第39話 目覚めれば悪夢が瞼の裏に
目が覚めて、何かがおかしいと思った。
どうにも寒い気がした。
まだ冬ではないというのに。
「おや、起きたかい?」
声がした。
焦点を合わせれば、ラスカ先生が、私を覗きこんでいた。
私は声にならない悲鳴と共に距離を取ろうとするけれど、私の身体は壁にぶつかるだけで。
「そんなに怯えなくてもいいじゃないか。私だって、傷つかないわけではないのだからね」
先生は作り物みたいな笑いを浮かべる。
私は恐怖のあまり、リナへと助けを求めようとするけれど。
「り、リナ、リナは……?」
そこにリナの姿はない。
ここにいるのは私と先生だけのようだった。
ここ、と言ったけれど、場所もどこかはよくわからない。
辛うじて、輸送車の荷台であることはわかるけれど、さっきまであったはずの大きな貨物容器はないし、車も動いている。
流れる外の景色は小さな窓からは良く見えないけれど、どこかの林道を走っているようで、私が来たことのない場所であるのは確かだった。
きっとここで降ろされても、私はどこにも行くことはできないだろうと予感する。
「おや。混乱しているのかい? リナくんは置いていったじゃないか」
何を言っているのか一瞬わからなかった。
言葉の意味を理解しても、結局どういうことかはわからない。
置いていった?
「忘れてしまったのか? 知りたいかね?」
恐怖と疑問の中で、私は訳も分からず頷く。
ラスカ先生の作り物みたいな顔が嬉しそうに歪む。
それと同時に、私は薄っすらと記憶が蘇るのを感じた。
そう、確か。
「ならば、思い出そう。私達がリナくんを置いていった時のことを」
そして記憶は、私達が車から出た時まで遡る。
学校の監視領域を越えた荒野で私達は火を囲んでいた。
夜の荒れた道を通るのは危険ということで、ご飯でも食べていた。
その時、私の隣にはリナがいた。
そして、眼前にはラスカ先生がいて、私達を見据えていた。
「これから行く当てはあるのかい?」
先生からの質問に、リナは私をちらりとみて答える。
「……正直、あまりありません。けれど、どうとでもなります。外に出てさえしまえば。とりあえずは街に向かおうと思ってます」
リナの向けてくれた視線には不安があれど、同時に期待が見えた。これからの未来に。
私は、どうなのだろう。
私は流されたままにここまで来てしまったけれど、これで良かったのだろうか。
リナは私を引っ張ってくれて、こんな場所まで出てきてしまった。
もう取り返しはつかない。
しかるべき機関に見つかれば、ただでは済まないだろう。
そう思うと、吐き気がしてくる。
だからだろうか。
「ミューリくんは、それでいいのか?」
ラスカ先生のその言葉に私はすぐに返答できなかった。
これで良いのかという問いに対する答えは私の中にはない。
「わか、りません」
かろうじて、そう言葉を紡ぐ。
その返答に先生は顎をさする。
「ふむ。そういう感じか」
先生の全てを見返したような眼が恐ろしい。
空っぽな私を。リナとつり合っていない私を。
すべて見られている気がする。
「どういう感じなんですか。ミューリを困らせないでくださいって言いましたよね?」
私の恐怖を読み取ったかのように、リナは私を抱き寄せる。
その夢のような温もりに集中すれば、私は少し息をしやすくなる。
けれど、やっぱり、これでいいのだろうかという思いは消えてくれない。
「別に困らせてはいない。しかし、そうならやはり」
先生が言葉を区切る。
なんだか鎌首をもたげているようで。
私は気分が悪くなってくる。
けれど。
「大丈夫だよ」
リナは私を見つめてそう言った。
まるであらゆる恐怖から守ってくれるようだった。
それが私は嬉しくて。
けれど同時にこんな醜い私で良いのだろうかとも思う。
たくさんのものをリナから貰った。
きっとたくさん奪い取った。
彼女は嫌な顔一つしないけれど。
嬉しそうな顔をしてくれるけれど。
でもそれで良いのだろうか。
こんな不釣り合いで良いのだろうか。
いや、それで良いとリナは言ってくれる。
でも本当にこの関係のままでいたいのなら、なんとかするべきなのだと思う。私にはそれはできないけれど。
そんなことを考えて、リナに見惚れていたから、私は気づかなかった。
ラスカ先生が何かの魔導機を取り出したことに。
先生は唐突に立ち上がり、何かの魔動機の起動した。
同時に輸送車の荷台で何か大きな音がした。
そこからは、得体のしれない生き物が這い出くる。
何かはわからないけれど、それはあからさまに魔法生物で、ラスカ先生の研究の産物であることは想像がついた。
けれど、それを今放つ意味がわからない。
先生は何をしようというのだろう。
そんな疑問を得るよりも先に、先生が言葉を放つ。
「ミューリくん、君はやはり私とくるべきだろう。そうした方がお互いにとって良いはずだからね」
意味不明だった。
リナが警戒するように立ち上がり、私の手を強く握る。
私はその手を軽く握り返す。
「君には不満があるのだろう? 外に出れたというのに、あまり嬉しそうじゃないのはそういう理由じゃないのかい?」
違う。リナに不満などない。
不満があるのは私自分のこと。
私が独りじゃ何もできないから、息もできないから。
リナに甘えてばかりなことが嫌なんだと思う。
けれどそれをどうにかする術はない。
そんな声はでない。
私はただ怯えるだけで。
結局、先生の不穏の声に答えたのはリナだった。
「……冗談ですか? 面白くはありませんよ」
「冗談ではない。私はミューリ君が欲しくなった。ミューリくんにとってもそれが良い。それなら共にいた方がいいだろう?」
先生の飄々とした、けれでも確かな意思を含んだ言葉にリナの語気も少し強くなる。
「渡しませんよ」
「君の意思は関係ない。既にこれは決定事項でしかないのだからね」
魔法生物が巨躯が動き、大きな魔力が動くのを感じる。
同時に私の隣でも、リナの魔力が動きだす。
でも。
「それで戦おうと言うのかい?」
リナの魔力は途中で霧散する。
彼女はそのまま力が抜けてしまったように倒れてしまう。
「り、リナ……?」
嫌な予感が身体を駆け巡る。
急に独りになってしまった気がして。
リナを置いて行かれてしまったという不安が溢れ出る。
「な、なにを……」
けれど、リナは苦しそうに顔をあげるものだから、心底ほっとする。
死んでしまったのかと思った。
彼女が先に死んでしまったら、どんなふうに息をすればいいかわからない。
どうやって生きていけばいいのかわからない。
「食料に少し毒を混ぜさせてもらった。リナくんは強い。まともに戦うほど私も愚かではない」
ほっとしたのもつかの間、不味い状況であるというのはかわらない。
先生の目的は未だによくわからないけれど、先生は敵になってしまった。
そして、私の唯一の味方であるリナは未だに倒れたまま。
「さて、ミューリくん、こっちに来きてくれるだろう? まぁ選択肢があるとは思えないが」
「だめ……だめだよ、ミューリ。行っちゃだめ……」
小さな声でリナが言うけれど、その言葉に力はない。
もう私達が先生に抵抗する手段はない。
どうしようもない。
きっと、その時点で私は気づいていた。
もうこの時点で詰んでいる。
リナがやられてしまった時点で、私を守る力は何もない。
私自身が、私を守ってくれないから。
先生の言う通り、選択肢はない。
リナへと視線を向ける。
彼女も心配そうに私を見ていた。
同時にその瞳には、私を守ろうという意思が感じ取れて。
こんな状況なのに。
彼女はまだ私の心配をしているのだから。
どこまで一方的な関係なのだろうと心の隅で思う。
「念のために言っておくが、君が抵抗すれば、リナくんにはそこの魔法生物をけしかける。まともに魔法を使えない今のリナくんでは、殺されてしまうだろう。その後は君を捕らえるだけになる。研究職とはいえ、私も教師だからね。それなりの魔法使いではある。君にはどうにもできないと思うが」
それは、嫌だ。
彼女には死んでほしくない。
死んでしまったら、息なんてできない。
私はどうすれば、いいのだろう。どうするべきなのだろう。
どうしたら。
「それは私の本望ではない。ミューリくんがこちらに来てくれさえすれば、それでいいんだからね」
「だめ、だめだよ……私なら大丈夫……必ず守ってみせるから……」
でも、これは私が唯一何かをできるときなのではないだろうか。
やっと貰ってばかりだった私が、リナのために何かを返せるときなのかもしれない。
先生は私を求めている。
私が先生のところまで行けば、リナは助かる。
私が、リナを助けてくれる。
いつも、助けてもらってきた。
ずっと彼女に生きることを助けてもらってきた。
今度は、私が。
これで少しはつり合いがとれたらなら。
こんな終わり方でも、許してくれるのだろうか。
「ミューリ……ミューちゃん、だめ……!」
重い足取りのままに、先生の元へと歩く。
先生が、私の手を取る。
初めて触れられた先生の手は、とても冷え切っていた。
「良い子だね」
「……これでリナのことは、助けてくれますか?」
「手は出す理由はないだろうね」
けれど、助ける理由もない。
言外のその言葉に、先生を睨みそうになるけれど、これで満足しておくべきなのだろう。癇癪を買ってしまえば、リナが死んでしまう。
「こっちだ」
「ミューちゃん、やだ……! まって……おねがい……!」
私はリナから顔を背ける。
その声の方を振り向けるほど、私は強くない。
けれど、我慢できるほど強くもなくて、ちらりと見れば、涙と痛みから顔を歪めたリナが私を見つめていた。
「ぁ……」
「乗るんだ」
何かを言うよりも早く、先生は私を荷台へと押し込んだ。
すぐに扉は閉められ、振り向いてももうリナの顔は見えない。
でも、正直少しほっとした。
あまり顔は見たくない。
見てしまえば、きっと私は彼女の元へと戻りたくなる。
けれど、そうすれば先生はリナに何をするかわからない。
「さて、行こうか」
「……どこに」
「そうだな……いや、答える必要はないか。安全な場所であるとだけ言っておこう」
ラスカ先生は相も変わらず本心の見えない顔をしていた。
今見れば、それも敵であるからに見える。
でも、私の敵であるなら、どうして。
「……私に毒は盛らなかったんですね」
「あそこまで強力なものは使うまでもないだろう?」
笑えてしまう。
私の力とはどこまで小さいものとして見積もられていたのだろう。
そしてそれが事実なのだから、本当にただの何もできない人でしかない。
「それに薬なら盛った」
薬?
何を。
あれ、視界がぼやけて。
「睡眠薬というやつだよ。暴れられても面倒だからね。それじゃあ、また会おう」
そして意識は途切れた。




