第34話 鳥籠にずっといてくれたなら
「それでは私は失礼するよ」
それだけ言って、ラスカ先生はどこかへと消えた。
それから部屋に戻っても、リナはどこか上の空だった。
何を言っても曖昧な返事しか帰ってこない。
「リナ」
「うん……」
ずっとこの調子だからなんだかつまらない。
「リナってば」
「うん……」
「ね、聞いてるの?」
「うん……」
リナのそのぞんざいな返事が嫌で、私は彼女の頬をつまむ。
暖かかなふにっとした感覚を堪能していれば、やっと彼女の視線がこちらを向く。
「なぁい? どふぅかしたぉ?」
頬をつままれたまま不思議そうな顔をして、もごもごと疑問をこぼすリナはとても愛らしい。もう少し触れていたくなるけれど、ずっとこうしているわけにはいかないから、手を放す。
「どうかしたじゃないよ。リナが全然私の話を聞いてくれないから」
存外、私の言葉は責めるようになってしまった。
そんなつもりはなかったのだけれど。
いや、そんなつもりはあったのかもしれない。
リナが私以外の何かに集中していることへの嫉妬がないわけではないのだから。
それが理不尽で、正当性のない嫉妬だとしても。
「あ、いや……ごめんね。えっと、どんな話だっけ?」
「大した話じゃないからいい……けれど」
一歩、言葉が止まる。
けれど、私の心は溢れ出る。
「でも、あんまりよそ見しないで……」
リナの手に触れる。
この温もりが私以外の人のところに行くのがたまらなく嫌で、本当に勝手なわがままを言ってしまう。
でも、困ってしまうような要求に、彼女は優しく微笑む。
「ミューリのこと、見てるよ」
「嘘……だって、私のこと無視したし……」
正確には無視されたわけじゃないけれど。
でも、似たようなものだとおもう。
「それは、ごめんね。でも、その、ちょっとラスカ先生の言葉がね」
私もそれが何を指しているのかわからないほど鈍くはない。
『私はミューリに少しばかり恋慕の情を抱いていると言ってもいい』
そんなことを先生は言っていたけれど。
でも、あれは。
「あれは……冗談でしょ?」
私はそう思っていたのだけれど。
でも、リナは深刻そうな顔を伏せる。
「そう、かもね。でも、そうじゃなかったら……もしかしたら、ミューリをとられるかも。なんて思っちゃった……ミューリは私のものってわけじゃないのに。でも、怖くて……」
私は少し息を吸う。
「私は……リナが好きだよ。信じてくれないの?」
リナは焦ったように顔をあげて、少し身を乗り出す。
ちょっと必死そうで、心のどこかで良かったと思う。まだリナの心は私を向いているようだから。
「そうじゃないよ。そうじゃなくて……私……ごめんね。上手く、言えない……」
リナはいつもと違って、どこか歯切れが悪い。
いつもなら彼女は真っすぐな言葉をくれるのに。
「えっと……話してみて、くれない? そのままでいいから」
別に上手く話せなくてもいい。
私はただリナの心の内を知りたい。
そんな欲望のままに、彼女に望みをくべる。
「でも……」
「お願い。私、リナのこと知っていたい」
なんとなく自分でも嘘っぽいことを言ってると思った。
素直に出た言葉ではあれど、その言葉は私には似合わない。
正確に言うのなら、私が不安にならないように心を全て明かして欲しいとでもなるのだろうか。
リナは数秒黙りこくっていたけれど、観念したように口を開いた。
「ラスカ先生がミューリを好きって言った時、思ったんだ……もし、ミューリのことをみんなが好きになったら……私はミューリに何かできるのかなって……私を選んでくれるような何かが、私にはあるのかなって……」
リナのこぼした言葉は、私にはよくわからないことだった。
だって、リナは私にたくさんものをくれている。そして私は彼女になにも返せていない。
「だから、怖くなった……みんながミューリに告白して、それでミューリは誰かを選ぶ……その中に私はいない……そんなふうになったら、どうしようって……思って……」
リナは言葉を震わせる。
けれど、その妄想に私は苦笑を隠せない。
それはありえないことだから。
「私のことなんて、みんな嫌いだと思うよ」
それはこれまでの5年間で知っている。
でも、リナはそれを否定する。
「みんな、知らないだけだよ。もし、ちゃんと話したらミューちゃんのこと、好きになるよ……」
「そんなこと」
咄嗟に否定しようとした私だったけれど、それよりも早くリナは首を横に振り、言葉を吐く。
「だ、だって……ミューちゃんは可愛いし、みんな知らないだけで優しくて、話しやすくて……そんなの、みんな好きになっちゃうよ……なっちゃうから……先生もきっと……」
そんなことありえない。
その言葉は湯気がでそうなほどに熱くなった思考からは出てこない。
リナに褒められるのは照れくさくて、恥ずかしいけれど、悪い気はしない。
「そ、それが良いことだってわかってる……! わかってるけれど……でも、私が一番最初に好きになったのに……」
リナは目に涙を浮かべていた。
彼女が語ったのは、驕りでなければ私への独占欲のようなもの。
それが私はとても嬉しくて、安心するから。
私は言葉を紡ぐ。
「私は……リナのものだよ。リナだけが好き。他の人なんて、知らない……」
それは彼女が私を好きでいるならというのが条件につく。
でも、今はそこをあまり疑ってはいない。欲を言うなら、もっと私を見て欲しいけれど。
「前は、他の人でもいいかもって思ってた。誰かが私を好きになってほしいって」
私の小さな腕の中でリナの身体がびくりと震える。
そんな彼女の頭を撫でてみる。それが拒絶されないことに幸福を感じながら、もう少し心の内を吐き出してみる。
「でも、今はリナじゃないと嫌だ。リナ以外は嫌だから……他の人なんて、気にしないで……私のことだけ考えて」
「うん……」
多分だけれど、リナは泣いていた。
彼女の顔は、私の胸に擦り付けられているから見えないけれど。
でも、嗚咽がしていた。
私への独占欲で泣いてくれる彼女は可愛くて。
こんな風にむせび泣くリナを見れたことが少し嬉しくて。
私はただ彼女の長くて白い髪を撫でる。
「落ち着いた?」
いくらかの時が経過して、リナはいつの間にか泣き止んでいた。
代わりに長い息を吐く。
「……ありがと。私……だめだね。我儘になってる……ミューちゃんとの生活が夢みたいで、でも、夢じゃなくて……だから、失うのが怖くて……」
私は少し笑う。
それはだめなことではないはずだ。
だってそれは。
「普通のことでしょ? 私も怖いよ。リナと離れ離れになるの」
リナは顔をあげ、泣きはらした目が私を捉える。
そして、その目が不安と期待で揺れているのを感じる。
「そ、そう?」
「うん。私は、嬉しいよ。それぐらい好きなんだなって感じ取れるから」
揺れた目を見据え返しす。
彼女の目はいつかのような眩い輝きはないけれど、とても綺麗に見える。
「じゃ、じゃあ……面倒くさいなとか思わない? 嫌いになったり……しない?」
「しないよ。逆にリナは我儘言われるの、嫌……かな。私、、多分たくさん言っちゃってるけれど……」
リナは勢いよく首を横に振り、私の言葉を否定する。
そうなることは分かっていたけれど、それでもそうしてくれるのはとても心地が良い。安心する。
「嫌じゃないよ! 嫌じゃない……むしろ、嬉しい。そっか、ミューリも同じなんだね」
リナはそう言って、嬉しそうに笑う。
それに私は、少し悩んで。
「……まぁ、うん」
小さな同意を返す。
けれど多分、想いは同じではない。
リナの方が想いの強度も強いのだろうし、不安は私の方が強い。
それはなんとなくわかってる。
「良かったぁ……」
安心したように深く息を吐きながら呟いたリナを見れば、私も少しは彼女の力に成れたかもしれないなんて、勘違いしそうになる。
多分、リナは少し不安に思ってしまっただけでしかなくて。
私がいなくても、すぐに自分の力で立ち直れるはずだから。
だから私がしたのはきっと、ただの自己満足でしかない。
もしも私ならリナのように、けろっと立ち直れはしない。
きっとずっと不安を抱えたままなのだと思う。
私の方がずっと弱い。
リナのことが好きだけれど……でも、彼女の幸せを願うのなら。
本当に彼女の幸せを願うのなら、私はリナといないほうがいいのではないだろうか。
そんな思いを隠して、私はリナに笑い返した。




