第93話 夢に触れて、想いが分からず
また夢らしい。
だって、目の前には彼女がいる。
寝ている私を覗き込むように、リナが私を見つめている。
思い上がりかもしれないけれど、愛おしそうに見つめてる。
本当に夢らしい光景だと思った。
夢でないとありえない光景だとも。
「おはよ。よく眠れた?」
「ぁ……」
「まだ寝ぼけてる? もう少し寝てても大丈夫だよ」
そんな彼女の手が私の髪に触れる。
ほのかな、けれど確かな熱が伝わる。
まるで夢とは思えないほどに確かな熱が、身体の芯まで届く。
「ぇ、あ……」
ひらりと白い髪が視界の端に舞い落ちる。少しくすぐったいけれど、嫌じゃない。嬉しい。すぐそこに彼女がいるのを感じるから。
それでようやく私の意識も浮上してきた。
夢じゃない。これは夢じゃない。
今までは夢かと思ってしまうような光景だけれど、昨日私は色々あって……本当に色々あって、またリナと共にいることになったのだった。
「ぅん……」
けれど、なんだか彼女が遠い気がして、思わず小さく手を伸ばす。
それを引っ込めるよりも早く、彼女が私を手を取る。
「どうしたの?」
「……えっと」
言葉にしていいものかわからない。
こんなにもリナに近づく資格が私にあるのかな。
でも、今ぐらいは……
「もうちょっと、近く……」
そう呟ければ、リナは満面の笑みを浮かべて、身体を寄せる。
それがなんだか暖かくて、安心する。
これまでずっと寒いところにいたことなんて、嘘のよう。この温もりをずっと求めていた気がする。
「嬉しい。ミューリとこうしていられて」
「私も、嬉しいよ。またこうできて」
本当に懐かしい。
懐かしい感覚に包まれる。
彼女の膨大な熱量に包まれるこの感じ。
「好きだよ。ミューリ」
「私も」
そして彼女の想い。
それに応えるようとして、そして言葉を詰まらせる。
私はリナをどう思っているのか。
好きなんだっけ。
昔の私は、リナが好きだったはずだけれど。
今の私は?
「ぇ、っ……」
言葉が出ない。
想いを言葉にできない。
沈黙が流れる。何かを言わないといけない。
けれど、私の口はぱくぱくとするだけで、音を奏でそうにない。
その時、軽く戸を叩く音が部屋に響く。
「リナ、今、少しいいかしら」
エミリーの声が扉の外からする。
「あ、うん。今行くよ。えっと、ミューリは、どうする?」
ぱっと彼女が遠くへと離れる。
それを酷く寂しいとも思ったけれど、同時に助かったとも思った。あのままの沈黙に耐えられるとは思えなかったから。
「まだ寝ておく?」
「あ、うん。そうしておこうかな」
「わかった。ゆっくりね」
今、エミリーと話すのは得策じゃない気がした。
だから、私は布団をかぶる。
けれど、いつなら機会が良いのだろうか。
いつでもあんまり良くない気もする。
だって、エミリーはリナが好きだと言っていた。正確には愛しているって。
彼女からしてみれば、私は酷い泥棒猫に見えている気がする。
元々、私はリナと関わるつもりはなかったし、嘘をついたつもりはないけれど、結果的には酷い嘘をついてしまったことになっている。そんなつもりは本当になかった。というよりも、想像もしていなかったのだけれど……
多分、リナはエミリーの想いに気づいてはいないのだと思う。
私が話すべきなのかな。まぁ……そうなのだろうけれど。
でも……私には難しい。
多分、エミリーは私に怒っているのだろうし……そんな人と話す術を私は持たない。どうすれば納得してもらえるのかな……いや、許してくれないか……
私はこれまで誰かの怒りを解除する術を知らない。
私に怒りを覚えた者達から、逃げてきた。ずっと逃げて、そして許されることを知らない。どうすれば険悪な関係を変えられるのかを知らない。
私から、謝った方がいいのかな……
でも、謝ることなのかな。悪いことをした気はしない。結果的に嘘をついたようにはなってしまったけれど、私は悪いことをしたとは思っていないし。
それに謝れば、謝るだけ相手の怒りを増長させてしまうかもしれない。そうなったらもうどうしたらいいかわからない。
できれば、エミリーとも仲良くしたい。
これからリナと共にいるのなら、リナの友人であるエミリーとも仲良くしたほうが良いと思う。そうしたほうが、きっとリナの隣に長くいれる。
けれど、どうしたらいいかわからない。
わからなくて、気分が悪くなってきた。
ちらりと扉を見る。
あの扉の向こうにはエミリーがいる。もしも今、彼女が入ってきたら私に逃げ場はない。
一旦、逃げよう。
私はそう決意した。
扉を開け、居間へと出る。
そこにはエミリーとリナが机を挟んで向かい合っていた。こちらを見る2人の視線に耐えきれず、私は視線を外して、逃げるように玄関へと向かう。
「ミューリ、どこか行くの?」
リナの声が私の歩みを止める。
視線が痛い。特にエミリーの方の。気のせいかもしれないけれど。
「う、うん。ちょっと外に」
私はそれだけ絞り出して、外へと飛び出した。
もうこれ以上、あの場所にいたくない。
あまりにも怖い。
誰かの怒りに触れるというのは、とても恐ろしい。
どうしてかはわからないけれど、母に怒られた時も、先輩に怒られた時も、私は怖くて、ただ逃げることしかできなくなってしまう。
今も荒い息を呑むことしかできない。
また逃げてしまった。
多分、私はせめて向き合うべきだったのに。
「はぁ……」
無駄に晴れやかな空の下、雪の中を歩き出す。
昨日まではこんな悩みなかった。
だって昨日で死んでしまうつまりだったのだから。
生きるって難しい。難しいことばかり。
疲れる。死んでしまうほうが楽だったかな……
寒い。
冬だから当たり前かもしれないけれど。
まだ本格的な冬というわけではないはずなのに、身体が冷える。
ここからどうしよう。
とりあえず逃げ出してきたは良いけれど……
「ミューリ!」
不意に私を呼ぶ声がする。
そちらを見れば、リナがそこに立っていた。
彼女は軽く駆けて、私の前で止まる。
「私も、一緒に行っていいかな」
「ぇ。い、いいけど」
そう答えれば、彼女は嬉しそうに笑って、私の手を取る。
朝も感じた熱が伝わる。さっきまで寒かったことなど嘘のように。
「あ、これ、持ってきたよ。寒いかと思って」
そう言って、リナは外套を羽織らせてくれる。
「どうかな。暑くない?」
「うん。暖かいよ。ほんと……暖かい」
「なら、よかった」
本当に暖かい。そして温かい。
外套のおかげだけじゃないことは分かっている。
こんなにも想いの熱とは強いものだっけ。忘れていた。ずっと忘れて……いや、忘れているふりをしていた気がする。
「どこに行くの?」
「別に、決めてない。ちょっと散歩、みたいな」
「そっか。えっとじゃあ、行きたい場所があるんだ。いいかな?」
「あ、うん。わかった」
そしてリナと共に歩きだす。
なんだか本当に昔に戻ったみたいだった。
同じような道を、昔もこうして歩いた記憶がある。あの時も、リナについて行った。
……どうして彼女は隣にいるのに、ついて行く感じがするのかな。握られた手を引っ張ってくれている気がするからかな。
それとも、私が意思を持たないからかな。ただ流されるだけの人だからな気がする。
まぁ、いいか。
リナに流されるのなら、それで。
「あ、ご飯、食べてないよね? 朝ごはん」
「そう、だね。うん。まだだよ」
言われてみればそうだった。
別に朝ごはんぐらいなくても、困らないけれど。
「食べに行こうよ。良い所、知ってるんだ」
そして彼女が私を連れてきたのは、駅の近くにある焼き菓子屋だった。
甘い匂いがする。おいてある菓子はなんだか変な色のものばかりだけれど、あれで完成系なのかな。
「ミューリ、どれがいい?」
「えっと……わかんない。なんでもいいよ」
紫とか緑とか……本当に食べ物の色なのかな。
まぁ、リナが良いというのだから、美味しいのだろうけれど、でもどれにすればいいかはわからない。
「リナのおすすめがいいな」
「うん。わかった」
そうして彼女は紫色の菓子を2つ買った。
「はい。どうぞ」
「ありがとう……」
袋に閉じられたそれはとても熱くて、思ったよりも大きい。食べきれるかな……それに、この距離までくれば、余計に甘い匂いが強い。
美味しそうだけれど、見た目は紫で少し怖い。
「暖かいうちに食べよっか」
私達は、近くの建物の壁に背中を預ける。
少し緊張したけれど、美味しそうに食べるリナを見れば、私も意を決して口にいれる。
「美味しい?」
「……うん。美味しい。あったかい……」
「良かった。また、食べにこようね」
なんだか懐かしい。
昔もこうして彼女と色々なものを食べた。
……あの時の私は、どんなふうにリナを見ていたのかな。
今の私は……
「はー、寒いね」
彼女が白い息を吐く。
それを見ながら、菓子にぱくりとかじりつく。
一度食べてみれば、紫という色もおかしくないような気がしてくる。
夢中になって食べていれば、大きいと感じた菓子もすぐに無くなってしまう。
「ごみ、貸して?」
「え、うん」
リナが軽く手を振り、2つの袋を灰に変える。
灰は無数の塵となって、空中へと消えていく。
相変わらず、綺麗な魔法。
ほとんど発動時の魔力変動は感じなかった。私の魔力感覚が弱いだけかもしれないけれど。
「そろそろ帰る?」
そう言って、彼女が私の手を取る。
「あー、えっと」
あまり帰りたくはない。
エミリーがいるから。
まぁ、いつかは帰らないといけないわけだけれど、もう少しぐらいは外にいても大丈夫だろうし。
「もうちょっと外いようかな」
「うん。わかった」
「あ、リナは先に帰ってても大丈夫だよ。あとから帰るから」
あまり考えずにそう口に出す。
リナにも予定があるかと思って。寒いかもしれないと思って。それぐらいの気持ちだった。
けれど、彼女は狼狽えたように、繋いでの指を動かす。
「ミューリは、」
リナは言葉を詰まらせる。
目を伏せて、言葉を探しているようだった。
「帰って、戻ってくるよね? どこかに行ったりしないよね?」
リナは酷く不安げに問う。
こんな彼女は珍しい。けれど、見たことがないわけじゃない。前に見たのはたしか……
「う、うん。そのつもりだけれど……」
もしかして、驕りでなければ、彼女の不安は私がどこかに行ってしまうことなのかもしれない。だから、彼女は。
「だから、ついてきたの?」
「……うん。前みたいにどこかに消えちゃって、私の手の届かないところに行っちゃったらって……怖くて」
確かに、逃げ出すように出てきてしまったから。
エミリーから逃げ出すように。
「あ、あのさ」
ちょっと勇気を出す。
ほんの少しだけでも、昔みたいにリナに想いを伝えたくて。
「もうちょっと一緒に、いる? 一緒に散歩しようよ」
帰りたくはないけれど、別に1人になりたいわけでもない。
リナといたくないわけでもない。
ただ帰りたくないだけで。
「いいの?」
「うん。一緒にいて欲しい」
それは多分、素直な気持ちだった。
それほどまでにリナの想いは暖かくて心地が良い
「そっか。ありがと」
リナは嬉しそうに笑顔を浮かべる。
それを見れば、少しの勇気も意味があったように思える。
……本当にエミリーに対しても、こうして向き合わないといけないのだろうけれど。
もう少し。
もう少しだけ。
この熱を何も考えずに受け止めていたい。