第42話 黄昏が訪れるから
ラスカ先生が、私をこの家に幽閉してもう1カ月が経過した。
幽閉と言っても別に閉じ込められている感じはしないけれど。
家の中なら自由に歩き回れるし、何も不自由することはない。
多分、先生に頼めば大抵のものは手に入る。何も頼んだことはないけれど。
でも、家の中から出ることは禁じられている。
正直、別にそれは不自由ではない。
私には外に出てやりたいことなどないから。
ほんの少しだけ、リナと会いたい気持ちはあるけれど。
でも、それが許されていないのは知っている。
彼女との出会いは泡沫の夢だったと忘れるしかない。
本当に夢のような時間だったと、失われた……いや、捨ててしまった今だから余計にそう思う。
正直、今では本当に夢だったのではないかと思う。
こんな何もない無機質な部屋で一日中窓から外を眺めているだけの日々を過ごしていると、そんな風にも感じる。
本当は私はここでずっと幽閉されていて。
学校に行ったのも、リナに会ったのも、全部夢だったんじゃないか。
私の心が生み出した、ただの妄想だったんじゃないか。
そんな風に少し思う。
そんなわけはないとわかっているけれど。
どことなくそんな恐れを抱いてしまう。
いや、多分。
きっと夢のほうが良いのかもしれない。
夢であれば、私なんかにたくさんのものを奪われたリナはいないのだから。
ラスカ先生は私の魔力情報をずっと解析している。
たまに協力するように言われて、魔力を提供したり、血を取られたりしているけれど、今のところそれぐらい。
1人で私の魔力を全て解析するつもりなのかという疑問はある。
そう聞いてみたこともあるけれど、『先生は優秀だから大丈夫だ』と言っていた。
いくら優秀であっても、そんなことができるとは思えないけれど。
まぁでも、少なくとも先生が私の魔力を解析しているうちは、私が見捨てられ、国に売られることはないだろう。
それに安心するべきなのか、それとも恐怖が先延ばしになっているだけだと不安がるべきなのか、私にはわからないけれど。
けれど、何もない日はこうして部屋で外を眺めていればいい。
少なくとも命の危険はないし、侮蔑の目もない。
学校で意味も分からない授業を独りで聞いているよりはよっぽどましなのかもしれない。ただ……味気なくはあるけれど。
でも、今日は何もない日ではなかった。
きぃと小さな音と共に扉が開く。
「ミューリくん」
ゆっくりと目を開けて、開かれた扉の方を見る。
そこにはラスカ先生が立っていた。
「ついてきてくれ」
有無を言わせないその言葉に私は逆らえない。
先生がこの家の支配者なのだから。
別に私に予定などないから良いのだけれど。
だって、この家から出られないのだし。
「今日は少し魔法を使ってみて欲しいのだけれど」
ラスカ先生は私を呼び出してそう言った。
「……前も言いましたけれど、私は魔法を使えません」
そう否定してみるけれど、先生は話も聞かずに計測器の準備を始めていた。
あまり私の意思には興味がないのだろう。
先生が興味を持つのは、私の魔法に対してだけだから。
「それは正確じゃないだろう? 魔法を使えないわけじゃなくて、使ったら死ぬ。そういうことなんじゃないのかい?」
「……なんで」
なんで、それを知っているのか。
私はそんなこと一度も言ったことはない。
先生には私の魔法のことを何も伝えていないのに。
「何故知っているのかって顔だね? 当然だろう。この私が君の魔法を解析したんだからね。これぐらいのことはすぐにわかる、他にも君の魔法が、他者の魔力へと干渉することぐらいはわかっている」
ラスカ先生は本当に優秀らしい。
私の魔法の解析など、こんなすぐにできるものじゃないはずなのに。
昔の研究所にいたときは、蘇生魔法であるということが判明するまで4年もかかったのに。まぁ、先生もまだそこまでわかったわけじゃないみたいだけれど……
「さて、それじゃあ始めてくれ。あぁ、もちろん途中までで構わない。君を失うわけにはいかないからね」
先生は作り物みたいな笑顔でそう言った。
その不気味な笑顔にも、そろそろ慣れてきた。
未だ多少の恐怖は消えないけれど。
そしてこうなれば私に拒否権はない。
それは先生との利害関係の終わりを意味するから。
私は恐怖を振り払うように体内の魔力へと集中する。
魔法なんて、ほとんど使ったことがない。
だから、私はゆっくり魔法を発動するしかない。
それが蘇生魔法が複雑なせいなのか、それとも私の魔力が不器用なせいなのか。
どちらかはわからない。その両方な気もする。
魔力が次第に術式の形をとっていく。
なけなしの魔力がゆっくりと流れ始める。
同時に私の身体は悲鳴を上げた。
命の源である魔力が消えていこうとしているのだから当然かもしれない。
息が切れる。
前が良く見えない。
痛い。
寒い。
身体が倒れ、意識が消える。
発動しかけた魔法が、次第に弱くなっていくのを感じる。
なんとなくここが分水嶺なのだとわかった。
ここでさらに魔力を込めれば、私の魔法は私を殺すだろう。
対象を取ってはいないから、ただの無駄死になるけれど。
それでも、いいかな。
「そこまで」
私の肩に先生の手が触れ、緊張からか私は魔法の制御を手放してしまう。
朦朧とした意識の中で、もう少しで死ぬことができたのだろうか、そんなことを考えながら、立ち上がる。
「限界だろう。今日はここまでにしよう。助かったよミューリくん」
「いえ……」
先生は笑顔を私に向ける。それは作り物には見えない。
けれど、それは私の魔法に向けてであって、私の心にではないことを知っている。
だから、嬉しいとは思わない。
「ここでの生活はどうだろうか? 不満とかがあれば言ってくれると助かるよ」
「いや……別に……」
特に不満はない。
簡素とはいえ食事は出るし、着替えも機械がだしてくれるし、寝るところもちゃんとある。
人並みの生活で、余計な対人関係がない分、学校での生活より良いのかもしれない。
でも、どうにも良い生活だとは言えない。
なんというか空っぽだから。
「なら良いのだけれど。その割には不満そうな顔をしているじゃないか?」
「……そんなの、先生には関係ないでしょう?」
「あるだろう。君の笑顔は大切だよ。私は君が好きなのだからね」
その言葉に。
私は。
「そんなの、嘘ですよ!」
叫んでしまった。
心が溢れて、止まらない。
「私のことなんて好きじゃない癖に!」
「……私は、本当に君が」
「触らないで! 先生が好きなのは私の魔法ですよ!? 私の魔法にしか興味ないじゃないですか!」
息が切れる。
私は怒りのままに叫んでしまったけれど。
先生はその言葉に怪訝そうにして。
「……なぜそれが、ミューリくんを好きじゃないということになんだい?」
そう言い放った。
私は、それに何も言う気にはなれなくて。
ただ。
「……すいません。ちょっと言いすぎました」
取り繕った言葉を並べ立てて、逃げるようにふらふらと部屋と戻る。
先生は私の魔法にしか興味がないことを否定しなかった。
……ほんの少しだけ、否定してほしかった。
私のことに、少しでもいいから興味を持ってほしかったのに。
……そんなことを思う資格がないことはわかっていても、そんなふうに期待してしまうのは私が弱いからだろうか。
でも、私も同じだ。
私も先生に興味がない。
きっと誰にも興味を持てない。
私は自分勝手なせいで、誰のためにも動けない。
だから別に先生を責める資格は私にはない。
興味がない者同士、意外とお似合い何のかもしれない。
なんて。
そんなことあるわけがないのだけれど。
先生は誰かの役に立つ研究をしている。私は何もしていない。そういう差を感じずにはいられない。
部屋に戻れば、私はそのまま倒れ来んだ。
あまり起き上がる気も起きない。
疲れた。
こんな風にしていても死ぬことはない。
私の生命は保証されている。一応だけれど。
きっと先生が私を助けてくれるというのは嘘ではないのだろう。
それが私の望む形でなくても。
多分もう私には先生しかいない。
先生が嫌いで苦手でも、その心が偽りだと知っていても、私は先生に依存していなくては、生きていられない。
それは本当に嫌だけれど、でも、そうするしかない。
この家から追い出されることがあれば、私はすぐに国に捕まることになる。
そうなればもっとつらくなるだろうから。
それに少し気楽だ。
先生は私の魔法に興味があるから、まがりなりにも私がここにいていい理由にはなる。そういう利害関係だけなのだから、気楽ではある。
リナといた時のほうが心地よかったけれど、彼女は私に与えるばかりで、私は彼女から奪うばかりだったから……気楽かと言われると少し違う。
大切な関係だったけれど、同時に失うことにずっと怯えてしまう関係だった。楽しくて嬉しくて……きっと幸せな夢だったから、覚めるのを恐れる日々だった。
でも、別に今が好きなわけじゃない。
ただ仕方がない気がする。
この満足はできずとも、そこまで嫌なわけでもないこの部屋で一生を過ごすというのも。
私なんかには過ぎた結果な気がする。
「でも」
小さく呟く。
でも。
なんのだろう。
何がこれ以上欲しいのだろう。
私は何を求めているのだろう。
いや、別になんだかもう。
よくわからない。
私は。
今まで何をしてきたのだろう。
夢から覚めて、最近よく考える。
そしてその答えは簡単で、ただ何もしていなかった。
それだけのこと。
だからそんな私がこんなふうに、空虚な孤独の中で生きているというのは、そこまで悪いことじゃないのは分かっている。
でも、私はたくさんのものを貰った。
そしてそれを全て壊して捨ててしまった。
リナだけじゃない。
きっと同室だった先輩も、他の人も。
それこそラスカ先生だって。
私がもっとうまくやれば。
私がもっと良い人なら、何かが違ってたはずなのに。
少なくともこんな。
こんな結末ではなかった気がする。
外が怖いから?
みんなが怖いから。
全部怖いから。
先に拒絶してきた。
だから、こんなにも孤独なのかもしれない。
別に蘇生魔法がどうとか、そういうのはちょっとした要素でしかなくて。
本当に悪いのは全部私なのだろう。
そんなことはわかってる。
わかっているけれど。
私の本心はただ恨みを吐いている。
悪態をついて、世界への怒りを吐いている。
だっておかしい。
私だってもっと普通の魔力で生まれていたら。
もっと優しい親で。
命だって狙われない。
そんな生活なら、私だって。
リナに何かを返してあげられるような。
そんな人になれたはずなのに。
そんなわけはないのに。
そんなことを考えてしまうから。
全部が嫌になってきて。
私は必死に目を閉じて。
早く日が沈めと願い。
もう二度と明日なんて来るなと祈り。
「ミューちゃん」
その言葉で目を覚ました。
リナが私の枕元に座っていた。




