第80話 微酔
正直なところ、私にはよくわからない。
ルミの想いも、私の想いも。
全てのことがわからない。
あの日から、リナと別れたあの日から、なんだか世界がぼんやりとしている。上手く現実を見れていない。世界に現実味を感じない。
だから、ルミとの生活だって、うまく感じ取れてはいない。
楽しくないとか、つまらないとか、苦しいとか……そういうことはない。どちらかといえば、穏やかで平和な日々だったと思う。
ルミは優しくて、私とも仲良くしてくれる。それだけで十分すぎるほどに平穏な日々だったと思うけれど。
でも、それが何かを想える日々だったのかと言えば。
決して、そんなことはない。そんなことはない、らしい。
あまり、わからない。
私のこともよくわからない。
上手く現実が現実として捉えられていない。
夢見心地とも違う。
なんだか、自分がここにいないような。
ただ抜け殻の世界をみているような気分。
もしも私が内心を吐露するのなら、ただここはどこなのかということになるのだと思う。私にはここがどこかよくわからない。
いや、学校であることはわかっているし、ここにいる理由だってわかっている。ここで私は蘇生魔法を使う日を待つ。それだけなのだけれど。でも。
ふとした時に、ここにいない気がする。私という存在が、ここにいる気がしない。この世界にいる気がしない。
私は、一体どうしてこんなところにいるのかな。それがずっとわからない。こんなところにはいない気がする。
私がこの世界にいていいとは思えない。
私は、一体どうして。
まだ生きているのかな。
本当に生きているのかな。
私は、まだ生きているのかな。
わからない。
本当はもう死んでいるんじゃないか。あの時、リナと別れてから、すぐに死んでしまったんじゃないかって。そんな風にも思えるほどに。
今見ている世界には、現実味がない。
ここで生きているという感触がない。
もっとはっきりと言うのなら、色がない。
この世界には色が付いていない。
光がない。
だから、私は。
ルミの気持ちには応えられない。
というよりも、ここに私の心はまだなくて。
だから、好きだなんてことを言われても。
私はどう返せばいいのかわからない。
だから、私は謝ることしかできなかった。
「ルミの気持ちは嬉しいよ。けれど、本当にごめんね」
「謝らないでくださいよ……やっぱり、リナさん、ですか?」
「えっと」
どうなのかな。
リナが原因かと言われるとどうかはわからない。
どちらかと言えば、私に問題があるだけのような気はするけれど。
でも、リナと別れてからというもの記憶が一層、朧気になったというのも事実であるし……
「あーあ。本当に残念です。私のこと、もっと好きになってくれてると思ったんですけれどね。目論見が甘かったですね」
ルミは軽そうな言葉を言う。
いや、努めて軽そうにした言葉を。
「ルミは、どうして私のことを好きだなんて言ってくれたの?」
「……それ、聞くんですか?」
たしかにその気持ちには応えられないと言った手前、酷い質問かもしれない。けれども。
「わからなくて。どうして私なんか」
「……ミューリ先輩は」
ルミはそこで口をつぐむ。
そして、ちょっとへにゃりと笑って。
「ミューリ先輩はずるいですよ。惚れた弱みですね」
「……話して、くれるの?」
彼女はこくりと頷き、再度口を開く。
「ミューリ先輩は、誰にもでも優しいですよね」
「そんなことは、ないと思うけれど」
そんなことはない。
私は優しくなんてない。
これまで人を傷つけてきたのだから。私に期待をした人を裏切って、私に優しくしてくれた人を裏切ってきたのだから。
そして、リナを傷つけたのだから。
そう思ったけれど、ルミは言葉を続ける。
「優しくて、優しすぎます。というよりも、人との軋轢を避けようとしていますよね。発言を否定しない。望みを否定しない。流れを否定しない。そして、自分の意見を溢さない」
そんな感じだったのかな。
そうかもしれない。
けれど、それは優しいと言うよりは。
「多分、興味がないんだと思いました。私にも、他の人にも。多分自分自身にも」
……それを否定する材料は私の元にはない。
だって私はルミのことを何も知らないのだから。この1年で何も知ろうとはしなかったのだから。
「けれど。それだけじゃありませんでしたよね。初めの頃、授業に行こうって言ってくれましたよね」
「そう、だっけ?」
「はい。そうですよ。先輩が、連れ出してくれたんです。私を」
ルミが行きたいって言ったような気がしていたけれど……そいうことなら、良い判断をした、のだろうか。けれど、授業に出なければ、今のようにルミに友達はできていないんどあろうし、私にしては良い判断をしているのかもしれない。
「私、嬉しかったんです。それが私との衝突を避けようとする逃避的意識から生まれたものでも。私のことを考えてくれたことが嬉しかったんですよ」
「それなら、えっと。良かったよ」
少しは私もここにいるらしい。
多分それも別に私が何かをしたからというよりは、ルミが人と仲良くなれるすごい人だったからだというだけだと思うけれど。
「だから嬉しくて。だから独り占めしたくなったんです」
独り占め。
独占。
その言葉には、なんだか思い出すものがある。
リナも私にそんなこと言っていた。言ってくれた。
私はリナを……どうしたいと思っていたのだっけ。
「そのにじみ出る優しさを全て私のものにしたくなって。だから、告白したんです。先輩は、本気にしてくれなかったみたいですけれど」
「あれは……でも、冗談かと思うよ。流石に」
「あはは。そうですよね、そうなんですよ」
ルミが笑う。
その笑いは、乾き、そして自嘲していた。
「怖かったんです。優しさを失うことが。先輩からの優しさを失うことが。だから冗談めかしたんですよ……つまり、逃げたんです」
逃げた。
ルミは自らが逃げたという。
私との衝突を、こうして意見がぶつかるのを。
けれど、それは。
「だから、私もミューリ先輩のこと責める権利なんてありません。ずっと逃げてきたんですから」
……そうだろうか。
これまで逃げたとしても、ルミは今こうして私に踏み込んできた。
その勇気があるのだから、逃げてばかりの私を責める権利はあると思うけれど。
「これで、全部です。満足しましたか?」
「うん。ありがとう、話してくれて」
ルミの目は少し潤んでいた。
けれど、彼女の目はまだ私を見据えている。
「……次は、ミューリ先輩の番ですよ。過去のこと、話してください」
「過去?」
何を話すというのか。
何を話せばいいのか。
わからないふりをしたけれど。
本当はわかっている。
ルミが聞きたいことはきっと、彼女のこと。
「リナさんのことです。私も答えたんですから。聞かせてくれますよね」
「……まぁ、うん。何が聞きたいの?」
正直、話したくはないというか。
話せることはあまりないのだけれど。
それでも、ルミの言葉に答えなくてはいけない。せめてそれぐらいは。
「彼女はどんな人だったんですか? 先輩にとって」
「えっと」
その問いに私はすぐに答えられない。
言葉を詰まらせる。
「当てましょうか。リナさんは、先輩にとって大切な人だったんですよね。だから、私と付き合うのは無理だって言ったんですよね」
そう、なのかな。
そうなのかもしれない。
けれど、実際のところはよくわからない。
大切な人というのは、
「どうだろう。間違ってない、とは思うけれど……でも、大切な人、だったのかな。正直、もうわからないよ」
だったのか。それとも今もそうなのか。それとも前も大切な人ではなかったのか。
なんだかもうわからない。
もう自分の心が私にはわからないものだから、上手く私には私の意思が見えないものだから。
「けれど……そうだね。多分私は何もしていなかったんだと思う。リナは私を引っ張ってここから連れ出してくれて……ただそれに流されていただけ」
そして最後は、彼女を裏切った。
顛末としては随分とお粗末というか。単純な話なのだと思う。
「多分、リナはたくさんのものを私にくれて、けれど私は何も返せなくて。だから大切な人かはわからない、かな」
大切にしなくてはいけない人ではあった。いや過去形ではなく、現在形であるのだろう。
けれど、そんなことはできなかった。しようとはしても、私にはその手段がわからなくて、だから間違えて。
私はリナに嫌われてしまったのだと思う。
「多分、私は人を大切にできないというか。好きになれないというか。そんな気がする。上手く、人のことがわからないから、私のこともわからないから」
「そう、なんですか?」
ルミの言葉にはそんな風には見えないという言葉が含まれているけれど。
でも、私はリナを大切にできていた自信はない。
「多分ね。ルミは私のことを優しいと言ってくれたけれど……どうなんだろうね。そう思ってくれるのは嬉しいけれど、私はどこか欠けているから。きっと心の燃料が空っぽだから、私の心は動くことがないんだと思う」
こんなにも自分のことを話して大丈夫なのだろうか。そんなことを思考の隅で思わないでもないのだけれど、まぁ今更か。
それにルミは私に踏み込んできてくれたのだから、私もそれに応えるべきだろう。それが拒絶であったとしても。
「じゃ、じゃあ……リナさんのことは関係ないってことですか?」
「そんなことはないけれど……でも、本質的には私の問題なんじゃないかな。うん。私のせいだよ」
少なくともリナのことが好きだからルミのことを拒絶したわけじゃない。リナへの想いはわからなくなってしまったのだから。
「でも、先輩はいつも、なんていうか……悲しそうでした。リナさんのことを気にしてたんじゃないですか?」
悲しそうに、していたのかな。
悲しいのかもしれない。
私が過去を見て思うことは、酷い後悔ばかりだけれど。
それはとても悲しいことだから。
「……リナのことは、何とも想ってないよ。想っちゃいけないんだと思う。私は」
これ以上言っていいものか言葉が詰まる。
けれど、私は言葉を絞り出す。
「私は、壊してきたから」
「壊した、ですか?」
「うん。全部、私が壊しちゃったんだ。だから、悲しいのかな。けれど、リナは、リナには……幸せでいて欲しいな。それだけだよ」
ルミは、怪訝そうに頭をひねる。
分かりにくかったかな。
けれど、他にどう言えばいいのかわからない。
「まぁ、うん。ともかくだけれど、ルミのことが嫌いだからとか、リナのことがあるからってわけじゃないよ。ただ」
「……私と付き合うことは難しいってことですよね」
「そう、なるかな」
恋人関係になろうとは思えない。
誰にもそうは思えない。
そんな資格なんて、私にはない。
「そう、ですか。そう、ですよね。はい」
ルミは立ち上がり、私を見下ろす。
その眼には薄っすらと雫が見える。
多分、私のせいで。
けれども、これ以外に選択肢はなかった。
「今日はもう寝ますね。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
そうして彼女は背を向けた。
けれど、2歩歩いたところで、脚を止める。
「ミューリ先輩、明日からも、私といてくれますか?」
「……うん。いるよ。私に行くところはないから」
私の言葉に彼女は再度振り向く。
さっきとは違い、もろに涙が流れていた。
その光景を作り出したのが私だと思えば、少し心が痛むけれど、多分これも私の後悔として受け止めなくてはいけないのだと思う。
「私といても、迷惑じゃないですか?」
「迷惑なんて。私、ルミのことを嫌いになったわけじゃないし。それに、ルミが来てくれたことは良かったと思ってるから」
それは私の心からの言葉だったのだけれど、ルミは疑うように怪訝な目線を向ける。そんなに疑わなくてもいいのに。
「……ほんとですか?」
「うん。私と仲良くしてくれて、嬉しいよ。孤独じゃないだけで、少しは……うん。酷い後悔も薄れてくれたから」
独りじゃないというのは、結構大きいらしい。
それも、ルミはたくさん私と話してくれたから、なんだかこの1年は少しばかり、穏やかだった。酷い思考の渦に苛まれる日は減った……気がする。
「他にも、聞きたいことはある?」
ルミは涙目のまま、少し考える素振りを見せる
まだ何かあるのかな。結構色々話したけれど。
「そうですね……先輩はどうして」
彼女はそこで言葉を詰まらせる。
先の言葉を待つけれど、それが放たれることはなくて。
「いえ、なんでもありません。忘れてください」
「いいの?」
「いいんです。聞いても辛いだけですから」
本当に良いのだろうか。
一応、何でも答えても良いかなと思ったのだけれど……
「なら、私からもう一ついいかな」
「はい。なんですか?」
「どうして今日なの? どうして今日、こんな話をしたの? たまたまかな。それとも、なにかあった?」
これまでの日々だって、ルミからしたら十分なものではなかったのかもしれないけれど、楽しい日々であったはずなのに。
けれど、それが変わってしまうという危険を負ってまで、私に想いを伝えてくれたのは、どういう理由なのかわからなかった。
ただしびれを切らしただけかとも思ったけれど。
でも、ただそれだけで動くのかな。
何か、理由というか……きっかけがあった気がして。けれど、それが私にはわからない。だから私は、ルミに問いかけた。
「先輩にはお見通しですね。今日の朝です。指令が来ました」
私の問いに、観念したように呟く。
「しれい?」
「これです。本当は明日渡そうと思ってたんですけれどね。」
ルミは1枚の手紙を懐から取り出すと、私に手渡した。
開けられた封の中には1枚の紙が入っていて、そこには『識別番号99870個体名ミューリについて』という題と共に堅苦しい文章が書かれていた。
ぱっと見ただけでは、どういう内容かはよくわからないけれど……
「魔法師管理機構からです。先輩には施設移動命令が出ています。蘇生魔法に関して話があるから、本部の方まで来いとのことです」
何故。
そう聞きはしない。
どちらかと言えば、遂にこの日が来たという感覚でしかない。
ずっと前からこの日が来ることを恐れ、そして考えないようにしてきた。
私が蘇生魔法を使う日。
それが迫ってきた。




