第35話 昼寝の夢は
結局、あの日から先生は一度も接触してこなかった。
リナはあの時の言葉を真に受けていたけれど、冗談でしかなくて、杞憂だったということなのだろう。
大体、私を好きになる人などリナ以外には存在しないのだから。
よくよく考えてみれば、リナが来てからしか友達だってできていない。
多分、私が彼女に救われたからだろう。
肯定してくれる誰かがいるというのは、それだけで自信となる。それが私のような弱い人間であっても。
そうして私が助けてもらったから。
だから私も、リナに何かを返してあげたい。
彼女を救ってあげたい。
なんて。
そんな思いはあれど、それができないことをもう私は知っている。
知っているというか、思い知らされた。
リナは私とは違う。
自分で自分のことを助けられる人だから。
少なくとも、私の助けなどは必要としていない。
だからまぁ。
相も変わらず。
つり合いのとれていない関係を続けている。
でも、少しだけ変わったのは、リナが我儘を言ってくれるようになった。
それは本当に少しだけで、私からしてみれば大したことではないのだけれど。
でも、ほんの少し何かを返しているような気になれてうれしい。
我儘と言っても可愛いものばかりだから、こんなもので何かを返した気になるのはリナに悪いかもしれないけれど。
まぁ……その我儘を受け入れなくても、リナは何も言わないだろう。
少なくとも、私を嫌いになったりはしないはずだから。
でも、多少は対等な関係になれているのかもしれない。
それが間違いなく傾いた関係であったとしても、少なくとも前までよりは。
だから、私はリナの我儘を拒むことはない。
「こっち、来てくれる?」
今日も寝る前にリナの我儘は始まった。
その小さな要求をするときには、毎回少し声が震えるから、簡単に分かってしまう。
私はふらりと彼女の広げる腕の中へと向かう。
そのままリナは私を抱きしめる。
彼女の暖かな熱が私を包む。
「ちょっと、こうしててもいいかな」
「……好きなだけしていいよ」
リナの手が私の髪と背中をゆっくりと撫でる。
ちょっとくすぐったいけれど、優しく触れられた手からは嫌な感じはしない。
まぁ多分、こんなもの我儘にすら入らない。
それどころか、私だってこうしてくっついているのは嫌いじゃない。
リナが私のことを好きだって確認できるから。
リナが私の身体を自由している間、私はされるがまま。
でも、別に不安はない。
彼女は私の嫌がることはしないだろうから。
私は……彼女の嫌がることをしていないだろうか。
多分、多少はしているのだと思う。
でも、リナが優しいから許してもらっている。
隣にいることを許してもらっている。
ならやっぱり、リナには何かを返すべきなのだと思う。
それが本当は彼女を救うことなら良かったのだけれど、それが無理だと言うのなら、それ以外の何かを成すべきなのだと思う。
命を捧げられたら。
そうしたら何かを返せたことになるだろうか。
リナに何かを。
それとも私がいなくなることが。
私を忘れてもらうことが一番、リナのためになったり。
「ミューちゃん……」
私に抱き着く彼女が途端に甘えるような声を出すものだから、私は思考を止める。
「どうしたの?」
「……ううん。なんでもない」
リナの手に少し力がこもるのを感じる。
まるで私がどこかに行ってしまうのを恐れるかのように。
「大丈夫?」
「……うん」
リナの声は怯えたように震えていた。
そこに昼間の時のような気丈さはない。
そんな弱い彼女を見れるのは私だけ。
私だけの特権。
なんて、驕ったことを言うと怒られてしまうのだろうけれど。
「これって。夢じゃ……夢じゃないよね?」
リナは甘えるような、恐れるような声で問いかける。
それが本当に思考を溶かそうとするけれど。
私は努めて平静に言葉を返す。
「うん。夢じゃないよ」
少なくとも今は夢ではない。
夢のようなもので。
現実と夢が混ざり合っているような日々だけれど。
でも、今はまだ夢じゃない。
もしもリナが現実に戻りたいと言えば、ここは夢になるのだと思う。
でも、それまでは夢じゃないということにしていても許されるはずだから。
現実に戻る時に、きっと私はリナの隣にはいないのだから。
「ミューちゃん、いるよね? ここにいるよね?」
「うん。いるよ。一緒にいる」
リナの不安そうな言葉に、私は言葉を返す。
加えて、彼女の背に手を回す。
それ以上に、彼女は私を抱きしめる。私の存在を確かめるように。
「良かった……一緒だよね。ね、今日も一緒に寝てくれる?」
「もちろん」
それは私が望むことでもあるし。
好きな人と共に寝れるのを断る人なんていないと思うけれど。
リナに誘われて、横になる。
彼女は安心したように微笑み、私を見つめる。
いつものように優しく私を熱で包んでくれる眼差しだったけれど。
でも、その瞳の中に何か揺らいでるものを見つけた気がした。
それを見逃すという選択肢は私には無かったけれど、でもどういえばいいか悩んで、結局単純な疑問をこぼしてみる。
「リナ、最近無理してない?」
「ぇ? ううん。全然。そんなこと……ないよ?」
「……ほんとに? でも、最近のリナ、しんどそうだから」
少しの沈黙が流れる。
リナは悩んでいるように見えた。
そして口を開く。
「ほんとは……ちょっと、どうしたらいいかわからなくなってた」
リナは珍しく弱音を吐いた。
きっと私にしか見せない、私だけが見れるリナの姿。
それは本当に可愛い。閉じ込めてしまいたいほどに。
「学校の外にどうしたら出られるんだろう。それがわからないよ。色々考えても、どれも上手くいく気がしない」
それに私はどう答えるべきかわからない。
私は外に出ることにそこまでこだわりはない。
でもリナはずっとそのことを気にしている。
「リナはさ」
これ以上言葉にするか悩む。
けれど、私の素直な心は言葉にするべきだと叫んでいるから。
「リナは、学校の外に行きたいの?」
「ミューリと一緒に行きたいよ。そうしたほうがきっと、ずっと一緒にいられるから」
私の疑問にリナはすぐに答える。
そこに迷いなどは見えない。
「そっか……」
私は別に外に出ることがそこまで大切だとは思っていない。
どうせ外に出ても危ないことだらけだろうし、リナの人生を潰すことになってしまうかもしれない。
外に出なければ、私が死んでしまうとしても。
私達の関係が終わるとしても。
リナの足をこれ以上引っ張りたくはなかった。
それに結局いつかは終わる関係だと思っているからだろうか。それとも、それが私の運命だと受け入れ、諦めているからだろうか。
だから、私は外に出たいとは思ってはいないのだと思う。
けれど、私には1つ案がある。
「……なら。その。私の魔力情報、あげちゃおうか。先生に」
ラスカ先生に私の魔力情報を渡す。
そうすれば、協力者になってくれるはずだ。
それで上手くいくのかはしらないけれど、でも確実にリナの計画の助けになると思う。
「ぇ、で、でも。それは。だめだよ。だって、嫌でしょ? そんなの」
「そうだけれど……まぁ、いいよ。だって、外に出たいんでしょ?」
私と外に出ることが、リナの目的だと言うのなら。
そのために行動することが、せめてもの私がリナに返せるものなのだと思う。
それが私の望みと反することでも。
それがリナの望みに繋がるのなら。
彼女は目を閉じる。
数舜、考えるようにそうした後に、また彼女の目が私を捉える。
「本当にいいの……? それなら……助かるけれど……」
大丈夫だよ。
そう返そうとして喉が詰まる。
本当にそれがリナのためになるの?
何かを返せているの?
心のどこかで不穏な音がした。
何かを間違えているような。
不安になって、恐ろしくなる音が。
私はそれから目を背けて、息を呑み込み。
もう一度、リナを見て言葉を吐く。
「うん。大丈夫」




