第44話 止まり木になれたなら
綺麗な刃が白い首に赤い筋をつける。
ぴちゅりと音がして。
赤い魔力の液体が溢れ出てくる。
鮮やかな血液が。
鮮血が現れる。
そして腕がたらりと垂れて。
短剣がぽろりと床に転がり。
彼女の身体は糸が切れたように倒れる。
白く長い髪がふわりとゆらめき、彼女の身体を隠す。
綺麗な髪も、肌も、手も、脚も、次第に赤くなっていく。
その身体の輝きが消えていく。
血液が小綺麗な床に広がる。
その光景は再演だった。
これを私は前も見たことがある。
その時は黒髪だった。
アオイも私の前で首を切った。
その時と同じ。
赤い血が私の元へと迫ってくる。
水滴が足に触れる。
その冷たさが私を現実へと引き戻す。
私は咄嗟に立ち上がって駆け寄る。
無数の疑問に呑まれそうになりながら。
「り、リナ!」
なんで。
どうして。
もう。
わからない。
いやだ。
またまちがえた。
なにを。
ぜんぶ?
ぜんぶまちがえた。
わたしは。
どうして。
でも。
りなは。
なんで。
いやだ。
そんな。
そんなの。
でも。
どうしたら。
なんで。
こんなの。
わたし。
りな。
りな?
きえる。
まちがえて。
まちがえたから?
わたしが。
わたしの。
わたしのせい……
またわたしのせい?
わたしのせいだ。
わたしのせいで、りなが。
「なんで、そんな。りな、うそ……なんで、こんな」
魔力が消えていく。
私の腕の中で彼女の魔力が消えていく。
赤い血が出てきては、魔力となって大気中へと還元されていく。
「よ、ごれるよ……」
リナ。
リナの息がする。
小さく掠れた息がする。
りな。
なんで。
なんで、こんなことを。
「リナ……リナ……! なんで、なんでなの?」
上手く視界が見えない。
「……みゅ、ちゃんに、きらわれるなら……いきていたくない……」
わたしのせいだ。
いやだ。
ちがう。
そんなことのために。
私は嘘をついたんじゃない。
リナが嫌いだなんて。
ちがうのに。
わたしはただりなにしあわせに。
わたしなんかといちゃいけないって。
彼女はきっと優しすぎて。
私が拒絶しないといつまでも、私の傍にいてしまうから。
そうしたらきっと幸せには慣れないから。
だから、嘘をついたのに。
「ちがう。ちがうよ。しなないで。ねぇ、リナ。私を置いていかないで……」
咄嗟にそんなことを呟いていた。
もう彼女から返答はなかった。
掠れた息だけが聞こえていた。
いつの間に握っていた手からも力が失われていく。
死。
死が迫っている。
彼女に。
リナに。
私のせいで。
「しなないで。やだ。りな。ねぇ。おねがい」
どう願ったって、無情にも血は流れ続ける。
魔力が出続ける。
命の源が消えていく。
「やだ。やだよ。ね。お願い。目をさまして。りな……リナ……! うそでしょ。なんで。なんでこんな。でも。おねがい。助けて。助けてよ。独りにしないで……」
もうわからない。
どうすればいいか。
私はただ次第に冷たくなる彼女の手を握ることしかできない。
とても熱っぽくて、優しいリナが冷たくなっていることが私を嫌に冷静にさせた。
ここは現実で。
夢じゃない。
現実だから辛いことばかりで。
そしてリナが死んでしまう。
でも。そんなの
リナが死ぬなんて。
そんなの。
そんなの絶対だめ。
けれど。
助けてくれる人はいない。
なら。
「助けなきゃ」
リナがしてくれたように。
彼女はこうなっても諦めたりはしなかった。
ずっと私を助けようとしてくれた。
なら私もそうしないと。
それぐらいのことは私でもしなくちゃいけない。
私は立ち上がる。
あたりを見回して、彼女の鞄を見つける。
その中を探り、あるものを探す。
「どこかに」
どこかにあるはず。
私の推測が正しければ。
あって。
お願い。
なかったらどうしよう。
どうしようもない。
でも、あるはずだから。
「あ」
私は小さな魔導機を取り出す。
それは回復魔導機。
回復魔導機は危険な地域に行く時、特に未開拓領域に行く時には必須とされている。元探索者のリナなら持ってると思った。
問題はこれが使えるかどうか。
けれど、それを考えている暇はない。
「おねがいおねがいおねがい」
回復魔導機に魔力を込める。
込めようとした。
けれど、私の魔力は言うことを聞かない。
上手く流れない。
おちつけ。
おつかないと。
でも、はやくしないと。
早鐘のような魔力のうねりを感じる。
私の中にある魔力のほとんどを絞り出す。
そして、無理やり回復魔動機へと捻じ込む。
それは咄嗟にでた荒業だった。
結局、私の魔力のほとんどは制御を失ってしまったけれど、それでも一部だけは回復魔動機へと入り込む。
そして、ほのかな光が灯る。
リナの首傷が治っていく。
「やった……!」
喜びもつかの間、光はすぐに消え、不気味な音共に回復魔動機が嫌な音を出す。
「あ、あれ」
もう一度。
そう思っても、もう魔導機は何も言わない。
まだなのに。
もう少し回復魔法を。
首の傷は消えても、彼女は目を覚まさない。
彼女の身体は冷たいまま。
「な、なんで」
考えるまでもない。
私では回復魔動機の性能を引き出せない。
込めた魔力量が少なすぎる。
私の小量な魔力の、それも一部分ではこれが精一杯。
そして私の魔力は、他の魔法と相性が悪い。
魔動機に刻まれた回復魔法の術式を壊してしまったのだろう。
私にしては上出来かもしれない。
傷を治せただけでも行幸かもしれない。
でも、それだけじゃだめ。
リナを助けるにはせめてもう少し魔力をあげないと。
でも、もう回復魔動機は壊れてしまった。
これを介して、魔力は与えられない。
どうしよう。
どうすれば。
こうしてる間にも彼女の命が弱くなっていく。
傷は治したから猶予はできたけれど、時間ができたと言えるほど長くもない。
もうほんの少ししかない。
彼女の魔力欠乏症をなんとかしないと。
リナが死んでしまう。
しんじゃう。
「あ」
何を私は焦っていたのだろう。
別に蘇生魔法を使えば良い。
リナが死んでも、蘇生魔法で蘇らせればいい。
そう思って、ほっと息を吐くけれど。
でも、使えるのだろうか。
今の私の魔力はもうほとんどない。
こんな状態じゃ、蘇生魔法は使えない。
使えるようになるには明日まで待たないといけないだろう。
それまでリナの身体が魔力へと還らないように保つ手段はない。
それに加えて、今すぐにでもここを離れないとどちらにせよリナの身が危ない。
だって、ラスカ先生はきっと追ってくる。そうでなくても学校に通報するだろうから。
どうしよう。
こんなことなら、回復魔動機なんて使わなければ良かった。
それなら魔力はもう少しあったのに。
それでも、昼間の先生のせいで半分以下ではあったけれど。
「困っているようだね」
ふと、声がした。
びくりとして、そちらを見れば、そこにはラスカ先生がいた。
扉を開けて、いつもの作り物みたいな顔で私を眺めていた。
「せ、先生……」
今はそれどころじゃないのに。
私はリナを助けないといけないのに。
「そんなに怯えたような顔をしないでくれ。私は君を助けに来たのだからね」
助けに?
また私を連れ去るつもりだろうか。
それならリナは死んでしまう。
そう思い身構えるけれど、どうやらそういうわけではないようで。
先生は珍しく少し言いづらそうにしながら、けれど笑顔で。
「ミューリくん、君の願いを教えてくれ」
先生は私にそう言った。
先生の目にはなんだか……悲しみが見えた。いつもの作り物みたいな顔とは違う。
それを見れば、なんとなく信じても良いかと思った。
それに今の私は先生以外に頼る人もいない。
だから、信じるしかない。
それ以外に道はないのだから。
「私の願いは、リナを助けることです」
驚くほどに素直にそう言えた。
彼女を助けたいだなんて。
どの口がとも思うけれど、私は傲慢にもそう言った。
「そうか。ならば助けよう。どういう状況だね?」
「り、リナが怪我しちゃって、それで。か、回復魔法とか」
先生なら私と違って魔法が使えるはずだ。
それならリナを助けることだって。
そんな私の期待は打ち砕かれる。
「残念ながら、私は回復魔法があまり得意ではなくてね。擦り傷程度ならともかく、そこまで衰弱した者を助けることはできない」
「そんな……」
「私には助けられないが、君になら助けられるかもしれない。これを使えば」
先生が私に手渡したのは手のひらぐらいの魔導機だった。
見たこともない形で、どのような効果があるのかはわからない。
「これは……?」
「君の魔法を補助するものだ。まだ試作品だがね」
これでどうしろと。
そんな疑問を読み取ったかのように、先生は口を開く。
「君の魔法は、強大だが、その本質的な性質はもっと単純なものだと私は見ている。その単純な部分だけを使えるようにする魔導機、これがそれになる」
私の魔法の性質。
そんなことを今日どこか聞いた。
先生から聞いた。
たしか先生は。
『君の魔法が、他者の魔力へと干渉することぐらいはわかっている』
私の魔法をそう評していた。
つまり。
「君の魔法の魔力干渉能力のみを取り出せばいい。あとはその魔導機が、その一部分のみで魔法として発動してくれるはずだ。そうなれば、後は魔力を流し込むだけで応急処置にはなるだろう」
本来、人の魔力にはそう簡単に干渉はできない。
既に形を成している魔力は、多かれ少なかれ魔力強度を有していて、そのせいで他者の干渉を受け付けないようになっている。
けれど、私の魔法なら魔力強度を無視して、魔力へと干渉できる。
それなら、直接魔力を譲渡することだって。
「魔力は魔導機内に予め入っている。だが、それ以上はもうない。ミューリくんの魔法なら、使えて一回だろう」
魔導機を見つめる。
そんなことができるのだろうか。
でも、もしもそれができるのなら確かに助けられるのかもしれない。
けれど、こんなことしたことがない。
私には私の魔法がわからない。
この魔法はどんな原理で動いているのか。
それを知らないから、どの部分だけを使えばいいのかもわからない。
「魔力干渉能力を持つ点は、魔力と触れ合ったときに活性化するはずだろうからね。そこだけを上手く切り取りとるといい」
「魔力と触れ合う……」
「やり方はわからないけれどね。私にできるのはここまでだ」
先生が立ち上がる。
どうしよう。
どうすればいいのだろう。
とりあえず魔法の術式は展開したけれど。
でも。
どうしよう。
どうすれば魔力干渉能力を持っている部分など見つかるのだろう。
わからなくて。
とにかく彼女に触れればいいのかと。
咄嗟に私は彼女に口付ける。
そうすれば魔力に触れられる気がして。
そうしてこくりと動いた術式以外の魔力を霧散させると同時に、魔導機を起動した。
すると魔導機が音を立てて動き出し。
そして。
私は彼女の魔力へと繋がる。
それを感じた。
そして私は何も考えずに、自らの魔力を流し込む。
普段の魔力とは違って、素直に動き出した魔力にほっとしながら、私はすべての魔力を注ぎ込んだ。
後先など考えず。
ただすべての魔力を。
限界まで。
「お、おい。そこまでしたら君が死んでしまうぞ」
「いい……! リナが、助かるなら……」
私の命などどうでもいい。
リナが助かってくれるなら。
「おねがい。りな、かえってきて。おねがい」
私は祈りながら魔力を込め続ける。
今、どれぐらいの魔力が入ったのだろう。
これで、本当にリナを助けられるのだろうか。
いろんな不安を振り払ないながら、魔力を注ぎこんで。
「……そこまでだ」
急に先生が魔動機を停止させ、私はリナの魔力への干渉権を失った。
「なにを……!」
なんてことを。
リナを助けようとしてたのに。
もう少しで助けられたのに。
結局、先生はリナを助ける気なんてなかったということか。
私は怒りの余り、殴りかかりそうになって。
けれど、それよりも早く私の身体は制御を失い、リナの上に倒れ込む。
「落ち着たまえよ。もうリナくんは大丈夫だ。これだけ魔力があれば、あとは自分で目を覚ますはずだ。君のおかげでね」
先生が頭上で何かを言っている。けれど、それが何かはわからない。
もう限界だった。
ほぼ全ての魔力を消費したのだから、意識など保てるはずもない。
私はリナのほのかな熱を感じながら意識を手放した。
 




