第87話 不意的な影
「では、また夜に会いましょう」
そう言って、エミリーはどこかへと消えた。
多分、あの家に行くのだろう。
リナの家に。
今は、リナ達の家なのかな。
「ふー……」
少しため息が出る。
何故かはわからないけれど。
でも、やっぱり。
何故かちょっとしんどい。
リナの隣に誰かがいると言うことが。
それを望んでいたはずだけれど。
彼女の幸せを望んでいたはずだけれど。
やっぱり私は、誰かの幸せを願えるほどできた人ではないらしい。
昔から想定していたことのはずなのに。
こんなにもしんどくなっていたら先が思いやられる。
私に先なんてないんだけれど。
「ふっ……」
思わず笑いそうになった。
くだらなさ過ぎて。
人生最後の日までこんなのだから、本当に笑ってしまう。
「あれ、ミューリ?」
ふと私の名を呼ぶ声がした。
聞き間違いかとも思ったけれど、私は顔をあげる。
「え」
そこには見覚えのある顔があった。
燃えるような赤髪を携えた彼女は左手で小さく手を振っていた。
たしか昔、私はこの人と話したことがある。
あの学校で。たしか名前は。
「エレラ……?」
「そうよ。久しぶりね。元気だったかしら?」
そう言って赤髪の彼女はさっきまでエミリーの座っていた位置に座る。
どうやら先に注文していたようで、緑色の暖かそうな飲み物を持っていた。
エレラ。
リナがあの学校に来てからすぐの頃、リナを追って入学してきた。
彼女にもいろいろな思惑はあったようだけれど、たくさん話して。
私の思い上がりでなければ、友達……だった気がする。今はどうかわからないけれど。
「会えて嬉しいわ」
「う、うん。私も……」
「今、良いかしら? 忙しいならまたにするけれど」
「あ、いいよ。夜までは、暇だし」
それこそまたと言われる方が困る。
私は今日の夜には死んでしまうのだから。
「本当に、久しぶりね」
「えっと……エレラは元気だった? あれから、大丈夫だったの?」
彼女とは色々あったけれど、彼女は最後にリナと決着をつけるため違法の魔力増強剤に手を付けた。その反動で、身体に大きな麻痺が残った上に、学校を去った。それ以降、連絡はとれていない。
「えぇ。まぁね。順風満帆とはいかないけれど。でも、なんとかやれているわ。ミューリは……あまり大丈夫じゃなさそうね」
「そうかな……そう見える?」
「えぇ。手紙の送り主があなたじゃなかった時点で、心配していたけれど……」
あ、そうか。
エレラも私と同じようにリナが重篤状態であるという手紙を貰ってここに来たのか。
「エレラはもう行ったの? リナのところに」
「いえ、まだね。というより、あたしは行かないわ。リナのところには」
「え、ど、どうして? ここまで来たのに」
私の疑問に、彼女は少し笑う。
それは自嘲を含んだ笑いに見えた。
「そうね。ここまで来たものね。あたしもリナのことが心配で来たのよ。けれど、よく考えてみれば、あたしにできることはないわ。それに、多分あたしは」
そこで彼女は言葉を区切り、私をちらりと見る。
「あたしはリナの味方は多分できないわ」
「それは……お姉さんのことで?」
エレラはリナを恨んでいた。彼女の姉がリナの探索者仲間で、リナと共に行った未開域で死んでしまったからだったと思う。
でも、それは私から見れば逆恨みのようなものだったし、エレラも感情の行き場に困っていただけかもしれないと言っていた気がする。
それに最後には、割と振り切れたような顔をしていた記憶があるけれど……でも、あれから5年。何が変わっていてもおかしくはない。と思ったのだけれど。
「姉様? あぁ、いや、そうじゃないわ。そのことは……悲しいし何も思ってないわけじゃないけれど……もう終わったことであることはわかっているかしら」
「え、じゃ、じゃあなんで……」
会いに行けばいいのに。
きっとリナも喜ぶと思う。
それこそ私が助けた後にでも行ってもらえれば、またあの頃にように楽しく過ごすことだってできるはずだから。
「ミューリ。あなたよ。あたしはあなたの味方をしてしまうって言ってるのよ。リナの味方じゃなくてね」
「……えっと。よくわからないんだけれど」
私の味方?
そう言われても、話のつながりが良くわからない。
「だからね。きっとリナと会っても、彼女を責めてしまうと思うわ。どうしてミューリと別れたのって」
「あぁ……そういうこと……」
たしかにそれなら会いづらいかもしれない。
流石に死んでしまいそうな人を責め立てるのは、あまり良いことだとは思えないし。
「……否定しないのね」
「……え?」
「別れたってこと」
そう呟くエレラは酷く悲しげだった。
考えてみれば彼女は私達が別れたことも知らないのか。上手く鎌をかけられたらしい。前も同じようなことをされた気がする。
「……うん。まぁ。別れたよ。色々あってね」
「そう。大変だったわね。でも、どうしてなのかしら。贔屓目なしでも、2人はお似合いだったわ。それこそ夢の関係だと思うほどに。それがどうして」
どうして。
どうして、か。
私にも正確にはわからない。
けれど、分かっていることは。
「私のせいだよ。酷いこと、言っちゃって。多分、リナの想いを傷つけたから……」
それだけは分かる。
それぐらいのことしかわからないけれど。
でも、これが正しい関係な気もする。
「それに、夢は覚めるものでしょ?」
「……そう。でも、あたしはミューリの味方よ。リナよりあなたの肩を持つわ」
私のせいなのに。
そんなことを言われても、私は曖昧に笑うことしかできないけれど。
「……ありがとね。そんな風に言ってくれて」
「当然よ。だって、あたし達友達じゃない」
「友達……」
「違ったかしら?」
「ううん。そうだね。うん。友達」
確かにそうかもしれない。
私達は友達。
少なくとも昔は。
そして再会した今も、こうして普通に話せる。
これを友達と言わずに何というのか。
「ミューリは、これから会いに行くのかしら?」
「まぁ、そうだね。夜には行こうと思ってるよ」
夜。
そこで私は蘇生魔法を使う。
そして死ぬ。
今日、再開したばかりのエレラには少し悪い気もするけれど。
「リナを助けに行くのなら、あたしもついていくけれど」
「え、い、いや……いいよ。その。私1人で治せるから」
ついてこられると困る。
流石にエレラの前で蘇生魔法は使えない。
もしも止められても困るし。
「助けに、治しに行くのね」
「え?」
「リナを治しに行くのよね?」
あ。
また鎌をかけられたらしい。
「リナは医者でも治せない状態だと手紙には書いてあったわ。それにあなたはそこまで回復魔法が得意でもなかったでしょう?」
「あー、えっとね」
「ミューリが魔法を使う所は見たことがないわ。でも、思い返してみれば一度だけ見たことがあるわね。あの時はたしか、あなたが酷い怪我をしていた時だったかしら。もう助からないほどの怪我から、あなたは急に回復したわ」
そんなことあったっけ。
あまり覚えていないけれど……
「あの時の魔法を使うつもりなのでしょう?」
「あー、う、うん。まぁそうだよ。それでリナを治すんだよ。そうだ。治したら、エレラもリナに会いに行けばいいよ。そしたら普通に話せるでしょ?」
なんだかよくわからないけれど、まぁそういうことにしておこう。
勘違いしてくれるなら、それでも良いし……騙すことになるのはちょっと苦しいけれど。でも、蘇生魔法の事を話して、リナを治せなくなるよりは良い。
「嘘ね」
息が止まりそうになった。
どうやらエレラには全てお見通しらしい。
昔も思ったような気がするけれど、観察が上手いからなのかな。
「少なくとも全部じゃないでしょう? それだけなら隠す必要なんてないわ。それに強力な魔法には代償がつきものよ。それこそ致命傷をなかったことにするような魔法ならなおさらね」
エレラは少し考えるように、持っている湯呑を軽く傾ける。
「命でしょう。代償は。違うかしら」
「……そうだよ。うん。そう」
別に認めないこともできたと思う。
それをすれば、きっとエレラは踏み込んでは来ない。
でも、なんとなく話してみようと思った。
……ルミに言わなかったことへの代償行為、それだけのことと言えば、そうなのかもしれないけれど。
「どうして、そこまで」
「……おかしいかな」
「いいえ、おかしくないわ。あたしの知っているあなた達なら互いのために命を使ってもおかしくない。でも、もう違うのよね? 別れたのよね?」
別れた。
確かに私はリナと別れて、彼女への想いを見失った。
でも。
「私の命はリナに貰ったものだから。ただそれを返すだけだよ。本当に、それだけ」
「そんなの……」
「止めるの?」
エレラは数秒ほど顔を歪ませる。
色々な感情が入り混じったその表情から感情を読み取れるほど、エレラに詳しくはない。
「決意は固いのよね」
私はこくりと頷く。
「それなら……どうしようもないわね。それに、あたしはミューリの味方よ。応援こそすれ、止めることはできないわ」
「……ありがとう。ごめんね」
「いいのよ。あたしこそ、何もできなくて悪いわね」
「ううん。また会えて嬉しかったよ」
すんなりと言葉が出た。
どうやら私は嬉しかったらしい。
久しぶりに友達と会えて。
「そろそろ出るわ。またね……とは、言えないわね。さようならミューリ」
「……うん。ばいばい」
それだけ言って、エレラは席を立つ。
「寂しくなるわ」
そんな呟きが聞こえた気がした。




