第89話 終末的な願望
少しでも早く、少しでも遠くへ行かないと。
リナが目覚めるより早く。
彼女に私の存在を見られたくはない。
そんな思いと共に足を動かす。
今日雪の日じゃなくて良かった。
夜のせいか酷く寒いけれど、それでも雪じゃないから歩みは進められる。
何故私がまだ息をしているのかはわからない。
蘇生魔法は正常に発動した。そしてその効力を持ってして、リナを治した。
けれど、私はまだ生きている。
これを生きているというのかはわからないけれど。
自分でもわかるほどに、私の魔力はもうない。
もう身体の維持はできない。
これから私は死ぬ。
今は、偶々生まれたほんの少しの猶予みたいなもの。
あの部屋で死んでしまうと思っていたけれど、どうやら本当に私は幸運らしい。これならあの場所に不自然な魔力を残すこともない。
蘇生魔法の発動痕跡は残ってしまうから、リナなら察してしまうのかもしれないけれど、確証までは得られないはずだし。
リナに知られずに死ねる。
その機会をなぜか得た。
だから私は遠くへと向かう。
身体は酷く重たい。
力が入らない。
感覚もない。
当然のことではある。魔力がもうないのだから。
それこそ私の魔力情報は酷い状態になっているはずだし。
いつ動けなくなるわからない。
今だって、酷く無理やり動かしているのだから。
視界が暗い。
というより目が開いていないのか。
目が開かない。
開けられるほどに気力がない。
どこを歩いているかもよくわからない
ここがどこなのかわからない。ちゃんと離れられているのかな。
少しも動けていなかったらどうしよう。どうしようもないのだけれど。
酷く億劫な瞼に力を込めて、ほんの少し目を開けば、視界は少しは移動している。
どうやら多少は進んでいるらしい。
進んでいるとは言わないか。
死に場所を求めているだけなのに。
どこで死ねば良いのかはわからない。
ここがどこかもわからない。
私は後どのくらい動いていられるのだろう。
「ぅっ」
視界が揺れる。
鈍い衝撃が来て、転んだことを察する。
地面が無駄に冷たい。
ほとんど感覚は失われたと思っていたけれど、こういう時はやけに感じるものだから不思議というか、厄介というか。それとも単に錯覚か。
立ち上がらないと。
早く離れないと。
リナが目覚めれば、私に気づいてしまうかもしれない。
眩み、歪んだ視界のせいでよくわからない。
私は立っているのか。それとも転んでいるのか。
歩けているのかもよくわからない。
私はとにかく先に進む。
そればかり考える。
それを考えることぐらいが今の私にできる最大限のことで。
二度目の衝撃で、今まで歩いていたことを察する。
冷たい。
雪のおかげか、酷いけがにはなっていない。はずだけれど。
痛みがないけれど、それが怪我がないからなのか、それとも感覚が鈍いからなのかはわからない。
力を込める。
腕に。足に。全身に。
けれど、動かない。
どうやらもう限界らしい。
ここはどこだろう。
どのあたりまで来たのかな。
酷く歪んだ視界ではよくわからないけれど。
近くに大きな木を見つける。
この木には見覚えがある。
昔リナとよく来た丘の上にあった木。
どうやら結構離れたところまで来たらしい。
最後についた土地としては、悪くない。薄らとした記憶だけれど、少なくともこの場所に悪い記憶なんてない。
木を支えに、身体を少し起こす。
酷い息切れの音が深い闇の中に消えていく。
無駄に明るい星々が遠くに見える。
昔、どこかで聞いたことがある。
遠くの星の光の魔力の中には、星が滅ぶ時の崩壊魔力が光となっていることもあるとか。あれは……子供頃にリナと読んだ図鑑に書いてあったのだっけ。
どうして今、そんなことを思い出して……
なんとなく、似ているからかな。私も死ぬときに身の丈に合わない複雑怪奇な魔法を使って死ぬのだから。
次第に辛うじて動いていた身体も止まっていく。
魔力が消えていくのが分かる。
これが死というやつなのかな。
私は今、死の目の前にいるらしい。
ここまでもあまり実感は湧かない。
いつまで経っても本当に現実感がない世界。
私は多分、最初から生きてなどいない。
生きるということに向いていないのかもしれない。
それか生まれてきてはいけない人だったか。
ともかく私は生きている実感というものに酷く疎い人生を生きてきた気がする。だって、そうじゃないとこんなにも死に対して感情が湧いてこないわけがない。
本当に全ての物事に現実感がない。
何もできなかった。
結局、最後まで何もできなかった……いや、リナを助けることはできたのかな。できているといいな。蘇生魔法自体は成功したし、きっと大丈夫だろうけれど。
けれど、それは過去にリナがくれたものを返しただけなのだから。
リナがくれた命を返しただけなのだから。
別に私が何かをしたという感じはしない。
私の力で何もできていない人生だった。
何もしていない人生だった。
もしもここで死ぬことがなくても、永遠にそうなる気がする。
私にはそこまでの意志力はない。
何かを成せるほどの力はない。
その理由がやっとわかった気がする。
私はこの世界に本気で向き合っていない。
ずっとこの世界が現実のように見えないから。
上手く本気で向き合えないのだと思う。
けれど、他の人とは違う。
みんな、この世界を生きている。
現実に生きている。本気で。
だから、何かをできる。何かを思い、想える。
目を閉じれば、色々な人を思い出す。
アオイも、エレラも、先生も、カミラも、ルミも、みんな本気でこの世界を生きている。この現実に向き合っている。
もちろんリナも。彼女も同じように現実に向き合っている。
それは人として当然のことだけれど、同時にとても素晴らしいことで、そんなリナに一時でも好きだと想われたことはやはり幸運だったのだと思う。
多分それだけで満足するべきだった。
そしてそれだけに感謝するべきだった。
けれど、私はそれだけでは満足できなくて。
それ以上のことを、リナに求めてしまった。ずっと私のことを好きでいて欲しいと願ってしまったから。きっと罰が降ったのだと思う。
分不相応な望みをもってしまったから、私には罰が降り、全ては失われてしまった。
だから、私は自らの心すらわからなくなってしまった。
現実に生きることすら許されなくなってしまった。
だから、ルミの想いにもどう応えればいいのかわからなかった。応えたいのかもわからなかった。せめて、向き合うことが彼女に対する礼儀だったのだろうけれど、結局それもできずじまいだった。
本当に勿体ない。
彼女達の美しい想いが私などに向けられたことはとても勿体ない気がする。
もっと別の、私以外の人に向けられたのなら、きっと彼女達はもっと簡単に幸せになることができたはずなのに。
私のような不幸を呼びこむ……いや、幸せを壊すような人を好きになってしまったのが、本当に勿体ない。私にとっては幸運でも、きっと彼女達にとっては不運だったのかな。
きっと、リナもルミもそんなことを言ったりはしないのだろうけれど。
気づけば閉じていた目を開く。
やけにぼやけた視界が眩む。
日の光がでてきたらしい。
眩しい。
いつかも同じ眩しさを見た気がする。
どこで見たっけ。
上手く思い出せないけれど。
でも、確か私はあの光を。
あぁ。
なんだか上手く思考がまとまらない。
最初からだったような気もするけれど。
身体の感覚はもうない。
もう死ぬ。
私はもう死ぬらしい。
感覚はほとんどないと言うのに、やけに寒いことだけが心の芯から感じる。
なんだかこの感覚もどこかで感じた気がする。あの時は酷い熱さもあったような気がするけれど……いつの感覚だったか。それすらもわからない。
上手く記憶が引き出せない。
元よりぼんやりとしていた感覚は、余計に朧げになっている。
けれど、朧げに少し思う。
多分、私は幸せだったのだと。
これまでの人生、私は酷く不幸であると言う風な顔をしてきたけれど、実際のところ私はそこまで酷い人生を送ってきたわけじゃない。
きっとむしろ幸福な人生を歩んできた。
私のような人にはもったいないほどに幸福な人生を。
友達がたくさんできた
少なくても2人も友達になってもらえた。それは幸運だろうし。
それよりも幸運なのが、人に好きになってもらえた。それ自体がとても幸運な事ぐらい私にもわかる。
そんな人が2人も現れたのだから、どこまで幸運なことか。
そして最後の時も自分の意思で決められた。
誰かや何かに流される死ではなくて、自らの意思で選んだ終わりを迎えられる。
それがどれだけ幸運な事か。
そこまでの幸運があって、不幸とは言えない。
ただ、私がこの現実を生きていないから、その幸福を感じとることができなかっただけで、私の人生は幸福だった。はずだから。
だから、多分こうして終わる私の人生は幸福なものだった。
幸せ。
これが幸せ?
きっと幸せなのだと思う。
これが幸福。
なんだかこんなものだったっけ。
私が昔感じていた幸せは。
もう忘れてしまったけれど、もっと私が幸せであったときは、もっと……
あの時と何が違うのか。
もうわからない。
私はもうあの時の感情がどのような想いか忘れてしまったから。
ただ、私が好きになれる人がいた。
私の隣に。私の傍に。触れる距離に。
私の好意を受け止めてくれて、そして私を好きだと言ってくれた人がいた。
だから、幸せだったような気がする。
それはもうないけれど。
でも。
でも、ほんの少し。
ほんの少しだけ、望むのなら。
望みすぎなことはわかっているけれど。
これ以上の幸運を望む資格などないのはわかっているけれど。
死ぬ前に一度だけ。
もう一度だけでいいから。
あの暖かなリナの想いをもう一度、私に注いで欲しい。そしたら私はまた、自分の想いを見つけられる気がする。
ありえないことへの期待。
それと共に、目を開けようとする。
けれど、瞼はもう動かない。
もう二度と私の目は光を映さない。
だからこれは幻覚でしかない。
私の酷い期待が見せたありえない幻覚。
「リナ……」
遠くにリナが見えた。
酷く朧気で、明らかな幻覚が見えた。
やっぱり私の最後に見る光景は彼女らしい。
結局のところ、彼女が一番私の人生に影響を与えてくれたのだから。
リナに命を貰ってこれまで生きてきたのだから。
どんな顔をしているのかはわからない。
幻覚なのだから、最後くらい望んだ顔をしてくれてもいいのに。
まぁ……そこまでは許されないか。
最後に見るには悪くない夢な気がする。
でも、リナは。
リナは笑ってくれてるかな。
幸せでいて欲しい。
きっとリナは幸せになれる人だろうから。
それが私の最後の願い。
それぐらい願いごとは、きっと許されるはずだから。