第63話 らもとりぎん
特務魔法師団が私達を追っている。
アカネと名乗り、アオイの姉を語る彼女はそう言っていた。
その話の信憑性は高いとは言えないけれど、それを無視できるほど私は豪胆じゃない。
特務魔法師団。
それは、国の保有する魔法使いの精鋭部隊。
魔法使いというもの自体が、魔法を十全に扱える人達だというのに、その中でも精鋭中の精鋭。
大抵は、重要な任務に就いているとかなんとか。あまり詳しくは知らないけれど。
そういう噂を、学校にいたときに聞いた気がする。
あの学校からも志望者は多いらしい。実際に成れる人は一握りもいないようだけれど。
その、特務魔法師団というものが、何人いるかはしらないけれど、私を追っているのがその第四位というのだから、その中でも四番目に強い人なのだろう。そんな人が私を追っている、なんて……どうしても現実味は薄いけれど、それでも。
そういうこともあるかもしれない。
そんな不安がずっとあったことも事実で。
だから、どうすればいいかわからなくて。私はただリナと繋いだ手を眺めることしかできなかったのだけれど。
けれど、リナは宿に戻った頃には、もうどうするかを決めているようだった。
「明日にでもここを出よっか」
それはアカネの言葉を信じて、追手が来ると思っているからこその提案なのだろうけれど……でも、私はあの人をそこまで信じられない。いくらアオイの姉だとしても。
「やっぱり、来るの……追手なんて」
「それは、わからないけれど……でも、どちらにせよ、そろそろ移動したほうが良いかなって思ってたんだ。ちょっとここは人が多すぎるし、カミラ達にも悪いからね。ちょうど良い機会かなって」
それは……そうかもしれない。
本当に追手がくるのなら、この宿の人に迷惑をかけてしまう。ポニリリアやカミラに。それは望むところじゃない。
「それにね。まだまだ見せたいものがたくさんあるんだ。ミューリと一緒に見たいものがね」
リナは笑っていた。多分未来を想って。
追手が来ると言われても。
それを見れば、私も少しは恐れも晴れるけれど。
いや、追手が来ることぐらいわかっていたことなのだから。
リナのように準備ができている方が普通なのかもしれないけれど。
「リナは、どうしてそんなに……」
言おうとした言葉を呑みこむ。
けれど、そこまで言ってしまえば。
「どうかしたの?」
リナの興味を引いてしまう。
きょとんとしたような瞳で覗かれれば、あまり隠し事をする気も起きなくて。
私は素直に心中を言葉にしてみる。
「リナは、怖くないの?」
それが疑問でしかなくて。
リナは平静にしか見えないものだから。
何も怖くないように見えるから。
どうしてかわからない。
私は怖いのに。
私と同じ恐怖を、彼女は感じていないというのか。
それはとても不思議で。
だから、問いを零す。
「怖いよ」
彼女はそっと呟いた。
「ミューリと離れるのが怖い。ずっと一緒にいられないのが怖い。ミューリに嫌われるのが怖い。みんな怖い」
リナは私にそっと手を伸ばす。
ゆっくりと私に触れるその手を拒むことはない。
「でもね。こうして触れられるから。その反動だと思うから。だから」
彼女は言葉を区切る。
一瞬。
多分、恐れで。
多分、私があの時ついてしまった嘘で生まれた恐れで。
「うん。ミューリのおかげで。ミューリがいてくれるから、怖くても大丈夫だよ」
彼女は私の身体をそっと抱き寄せる。
ただそれにされるがままになる。
暖かな熱に包まれるままになる。
それなら、なんだか恐怖に呑まれていた心が消えていくような。
そんな気がして。
「大丈夫、なのかな」
言葉を零す。
彼女の長い白い髪が手に触れて。
彼女の指先が私の背に触れて。
彼女の身体が私に触れて。
それは私を許してくれる行為で。
私が生きていることを。
私の存在を許してくれる行為で。
私はそっと息を吐く。
「リナは、大丈夫、だよね? 生きていて、くれるよね……」
「うん。一緒に生きていこうよ。これからも、ずっと」
リナの言葉にほっとする。
同時に、怖くもあって。
期待と不安が揺れ動くけれど。
でも、触れ合うこの熱があれば、それだけで良いような気もするから。
朝。
というよりも、明け方前。
私達は、部屋を出た。
少ない荷物を持って。
足音を立てないように、小さな灯の下で廊下を歩く。
窓からは朝日の光が覗けて、霜が窓の淵にかかっている。
白い息をそっと吐いて、リナと共に階段を下りる。
まだ人通りは少ないようで、表通りのほうからは静かだった。
普段なら、もう少しうるさいのだけれど。
それに背を向ける。
私達は、花火の時と同じように裏口から出ようと決めていた。
表通りの方が人は多く、隠れられるかもしれないけれど、同時に私を守ることは難しくなるというのが、リナの考えらしい。
私はどちらが良いかなどわからないけれど……ひょっとしたら、私が人通りの多い場所を苦手なのを知っているから、そうしてくれたのかもしれない。
「行くんだ」
ふと声がした。
穏やかな声で。
そちらを見れば、ポニリリアは壁に背を預けていた。
「そう、だね。ポニリリアは?」
「見送り。けど、何も言わないでいくなんて、やめてよね」
「あー、ごめんね。その、急に決まって。連絡ぐらいはするつもりだったよ」
リナが言い訳するように、答える。
確かに何か言った方が良かったかもしれない。
結局はポニリリアの厚意によって、私達はこの宿にいられたのだから。
「その、これまで、ありがとう。すごく助かったよ」
「全然。またいつでもおいでよ。部屋はたくさん余ってるし」
彼女は本当に気にしていないように、煙を吐いた。
よく見たら、手には煙草が持たれていて、多分ここでいたのもそういう理由なのかもしれない。
「結局、何がなんだかわからなかったよ。突然、リナが来て。探している人がいるって」
ポニリリアにもカミラにも、私達は何も話していない。
私の魔法のことは、何も。
言いたくはないし、彼女達も聞かなかった。
「しかも、その手掛かりはほとんどない。あの時のリナは見てられなかったよ。正直、また無茶をするんじゃないかって心配だった」
ポニリリアは思い出したかのように少し笑う。
「実際、無茶したみたいだけれど」
「まぁ……うん」
無茶。
それは私を助けるためなのかな。
それなら……嬉しくもあれど、怖くもある。
「ミューリを、助けたかったから」
「そうみたいだね。やっぱり、ずっとミューリのため?」
ポニリリアは煙と共に疑問を零す。
それは、私も聞いた推測。
探索者時代からリナが無茶をしていたのは、私のためだったんじゃないかという。
「……そう、かな。でも、自分のためでもあるから」
「自分の?」
「ミューリといるのが、私の望みだから」
私の手を握る手が、少し強くなる。
絡まる指がそっと動いて。
「そう。それなら良かった。ずっと疑問だったから。リナがどうして、あんなに頑張ってたのか」
彼女はそう言った後に、思い出すように言葉を続ける。
「いやでも、まぁ、まだなにかあるんだっけ」
「まだまだたくさんね」
リナは誤魔化すように笑う。
本当に、まだたくさんある。
リナの予測通りなら、私は一生追われるのだろうから。
「手伝えることは?」
「もうたくさん手伝ってもらったよ」
「そっか」
ポニリリアはそこで話は終わりとばかりに、煙草に口をつけた。
多分、もう何も言うことはないのだろう。
「それじゃあ、行くね」
リナもそれを察して、歩き出す。
私もそれについていく。
その背に、思い出したかのように言葉がかかる。
「頼ってくれて、嬉しかったよ」
ポニリリアがこちらを見ていた。
いや、リナを見ていた。
「リナには、たくさん助けられたから」
「私は、助けてなんて」
「ううん。助かってるよ。たくさんね。多分、気づいてないんだろうけれど。リナはたくさんの人を助けてる。私も、カミラも」
ポニリリアの言葉は勘違いなどではなくて真実なのだと思う。
リナは色々な人を助けてきたはずだから。
そういう人だと、私は知っている。
でも今は……私を助けてくれている。私だけを。
「だから、まぁ、またおいで。多分、当分はここにいるから。また、いつかね」
ポニリリアはそういって、ほんのりと手を振った。
「またね」
リナは少し悩んで、そう言って手を振った。
私も軽く手を振り、扉を開ける。
リナが私の手を取り、外に出れば。
少し離れた通りに男がいた。
彼はぼんやりとした目で私達を見ていた。
凝視しているとは違うけれど、ちょっと怖いというか……
警戒するようにリナが、半歩前に立つと同時に、彼は私達を指す。正確には、私の方を指していたような。
そして口を開いた。
「99870のミューリだな。お前を捕縛する」
そして、そんな言葉を吐いた。




