第38話 鳥と影の中でうたたねして
脱出計画実行の前日となっても、どのような計画なのか知らないのは私が何もしていないからだろうか。
結局私はリナに任せっきりだった。何かを返せた気になっているだけで、やっぱり私は何もできない者だと思う。
だからこうして彼女から説明を聞いている。
「えっとね。先生が外出許可を取ってくれたんだけれど、今回申請したのは研究用の特別なやつでね。大きな輸送車とかで学校内の研究設備とかも持ち出せるやつなんだけれど、それに紛れて私達も外に出ようってこと」
そんな簡単にいくのだろうか。
私の疑問を感じ取るかのように、リナは言葉を付け足す。
「普通に隠れてるだけじゃもちろんばれちゃうけれど、先生は魔法生物の実験もしてるから、魔法生物の一種として運んでもらえば、検査も突破できると思う。妨害用の魔法とか魔法生物も使うし」
リナの説明を聴いてもあまり安心感はない。
そんなことで見つからないだろうかという不安がある。
けれど、私にそれ以上の代案を挙げることはできないから、ただ頷く。
「それで外に出たら、途中で下ろしてもらって、それで終わり。そこから任せて。外のことならちょっとはわかるから」
私を心配させまいと気丈に振る舞う彼女の気遣いに気づいていないわけではなかったけれど、私はそれには触れず小さく笑う。
そうすればきっとリナを困らせることはない。
「頼りにしてる」
私の言葉にリナは微笑んだ。
その中に一筋の不安があるのを見ないふりをして、私は彼女を夢へと誘う。
そして、長い夜が明けて、朝が来る。
リナに連れられるままに来た場所は、いつものラスカ先生の研究室だったけれど、普段のように研究設備のある場所ではなくて、大きな貨物容器が複数存在している場所だった。
「さて、特に問題はないだろうか?」
「はい。大丈夫です」
私も一応、小さく頷いておく。
リナの影に隠れながらだけれど。
昨日の先生の様子はやっぱり怖いもので、あまり顔を直視できそうにない。
「そんなに緊張しなくてもいいだろう。難しい計画でもない。入る時はともかく、出るときの荷物検査なんて些細なものでしかない」
そう言われても、そう簡単に不安は消えない。
特に先生に言われても、不安は募るばかりかもしれない。
「それじゃあ、ここに入っていてくれ。あとはこちらで運ぼう」
「わかりました」
私達は言われるがままに、大きな貨物容器の中へと足を踏み入れる。
貨物容器は外から見れないようになっており、外からは中の様子がわからないようになっている。一応、仕切りのついた窓もあるけれど、そこは四角にいれば大丈夫なはずだ。
「ちょっと、怖いね」
私はリナの言葉に曖昧に笑う。
貨物容器の中は、薄明かりはあれどとても暗い。
確かに1人なら、こんな場所に来ただけで泣いてしまうだろうけれど、リナがいるからあまり怖くはない。
「便宜上は、薬品が入っていることになっている。偽装のため、いくつか入れてあるが、触らないことをおすすめしておこう」
薄明かりの下の瓶の中には透明な液体が揺らめいて見えた。
多分、魔法生物の実験か何かに使うものなのだろう。
私でもわかるほどに高濃度の魔力を感じる。触れればきっとただでは済まない。
「では、扉を閉じておくよ。いざとなれば内側からも開けることはできるが……それは外に出てからになることを祈ろう」
「はい。お願いします」
外と繋がる扉が閉められれて、私達は薄明かりの下で2人きりになる。
大きな貨物容器と言っても、私達が普段過ごしている部屋よりは小さい。
少し手狭に感じるけれど、隣にリナがいるから大丈夫な気がしてくる。
「やっとだね」
リナが隣で呟く。
「ほんとに、やっと」
私は彼女が呟いたその言葉の意味を測りかねる。
なんだか色々な意味が込められている気がして。
安易に頷くのは躊躇われた。
「……ミューリは、これで良かったと思う?」
けれど、リナは私を見つめて、言葉を求める。
その視線に耐えかねて、ぽつりと言葉をこぼす。
「……わからない」
漏れでた言葉は解答ではなかった。
だって、私に何かがわかるほど時間は経っていない。
私はただされるがままになっていただけで。
でも。
「私にはわからないけれど……でも、リナはこうしたほうが良いと思うんだよね?」
私の質問にリナが頷く。
「それなら、良い……と思う」
ただ流されているだけだけれど。
でも、リナの作ってくれた流れに乗るのは悪い気はしない。
きっとそれは、彼女が私のためを想ってくれているからで。
「そっか。それなら良かった」
私の言葉にリナは満足気に微笑む。
それが嬉しくて、私もちょっと頬が緩むのを感じる。
「わっ」
少し箱が揺れて、身体が傾く。
倒れてしまうかと思ったけれど、暖かな感触が私を受け止める。
「大丈夫?」
「う、うん」
リナの腕の中にいた。
彼女が支えてくれたのだろう。
「ちょっと揺れたね。動き始めたのかな」
ほのかな、けれど、確かな熱が私に触れている。
その感触が、匂いが、脈動がリナの存在を伝える。
私の傍にいてくれてるって、心が安心していくのが分かる。
彼女の確かな暖かさが、私を助けてくれる。
この熱のためなら、私は生きていても良い気がしてくる。
この熱のためなら私は。
死んでもいい。
「リナ……」
もう揺れは収まっていたけれど、私を抱き続けるリナの腕の中で、私は彼女を見上げる。
そこには私を穏やかに見下ろす目と、垂れ下がる白い髪があった。
そんな彼女の頬にそろりと触れる。
リナはそれを拒絶することなく、ゆるりと受け止めてくれる。
「どうかした?」
「ううん……ちょっと触りたくなっただけ。だめ、かな」
私は質問の答えを半ば確信しつつも問わずにはいられない。
リナがそれを言葉にしてくれるだけで、私は。
「いいよ。いくらでも」
許しを得て、私は彼女の頬に、髪に、鼻に、耳に触れる。
リナはくすぐったそうにしていて、けれど嬉しそうにしていたから。
私の中の欲望が肥大化していくのを感じる。
それがちょっと怖くて、手を収めようかと思ったけれど、気づけば唇に触れそうになっていて。
はっとなると同時に、彼女の唇が震える。
「外に出たら何をしたい?」
私は虚を突かれたように、手を引っ込める。
「ぇ? えっと……別に、何も……」
少し考えてみるけれど、別に外に出てもやりたいことなどない。
私はただ流されているだけで、主体性はない。
「外にはね、色々あるよ。もちろん怖いところもいっぱいあるけれど、色んな店がある所とか、遊園地とか海とか森とか、あとは……綺麗な星が見えるところとか。どう?」
「どう、なんだろう……」
想像してみても、そこに上手く自分がいる想像ができない。
そんな場所に私はいていいのだろうか。
「私は、行きたいよ。一緒に」
「リナが行きたいなら、私も……うん。行ってみたいかも」
一度も行ったことはないけれど、彼女と一緒なら。
少しは想像できる気がする。
「そろそろ検問だ」
不意に通信機を通して、ラスカ先生の声がする。
少しの緊張が走るのを感じる。
「検問と言っても、すぐ終わるだろうから、そんなに心配することはない。終われば、こちらから合図を出そう。それまで静かにしていてくれればいい」
「はい」
リナは小さく言葉を返す。
聞こえているのか聞こえてないのか、それに返答はない。
けれど、どちらでも問題はないのだろう。
「静かにね」
リナが私に囁く。
それに頷き、息を殺す。
「これはなんですか?」
「大体、研究成果というやつになるのだろうね。外の企業に頼まれていてね」
「納品ですか?」
「あぁ」
遠くで何かの話し声が聞こえる。
検査する人だろうか。
「どのようなものなんですか?」
「特異術式を内包した魔法生物が主か。見てみても構わないよ。殺されてしまうかもしれないが」
「い、いや。遠慮しておきます」
「そうか、残念だよ。良い自慢になるだろうに」
見つかればどうなるのだろう。
私は幽閉だろうか。リナは……殺されてしまうかもしれない。
怖い。
彼女が死んでしまうのが怖い。
いなくならないで……
「それだけですか?」
「あとは日用品とかか。問題はないだろう?」
「まぁ、そうですね」
見つからないことを必死に祈るけれど、不安は消えない。
恐怖のせいか視界が揺れる。
上手く身体が制御できない。
止めようと思っても身体は震え、殺そうと思っても息は漏れる。
「何か聞こえませんか? 息遣いみたいな」
どきりとした。
足音が近づいてくる気がして、余計に私の震えは強くなる。
恐怖からくる震えが私をどんどん恐怖の海へと沈ませてゆく。
止まらないといけないのに、私の身体は言うことを聞かない。
「魔法生物のじゃないか? たくさんいるからな」
「そうですか……?」
途端に多量の熱が私に押し寄せる。
リナが私の口を塞いでいた。
自らの口を合わせて。
荒れていた息はリナの中へと消え、身体の震えは止まる。
そのままどれほどの時が経ったのだろう。
こんな状況だというのに、私は外にいる検査員のことなど気にしてはいなかった。
私の目に映るのは、目の前の彼女だけ。
「……たしかに気のせいだったみたいです」
「いやなに。魔法生物が見たいのならそう正直に言ってくれればいいものを」
「ほんとにそれは遠慮しておきます」
柔らかな。暖かな。
なんといえばいいのだろう。
ただ魅惑的で、甘美な。
熱っぽい視線が私を見つめていて、それがとても心地良い。
再度、小さな揺れが起き、輸送車が動き出したことを告げる。
それに伴って、触れ合っていた唇も離れてしまう。
「ぁ……」
名残惜しくて、声が漏れるけれど。
リナは顔を真っ赤にしていた。
「よし、検問は越えた。もう声を出してもいいだろう」
どこか遠くでラスカ先生の声がした。
けれど、あまり聞こえない。
今の私は目の前のリナに全ての感覚が集中している気がした。
「ご、ごめん。突然……! でも、その、ミューリの息を止めないといけなくて。その、咄嗟で、私、その……ごめんね。突然、嫌だったよね……」
リナが変なことを言っていたけれど、それよりも私は彼女に触れたくて仕方がなかった。
けれど、自分から口付ける勇気はなくて、ただ彼女に抱きつく。
「嫌じゃない……嫌じゃないよ。ありがと……ここまで私を連れてきてくれて」
ほっとしたようにリナの身体から力が抜け、私の背に彼女の腕が回る。
そして私は学校の外へとでた。




