第31話 鳥につられて現へと
学校から出る。
そんな話をした夜から数度の夜を越えても、私はどうするか決めかねていた。
確かに学校にいるのは危険というリナの考えはわかる。
2度の襲撃と国からの命令を考えれば、今の私は死を待つ罪人でしかない。
でも外に出たら、リナの身は危険に晒されるだろう。
確かに確実な死を待つだけの私の生存確率は多少は上がるだろうけれど、でも逃げ切れるとはあまり思えない。結局は死んでしまう可能性の方が高い気がする。
ほんの少しの生存率上昇のためにリナの人生を潰しても良いのだろうか。
あまりそうは思えない。
彼女は私の贔屓目を差し引いても優秀で、歴史に名を残すことだって容易な気がする。
それが研究者としてか、魔法使いとしてか、それともまた別の何かかはわからないけれど……リナならなんだってできる気がする。この広い世界で羽ばたける人なはずで。
それを私が潰していいのだろうか。
私をほんの少し助けるためだけに、彼女の輝かしい人生を壊していいのだろうか。
すでに私はリナからたくさんのものを貰ってるというのに。
「ミューリ」
リナの呼びかけで私は思考から現実へと帰還する。
「ん、どうしたの?」
「今日、ちょっと寄りたいところがあるんだけれど、良いかな」
今日の授業も終わったし、このまま部屋に帰るのかと思っていたけれど。
まぁ、でも彼女がどこかへ行こうとするのを止める資格は私にはない。
「あ、うん。全然。行ってらっしゃい」
だから一抹の寂しさを隠して、手を振った。
でも、リナは何故か少し笑う。
「ミューリも一緒にだよ。それでも、いいかな」
「そういう……まぁ、うん。大丈夫」
少しどんな場所に行くのだろうと不安に思ったけれど、その提案に素直に頷く。
もしもリナが本気で学校の外に行こうと言えば、私は同じように頷くだろう。だって、彼女と離れることなんて考えたくないから。
でも、今のところはそうはなっていない。
彼女は私に選択権を与えてくれている。
それが大切にしてくれているということなのかもしれないけれど、同時に私を悩ませることでもある。
「こっちだよ」
リナが私の手を取り歩き出す。
熱が伝い、心がほのかに暖かくなる。
それにどこかほっとする。
てっきりリナだけでどこかに行くのかと思った。
また私を置いてどこかに行くのかと少し思ってしまった。
だから、手を握られるだけでこうも安心するのだろうか。
彼女に連れられ、着いた場所は研究棟の一角。
近くの壁には、第27魔法術式研究室と書いてある。
こんなところに何の用なのだろう。
リナは研究室に入りたいのだろうか。そういうのはもうちょっと上の学年になってから考える人が多いような気がするけれど……
まぁでも、リナぐらい優秀であれば、この時期からそういうこともあるのかな。
「ごめんくださーい」
私が思案しているうちに、リナは扉を軽く叩く。
彼女は少し緊張しているように見えた。いや、普段は来ないであろう場所に来ているのだから当然なのかもしれないけれど。
「開いてるから、入ってくるといい」
鋭くも落ち着いた声が聞こえ、リナが扉を開ける。
そこにはくるくるとした緑髪を携えた女が1人、奥の椅子に座っていた。どういった立場かはわからなかったけれど、なんとなく雰囲気から先生なのだろうと思った。授業で見たことなどはないけれど。
その人以外には人は見えない。
どうしてあまり研究室というものに詳しくはないけれど、大抵はもう少し人が多いような気がする。こう言っては悪いけれど、人気のない研究をしているのだろうか。
「おや、君は。リナくんだね。あの時は助かった。感謝するよ」
「いえ、当然のことです。けれど、借りだと思っていてくれるのなら助かります」
ちらりとリナを盗み見ると、彼女にあまり緊張している様子はない。
さっきまで薄っすらと見えた緊張はうまく隠しているのだろうか。
それに、リナは座っている彼女と面識があるようだけれど。
「隣の子は誰だね?」
彼女の視線が私を向く。
焦って、言葉を作り、吐き出す。
「あ、みゅ、ミューリと言います。えっと」
結局なんでここに来たんだろう。
それがわからなくて、リナの方に視線を向ける。
「今日はお願いがあってきました」
「ほう。それはこの前の借りも考慮してのことかね?」
借り?
何のことを言っているのだろう。
そんな疑問が形になるよりも早くリナが頷く。
「そうです」
「ふむ。聞いてみよう。君には感謝しているからね。できることなら助けになろう」
先生は微笑む。
けれど、あまり笑っているようには見えない。
私がまだ彼女のことを知らないからだろうか。
「ありがとうございます。それでお願いなのですが、私達を外に出して欲しいんです。誰にもばれずに」
「……ぇ? ちょ、ちょっとリナ……!」
私は黙って話を聞いていたけれど、リナの言葉に流石に声が漏れてしまう。
外に出るなんて、あまり大っぴらに言うことじゃない。ばれたら、最悪殺されてしまうのだから。
けれど、リナは大丈夫というように笑いかけるものだから、何も言えなくなって、彼女の背に隠れる。
「……それは、本気で言ってるのかい」
「はい」
「君には確かに借りがある。大きな借りだろう。だが、今の願いとは見合っていない。そうじゃないかね?」
先生はリナを指さす。
リナは何も答えない。
どんな借りを作ったかは知らないけれど、見合っていないというのは事実なのだろう。
「今なら聞かなかったことにしておこう。また別の願いあればその時にまた来るといい」
「……先生がやることは大したことじゃありません。ただ外出申請をして、その時に一緒に連れて行ってくれればいいんです。気づかなかったと言っていただければ、先生に危険はありません」
リナは静かに声を発する。
けれど、その提案は私でもわかるほどに穴がある。
それを先生が見逃すはずはない。
「危険はない? 外出許可のない者を外に出したことがわかれば、ただでさえ危うい私の立場はなくなる。今ある研究成果も全部ご破算になってしまうだろう。君が助けてくれたことも全て水疱になる。それぐらい君にだってわかっているはずだろう。もういいだろうか。帰ってくれ」
明らかに先生は機嫌を損ねていた。
なんだか空気も重くて、私は帰りたくなってきた。
はやくリナとふたりきりになりたい。
「新しい情報を渡すと言ったらどうですか」
けれど、リナはまだ諦めない。
一歩踏み出し、さらなる対価を投下しようとする。
「……ほう?」
「私の魔力情報です。少し面白いと思いますよ」
「……そっちか。いや、それなら……」
リナの魔力情報の何が面白いのだろう。
たしかに彼女は強力な魔法をたくさん使えるようだけれど。
そういう人の魔力情報は特殊だったりするのだろうか。それこそ研究対象になるほどに。
「どうですか」
「はっきり言おう。君には興味がない。もうすでに知っている。知っていることには興味がない」
「……そう、ですか」
先生の拒絶に、リナはあからさまに俯く。
それでもう打つ手は消えたのだと察した。
これで帰れるかと思ったけれど、先生の言葉は続く。
「だが、隣の君には興味がある」
「……ぇ?」
先生の視線は私を向いていた。
先生の視線はどこか恐ろしかった。
多分……綺麗な人なのだと思う。けれど、それがまるで作り物のように見えて、私には怖かった。
「わ、私?」
「そうだ。ミューリという名をどこかで聞いたことを思い出した。特待生だが魔法を使ったことのない生徒。私の学生時代にも少し話題になっていたよ。興味がある」
座っていたはずの先生はいつの間にか立ち上がり、ゆらりとこちらに近づいてくる。
私を守るようにリナがその間に立つけれど、それもするりと乗り越え、私の眼前に彼女の手が迫る。
「大方、特殊な魔法の術式でも記録されているのだろう?」
「え、えっと」
私は先生の言葉にどう返せばいいのかわからない。
まず、私達がこの場にきた目的も上手く掴めていないのに。
ただ話を聞いているうちに、いつの間にかとんでもない方向へと話が転がっている気がする。
私は助けを求めるようにリナへと視線を向けようとするけれど、それは先生の身体によって防がれる。
「今話しているのは私だよ」
「あ、え、その」
「まぁ、構わないのだけれど。しかしだよ。君の持つ魔力情報には大きな興味がある。どうだろうか。私に協力すると言うのは」
私の魔力情報。
それはつまり蘇生魔法のことになる。
それを明かすわけにはいかない。
「そ、れは……」
私はとっさに否定しようとするけれど、それよりも早く彼女は口を開く。
「まぁ個人情報だ。そんな簡単には決められないだろう。決まったら、また来てくれたまえ」
未だ半分、思考停止したままの私に、先生はそう言い放った。
その時の微笑みは先ほどまでと違い、確実な感情が見えた気がした。




