第54話 散る
カミラについていきながら、私は上手く息を整えるので必死だった。
私は何を言われるのだろう。
少し、昨日の記憶を思い出す。
リナとカミラが話していて。
カミラの言葉は、明確とは言えずとも、私に対する小さな敵意が見えていた。
敵意とは違うのかもしれないけれど、彼女は私のことをあまり良くは思っていないようだった。
何を言われるのだろう。
急に殺されたりはしないはずだけれど。
リナの知り合いのようだし。
でも、それでも。
小さいことなら言われるのかもしれない。
出ていけとか言われるのかな。
うーん。そうなったら困るのかな。
多分、リナは困ったように笑うんだろうけれど。
でも、なんだかどうなっても結局、リナ次第な気がする。
私は少し心の中で笑ってしまう。
結局、私はリナだよりで。
本当に、いつまでも弱いままの私だと思う。
そのままでいいとは思わないけれど、でもこのままでもリナは私を好きでいてくれるのだから、それでもかまわないような気がする。
そんなことを思っている私に少し笑ってしまった。
こんなにもリナのことを信じられているなんて。
私はどんなに幸せなのだろうと。
幸せとはこんな感じなのかな。これが本当に幸せなのかは私にはわからないけれど。
でもなんだか安心というか、誰かからの好意を感じ取れるのがとても心地良い。
もし好意が揺らげば……私は正気でいられるのかな。
「ここでいいかしらね」
カミラは私を人のいない客室へと誘った。
少し怖かったから、扉は閉めない。気休め程度だけれど。
それでも中へと入っていく。
「えっと、何か話があるの?」
私はとりあえず疑問を零してみる。
てっきりカミラははっきりと言葉を返してくるものだと思ったけれど。
「そうね。話ね。うん。あまり考えずにつれてきてしまったけれど……」
カミラは言葉を濁した。
正直、彼女が言葉を濁すのなら、私としても話はないのだけれど。
何か話した方がいいのだろうか。
少し自分の髪を触ってみる。
この薄青の髪も、特段好きではなかったけれど、リナが触れてくれるから少し好きになった。
長く伸ばしたのは、本当に些細な気まぐれからだったけれど、なんとなく伸ばしておいて良かった。たくさん触れてもらえるから。
「うん。そうね。わかってると思うけれど、リナのことよ」
まぁそれはそうかなとは思う。
私達にとっての話題とはリナのことしかない。
ポニリリアの時もそうだったけれど、共通の話題が彼女のことしかない。
まぁ、でも、それは望むところというか。
私も別にそれ以外に話せることなどないのだし。
「リナさんのことが好きだなんて、ポニは言ってたけれど、別にそんなことはないわ……なんて言えば、嘘になるけれど……それだけがすべてじゃないわね」
ふっとカミラから刺々しい雰囲気が消える。
思わず笑みが溢れるといった風で、私はそこで疑問は確信に変わった。元々、半ば確信めいたことではあったのだけれど。
カミラはリナことを慕っている。
好きなのだと思う。
でも。
多分、きっと。
同じ好きでも私の好きとは違う感情で。
「私は、リナさんに救われたのよ。ちょっと語らせてもらうわよ。悪いけれど」
その言葉に頷く。
それを止めようとは思わない。
リナの話なら、私も気になることなのだから。
「私がまだ探索者として駆け出しだった頃、5級相当の依頼に行ったわ。私はまだ4級になりたてだったけれど、色々あってね。独りで行ったの」
息を呑む。
1人で未開拓領域に行く。
それはとても危険な行為であることぐらい私でもわかる。
「馬鹿だったわ。再三言われていたのに。誰かと行かないといけないって。でも、地震があったのよ。根拠のない自信がね。そんな人に降りかかる災難は言うまでもないわよね」
根拠のない自信。
それによって引きおこる事は大抵決まっている。
偶然の成功か、あるいは手痛い失敗か。
災難というのならそれは、後者しかない。
「油断していたのかしらね。それとも、単純に慢心していたのか……私は死にそうな目にあったわ。その時助けてくれたのが、リナさん達だったのよ。それからリナさん達と話すようになって、ポニとも出会って。感謝してるの」
リナはそうやって色々な人を助けていることぐらい、私でもわかる。
いや、今までそういう所をたくさん見てきた。
彼女に救われてきた人たちをたくさん見てきた。
私もその1人で、カミラも同じなのだろう。
「リナさん達には本当に感謝してる。あの人達がいなけば、私はこうして生きていないのだから。でも、リナさんしかもう生きてない。だから、リナさんには幸せになってほしい、そう思ってるわ」
多分、それがカミラの中にあるリナへの感情で。
私ととても似ていて、そして違う感情。
けれど、言葉で括るのなら、どちらも好きってことになるのだと思う。
「そうね……単純に言えば、尊敬しているのよ。リナさんのこと。私は、リナさんなら探索者の頂点になることだってできたと思うわ。そうでなくても、国属の魔法使いになるとか、そんなことだって簡単だと思う……きっと、あの人は何にだって成れるのよ」
「そう、だろうね」
私もそれには同意する。
リナの力は圧倒的なのだと思う。
私は世間知らずだけれど、彼女の能力が飛びぬけて高いことに疑問などないし、心の強さも私に想像できないほどに強力だろうと思う。
「そう、でしょ? なら、なんで……なんで、リナさんと一緒にいるの?」
カミラは絞り出すように私に問う。
「リナさんはどこまでも行けるのよ。でも、あなたみたいにリナさんの優しさに漬け込むみたいな……そんなことをしたら、良くないわ。立ち止まってしまう、そうでしょう?」
「うん、多分……そうだと思うよ」
私の返答にカミラは顔を歪めた。
それは怒りを含んだ疑念で。
私には恐ろしいものだったけれど。
でも、ここで逃げるわけにはいかない気がした。
「なら……! なら、どうして?」
半分ぐらい彼女は叫んでいた。
どうしてと。
どうしてリナと一緒にいるのかと。
私に叫んでいた。
「……私も人のことは言えないわね。私も、きっとリナさんのことを引き留めようとしてしまったのだから。でも、私達のような人は邪魔だと思うのよ。リナさんが進んでいくのに邪魔、そうでしょう?」
「それは、うん。そうだろうね」
リナのように強い人は1人でもどこまでも飛んでいける。
いや、1人の方がどこまでも飛んでいけるのかもしれない。
同じように飛べる誰かとなら、遥か遠くまで共にいけるのかもしれないけれど、リナほど遠くまで飛べる人がいるとは思えないから、結局彼女がもっとも高く飛べるのは1人の時なのだろうから。
私達のように、彼女の羽ばたきに救われた者達は、ただの鳥籠でしかない。
共にいようと思っても、私達にできることはリナを閉じ込める鳥籠になるしかない。
それはわかっている。
「そこまでわかっててどうして……好きなのよね? ミューリも、リナさんのこと」
どうして今日はそんなにそのことを聞かれるのだろう。
未だにこの質問に答えるのは慣れない。
きっと慣れることはないのだろう。
けれど、答えは決まっている。
「好きだよ。私はリナのことが好き」
私の返答を予想していたのだろう。
カミラは驚くことはなかった。
けれど、同時にその表情の中に疑問が強くなるのを感じる。
「なら……なら、リナさんのために身を引くべきじゃないの?」
「……そう、思ったこともあるよ」
それも、そう遠い話じゃない。
まだほんの数日前の話。
正直、それに関してはまだ少しばかり思う所がないわけじゃないけれど。
「なら……! なら、解放してあげてほしいわ……リナさんが、可哀想……」
「私は」
わかっている。
もしも私がいなければ。
リナひとりなら、無限の大空へと飛び立っていけることぐらい。
私が鳥籠でしかないことぐらいわかっている。
でも。
「私は、リナと一緒にいるよ」
「どうして……!? どうしてなの? どうして、そんなことができるの?」
半分、縋るような声にも聞こえた。
そして、本当に心の底からリナがどこまでも行けると信じているのだとも思う。
本当に私と似ている。
私も同じように思うけれど。
それでも、リナは私を好きだと言ってくれた。
「リナは私といることを望んでいるから」
「そんなの……!」
「うん。わかってるよ。それがリナの優しさってことぐらい。でも、私は、リナの傍でしか生きていけない。リナも私の隣でしか生きていけない。それが今の私達なんだから」
リナも私がいないと死んでしまう。
そういう確信の元に、私は言葉を返す。
「そんなこと……そんなの、だって。リナさんは、強い、から。誰かに頼ることなんて。誰かがいないと生きていけないなんてあるわけないわ……」
「私もそうだと思ってた。でも、違う。理由は、わからないけれど……」
リナは私から離れようとはしなかった。
私をどこまでも追いかけてきてくれて、私をどこまでも助けてくれた。
そして、私がつき離そうとすれば、命を失おうとしているその姿が今も思い浮かぶ。
だから、私はリナと一緒にいることを許されている。
私が鳥籠だったとしても。
私がリナが羽ばたいていくのを止めていたとしても。
私はリナと一緒にいられる。
どうして、そうなのと聞かれても。
私にはよくわからない。
私にわかることは、リナが私を好きだと言うことだけ。
「そんなの……でも……」
私の返答にカミラは一歩下がる。
あからさまに狼狽えように視線を泳がせていた。
けれど、途端にその目は私を捉える。強烈な眼光と共に。
「……ミューリがそうさせたんじゃないのかしら。ミューリが、リナさんを弱くさせたんじゃないのかしら。そうだわ。きっとそう。なら、やっぱり、ミューリはリナさんから離れるべきよ。離れないといけないわ。そうでしょう? そうとは思わないのかしら」
一気にまくしたてるようにそう言った。
つまりは私のせいだと。
リナがそうなったのは私のせいだと。
それは……そうなのかもしれない。
けれど、それでも私は。
リナと離れたいとは思わない。
もう、そんなことは思わない。
そう答えようとして口を開く。
「思わないよ」
けれど、その言葉は私の声ではなくて。
不意に現れた、どこまでも安心する声の方へと視線を流せば。
「思わない。ミューリが私から離れるべきだなんて、そんなこと少しも思わない。私は、ミューちゃんと一緒にいたい」
リナがいた。
開け放たれた扉の先から、リナが私達のほうを見ていた。




