第43話 飛んでいくのなら
リナ。
どうして。
なんで。
そんな言葉が駆け巡る。
思わず叫んでしまいそうになった私の口を、彼女はその綺麗な手で押さえつける。
「しー……」
触れられた手から伝うほのかな熱が幻覚ではないことを語る。
けれど、だからこそ疑問が溢れ出る。
何故、ここにいるのか。
場所なんてわからないはずだ。
あの荒野で私達は別れて、そこから何日も移動してここまで来た。
きっとラスカ先生のことだから、それなりに見つかりにくい所なのだろうし、実際今までこの家には追手の1人すらこなかった。
それに場所がわかったって、どうしてリナはここに来たのだろう。
リナのことを私は裏切ったのに。
私はリナの願いを無下にしたのに。
どうして彼女は私のところまで来たのか。
私を恨んでいるのかもしれない。
けれど、それならここを学校にでも通報すればいいだけなはずなのに。
わざわざ会いに来る意味がわからない。
「ミューリ」
名前を呼ばれる。
その声が、私の心を震わせる。
それは小さな歓喜か、それとも多大な恐怖か。
何を言われるのだろう。
怖い。
その口から拒絶の言葉が出るのが。
リナに面と向かって拒絶されて、私は息ができるのだろうか。
私は……リナを拒絶したのに、そんなことを恐れる資格があるのだろうか。
さながら気分は判決を待つ罪人のようだった。
あの時のことを、今までの罪が私の目の前で蠢いている。
私と別れて、リナだって気づいたはずだ。
私にいくら与えようとも、私は何も返さない。
私という足枷がいなくなって、どれだけ気楽になったか。
どこへだっていけるようになったことに気づいたはずで。
その足で、私への怒りを晴らそうとしていたら。
そんな恐れで私は泣き出しそうになるけれど。
でも。
「助けに来たよ」
リナは優しい声色でそう言った。
私は呆けて、ただ力が抜けた。
その声には一切の恨みや怒りといったものはなくて。
私の知っているリナの声だった。
私が一番よく聞いていた、とても優しく、そして隠しきれない熱を含んだ、私の好きな声。
その声が私を安心させるから。
なんとなく私の罪がなかったことになった気してしまうから。
少し手を伸ばしてしまう。それはしてはいけないのに。
その手を引っ込めるよりも先に彼女は私の手を握る。
そして私を抱きかかえた。
まるでお姫様のように。
「行くよ」
「ぇ、ま」
私が何かを言うよりも早く、リナは跳躍する。
いつの間にか空いていた窓から外へと飛び出した。
いつも眺めていた庭を越える。
いつも眺めいてた壁を越える。
そして、閑散とした道へと出る。
リナは私を抱きかかえたまま夜の街を走る。
人気のない廃墟のような住宅街を抜け、古びた集合住宅の一室へと飛び込む。
「ここまで来たら一安心だよ。明日には遠くまで行った方が良いと思うけど」
リナは私を降ろす。
小さな部屋だった。
最低限のものしかない。空間は最低限すらあるかどうか。
しかも古い。
もう何年も誰も住んでないのではないだろうか。
ここら辺は全部そんな感じだったけれど。
ラスカ先生の用意してくれた部屋と比べれば、良い所など一つもない。
けれど、不思議と安心する。
そこにリナがいるからだろうか。
でも、私はここにいちゃいけない。
またリナに助けられてしまって。
私はまた彼女にもらうばかりなんて。
ちらちと彼女の様子を伺う。
そして思い出す。
あの学校で再開したとき。
リナの姿は輝いて見えた。
眩くて、全てを照らしてしまいそうな幻が見えていた。
けれど、今は違う。
私は今の方が好きだけれど、きっとそれは私が彼女から光を奪ってしまったから。
私の独占欲か。それとも、他の何かか。
多分、リナは私に与えすぎている。
自らの光を失うほどに。
でも、そんなの良くないはずだ。
ここは現実で。
それなら、何かを貰ったなら同じだけ返さないといけないはずだから。
だから私はリナと一緒にいてはいけない。
「リナ、私……戻るよ」
「ぇ?」
リナの身体が固まる。
これを言えば彼女はまた泣いてしまうかもしれない。
でも。
「助けに来てくれてありがとう。でも、私……リナと一緒にはいちゃいけないよ」
私は言葉を絞り出す。
それと同じように、リナも掠れた声で問う。
「な、なんで……?」
「……リナに助けられてばかりで、何も返してあげれない。リナに何かしてあげたいのに……何にもできないから、だから。だから、私じゃだめだよ……一緒にいちゃだめ」
私は上手く笑えているだろうか。
気にしてないような、これを望んでいるふりができているだろうか。
「私じゃなくて、もっと別の……誰か、なら。誰かなら、リナもきっと」
泣かないで。
笑っていて。
また明るくなれるから。
「リナももっと羽ばたけるでしょ? 私と言ったら、きっとなんにもできなくなっちゃうよ。もしかしたら……死んじゃうかもしれない……」
「そんなの」
「それに! それに私は、リナのこと全然気にしてあげられない……もっと、もっとリナを助けたいのに、でも、できないよ……! 私にはできない。何にも。奪うことしかできないから……だから、だめだよ……私は誰かと関わる資格なんてないんだから……」
リナの言葉を遮り、私は一息に想いを吐き出す。
ただ一方的に。
身勝手に。
彼女は衝撃を受けたように顔を歪ませたまま、口をぱくぱくとさせるだけだった。
きっと呆れて何も言えないのだろう。
こんな私に対する扱いとしては順当だと思う。
これもきっと間違った選択なのだと思う。
もう何が正しいかもわからない。
でも、リナと一緒にいなければ、もうリナを傷つけることはない。
奪ってしまった光も、いつかは彼女の元に戻るだろう。
それなら。
それなら、この痛みぐらい。
「それじゃあ……私、行くから」
私は入ってきた扉の元へと向かう。
行くって、どこへ行くのだろう。
行く当てなどないのに。
とりあえずは先生のところに行くのだろうか。
あそこなら、私の行動で傷つく人はいない。
「まって! まってよ! ね、まって……お願い……」
固まっていたリナが私に駆け寄る。
足を縺れさせながら。
目に涙を浮かべなら。
私を硬い床に押し倒す。
もう何度も見たけれど、飽きることない彼女の顔が私の前に現れる。
「ねぇ、わ、私の何が駄目だったかな……そんなに私と一緒にいるの、嫌、かな……何が、嫌か言ってくれたら全部直すよ……! 私じゃ力不足だから……? 何か酷いこと言っちゃたかな……? わかんない。わかんないよ、ミューちゃん。何が嫌なの……?」
「嫌なところなんて……」
何もない。
リナはずっと私のために動いてくれていた。
色々なものを捧げて。
私に色々なものをくれた。
でも、返せないから。
私は何も返せないから。
「私が、駄目だから……リナみたいな人とはつり合わないよ……」
私など誰ともつり合わないのだけれど。
私なんか、誰からも好きになってもらう資格などないのだから。
「嘘……嘘だよ! 私の何が嫌だったか言って……? お願い。必ず直すから……一緒にいて。私の傍にいてよ……」
それは懇願だった。
あの時、私がラスカ先生のところへと行った時と同じ。
それに応えたい。
けれど、それは私には許されていない。
「私は……ミューちゃんのこと好きだよ。大好き……嫌なところなんてない。欠点も含めて全部……全部好き。ミューちゃんは違うの?」
そんなの、私だって。
私だってほんとは。
「私は……違う……」
顔は見れない。
目を合わせられない。
怖い。
こんなこと言いたくなかった。
けれど、きっと本当は。
私はリナのこと一度も見ていなかった。
自分のことばかりで。
彼女に視線を合わせられないから、私は何も返してあげられないのだろう。
奪ってばかりなのだろう。
「……そんなに先生との生活はよかったの?」
私は目を閉じる。
そうでもしなくては、リナの懇願に私は耐えられそうになかった。
この熱に。
この夢に。
私は触れてはいけない。
「それとも……ずっと嘘ついてたってこと……?」
答えられない。
ほんとうは嘘だって言うべきなんだろうけれど。
そこまで私は自分の心を偽れない。
いや、心などもうわからないのだけれど。
「そう、なんだ……」
沈黙をどう解釈したのか、私の上からリナの影が消える。
彼女が私から離れていく。
きっとそれは正しいことで。
本来あるべき状態に戻るだけだとしても。
寂しい。
そう思ってしまう。
思ってしまった。
でも、今更リナを求めることなんてできない。
そんなことしてはいけない。
私にはそれは許されていない。
私が許されているのは、蘇生魔法を使って命を落とすことだけ。
そんな命を捨てる前提の私が、誰かと恋をしようだなんてこと自体間違っていたのかもしれない。
それはきっとそう。
どうせいくら頑張ったって、私はすぐに蘇生魔法で死んでしまう。
それ以外には私に道などないのだから。
「ミューちゃん、ほんとに全部嘘なの? ほんとに私のこと嫌いだったの? こうやって触れたのも。あの時、好きって言ってくれたのも。一緒に寝たのも。傍にいたのも。全部……全部嘘だったの……?」
きっと答えなくちゃいけない。
ここで答えれば、私を酷い人だと思ってくれる。
それなら、私のことなど忘れてくれるはずだ。
全部奪ってきた私など恨んでくれていい。
リナに恨まれるなら、構わない。
忘れてくれるならもっといい。
どれだけ寂しくても。
それならきっとリナの邪魔をすることはない。
「……そ、そうだよ。全部、嘘」
綺麗に言えただろうか。
私の嘘は見抜かれていないだろうか。
そんな恐れと共に顔をあげる。
「そう……なんだ……ね」
彼女は私が座り込む玄関から離れていた。
もう遠くに、手が届かないほど遠くに彼女はいた。
寂しさと共に少しほっとする。私もようやく、何かを成せた気がする。
これで、リナはもう大丈夫なはずだから。私のことなんて忘れて、幸せになってほしい。
そんなこと思いながらぼんやりとリナの背中を見ていると、ふと彼女はこちらを振り向いた。
その虚ろな目には涙が溢れていた。
いつになく歪んだ表情をしたリナを見ていると、心がきゅぅと音を立てるのが聞こえる。そんな彼女を助けられたらどんなに幸せだろうと、少し考えてしまう。
そのせいか、私は気づかなかった。
リナが手に短剣を持っていることに。
「そっか……それなら」
叫ぶ間もなかった。
彼女は自らの首を斬っていた。
鮮血が舞い散る。