第64話 るらしどん
「このまま、俺についてきてくれれば手荒なことはしないが……」
私を捕らえる。
そう言った男が呟く。
「そういうわけにはいかなさそうだな」
同時に男の魔力が蠢く。
そんな気がして。
「ミューリ! 逃げて!」
リナがそう叫んだのと、男の姿が掻き消えたのは同時。
瞬きの内に、男の手は私へと迫っていて、リナが横からそれを止めていた。
視界が揺らぐ。
いや、大気が揺らぐ。
多種多様な魔法が光のままに、目の前で炸裂する。
衝撃が私の身体を揺らす。
今にも倒れそうになるけれど、それよりも早く、私は裏口の扉を開ける。
今出てきた宿の中へと転がり込む。
凄まじい音のする背後を見れば、ちょうどリナが裏口の扉を片手で閉めるところだった。
「り、リナ……」
ちらりと見えた彼女には余裕などなさそうで。
不安になるけれど。
でも私にできることはない。
あれは、私の追手。
追手が来た。ついに。
あれが、へイヴという人かは知らないけれど。
でも、リナが足止めをしないといけないほどに、強い相手であることはわかる。
リナのことが心配だけれど。
私がいても役には立たないどころか、脚を引っ張るだけで。リナもそこまでの余裕はないだろうから、私にできることはただ離れるだけ。少し、悲しいけれど。でも、それが今の私にできる精一杯だから。
だから私はその場から一歩でも離れようと、もつれる足を動かそうとして。
「ミューリ? 何かあったの? すごい音がしたけれど」
階段のほうから、ポニリリアの顔が見えた。
彼女なら。
私ではだめだけれど、彼女なら。
元探索者であれば。
「リナが、戦って、突然、男が」
私は咄嗟に叫ぶ。
多分、要領を得ない説明だったと思う。
必要最低限以下の。
でも、ポニリリアは事情を把握したように頷いて。
魔力が蠢き。
「手伝ってくる」
気づけば、裏口の前に立っていた。
未だ轟音は鳴っているけれど、さっきよりも音は小さい……というよりも音は離れたような気がする。
考えてみれば、あんな規模の魔法を宿の近くで使っては、この宿がもたない。多分、リナが距離を取ってくれているのだろう。
「私も行くわ」
予想もしない声が、廊下の奥から聞こえた。
振り向けば、そこにはカミラがいて。
またしても、気づけば裏口の前に立っていた。
「うん。助かるよ」
「いいから。いくわよ」
ポニリリアはそんな彼女に穏やかに笑いかけて、扉を開ける。
カミラは俯いていたけれど、でも。
「あんたはその辺にいなさい! ……あんたに何かあったら、リナさんが悲しむんだから」
そう言って、勢いよく飛び出していった。
みんながリナを助けに行った。
私は独り、廊下に残される。
なんというか。
やっぱりリナはすごい。
何が起きているのかも説明しないうちに、彼女を助けようとしてくれる人がたくさんいる。本当に、すごい。
人望というのかな。そういうものがある。
けれど、私にはリナしかいない。
そして、リナは今戦っている。
私は1人取り残されている。
どうしよう。
宿から出るべきなのかな。
それとも、ここにいた方が良いのかな。
わからない。
けれど、悩んでいる時間はない。
私の代わりに判断してくれるリナはいない。
けれど、外に出るのは危険なはずだから。
私は廊下を戻り、階段を上り、部屋へと走る。
久しぶりに急激な運動をさせた私の身体は、すぐに息切れしてしまう。
せめて身体強化ぐらいできれば、こんなことも少なくなるのに。
私の魔力は、そんな初歩的な操作さえ受け付けない。
「ぅ」
息を吐こうとして。
詰まらせる。
上手く息ができない。
それは独りのせいか。
それとも轟く音のせいか。
違う。
ただ。
また私は逃げてばかりで。
リナに守られてばかりで。
無力で。
やっぱりどこまでいっても。
どう取り繕っても。
私はリナの弱点にすぎないのだと。
それを突き付けられているから。
たまらなく。
たまらないほどに。
嫌になるから。
息が難しい。
「リナ……」
思わず呟く。
彼女の名を呼べば。
それだけで、私の中の想いが再燃してくれる気がして。
けれど、ほんの少しの熱では、私はまだ寒いままで。
だから私に必要なのは。
「ミューリ!」
扉が開かれて。
リナが入ってくる。
少し傷がつき、ほっとしたような顔を浮かべる彼女を見るだけで、私はほっと息を吐き出せる。
「大丈夫?」
「う、うん。ミューリは?」
「私は、全然」
私の心配などしなくてもいいのに。
私は戦ってすらいないのだから。
けれど、リナが心配してくれたことが嬉しい。
信頼されていないと言う見方もできるけれど。
でも、リナがここに来たと言うことは、もう戦いは終わったのかな。
あの男は、どうなったのだろう。
でも、戦いが終わったにしては、リナは焦っているように見えて。
「ちょっと、急ご」
リナが私の手を取り、私達はまたしても廊下を抜け、階段を下りて。
今度は食堂のほうへ。
正確には、表の入口の方へ。
「り、リナ。あの、あの人は?」
「今、カミラとポニリリアが戦ってくれてる。足止めで」
その間に逃げる。
そういうことらしかった。
大丈夫、なのかな。
あの男は、大分強そうだったけれど。
いや、私に強さ判定などはできない。
私から見れば、魔法が使えるだけで強者なのだから。
でも、リナの表情を見れば、多少は推測できる。
ここまで余裕のない表情を見せたのは、初めてだから。
いや、正確には初めてというわけじゃない。
私は何度も彼女の余裕のない顔を見ている。
私が触れようとした時とか。
私の前で首を切った時とか。
……口付けをした時とか。
でも、そういう時とは違う。
余裕がなくて、緊張していて……どう言えばいいのか。
緊迫感があるというのかな。
差し迫っている。
ポニリリアの言葉を借りるのなら、脅迫的焦燥に近いのかもしれない。
そんな表情をリナが見せるほどに、あの男は強い。
カミラとポニリリアがどれぐらい強いかわからないけれど……
「2人なら大丈夫。多分、引き際はわかってるはずだし、相手も彼女達を深追いする理由はないはずから」
「そう、だよね」
私の心配を察したかのように、リナはそう言ったけれど。
なんだかそれは自分に言い聞かせているようにも見えた。
彼女は軽く頭を振って、私を見つめる。
「それより私達は、私達の心配をしないと。ちょっと、ごめんね」
「わ、ぁあ」
どうして謝るの?
私がそう言うよりも早く、私の身体はひょいと持ち上げられていた。
彼女はそのまま人通りの少ない道を一気に翔る。正直、視界の転換が早過ぎて、そこが道かもよくわからなかったのだけれど。
視界が急に飛ぶのを何度か繰り返して。
気づけば、私は大きな駅の前に立っていた。
正確には倒れそうになっていた。
うぅ……なんか頭が痛い……
リナの速度に私の認識速度ではついていけないから……
「ごめんね。ちょっと、時間がなくて。あ、あれ、乗ろ」
駅に着いた。
正確にはリナが連れてきた。
それはつまり、魔導列車を使うということなのだと察する。
気分の悪い身体を無理やり起こして、私はリナに手を引かれるままに列車に乗り込む。
人生で2度目か3度目の魔導列車は、随分と高級そうな作りだった。
個室がずらりと並んでいて、個室の中も見えないようになっている。多分、お金を払って、個室へと入れば乗車できる車両なのだろう。
「えっと、空いてるとこ空いてるとこ……」
「あそこ、空いてるかも」
「あ、ほんとだ」
リナはその部屋の値段を見ることなく、即決で扉を開ける。ちらりと見た感じは、多分とても高かったように見えたのだけれど。
それと同時に、列車ががたりと音を立てる。
それが動き出した音だと気づかないほど鈍くはない。
「ふぅー」
リナが息を吐いて、高そうな長椅子に背を預ける。
私もその隣に腰掛ける。
「もう、大丈夫だよ。ここまで来たら」
「そう、なの?」
「いくら魔法使いでも、魔導列車にはそう簡単に追いつけないよ。どの列車に乗ったかもすぐにはわからないだろうし」
たしかに。
じゃあ一旦は大丈夫なのかな。
カミラ達のことは気になるけれど……
私の思考に割り込むように、リナのほのかな熱が近づく。
彼女の長い手が私に触れる。
「ど、どうしたの?」
溢した疑問に返すように、彼女は囁くように言葉を呟く。
「良かった……」
彼女はとても嬉しそうに、私を見つめて。
そっと私の頬に手を当てる。
「無事で良かったよ……」
目を閉じ、額を当てて、唱える。
それでようやく。
安心して良いって思えて。
「リナも、無事でよかった」
私達は糸が切れたように、長椅子に倒れ込んだ。
まだ危機は完全に消えたわけじゃないけれど。
一旦、その全てを忘れるかのように、私達は目を閉じた。




