第83話 爛酔
ここに来て2年。つまりはリナと別れてしまってからは4年。
そんなにも経過した。
信じられない。信じられないけれど、それは事実で。
私の朧気になりつつある記憶も時間の経過を示しているようなもののような気がするのだけれど、どうにも上手く今を認識できていないからかな。あまりにも現実感がなさすぎる。
私の視界はどうにもぼやけているというか。
上手く前が見えていない気がする。
だからこうして宴会というやつに参加していても、どうすれば良いのかわからない。まぁ主役は私ではないのだろうから別に構わないはずだし。
だからと言って主役が誰なのかと聞かれれば、言葉に詰まるけれど、強いていうならラスカ先生な気がする。実際、向こうのほうではしゃいでいるのが小さく見える。
……正直、先生がこういう宴会が好きだとは思わなかった。
研究の邪魔ぐらいには思っていそうだったけれど……まぁ、それ先生の言うとおり時間が経っているということなのかな。4年もあれば、変わらないほうが変なのかもしれない。
「良かったですね。自由になれて」
ぼんやりと眺めている視界の端から声が聞こえる。
そちらを振り向けば、紫色の髪を携えた少女が無表情にお酒を飲んでいた。
彼女はナルメル。私の今の護衛らしい。あまり一緒にいないから、それ以上のことは知らない。精々、こういう宴会を楽しむような人ではないということぐらいしか知らない。
「どうだろう。良かったのかな」
蘇生魔法の研究は今回で一応成功したと言うことらしい。
つまりは私という存在に拘る必要もなくなって、私の管理形態は相当に変わるらしい。完全に監視下から逃れるわけではないだろうけれど、少なくとも蘇生魔法を使えと言われることはなくなる。
望んでいたはずの自由だけれど、素直に良かった思いはしない。
「死にたかったんですか?」
「そういうわけじゃないけれど」
蘇生魔法を知らない誰かに使う。
そんなことは今も昔も嫌だけれど。
「いきなり自由って言われてもね。なんだかよくわからなくて」
「まぁ、わかります。私も命令に従っているだけですから」
今まで14年以上、何かに管理されている生活だった。
いや、それよりも前も親に管理されていたのだから、私の人生はずっと何かに流されていただけなのに。
急にその流れから弾きだされてもどうすればいいのかわからない。
「まぁ、好きにすればいいんじゃないですか。もう20歳何ですから」
20歳。
そう言われると随分と時間が経ったらしい。
大抵の人はもう働いている歳なのだろうけれど。
そう思えば、私は随分とつまらないところで悩んでいるような気がする。
「ナルメルは、これからどうするの?」
「私は待機ですかね。というよりは元の配置に戻ります」
「そうなんだ」
自分から聞いておいてなんだけれど、あまりいい返事はできなかった。
多分、そこまでナルメルに対して、感情を持ち合わせていないからかな。
「もう会うこともないでしょうね。今までありがとうございました。なかなか楽しかったですよ。寂しくなります」
私はちょっと笑いそうになってしまう。
そんなに無表情で言われても、楽しいと言う感情はよく見えない。下手なお世辞というやつなのかな。
まぁ、けれど、それでも私の護衛をしてくれたことには変わりない。
「こちらこそありがとね」
「何もしていませんけれどね」
……どうなのかな。
ルミも口ではそう言っていたけれど、私も守ってくれていたようだし、本当は何かしらしてもらっている可能性も全然高いのだけれど、私程度の認識能力ではどちらかわからない。
「それでは私はそろそろ行きます。さようなら」
ナルメルはそう言ってどこかへと去っていく。
そういえば、明日はすこし早起きだと言っていた気がする。
「じゃあね」
軽く手を振ったけれど、彼女は無表情のままぺこりと頭を下げる程度だった。なんだかそういう冷たいところは彼女らしい。
私は1人残されて、湯呑の淵を指でなぞる。
ナルメルとは、互いに影響を与えない関係だった。良い影響も悪い影響も。すごく楽な関係だったと思う。
そんな風に無難にというか……適切な関係を誰かと構築できるなんて思わなかった。そう思えば、多少は私も成長していると言えるのかもしれない。
なんてね。
私は今回も別に何もしていない。ナルメルの距離感のとり方が上手かったからと言った方が適切なのだろうし。
軽く息を吐く。
ちらりと盛り上がっている方を見れば、なにかしらひと段落がついたところらしく、ちょうどラスカ先生と目が合った。
咄嗟に視線を逸らすけれど、先生は気にした様子もなく、こちらへと近づいて盃を片手に私の前に座る。
「ミューリくん、楽しんでいるかね?」
「まぁ、それなりですね」
「それなら良いがね」
楽しくはないけれど、あの部屋で独りでいても、あまり良い気はしない。先のことを考えてしまって、どうすればいいかわからなくなるから。
先のことって。
なんだか冗談みたいな話に聞こえる。
私に先があるなんて。
「先生、あの、ありがとうございます」
「ん、なにがだね?」
「先生のおかげで私は死ななくて済みますから」
先生のおかげで先がある。
先ができてしまった。どうすれば良いかわからない未来が急に現れてしまった。
「それに関しては感謝される筋合いはないがね。それは副次的恩恵というやつだ。私の目的は未知魔法の既知可であって、それに君は協力したのだから、どちらかと言えば感謝を言うのは私の方だろう。改めて感謝するよ、ミューリくん」
そう言われても私は別に何もしていない。
本当にただ流されていただけで。
死から逃れるという恩恵を得ているのだから、感謝などされても気まずい。
「しかし、君も気を付けることだ。君は今も重要な蘇生魔法の完成品を持っているのだから。狙っている組織も一つや二つではあるまい」
たしかにそうかもしれない。
あれ、でもそれなら。
「思ったんですけれど、私はどうして自由になれるのでしょうか」
「どうして、とは?」
「まだ危険ですよね。だって、蘇生魔法の研究はまだ途中ですよね」
蘇生魔法の再現はまだできていない。完全解析は終了したから、あとはそれに従って魔法を作成するだけなのだけれど、それでも再現できたわけじゃない。
今、私が他国に情報を渡したりすれば、この国の優位は失われるどころか、敵対組織に少しとはいえ魔法技術力で劣ることになる。
「それは、そうだな。実際、一部には君をまだ幽閉しておくべきだという意見もあるにはある」
やっぱり。
それなのに、どうして私を幽閉するのを辞めるのだろう。
その答えは私の中にない。
「まぁ大丈夫だろうがね。援助こそあれど、拘束されるようなことはないと思ってもらって構わない」
「どうしてですか」
「この組織も一枚岩ではないということだ。様々な思惑があるのだろうが、君を力づくで管理下に置こうと言う勢力は既に負けている。定期監視のみとなるだろう。君はほぼ自由だ」
一枚岩ではない。
それは感じている。
国が今までしてきた行動には矛盾もあって、悠長なこともあった。
多分、私を助けようとしてくれた人もたくさんいるのだろう。
逆に私を殺そうとした人も。
「少し脅かしてしまったかね。安心してもらっていい。時期に、定期監視すらなくなる。いや、私がその必要がないようにすると言ったほうがいいのかな」
先生は笑みを浮かべる。悪そうな笑みだった。
普段の作り物のような笑顔ではなくて、心の底から楽しいと思っているような。
「どうしてか、知りたいかい?」
「……やめておきます。知らないほうが良さそうですから」
気になりはするけれど、先生がこんな顔する時は大抵ろくなことじゃない。まぁ少なくとも私に何かあるわけじゃないだろうから、知らないほうがいい気がする。
「懸命だな」
先生は心底つまらなさそうに呟いて、酒を口に運ぶ。
そんな速度で飲んで、酔わないのかな。既に酔っているのかもしれない。見てわかるほどじゃないけれど。
「ま、ともかく君は自由なわけだ。リナくんに会いに行くのかい?」
「……それもいいかもしれませんね」
そうは言ったけれど、リナに会いに行くことはない。
それだけはない。
私は彼女に会いにいけない。どこにいるのかわからないというのもあるけれど、彼女と関わっても、私は彼女を傷つけるだけだろうし。
それにもうあれから4年も経っている。
リナがまだ私のことを覚えているとは思えない。記憶は覚えているだろうけれど、想いを覚えているとは思えない。
多分、もっと良い人と一緒にいるはずで、幸せになっているはずだから。そうなっていて欲しいけれど、私はそんな光景を直接見たいとは思えない。
「ラスカ先生! 今、少しよろしいですか?」
「構わないよ」
ふと視線をあげれば、先生の隣に少年らしき人がいた。名前は憶えていないけれど、研究室で何度か見た気がする。
先生を呼びに来たらしい。
「では、失礼するよ。機会が合えば、また会おう」
「はい。またいつか」
私は深く息を吐く。
なんだか疲れた。
先生と話すと疲れる。
過去を思い出してしまうからかな。
今にも蘇りそうで。
けれど、喉元で止まってしまうような。
そんな朧げな過去をほんの少し想起して。
私は独りのまま。
あの日、リナに嫌われてからずっと私は独り。
酷く冷たい雨の中に囚われている気がする。
きっと私は元々助かる気などなかったのだと思う。
こうして助かってみても、助かる準備ができていない。
私は……結局助かっていない。
別の絶望の中にいるだけな気がする。
孤独という絶望の中にいる。
誰が居ても、私はそれを受け入れられない。受け入れて良いような気がしない。
私の心は動いてくれない。
ルミが好いてくれたのに。ナルメルがいてくれたのに。ラスカ先生が助けてくれたのに。
私は何も感じ取れないまま。
こんな私が、未来を生きる資格があるのかな。
あまり、そうは思えないけれど。
そんなことを思ったところで。
私に自らの生死を選ぶ勇気などないから。
ただ酷く寒く暗い明日を想像して。
その妄想から逃れたくて、目を閉じる。




