第77話 昏酔
次にルミが行こうと言ったのは、風景画同好会だった。
美術部とは違うのだろうか。どうしてここに行きたいのだろう。ルミは絵が好きなのかな。
その疑問が伝わったわけではないだろうけれど、ルミは言葉を追加する。
「多分、ここは魔法力は問われないと思います。私も詳しいことは知りませんけれど、絵を描くのに魔法は使わないでしょう」
……やっぱり、気にしているのだろうか。
私が魔法が使えないことを。
「私のことは気にしてなくて」
「気にしてません! ただ、一緒に楽しめるところのほうが良いと思うんです」
それを気にしているというのではないだろうか……
ルミが行きたいところでいい。もう少し同じことを言おうかとも思ったけれど。
「それに……そうしたほうが、先輩もルミのことを好きになってくれると思いますし」
そんな風に笑顔で言われてしまえば、私は何も言えなくなる。
好き、って言葉を聞くだけで、私の記憶はもう会えない彼女のことでいっぱいになるから。
「ルミ、私は……」
そろそろはっきりさせないといけないのかもしれない。
私は多分、誰も好きにはなれないって。
私の心はもうそこまでの力はないのだから。
「えっと、こっちですかね」
「あ、ちょ……」
けれど、私が何か言うよりも早く、ルミは先へと進んでしまう。
「先輩? 何か言いました?」
「あ……いや。ううん。なんでもない」
一度機会を逃せば、喉元まで出かけた言葉はどこかへと消えてしまう。
本当は、もっと早く言うべきなのに。
また先延ばしにしてしまう。
多分、私もちょっと心地が良いから。
ルミのような人に好きだといってもらえるのは、嬉しいから。それが私ではなく、私の魔法に言ってるものだとしても。
だから、こんな風に先延ばしにしてしまうのだろう。
私は誰にも好かれることはないのだから。
こんな仮初の好意にすら、縋ってしまうのかもしれない。
本当はルミがこんなに私に気を使う必要はない。
ここまでしなくたって、ルミが死んでしまったら蘇生魔法を使う。まだ発動条件は満たしていないから、今死んでしまっても使えないんだけれど。
「ミューリ先輩! こっちですよー!」
「あ、ごめんごめん」
考え事をしてたら、随分と遅れてしまっていた。
私は駆け足でルミへと近づく。
「なんか、人減ったね」
「この辺りは隅っこですから、部活の数も少ないみたいですね」
言われてみたらそうかもしれない。
空き教室も出てきたし、教室もあまり大きくない。
多分、あまり人気のない部活がこの辺りに集められているのだろう。ここら辺まで来たら、勧誘もまばらになってきた。
もちろん熱心に勧誘している部活もあるけれど、看板を立てているだけだったり、何もしていないところもある。
私達の目的地の風景画同好会は、何もしていないところだった。何もしていないというか、張り紙ぐらいはあるけれど。
「見学者は自由にお入りください……ですって」
それしか書かれていない。
「入ってみましょうか」
「うん。そうだね」
私が返事をするよりも先に、ルミは扉を開けていた。
そこはさっきの教室と違い、小さめの部屋になっていて、長椅子と机がいくつか置かれているばかりのようだったけれど。
日の光の薄明りだけが、教室に差し込んでいるけれど、中にいたのは1人だけだった。1人の女が隅に座っていた。
彼女はこちらに気づくと、手を止めて顔をあげる。
後頭部から垂らされている長い髪がふわりと浮かぶ。ああいうのは、総髪というんだっけ。
「やぁ。見学かな?」
「あ、はい。そうです。なにしてるのかなって」
「まぁ特に何もしてないけれど……一応、説明しておこうか。この部活について、特に説明することもないのだけれどね」
そう言うと、彼女は立ちあがる。
手には色鉛筆と紙が濁られている。
「やってることと言えば、まぁこれだね。絵を描いている」
彼女がぴらりと持っている紙を見せてくれる。
風景画同好会という名前の通り、風景画を描いているらしい。
「一応、活動方針としては絵を描くだけなのだけれど。まぁ、別に風景画じゃなくてもいいからね。他には……特にないかな。絵が描いてない時も、大抵休憩とかに使っているだけだし。まぁそれだけ。何か質問はある?」
ちらりとルミと目を合わせる。
特に質問はない。ないけれど、なんだろう。それだけだとよくわからないというのが実情な気がする。
「どうだろう。気に入ってくれたなら、入ってくれるとありがたい。今はボク以外に部員がいなくてね。一応幽霊部員も含めれば、もう1人いるのだけれど。ともかく、廃部の危機でもあるんだよ」
「廃部、ですか」
「同好会ということになっているから、廃会というべきかな。所属生徒が3年間以上3人以下だと廃会になるんだ。で、今が3年目ってわけ」
その割には勧誘が弱いというか。あまりやる気は見えなかったけれど。
絵が好きな人は大抵、先に美術部に行くだろうし、これじゃあ人が少ないのも納得ではある。廃会になることをそこまで危惧しているようには見えない。
「あ、そうだ。自己紹介がまだだったね。ボクはメルティ。君たちは?」
「ルミナリスと言います。こちらはミューリ先輩です」
私も軽く会釈する。
「うん。よろしくね。多分、ミューリとは会ったことあるよね。同じ授業を受けた気がする」
「そう、だっけ」
私の記憶にはないけれど。
でも、私は他の生徒のことなど覚えていないから、そういうこともあるのかもしれない。
「去年一緒だったよ。あれ、たしかリナさんと一緒にいたよね。彼女は今日は来てないの?」
一瞬、思考が止まる。
そんなこと急に言われるとは思っていなかったから。
「あ……いや。リナは、ちょっと。今はいないから」
不自然な沈黙を振り払うように、必死に言葉を絞り出す。
これで答えになっているかはわからないけれど。
「そっか。じゃあ、えっと。そうだね……ちょっと描いてみる?」
幸いなことにそれ以上リナに関して、深く聞かれることはなさそうで。
私はそっと息を吐く。
そんなことをしてる間にも、メルティとルミの話は進む。
「え、いいんですか?」
「うん。鉛筆と紙ならあるからね。絵具とかが必要ならちょっと難しいけれど」
「是非、やらせてください! 先輩もやりましょうよ」
「あ、う、うん」
曖昧に頷いて、ルミに誘われるままに、長椅子に座る。
同時に、メルティが腕を軽く振る。すると、近くにあった紙と鉛筆がふわりと浮かび、私達の前に置かれる。私には感じ取れなかったけれど、多分魔法を使ったのだろう。
これぐらいなら、魔法学校に通っている生徒なら誰でもできる。私にはできないけれど。
「ありがとうございます。え、何描きましょうか」
「好きに描いて構わないよ。正解があるわけでもないし」
鉛筆を手に取る。
色は黒らしい。
一応、他の色もあるようだけれど。
何を描くか。
正解がないとは言っても、何を描きたいかというのはそう簡単に出てくるものでもない。
まぁ、なんでもいいというのだから、適当でいいのかな。
私が風景画と言われて、ぱっと思い浮かぶものはあの頃の景色しかないのだし。
「先輩、上手いですね。絵を描いてたことがあるんですか?」
「まぁ、少しね」
上手いと言うほどでもないと思うけれど、でも描いたことはある。
リナとあの家にいたときに、少しだけ描いた。
捨てられていなければ、今もあの家にあるはずだけれど……リナはもう捨ててしまっただろうか。それとも引っ越しただろうか。
「どうしたら、そんな風に描けるんですか? あまり上手く描けないです」
「最初は上手く描くのは難しいものだから、そこまで気にしなくていいよ。一旦、描きたいものを描いてみることだけ考えてみて」
悩むルミに、メルティは助言をする。
別に私も上手く描いているつもりはない。
それこそメルティの描いたものと比べれば、上手いとは言いづらいものだろうし。
けれど、絵を描くのは少し楽しい。
いや、楽しかった。
あの頃。リナといた頃。
あの家で、雪景色を共に描くのは、とても楽しかった。
絵を描いていると、そんなことを思い出すから、少し楽しいのかもしれない。同時に、段々と嫌になってくるけれど。
「やっぱり、難しいです……」
ルミはぼやく。
ちらりと見るけれど、そこまで下手には見えない。
たしかに上手いとは言えないけれど、何を描こうとしているかはわかる。
多分これは、花畑なのだと思う。それがわかるだけでも上出来というか、風景画としての役目は果たしているように見えるけれど。
「今日は上手く描けなかった?」
「はい……なんだか上手く線が引けなくて。私、向いてないんでしょうか……」
沈んだ声を出すルミに、メルティが声をかける。
「そうかもしれないね。けれども、その絵が今日の君が見ている景色だよ。それを大切にしてあげて欲しいな」
「これが私の風景……」
ルミが復唱するように呟く。
私も自分の絵をみてみる。
一度描いたことがある景色だけれど、出来はそこまで良くない。短時間だったというのもあるけれど、記憶が朧げになりつつあるから。
なんだかどんどんと消えていくリナとの記憶のようで。
あまり見ていたくない。
あの頃の幸せな記憶さえ、私はまともに持っていられない。
そんなの、そんな現実を突きつけられているようで。
今にも紙をぐしゃりとしてしまいそうになるけれど。
「私、ここに入ります!」
それよりも早く、隣でルミが嬉しそうに宣言していた。
その声の影に隠れて、私はそっと息を吐いた。




