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信奉少女は捧げたい  作者: ゆのみのゆみ
7章 狭視と固執
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第88話 狭窄的な視界

 そろそろ時間らしい。

 結局何もしなかった。

 一応、最後の日だというのに。


 風通しの良すぎる安宿を出て、夜の雪道を歩く。

 もう遅い時間だから当然だけれど、町には誰もいない。雪端町は、元々そこまで人口が多いわけじゃないけれど、流石にこの辺りは昼間ならもう少し人がいる。

 こんな時間に外を歩くのは怖いけれど、異様なほどに星明かりは強く、街灯は少なくともなんとか歩いていける。


 私はこれから死ぬ、らしい。

 らしいって、決めたのは私だけれど。


 死ぬというのにどうにもやっぱり実感はない。

 直前になれば、怖くなることも考えていたけれど、今のところそんなことはない。


 蘇生魔法を使えば、その実感も湧くのかな。

 あまりそんな気はしないけれど。


 なんだか、本当に実感がない。

 死が近づいているというのもそうだけれど、ここにいる気がしない。

 視界の中がいつまでも実感を伴わない。寒さで赤くなった手を見ても、あまりこれが自分の手だという気がしない。私という存在がどこにいるのか、いまいちわかっていない。

 ずっとぼんやりとした世界にいる。死を目前にした今も、私の世界はぼやけたままで。


 思えば遠くまで来た気がする。

 いや、連れてきて貰った。

 色々な人のおかげで、こんなところまで来た。

 多分、1番はリナのおかげで。彼女がいなければ、私はここに来る前に死んでしまっているのだろうから。

 

 これからリナのために死んでしまっても、嫌だと思わない。

 というよりも良い終わりだと思う。

 私が想像できる終わり方の中でも最も良いかもしれない。


 リナに命を捧げて終わる。

 なんて素晴らしい終わりなのか。


 もう少し求めるのなら、彼女に喜んで貰えたら良かったけれど……それは求めすぎというものな気がする。私のようなものが、自らの終わりを自由に決められるという幸運に感謝しておくべきだと思う。

 本当ならもっと嫌な時に、嫌なやり方で私の命は消えていたのだろうから。


 けれど、きっとリナはこの行動を良しとはしない。

 彼女はいくら私のことが嫌いでも、誰かを殺してまで生きようとはしないだろうから。そういう人じゃない。それぐらいのことは知っている。


 後悔なんてないとは、口が裂けても言えないけれど。

 でも、まぁ悪くない終わりな気がする。

 私が元々想定していた終わり方に比べれば、夢のような終わり方だと思う。


 ルミにも連絡は入れておいた。

 これから死ぬなんて言えば心配させるだろうから、予約通信伝言だけれど。

 この伝言が届く頃には、私はもう死んでいるでしょう……なんて、ありがちな冒頭から始まる文を書くことになるとは思わなかったけれど。


 でも、こんな連絡をしたいと思える人がいてくれるのは本当に幸運なことだと思う。多分、ルミにとっては不運なことなのだろうけれど……でも、本当に感謝をしている。

 彼女のおかげで、酷く寒くて寂しくて孤独でも、孤立はしなかった。きっとそれは、思っているよりも良いことだろうから、感謝している。


 彼女にはずっと悪いことをしてきた。

 彼女の想いにまったく向き合えなかった。

 私には勿体無いほどの想いをルミは向けてくれたのに。


 多分、許されないことなのだろう。

 でもルミは少なくても連絡をくれた。

 本当に感謝してもしきれない。

 それに対する返答が私の死の連絡になってしまうのは、あまり良くないことはわかっているけれど、それでも。


 それでも私はリナの家に来た。

 5年ぶりに来たリナの家は何も変わってはいなかった。

 もちろん私が居たときに比べれば、老朽化しているところもあるのだろうけれど、ぱっと見でわかるほどの変化はない。

 まるで昔に戻ったような。

 ただいまと言えば、リナが出迎えてくれるような。

 そんな幻想を一瞬思い浮かべてしまう。そんなことはありえないのだけれど。


 意を決して、扉を軽く叩く。

 少しして扉が開き、エミリーが現れる。


「お待ちしてました」

「あ、えっと……お邪魔します」


 この家に、お邪魔する。

 もう私はそういう立場になってしまったことを実感する。


「指示通り、リナは寝かせておきました。最近は、一度寝たらそう簡単に目を覚ましませんから、大丈夫だと思います。こちらです」


 リナの寝室も場所は変わっていなかった。

 なんだか少し緊張する。昔はここで私も寝ていたのだけれど、今はエミリーと寝ているのかな。そう思うと、少し入るのを躊躇う。


「わかりました。あとは任せてください」

「……お願いします」


 エミリーは祈るように呟いた。

 なんとなく過去にリナを失いそうになったことを思い出す。

 あの時は誰でも良いから助けて欲しいと思った。まさか私が助ける側になるとは、夢にも思わなかったけれど。


 そう。私が助ける。

 今度はリナを、私が。

 そう思うと少しは力が湧いてくるような気がした。


 意を決して、そっと扉を開ける。

 扉は記憶通りに開く。 


 そこにはリナがいた。

 もう会うことはできないと思っていた彼女が。

 横たわって、寝静まっていた。


 部屋の中は物が増えていた。

 ぬいぐるみや洒落た時計みたいなものとか。

 彼女の物というよりは他の誰かの物なのだと思う。あまりリナがこういった物を買っている印象は湧かない。それこそエミリーの物なのだろうけれど。


「ぁ」


 壁には私の描いた絵がかけられていた。

 まだこれを置いてくれているらしい。もう捨ててしまっても構わないのに。

 

 小さな音共に扉が閉まる。

 リナはぱっと見、何も悪い所はないように見える。本当に死にかけているのかもわからないほどに。


 けれど、その手に触れてみればわかる。

 昔のような魔力が今のリナから感じられない。本当に弱ってしまったらしい。


 でも、彼女の手はあの頃のように暖かい。

 今はもうこの手が私に触れてくれることもないのだけれど。

 

 少し痛い。 

 わかっている。

 わかっていた。


 5年前からずっと。

 もう彼女の目が私を捉えることはないことも。

 もう彼女の熱が私に伝播することがないことも。

 もう彼女の心が私を向いていないことも。

 わかっている。


 はずだったけれど。

 どうにも痛い。

 

 もしかしたら目を覚ませば私のことを思い出してくれるかもしれない。

 私をまた好きになってくれるかもしれない。私もまた彼女への想いを思い出せるかもしれない。


 そんな思いが鎌首をもたげるけれど。

 そんな無為な期待を押し殺す。

 それはあり得ない妄想なのだから。


 そんなのは夢でしかない。

 限りないほどの幸運でもなければ実現しない。

 そしてそれはもう一度起きて、そして壊してしまったのだから、もうありえない。


 私ができることはここで命を捧げること。

 たったそれだけ。

 それだけでもできる幸運に感謝をしないと。


 私の中の魔力に手を付ける。

 こんなのは普段魔法使っている人からすれば、意識することもないほどに基礎的な技術なのだろうけれど、私はこういう所から一つずつやっていかないといけない。


 ……多分、リナが万全ならこうして魔法を使おうとした時点で飛び起きてしまうのだろうけれど。もうそんな余裕もないほどに弱くなっているということなのかもしれない。


 魔力で術式を編む。

 普段はまともに使えることなどほとんどない魔力だけれど、この魔法を扱う時だけは素直に動く。


 ラスカ先生は蘇生魔法に最適化された魔力形質がどうこうと言っていたけれど、私にはよくわからない。ただわかることはこの魔法を使えるのは私だけということだけ。これは私以外には誰もできない。


 術式が構築できれば、後は魔力を流すだけ。

 なのだけれど、私の手は止まる。 

 対象が取れない。

 この魔法は発動対象がいないと言っている。


 やっぱり……まぁ、どうせこんなことになると思っていた。

 蘇生魔法は、リナの状態を致命的な状態だとは捉えていない。まだ生き延びる余地が多分に含まれていると認識している。


 本当に、この魔法の発動条件は面倒くさい。

 私の魔法の強力性は発動条件の難しさにも起因しているらしいから、一概に悪いものとも言えないのだけれど。


 蘇生魔法の対象にならないのなら、リナを治すことはできない。

 このままだと、私はリナを治せない。


 けれど、こういう事態になると思っていた。

 だから、手段は用意している。


 本当はこんな手段を取りたいとは思わないけれど……いや、どうなのかな。私はこうなることを内心望んでいた気もする。


 リナが瀕死か死んでいなければ魔法は発動しない。

 それなら、私がリナを殺す。殺せば、魔法の発動条件を満たす。

 殺す、というのは正確ではなくて魔力情報を破壊すると言った方が良いのかもしれない。

 

 私の魔法の発動条件も、ラスカ先生は解析した。

 魔力情報の記録というのは間違いない。

 もう一つの条件、瀕死又は死亡状態であること。

 この条件はつまり、対象の魔力情報に一定以上の欠落があることということになる。それが私の魔法の詳細な発動条件らしい。


 私の魔法というのは、欠落した魔力情報を記録と対象の情報から補完することで魔力情報の再構築を行う魔法で、原理的に見れば、回復魔法とかけ離れていると先生は言っていた。


 ともかくリナの魔力情報に傷をつければ、彼女は蘇生魔法の対象になる。 

 彼女の寿命がないという状態がどのような物かはわからないけれど、蘇生魔法を使えば助けられるはずだから。


 そのために彼女を殺さないといけない。

 そのための物も準備した。

 

 懐から小さな魔導機を取り出す。

 携帯型魔力分解機。

 短剣型の魔導機で、刺して起動すれば自動で魔力情報に風穴を開ける魔導機。


 かなり高かったし、入手経路も限られている上に、使い切りの魔導機だけれど、これを使えば私でもリナの強力に守られた魔力情報にも傷をつけられる。これを手に入れるためにルミにも無理を言った。


 これなら彼女を殺せる。

 殺す、だなんて。

 本当に私は最後までリナを傷つけてばかりらしい。

 最後には治すから許されるわけもないだろうし。

 私はこれから彼女の命を奪う。


 手が震える。

 もしも殺して、蘇生魔法が上手く発動しなかったら。

 私はただ彼女を殺しただけになる。

 それは怖い。


 でも、少し。

 自分でも驚くことなのだけれど。

 少しばかり生きている気がする。

 ここに来て、少し世界がはっきりと見える気がする。


 リナを殺すのは私が初めてで。

 そしてリナを生き返らせるのも私が初めて。


 彼女を殺すことも、彼女を生き返らせることも。

 ずっとこの時を待ち望んでいたような。

 ようやくこの時が来た、みたいな。


 ずっとこの時を待っていた気がする。

 命を救う、この魔法を、私の意思で使う。

 私が命を奪った、傷つけた大切な人を助けるために。

 それが酷い自作自演だったとしても、すごく許される行為な気がする。


 許される行為。

 ちょっと笑ってしまいそうだった。

 リナに短剣を突き付けたまま思うことじゃない。

 しかもこの短剣を今から振り下ろそうというのだから。


 死にかけているとは思えないほど穏やかな寝息をたてているリナを眺める。

 静かに動く首筋に刃を沿わせる。


 ぬるりと刃が彼女の首に差し込まれる。

 なんだか暖かい。初めての人殺しはそんな感覚がした。 

 酷い気分だけれど、何故かすごく視界が澄んで見える。


 傷から漏れ出た血が首筋に赤い線をつけ、魔力分解を開始する。

 リナの持つ魔力と魔力情報がほつれていく。

 呻き声をあげる暇もなく、彼女の呼吸が止まる。


 その瞬間、蘇生魔法の発動条件はすべて満たされた。そして既に術式は完成している。故に発動した蘇生魔法は、私の魔力の全てを喰らいつくし、その効力を発揮する。


 蘇生魔法の効力とは何か。

 人を生き返らせるほどの回復魔法という認識は、そこまで違うものでもないけれど、蘇生魔法の実態に即しているのかと言えばそんなことはない。


 傷ついた身体を再生するために、魔力情報による自己保全能力を促進する回復魔法に対して、蘇生魔法と言うのは傷ついた魔力情報自体を修正する効力を持つ。

 つまり誰かの傷を治したいだけなら蘇生魔法は必要がない。非効率的過ぎる。


 けれど、魔力情報による自己保全能力というのは、魔力情報が正常に働いている時にのみ正常に機能する。魔力情報自体が破損している場合や、自己保全能力を超えて欠損している場合には、回復魔法では助からない。


 リナの場合は、前者。

 身体に怪我などはない。けれど、その魔力情報を見ればわかる。酷い魔力情報の破損。明らかに負荷をかけすぎた痕跡がある。

 彼女の制限解除の影響であることは明らかだけれど、その影響は想像以上だった。正直、こうして蘇生魔法を通して見ているとリナがここまで人の姿を留めているのは驚くしかない。彼女の持つ魔力強度のおかげなのかな。


 その強力な魔力に私は介入する。

 ぼやけてきた視界も、力の入らなくなってきた身体も今はどうでもいい。

 ただ今やるべきことは、目の前の蘇生魔法の制御に集中するだけ。


 元来、私に魔法の才能はない。

 それは蘇生魔法に対しても例外じゃない。

 だから蘇生魔法の操作などはできない。

 ただ、蘇生魔法の術式が霧散しないように、制御するだけ。


 もっと私が優秀なら、蘇生魔法の操作をしてもっと早く、簡単にリナを治してあげられるのだろうけれど。私にはそれはできない。ただ蘇生魔法が術式通りに動き、魔力情報を修正するのを維持することしかできない。


 それすらも、酷く難しい。

 この蘇生魔法、知ってはいたけれど、暴れ馬が過ぎる。

 こんなものをまともに操作しようというのが愚かな気もするほどに


 けれど、不思議なのだけれど。

 どこか余裕がある。


 余裕……というほどの事じゃないと思うのだけれど。

 ぼやけた視界か力の入らなくなって身体のせいか……なんというか。

 視界が崩れていく。

 世界が崩れていく。


 なんだか、ここにいるのが何故かわからなくなってくる。

 どうしてこんなことをしているのか。

 何をしているのか。


 私は今、どこで何をしているのだろう。

 そんな答えの分かり切ったことを心の隅で思うぐらいには余裕がある。

 なんだか笑ってしまいそう。


 本当に。

 笑ってしまう。


 ここまで来て。

 こんなことを考えているなんて。


 まだ引き返せる。

 蘇生魔法はまだ止められる。

 でも、止めれば再使用に必要な魔力が溜まるまでは、2日以上かかるだろうし、その間にリナが目覚めれば、この魔法の痕跡に気づいてしまう。


 今しかない。

 リナに蘇生魔法を使うなら、今しかない。

 それはわかっている。


 何度も考えて。

 同じことを考えて。


 リナのために命を捧げることを随分と望んでいたはずなのに。

 どうしてこうしているのかわからないなんて。

 本当に冗談が過ぎる。


 ぼんやり生きてきてしまった弊害か。

 死ぬときになってもぼんやりとしているせいか。


 でも苦しい。

 魔力が消えていくのが分かる。

 私の中の魔力は蘇生魔法の術式に吸い取られてゆく。


 もうやめたい。

 こんなことしなければよかった。

 どうして私ばかりこんな苦しいことを。


 そんな思いを心の隅で思う。

 どうにもそれもおかしいことだとはわかっている。


 だって、この状況は私が望んだものなのだから。

 後悔するのはおかしい。

 蘇生魔法を使って後悔できるほどに、私の人生は価値のある物じゃないことはわかっている。 


 どうにも心が統一されていない。

 色々な思いがある。

 けれど、どれも形になる前に消えてゆく。

 だから、どうにも視界がおかしい気がする。

 こんなところにいるのが本当におかしい気がしてくる。


 でも、私らしい最後かもしれない。

 だって私が後悔もなく死ぬなんて。

 満足して死ぬなんて、そんなことを許されていいわけがない。


 私にふさわしい死らしい。

 こんな風に現実も上手く見れていないまま、自らの行動の意味も納得できないまま、たくさんの後悔をそのままにして死んでいく方が私らしい。というよりも、私にふさわしい。


 そして、リナが白い息を吐く。

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