第71話 せるとらりん
「寿命を削った」
リナは笑顔で言った。
私はそれにどう答えれば良いかわからなかった。
それは大丈夫なの。
なんでそんなこと。
それでリナは。
リナはあとどれぐらい生きていられるの。
とか。
そんなことが渦巻いて。
けれど、言葉にはならなくて。
彼女がまた寝てしまった後も、そのことばかり考えてしまう。
リナは私を助けるために寿命を削った。
命を削った。
私のために、命を使った。
それは、私がすることだったはずなのに。
私がしなくてはいけないことだったはずなのに。
リナは命を捧げた。
それなら。
このまま何度も同じことが続けば。
リナはいつか死ぬ。
いや、人はいつか死ぬものだけれど。
すぐに死んでしまう。
それは今の彼女を見ればわかる。
一度の戦闘でここまで衰弱してしまうのなら、もう一度か二度……同じことがあれば、リナは死んでしまうのではないか。
そんな気がする。
私はそんな予感がして。
その不吉な予感がずっと離れなくなる。
リナの命が消える。
それだけは避けないといけない。
なら、私は……
私はどうすればいいのか。
その答えはわかっている。
……単純に言えば、私はリナから離れなくちゃいけない。
自殺行為と変わらないのかもしれないけれど。
死にたいわけじゃない。
彼女と別れたい、わけでもない。
たしかに、あんまり生きることがよくわからないとか。
そういうことを思うことはあるけれど。
リナと離れたいと思ったことはない。
離れなければならないと思ったことはあるけれど。
今も同じように思っている。
離れなければいけないって。
彼女と共にいちゃいけない。
彼女と離れなくてはいけない。
そんなことを考えるだけで吐き気がしてくるけれど。
でも、そうしなくては。
そうしないといけない。
理由は単純で。
私が共にいれば、リナの命が失われるから。
それだけは避けたい。
彼女がこの世界からいなくなるのだけは。
私がこの広い世界で独りになるのだけは。
避けないと。
それだけは嫌だから。
彼女の命の灯は、今にも消えそうになっている。
それは魔力に疎い私でもわかる。
それほどまでに、リナの使った力というのは人知を超えたものなのだと思う。それこそ人の身では耐えられないほどに。
私も考えた。
彼女が寝てしまっている間。
彼女が苦しそうにしている間。
私にできることは彼女の手を握ることぐらいで。
何もできなかったから。
その間に考えていた。
何かできないか。何か他に手段はないか。
でも、何もできない。何も思いつかない。私の足りない思考では。
このままなら。
きっと追手はすぐにくる。
この宿に閉じこもり、はや数日。
今にも来てもおかしくない。
そうなったら、多分リナはまた同じように無理をするだろう。
自らの寿命を削ってでも、私を守ろうとする。
それで、リナが死なないのなら、それでもいいのだけれど。
でも、きっとリナは死んでしまう。
次の戦闘は大丈夫かもしれない。けれど、その次は? その後は? きっとリナは死んでしまう。
死んでしまうことを恐れていない。
それ以上に、私を守ろうとしてくれている。
ならやっぱり、追手をなんとかしないといけない。
私だけで。リナの力を借りずに。
そうしないといけない。
でも、そんなことができるはずはない。
リナが寿命を削らないとどうにもできないような人を、私がなんとかできるはずもない。
けれど。
追手は、私の追手。
リナの追手じゃない。
私が彼女から離れればきっと。
多分それだけでリナは助かる。
それだけでいい。
そういう結論にしか私はいたらない。
私の足りない思考では、それだけしか思いつかない。
けれど、もしもそう言えば。
リナはまた首を切ってしまうかもしれない。
死を選ぼうとするかもしれない。
でも、私はこれをリナに伝えないといけない。
どう伝えれば、この想いを伝えられるだろう。
考えても。
結局私が考えても。
そこまで大した案は思い浮かばない。
私の思考では。
私は逃げてばかりの人生で、深く考えることもしてこなかったのだから、急に妙案など思いつくはずもなく。
結局のところ、私のとれる手段は1つだけ。
ただ正面から、想いを口にするだけ。
彼女が死を選ぼうとしても、この距離なら止められるはずだし。
傷つけることになるかもしれない。
でも。
それでも。
このままだと、きっとリナは死んでしまうから。
だけれど。
「……ぇ? な、なんて……?」
「別れよう……って。私とリナは別れないといけない、そうでしょ?」
空も白みきった頃、私が考えを言葉を口にした時、リナは途端に訳が分からないと言う顔で、泣きそうになっていることがわかって。心がずきりと音を立てるけれど、もう口に出してしまったからには止まれない。
「え。ぇ。な。あ。そ……な、なんで……?」
私は息を吸う。
この想いを伝えなくては。
この告白に失敗すれば……きっと上手く別れられないだろうから。そうなれば、リナは死んでしまうのだろうから。
「リナのことは好きだよ。大好き。ずっと一緒にいたいよ」
「な、なら」
「でも、このまま一緒にいたら、リナは……死んじゃう、よね?」
「そっ」
リナは顔を歪める。
否定の言葉はでない。
いや、出そうとしたのだろうけれど、詰まらせた。
それは嘘になるから。
「寿命を削るって……そういうことだよね。あと……二度か、一度か。それぐらいあの力を使ったら、死んじゃう……でしょ?」
「そ、そう……かもしれないけれど……でも」
リナは身を乗り出す。
私を掴んで、願うように。
「でも、私たちまだ……まだまだしたいことが沢山……魔極光も見れてないし、海も行ったことないよね? そ、それにほら、花火もまた見ようって……」
「……そう、できたら良かったね。でも、それはできないから」
私のせいで。
私が蘇生魔法の使い手なせいで。
「できる、できるよっ。私達なら、できる……私が頑張れば」
「けれど……それはリナの命を縮めるんでしょ?」
「そ、そうだけれど……でも、そうしないと一緒にいられないから……私はっ、一緒にいたくて、ミューリと一緒にいたくて、だから……お願い。一緒にいてよ……」
言葉に詰まる。
こんなふうにねだられたら。
一緒にいても良い気がしてくる。
一緒にいた方が良い気がしてくる。
でもそれは。
リナの死を招くだけで。
だから。
「……だめだよ。だって、リナに死んでほしくないから」
だから私は拒絶の言葉を口にする。
それしか道がないのだから。
「私を、ここまで連れてきてくれてありがとう。一緒にいてくれて、私を好きって言ってくれて……嬉しかったよ。すごく、救われた。うん。私はリナに救われたんだと思う」
涙をこぼすリナに語りかける。
この想いがきっと伝わると信じて。
「でもね。もう、終わり。終わりにしよ? そうしないと、リナが死んじゃう。私は、リナに生きていてほしい。勝手だけれど……でも、リナがこの世界で私を想ってくれるなら……私も生きていて良いかなって、思えるから。生きていて良かったって……」
だから。
ここで終わり。
私達は別れないといけない。
「そんなのやだ……」
「うん」
「嫌だよ……もっとミューリと一緒にいたい。一緒にいさせてよ……」
「私も、そうしたいよ」
リナは私にもう少し近寄る。
倒れ込むように、私に体重を預ける。
泣いている彼女を受け止めるけれど。抱きしめるけれど。長く白い髪をさするけれど。彼女は泣き止もうとはしない。
「なら。一緒にいようよ……なんで別れるとかいうの? 私が死ぬなんて、そんな些細なこと気にしないでよ。それに私達なら逃げられるよ。もう2度と追手には追いつかれないようにするから。だから」
「……リナ。きっと、それは、難しいんじゃないの?」
リナが息を吸う。
今言ったことが夢物語なのは、彼女だってわかってる。
きっと春が来るまで逃げ切れただけでも幸運だった。
追手達は、特務魔法師団。
魔法使いの精鋭の中の精鋭。
そんな相手に、ここまで逃げ切れたこと自体が奇跡のようなものでしかない。リナは十分にやってくれたのだろうけれど、それでも彼らを撒くことはできなかった。
リナで無理なら、もう誰がどうやったって無理なのだと思う。
「でも……私。私は……私、頑張るから……! 頑張って、なんとかして、一緒にいて」
「リナ」
「そうだ。今度追手が来たら、私が全員倒すよ。わ、私は確かにちょっと命を削っちゃうかもだけれど。でも、そうしたら、もう誰も私達の邪魔はしないよ。それで一緒に暮らそう? どこかでまた静かに。一緒に」
「ねぇ、リナ」
「大丈夫だよ。私は死なないから。あと一回ぐらいなら、きっと、多分、大丈夫だから。私が制限解除すれば、どんな相手だって倒せるよ。それで」
「リナ、聞いて?」
彼女の声は次第に掠れて、弱くなっていて。
嗚咽が混じっている。
啜り泣くリナを見れば、なんだか選択を間違えた気もする。
でも私にはこれ以外には思いつかない。
「ここで終わりだよ。もう、無理なんだよ。私達は……ううん。私は。私はもう終わり。それにリナが巻き込まれることはないよ。巻き込まれないでほしい。リナにはなるべく生きていて欲しい。もしそれが、一緒じゃなくても」
その言葉に彼女の身体がぴくりと反応する。
「どうしてっ」
リナは私へとそっと力をかけて。
私を寝床の上へと押し倒す。
私はそれに抵抗などできるはずもない。
「なんで一緒にいてくれないの!? 私は、私はただ、一緒にいたいだけなのに、なんで、なんでなの、なんで、一緒じゃなくても良いなんて、もう無理だなんて言うの!? 私のこと嫌いになったから? もう私のこと、嫌いだから?」
「違うよ。リナのことは好きだよ」
「ならっ……なら一緒にいて良いよね!? 一緒にいようよ! もし最後が近くても……最後まで一緒にいて、いてよ……おねがいだから……一緒にいてほしいよ……」
リナは叫ぶ。
小さな声で。
掠れた声で。
でも、願うように。
「私が、私が守るから。だって、私にはそれしか……それしかできないから……そうさせてよ。そうじゃないと。私はなんのために。生まれて」
何のために生まれてきたのか。
それは私にもわからない。
けれど、多分、私は。
蘇生魔法を使うための人生でしかなくて。
リナと過ごしたこの時間は、それまでの先行報酬みたいなものなのだろうから。
「む、昔ね、言われたんだ……私は誰かのために生きないといけないって。特別強く作られた私は、誰かのためにって。そう言われたときに、私はミューリのために生きるんだって、思って。だから、別に死んじゃうことなんて怖くないよ? ミューリのためなら。だから、気にしないで? 私の寿命なんて、気にしなくていいから、だからっ、だから、ぃっしょに……」
リナの言葉は囁くようだったけれど。
強烈な懇願のように見えた。
でも、私は。
それに応えられない。
リナには死んでほしくないから。
自分のために生きて欲しいなんて、偉そうなことは言えないけれど……でも、彼女はこの世界にいて欲しいから。
「そ、そうだ。一緒にいて、最後まで一緒にいて、それで……一緒に死のう? 私と一緒に死のうよ。それで良いよね? だってそれなら、ミューリが独りになることもない。別れることもない。追手に捕まることもない。だから。だからね」
彼女は涙の中で笑っていた。
本当に妙案を思いついたように。
それは私には思いつかなかった。
確かにそれなら、私達は別れなくて良いのかもしれない。
近づく死を受け入れて、最後までの束の間の時間を2人で過ごすのも……きっと幸福なのだと思う。
「ミューちゃん。お願い。一緒に、死んでくれる?」
でも、私は。
その誘いを。
その願いを。
リナが私に要求したその些細なことを。
「……ごめんね」
否定した。
今まで、リナに沢山のものを貰ったのに。
私は、それを否定して、無下にした。
ほんの少しの願い。
リナが私に求めたことなどほとんどなかった。
求めて欲しい、とも思っていたのに。
私はこうして求められても答えられない。
その時の、リナの顔を私は見れなかった。
どんな顔をしているのか、見たくなくて。
けれどきっと……傷ついたような顔をしていたのだと思う。私が、彼女に嘘をついた時と同じように。心底、傷ついたような表情をしていたのだと思う。
そんな顔を見たくなくて、思わず視線を逸らしてしまった。
「……なんで。なんでなんで。なんでなの? なんで……お願い。ミューちゃん……ね。だって。だってね? 一緒にいるって。一緒に生きてくれるって。そう言ったのに。なのになんで。また、また嘘なの?」
「違うよ。私はただ」
「違わない! ミューちゃんは嘘ばっかりだよ! 嘘ばっかり……嘘じゃないなら、一緒に死んでよ! 私と最後まで一緒にいてよ! なんで……そんな……」
答えは決まっている。
ようやく私は、リナの崩れた顔を見つめることができた。
彼女の揺れる瞳は私だけを見つめている。
そのことが私の心を満たす。
だから、言葉を紡げる。
「リナにずっと私を想っていて欲しい。私を好きでいて欲しい。死んじゃったら……もうそんなこともできないでしょ?」
「そう……だけれど」
「だから、別れよう? ちょっと遠くなるだけだよ。私はずっとリナを好きでいるから。だからリナも私を好きでいて?」
触れられる距離が。
触れられない距離になるだけ。
多分きっと私は先に死んじゃうのだけれど。
それでもリナが私を覚えて想ってくれるなら。
私なんかがこの世界にいた意味がきっとあるから。
「なら……」
そう思ったのだけれど。
私の言葉にリナは少し目を伏せて。
「なら私は……」
顔を上げたリナは私を睨んでいた。そこには私の見たことない感情が秘められていて。私はそれを咄嗟に読み取れない。
リナにそんな目など向けられたことはないから。ただ私はたじろぐしかなくて。
「り、な……?」
私は彼女の名を呼ぶのだけれど。
その声に彼女は反応を見せなくて。
ただ、私から一歩離れて。
「ミューちゃんなんか、嫌い」
彼女は小さく囁くように。
そんな言葉を溢した。




