第86話 羨望的な視点
「来ていただき感謝します。ミューリさん。初めまして、ですよね?」
「多分、そうですね」
「少し歩きましょうか。良い店を知ってるんです」
雪端町駅の近くで、私はエミリーと出会った。
長い銀髪を携えた物腰柔らかそうな人というのが第一印象だった。
なんとなくリナといても似合うというか。彼女の隣にいても文句は言われなさそうな人な気がする。
エミリーに連れられて、雪端町駅から雪の積もる道を少し歩いたところにある喫茶店に入った。所謂、おしゃれな店といった感じで、私1人では来る機会などなさそうな店だった。
「何か飲みますか?」
「えっとじゃあ、水を……」
「わかりました」
頼んでから気づいたのだけれど、こういうところで水しか飲まないと言うのはどうにもおかしなことなのかもしれない。周りを見ても、大抵お茶を飲んでいる。喫茶店なのだから当然なのかも知れないけれど。
でも私は水以外はあまり飲みたいと思わない。なぜかはわからないけれど、あんまり美味しさがわからない。昔、リナと列車で飲んだ果汁飲料は美味しかった気がするけれど……
エミリーは黒い飲み物を頼んでいた。
変な色の飲み物だなと思ったけれど、匂いからすれば、甘い飲み物らしい。
「改めまして、エミリーです。一応、リナと共に住んでいます。早速本題に入ってもいいでしょうか」
「あ、はい」
「リナを治す方法がある、というのは本当ですか?」
「まぁはい。もちろん、可能性があるというだけですけれど」
あまり確実に助けられるとは言えなかった。
内心、ほとんど確実性はあると思っているけれど。
実際の所、この蘇生魔法を使ったことはないし、どうなるかはわからない。もしも無理だったら、無為な期待をさせるだけになってしまう。それは酷く残酷なことのような気がする。
「方法は、どのような物なのですか?」
「魔法です。私には強力な回復魔法が使えます。少し発動条件がありますから、すぐに治せるものというわけではないんですけれど」
「そうなのですね。しかし、医者の話では回復魔法では治らないと言っていましたが……」
「あー、私の魔法は、少し特殊で。あまり知られていないんです。最近話題の新型回復魔法ってご存じないですか? あれと似たようなものです」
嘘だけれど、まるっきり嘘というわけでもない。
実際、現在世界中に公開されている新型回復魔法というものは私の蘇生魔法を元にしているのだから。
「……治療中は同席しても?」
「あ、いえ、それは困ります。回復魔法は意外と繊細で。それに私もそこまで魔法が得意というわけではないんです。集中しなくて使えません。誰かがいては、その」
「集中力が切れる?」
「そうですね。はい。悪いんですけれど……」
「……わかりました。その時は席を外しましょう」
ふぅと内心胸をなでおろす。
集中しないと不安と言うのもまるっきり嘘というわけじゃないけれど、魔法を使ったとたん私の肉体が死んでしまうかもしれない。そんなところを見せるわけにはいかないし……それに、私のしようとしている事は彼女の前ではできない。多分、止められてしまう。
「すぐに治療しますか?」
「あ……そうですね。いえ、少し待ちます。夜でないと魔法の発動条件が揃いませんから」
「……なかなか面倒な魔法なのですね」
「まぁ、はい。こういう時でないとあまり使いどころはない魔法ですよ」
別にそんな条件なんてない。夜だろうと昼だろうと蘇生魔法は使える。
蘇生魔法の発動条件は、対象までの距離、発動時の魔力、対象の状態、魔力情報の記録だということは私が一番わかっている。
けれど、あまり昼間に死んでしまおうとは思わない。なんだか眩しすぎて。死の時間ぐらいは選んでみたい。最後くらい私の好きな時間に……というわけじゃないけれど。
「夜まではどうされるのですか? どこかにでも行かれますか?」
「特に予定はないです。多分、その辺りの宿にでもいると思います」
多分、ぼんやりとして過ごすのだろう。
そんな予感がある。これが最後の一日になるとしても、私は今日という一日にあまり真剣に向き合う自信はない。これまでもずっとぼんやりしていたのだし、今更何をしたって意味はないのだから。
「提案なのですが」
彼女はそこで初めて言葉を詰まらせた。
何かを言いよどんでいるように見えた。私は、その言葉を待つけれど、どうにも気まずくて、水を喉に流し込む。
「少し、話せませんか」
ほんの少しの逡巡の後に彼女が放った言葉は思いがけないもので、今度は私が答えを詰まらせる番だった。
「えっと。話すっていうのは……」
何を話すの。
その疑問を言うよりも早く、エミリーは言葉を続ける。
「少し疑問が多いのです。私がリナの知り合いにも手紙を出すと言った時、リナは困ったような顔をしながら、知っている人の名前を書いてくれました。多分、彼女も死ぬ前に会いたい人もいたのでしょう。実際、彼女を治すことはできなくても、友人として会いに来てくれた人はたくさんいました」
まぁ、それはわかっていた。
私にも手紙が来ているのなら、他のリナの知り合いにだって連絡は行っているはずだし、そうなれば誰も来ないほど彼女の人望は薄くはない。
「けれど、ミューリさん、あなたの名前は教えてくれませんでした。正確には、一度知り合い名簿に書いて、そして消したのです。『ミューリには連絡しないで』、そう釘もさされました」
「そう……ですか」
すこしここにいるのが嫌になる。
やっぱりリナは私を嫌っている。もう二度と会いたいとは思っていない。
そんなことはわかっていたはずけれど、やっぱり辛い。何故か辛い。
「ですが、私はミューリさんにも手紙を出しました。もう当てがなかったのもありますが……後悔をしてほしくなかったのです」
「後悔?」
「はい。ミューリさんの事を語るリナは辛そうでしたから、きっと昔何かあったに違いないそう考えました。その後悔を消すことはできなくてもせめて……何か少しでも良い形にできないかと思ったのです」
水に口をつけながら、ちらりとエミリーを見れば、彼女は窓の外を見ていた。きっとリナのことを思っているのだろう。いや、想っているのかな。
「けれど、昔何かあったなら、良い返事が返ってくるとは思っていませんでした。住所もわかりませんでしたから、駄目で元々だったのかもしれません。けれど、ミューリさんは返事をくれました。それも良すぎるほどの返事を」
良すぎる。
まぁ、そうなのかな。
「けれど良すぎたのです。そして秘密にして欲しいとも言われました。承諾はしましたが……正直、怪しいのです」
連絡してはいけない人に連絡したら、一番欲しい答えを言われたのだから。リナを治せると言われたのだから。
そして条件もでた。
リナには私のことを伝えない。
だから、疑っているのか。私を。
確かに私がリナを恨んでいたら、今以上に狙える機会はない。だって、普段の彼女には敵わなくても、今なら弱体化しているのだから。
「疑いたくはありません。本当にリナを治してくれるのなら、私だってそれ以上のことは望みません。けれど、リナに何かあったらと思えば、私は許せないのです。私は私を許せないのです」
彼女は、多分だけれどリナのことが好きなのだろう。
そして今、リナを守ろうとしている。
それはわかるけれど、かといって私がリナに敵意がないことを伝える方法は思いつかない。
「だから、リナが起きている内に会ってもらえませんか。一度だけでいいのです。無理に私が呼んだと説明します。お願いです」
まぁ、それが早いのかもしれない。信じてもらうには。
けれどそれは難しい。
「だめですか……」
私は首を横に振った。
リナに会いたくはない。
……というと少し嘘かもしれないけれど。
でも、リナに会いたいとは思わない。このまま彼女にとってずっと過去でありたい。もう一度、彼女に私を思い出して欲しいとは思わない。
「疑うのは、わかります。リナのことが大切なことも。けれど、私はもうリナに関わる気はありません。その資格がないんです。それこそ、私は私を許せないから」
「……リナと、何があったんですか?」
「昔、少し喧嘩してしまって」
言葉を詰まらせる。
どういうべきか、ぱっとは出てこない。
けれど、なんとか言葉を取り繕う。
「……私が悪いんです。だから、あまり会わせる顔がなくて。きっと、リナは私のことなど忘れているでしょうから。そのままにしておきたいんです」
「リナは、気にしないと思いますけれど」
「……そうでしょうね」
きっとリナは私と違って、過去を過去だと認識しているだろうから割り切れるのだろうけれど。気にしてはくれないだろうけれど。でも、もう私が彼女の人生に関わるのは。
「私が嫌なんです。もう彼女には私のことは忘れたままでいて欲しいから……手紙でも言いましたけれど、私のことを彼女に伝えるのはやめてください。治療が上手くいったとしても」
「ミューリさんは……」
エミリーは何かを言おうとして、そして言葉を噤んだ。
そしてまた口を開く。
「後悔があるんですね。昔に」
「……どうでしょう。でも、負い目はあります。リナには悪いことをしました。だから、それを少しでも返してあげたい。ただそれだけなんです」
どう言えば、私が敵ではないと信じてもらえるのか。
私にはわからない。
まぁ、最悪忍び込むしかないか……それか壁沿いでリナを蘇生魔法の射程圏内に入れるしかない。難しいだろうけれど……
エミリーは数秒沈黙して私を伺っていた。
というより、見定めていたと言ったほうがいいのか。信じるに値するかどうか。
そして彼女は息を吐き、口を開いた。
「わかりました。信じましょう。元よりミューリさん以外に頼るものなどないのですし、善意を疑うというのも疲れます」
そこでふっと思いついたように、エミリーは言葉を追加した。
「代わりに聞かせてもらえませんか。ミューリさんとリナのことを」
「え」
「聞いてみたいのです。ミューリさんから見たリナはどのようなものか」
「私から見た……」
「考えてみれば、私はミューリさんのことを何も知りませんから。リナへの印象を聞けば、多少は知ることができると思うのです」
それぐらいなら……いいかな。
そう思ったけれど、リナのことをどう言えばいいのかわからない。
リナをどう想っているか。もしくは想っていたのか。
それはこの5年の間にずっと考えていたことだったけれど、結局のところ結論らしいものは出ていない。
「リナは……みんなから好かれる人だと思います。きっと、誰からも愛される人で……そして、色々な人を助けることができる人……だと思います」
「ミューリさんも、好きなんですか? リナのことを」
その問いは、少し声が低くなっていた。
まるで恋敵を見つけたときのように。
……まぁ、あながち間違ってないのかもしれないけれど、でも私はもうリナの恋人じゃない。そうなることもない。あれは、ただの夢なのだから。あの泡沫のような夢から、私は覚めてしまったのだから。
「私は……きっと、好きにはなれなかった人です。好きになることもできませんでしたし、助けてもらうこともできませんでした。ただぶつかって、傷つけただけですから」
昔は、好きだったはずなのに。
今はもうその感情を持っていた確証すらない。
あの時の想いすらうまく思い出せない。
「それは、難しいですね」
エミリーは少し困ったように呟いた。
確かに答えづらいことを言ってしまったかもしれない。
「こんなところですかね。あの、私も聞いていいですか?」
「はい。なんでしょう」
「どうして、そこまでリナを助けたいんですか」
自分で聞いておいてあれだけれど、理由はわかっている。
エミリーはリナのことが好きなのだろうけれど。
私はどうしてその感情を持ったのかが聞きたかった。
それを聞けば、あの時の感情を少しは思い出せる気がして。
「単純な話です。私は救われましたから。ミューリさんも言いましたよね。私はリナに助けられた人の1人です。皆と同じように彼女に危険を退けてもらいました。だから私は彼女が危ないのなら彼女の力になりたいのです。彼女のためにできることならなんだってしてあげたい。そう思っているだけなのです」
「好きなんですね、リナのこと」
半ば確信と共に問いかける。
けれど一呼吸後に返ってきた言葉は想像より強いもので。
「はい。愛しています」
そう語るエミリーの眼はどこかで見たことがあるような眼をしていた。
その時に、なんとなく。
もうリナの隣に私の居場所がないことを心の底から思い知った。
そして、ほっとした。リナに愛を与える誰かが隣にいると知って。
けれど、どこか痛かった。
どこかが痛い。どこかなんて、わかっているけれど。
でも、それには気づかないふりをして、私はゆっくり瞬きをした。