
寒いのも、寂しくて嫌だけれど、こうしてリナが手を繋いでくれるなら、寒さなんて怖くはない。
「私は暑いほうが楽ですかね。やはりこの辺りは雪が降ると困りますから。1年前の17遺跡の時も覚えていますか?」
「あー、うん。入口が分からなかった時だよね。あれはたしかにちょっと困ったかも」
リナとエミリーの会話を聞きながら、それなりの距離を進む。
やっぱり、3人だと、何を話せばいいのかわからない。
なんとなくの相槌を打つぐらいだけれど、これで合ってるのかな。
新しい人と関わることなんか、ここ数年なかった。
いや、正確にはあったのだけれど、大抵はもっと距離のある関係ばかりで、こんな近くに人が来たのはそれこそルミの時以来。あの時、ルミのおかげでルミとは仲良くなれたけれど……今回は多分そうはならない。
エミリーとの関係を良好にするには、もう少し頑張らないといけないのに。でも、考えれば考えるほど、余計にどうしたらいいのかわからなくなってくる。
「やっぱり、凍ってるね」
それなりの距離を歩いてついた湖は、氷に閉ざされた場所だった。
周りの木々との雪景色が綺麗で、なんとなく絵になる光景で思わず感嘆を零す。
「そうですね。滑ってみますか?」
「そうする? でも、氷の厚さとか大丈夫かな……」
そう言って、リナとエミリーが湖へと近づいていく。その半歩後ろから私も、彼女達の背を追う。
エミリーは軽く氷を叩いたりして、氷の上へと足をつける。
「大丈夫そうですね」
エミリーが軽く氷をけると、流れるように彼女の身体が氷の上を滑りだす。
「ミューリ、ほら」
「私には、無理だよ」
身体強化魔法が使えない私にできるはずがない。
というか氷の上を魔力を回することで滑るというのは、それなりに高度な技術なはずで。エミリーもリナもそう簡単にやるほうがおかしいのだけれど。
だからこそ余計に私にできるはずはない。
「大丈夫、私の手を握って?」
リナはそうして手を差し出す。
その手に恐る恐る触れる。しがみつくように彼女の手を取る。
そして氷に足をつける。
その瞬間、なんだか今にも転んでしまいそうな気がして、やっぱりやめておこうかと思ったけれど。
「いくよ」
「あ、ちょ」
それよりも早く、リナは滑り出す。
それにつられて、私も氷の上を流れる。
視界が回る。
必死に彼女の手を握る。
「あっ」
それでも転びそうになって、私の視界が揺れる。
気づいたら、私はリナの腕の中で抱えられていた。
「大丈夫?」
「……う、うん」
急に彼女の顔が近くなって、少し熱を帯びるのを感じる。
彼女の熱のせいか。それとも。
「ごめんね。怖かったよね」
「けれど……大丈夫」
「なら、良かった」
そして氷の上を流れていく。2人で。
視界が回り、彼女以外の景色がぼやけていく。
まるで私達だけみたい。
そんなことを考えている間に、私達は滑り始めた地面の上に戻ってきた。
「降ろすよ」
「あ、うん。ありがと……」
もう少しぐらいは、あのままでも良かったけれど……そんなことをほんの少し思う。
「リナ、終わりましたか?」
その時、不意に声がする。
エミリーのことを忘れていた。先に彼女は陸に戻ってきていたらしい。
「あ、うん。エミリーも、もういいの?」
「はい。久しぶりに滑ると楽しいですね」
「そうだね。ミューリは、どうだった?」
「え、まぁ。楽しかったよ。ちょっと怖かったけれど」
けれど、リナのおかげで怖くはなかった。
その言葉を呑みこむ。エミリーの前でそれを言うことはできない。
というか、さっきのことも彼女に見られていたのかと思うと、ちょっと後悔してくる。まるで見せつけているみたいになってしまっていたらどうしよう。そんなつもりはないんだけれど。
「えっと、これからどうしましょうか」
どうするのかな。
私はもうこうなるのならなんでもいいけれど。
そう思いながらぼんやりとしていれば、視界の端で白いものが降るのを見つける。
「あ、雪ですね」
「ほんとだ……そろそろ、帰ろっか。吹雪になったら困るし」
リナのその言葉通りに、すぐに吹雪になった。
そこまで酷いものではなかったけれど、身体強化魔法も使えない私には辛いもので、リナに手を引かれなければ、歩くこともできない。
……相変わらず、私は彼女に頼ってばかりらしい。
「ただいまー。ひゃー、すごい雪だねー」
「私、火をつけてきます」
「あ、ありがとう」
エミリーがそういって、一足先に奥へと消える。
私も何かをしたほうが良いかと思ったけれど、何をすればいいかもわからなければ、できることも何もない。
「ミューリ、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫だよ」
そうは言ったものの、吹雪に当てられた身体は震える。
リナはそれを見て、私の頬に触れる。
「すごい冷えてる。暖かくした方が良いよ。毛布出してくるから。ちょっと待ってて。部屋の布団使っていいから」
「ぁ……」
そう言って、リナもどこかへと消える。
私は1人玄関に残され、何をしたらいいかもわからない。
私はとりあえず、部屋に戻り、布団を羽織る。
冷え切った身体が少し温まる気がする。
手のひらに白い息を吐く。
本当に寒い。
早くリナに戻ってきてほしい。毛布とか要らなかったのに。リナがいれば、それで大丈夫なのに……
でも、こうして助けようとしてくれるのは嬉しい。
嬉しいけれど、助けられてばかりな気がする。これじゃあ、前と同じ。それは、あんまり良くないと思っていたのに。
扉が開く音がして、そちらを向く。
「あ、り」
そして私は言葉が詰まらせる。
光景が予想と違っていたから。
「ミューリさん、少し話せますか?」
そこにいたのはリナではなかった。
薄明かりの下にエミリーが立っていた。感情の読めない表情と共に。