第46話 夜は翼を休めて
リナの白い髪を少し撫でてみる。
彼女の髪はどうして白くなったのだろう。
子供の頃は赤かった。
今も子供かもしれないけれど。
そろそろ16歳で成人年齢は満たしているとはいえ、大人だと言えるほどに立派なわけでもない。
もし私がちゃんとした大人ならこんなことにはなっていないだろうし。
目の前で彼女の命が失われそうになって。
私は本当に心の底から嫌だった。
この世界で独りきりになってしまうようで。
独りというのはどうにも辛い。
周りに誰にもいないというのが、どれほどの虚無感を生むのか私は知っている。
もし孤独しか知らなかったのなら、もう少し違ったのかもしれないけれど、誰かに肯定される喜びを知ってしまったから、私はもう孤独には戻りたくない。
孤独であることが寒いことだと知ってしまったから。
誰からも好かれないことはとても怖い。
この世界に居場所がないから。
この広い世界で居場所なく放浪できるほど私は強くない。
怖い。
この世界は怖いことばかりで。
外からくる不安とか。
内から溢れる恐怖とか。
嫌な事ばかりだから。
だから、誰かといないと耐えられない。
そして私にとって、その誰かはリナなのだと思う。
リナ以外には考えられない。
リナには生きていて欲しい。
せめて、私を肯定してくれる唯一の人には生きていて欲しい。
もしもその命が失われるのなら、私はどうすればいいかわからなくなる。
生きているだけで良いのだけれど。でも。
許されるのなら一緒にいたい。
きっと彼女と共にいることは彼女のためにはならないのだろうけれど。
でも、それでも彼女が私といることを望んでくれるのなら。
きっとそれが私の素直な願いで。
色々と理由をつけてはみたけれど、もう単純に彼女の肯定なしでは生きていけないというただそれだけのことなのだと思う。
多分、たくさん失敗をした。
肯定してくれるリナと一緒にいたくて。
けれど、住んでる世界が違うのではないかと思うほどに別格の彼女との関係は、いつ崩れるのかもわからなくて。
私は不安で。
いつリナが私を見捨てるのかわからなくて。
先生についていったのも、彼女に何かを返さないとと焦っていたのも、どちらも同じことだったのだと思う。多分、一緒にいられるか不安で、彼女がいなくなりそうという予感が尽きないから、私は狂ってしまっただけなのだと思う。
それは今もあるのだろうけれど。
でも、もう良い気がしてきた。
色々不安に思ってしまうけれど、でもリナが死んでしまうよりは良い。
彼女が私を嫌うのなら、先に殺してしまえ。
彼女が私を拒絶するのなら、先に嫌ってしまえ。
そんな風に思う心が消えたわけではないけれど。
けれど、それよりも良い解答を私は知った。
もしも嫌われたのなら、私が死んでしまえばいい。
彼女が行ったように、私も死んでしまえばいい。
そう思えばちょっと気が楽になった。
もう蘇生魔法の責任とか、出会ってきた人のことか、私のことすらも知ったことはない。
私の命は彼女の心のままにする。
そんな風に諦めが回れば、ちょっと素直になれた。
だから、私はまだここにいる。
リナのそばに居る。
そろそろ目を覚ますだろうか。
そう思い、彼女の顔を覗き込めば。
綺麗な目が私を見据えていた。
「ぁ」
小さな声が漏れる。
どちらのものかはわからないけれど。
でも、それを合図にして、彼女はゆっくりと身体を起こして。
私を見据える。
ちょっと緊張する。
酷いことを言った。
心にもないことを。
リナは許してくれるだろうか。
許してくれなければ……どうしよう。
いや、その時は死んでしまえばいいだけなのだから。
「リナ、おはよう」
その言葉に彼女は言葉を返さない。
彼女は私を不安げに見つめるばかりだった。
沈黙がその場を包む。
きっと私が話すべきなのだ。
私が元凶でそして、私が求めているのだから。
「リナ、あのね……」
意を決して言葉にしようとした。
けれど。
「やめて!」
彼女は耳を塞いだ。
そして涙を浮かべ、叫ぶ。
「聞きたくない……! 嫌いだなんて。言わないで。ミューちゃん。お願い。私が悪かったから……もうこれ以上は……! ごめんなさい。ミューちゃん。ほんとにごめんなさい。私が全部悪かったから。やめて……怖い。言わないで……」
面食らった。
こんなにも彼女が崩れるだなんて。
あそこまで強いリナが。
けれど、それをしてしまったのは私で。
そう思えば、許されざる大罪を犯してしまったのだろうけれど。
でも、私は言葉を紡ぐ。
「ちがうよ。リナが謝る必要なんてない」
「謝ったって意味ないってこと……だよね? そういうことだよね。もうわかったから。だから私死ぬから。なんで。なんで私を助けたの。やだ。もういやだ……」
泣きじゃくるリナを引き留めたくて、必死に言葉を探す。
「違う。違うよ……リナは悪くない。私が悪いんだよ全部」
「やめてやめてやめて……こないで……」
塞ぎこむリナの手を取る。
彼女は小さく抵抗したけれど、私の力でも剥がせるほどに小さな抵抗だった。
リナがほんとに抵抗したのなら、私の妨害など意味をなさないはずなのに。
「やめてよ。お願い。ミューちゃん……」
「リナ、聞いて?」
「っ……」
正面から見た彼女は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしていて。
心底、恐怖と痛みに怯えているようだった。
それは私がつけた傷跡のせいなのだろう。だから、私は伝えないといけない。
「リナが好き」
彼女は一瞬呆けて。
そしてまたもや表情を崩した。
今度は歓喜も見えて、ちょっと安心する。
まだ完全に私は拒絶されたわけじゃない。
「ま、また嘘、でしょ? やめて。もうやめて……怖い。ミューちゃん。怖いよ……」
けれど受け入れられているわけでもない。
リナの精神は酷く揺らいでいる。
私の方へと確定させようと、言葉を追加する。
「私、リナのこと好きだよ。リナに生きていて欲しい。一緒にいて欲しい」
「嘘! 嘘だよ! 全部、嘘だったって言われて……! 私、もうわかんないよ。何を信じたらいいの? ミューちゃん……ほんとはどっちなの……? わかんない。わかんないよ。正直に言ってよ……」
私のせいだ。
私が酷い嘘をついたせいで、リナは揺らいでいる。
きっと前までなら許してくれた。信じてくれた。
でも今は、私のせいで私を疑っている。
どうすれば信じてくれるのだろう。
私はリナに何をすれば。
言葉を紡いでも意味はない。
彼女は私の言葉を信じ切れない。
リナは私が揺れている時、どうしてくれたっけ。
「もう嫌……早く死なせてよ……お願いだから……!」
「ほんとにリナのこと好きだよ」
「嘘はやめ」
彼女の叫びは言葉にならなかった。
言葉にさせなかった。
彼女の声は私が塞いだから。
私はまた自らリナに口付ける。
今度は別に命を救うだとか、魔法を使わないといけないとか、そういう理由じゃなくて。ただ、彼女へと触れるため、私は口付ける。
またしても呆けたように放心しているリナに私はまた言葉を紡ぐ。
「私、好きじゃない人にこんなことしないよ」
いつかにリナに言われた言葉と同じ言葉を紡ぐ。
これで信じてもらえるとは思ってはいない。
ただ、これで説明する時間ができた。
「ごめんね。私のせいで不安にさせて。でも、私、リナのことが好きで……それで、リナってすごい人だから、私のこと邪魔なんじゃないかなと思って」
「そ、そんなこと」
私は首を横に振る。
「ううん。リナはすごい人だよ。きっと誰だって助けられる。たくさんの人を救える。みんなに愛されて、幸せになれる。けれど……私なんかに構ってたらそれはできないから。だから、突き放さないといけないなんて……思っちゃったんだけれど」
そうした方が良いのだろうというのは今も変わらない。
リナは私と別れた方が周りに仲間も増えるのだろうし、自由に使える時間も、大成する可能性も増えるのだと思う。
私といて得られるものは何もない。私はただの足枷なのだから、何も与えられない。
「でも、私、やっぱり嫌だ。リナと一緒にいたい。だから、お願い。私と一緒にいて……許してくれるなら、私、一緒にいたいよ……」
触れても許してくれるだろうか。
ゆっくりと手を伸ばす。
彼女は手を振り払わなかった。
私は彼女を抱きしめる。
ほのかだけれど、確かな熱がそこにはあった。
孤独な私の心を暖めてくれた心。
私が消してしまいそうになった熱。
その熱を一度突き放した私が、またその熱を求めるのは許されていないのかもしれないけれど。
でも、それが私の望み。
それが私の願い。
「リナが好き。最初はわからなかった。リナは急に現れて、私を好きって言ってくれたけれど。でも、私にはよくわからなくて。でも、でもね。今はわかるよ。私は、リナのことが好き」
私は心のどこかで心底驚いた。
自分がそんなことを言うなんて。
私の中にそんな感情があるなんて。
私が誰かを好きになれる人だとは思わなかった。
いや、好きではあったけれど、まさかここまで好きになれるなんて。
その感情を持てたことが、私は心底嬉しい。
リナのおかげで。
だから、ここで彼女が私を拒絶しても、リナのことを責めたりはしない。前までの私なら殺してしまいそうになってたのかもしれないけれど。
きっと拒絶されても、当然のことだと思う。
だって、私はリナを傷つけたんだから。
けれど。
「私も……好き……ミューちゃんのことずっと好きだよ……!」
リナは私の背に手を回す。
震えた手だったけれど、確かに私に触れてくれる。
きっとそれに私は感謝を伝えないといけなかった。
許しに感謝を。私といてくれることに感謝を。
けれど、それを伝える言葉は知っているはずなのに、声にはならず。
「好きだよ。大好き」
それだけ囁いて、ただ私は小さく身を委ねる。
彼女は私を受け止めて、私を抱く手にほのかに力が籠る。
「私も、私も好き」
そして私達は悲しくもないのになぜだか泣けてきて、それがおかしくてちょっと笑う。
何だか久しぶりに心が通じた気がして。
幸せだとほんのり、けれども確かに感じて。
夢のようだけれど、でもここは夢じゃない。
辛い現実でもない。
ただ幸せな現実。
それはただ身に余るほどに強烈な感情に身体がついていけていないのだろう。だから、なんとなく涙が出て。
私とリナはわけもわからず2人で泣いていた。
お互いの熱が混ざり合って溶け合うまでずっとそうしていた。




