第27話 熱を閉じ込める
複雑な感情の入り混じる笑顔のリナは、駆け足で私に近づき、手を伸ばす。
けれど、その綺麗な手は途中で止まる。
どうしたのだろうと彼女を見れば、彼女は小さな虚ろと共に私を見つめていた。
「ミューちゃん……私……」
私の横で立ちすくむリナに、座るように誘う。
彼女はおずおずと腰を掛ける。なんだかそこには遠慮が見えて、ちょっとむっとする。
けれど、それも彼女の顔を見れば吹き飛ぶ。
リナは何かに怯えるように、私を不安そうに見つめていた。
私にしか見せないその表情に少しの喜びを感じながら、彼女の不安を取り除こうと言葉を選ぶ。
「えっと……私は大丈夫だよ。リナは? 怪我とかない?」
「……うん」
その顔は今にも泣きそうで、私は何と声をかければいいかわからなくなる。けれど、彼女にはそんな顔をしてほしくない。
だから、ただ素直に言葉を紡ぐ。
私にはこれ以外に手段は思い浮かばなくて。
「無事で良かった。また助けられたね。ありがとう」
もう何度目だろう。
こんな風にリナに助けられるのは。
彼女が来てからの数ヶ月で、私はもう何度も助けられた。
その力に。その心に。その存在に。
彼女がいなければ、息だって難しかっただろうから。
だから感謝を伝えたのだけれど。
彼女の顔から苦痛は消えてくれない。
それは後悔だろうか。私にははっきりとはわからない。
「ちが……私……また、私のせいで……」
「リナのせいじゃない……そうでしょ?」
今回のことは、別に誰のせいでもない。
強いてあげるのなら、私を攻撃した先生が仕組んだことなのだろうし、それに乗せられたエレラも多少の責任はあるのかもしれない。私も、無警戒にエレラに会いに行ったことは良くなかったかもしれない。
でも、リナのせいではない。
もしも何かリナのせいなことがあっても、彼女は私を助けてくれたのだから、それで帳消し以上だろう。
けれど、彼女は自分のせいだと言う。
「……どうしてリナのせいになるの? リナが私を助けてくれたのに。それで、なんで……」
私にはわからない。
どうしてリナが自分のせいだと言うのか。
ちくりとどこかで痛みがする。
また私は彼女のことがわからない。
それは嫌だ。
でも、少し嬉しい。
リナのことがわからないのが嫌だと思うのは。
リナのことを知りたいと思えるのは。
私がリナのことを好きである証拠だとも思うから。
「私の、せいだよ」
「どうして……?」
けれど、それ以上に私は心配になってくる。
彼女はどこか別の場所を見ている気がする。
私とは違うところへと行ってしまうような。
「リナのせいじゃないよ。リナは何も悪くない」
「ううん……違う」
私はゆっくりと彼女に手を伸ばす。
それはとても恐ろしいことだったけれど、彼女は私を受け入れ、触れることを許してくれる。
リナに触れると、とても温まる。
最初はきっと彼女の熱にあてられていたのだろうけれど、今は私から生まれる熱もあることを知っている。
だから私はいつかに彼女がしてくれたように、そろりと彼女の白い髪に触れ、頭を撫でてみる。これでリナの心が安らぐのならと思って。
「私が……悪いの」
「リナは何も悪いことしてないでしょ? 何も悪くないよ。」
けれど、この程度ではリナの心は変わりはしない。
やっぱり私にはそんな力はない。
「でも、私は……だって! だって……私がミューリを1人にして……それに……私の目の前であんな……守るって言ったのに……でも、できなかった……私が……」
リナが小さく叫ぶ。
そして彼女の言葉は、呟きへとなってゆく。
私を捉えてくれていたはずの視線は、別のどこかへと移ろう。
なんだか私は怖くなって、必死に言葉を紡ぎ、繋ぎとめようとするけれど。
「私は大丈夫だよ。リナのおかげで。リナのおかげなんだよ?」
「私、が……私が悪い子だから……」
「そんな、そんなことないよ。だって、そんなの」
私の言葉は届かない。
ただ彼女は俯き、虚を見たまま。
それがとてもじれったい。
「ミューちゃんといちゃいけない……私なんかじゃ……」
リナは呟きを加速させる。
その言葉は自虐に走る。
「結局私は誰も守れなくて……そんなんじゃ私……私が生きてる意味なんて……」
「そんなこと……」
そんなことはない。
本当にそんなことはない。
リナは私は助けてくれているのに。
でも、彼女の思考は戻ってこない。
どこかへと消えてしまいそうで。
私はなけなしの勇気を振り絞り、彼女を抱きしめてみるけれど。
「私は……本当はもっと早く……もっと早く死ぬべきだった……ミューちゃんに会いたくて……生きてきた、けれど……でも! でも私が……そんなことしちゃいけない……」
「なんで……なんでだめなの? 私は嬉しいよ。リナに会えて」
深く暗く落ちていきそうなリナの思考を引き留めようよと、私の中の言葉を吐き出すけれど、そんなものでは彼女は止まらない。
いや、元々私が彼女を止めることなど不可能なのだけれど。
彼女の精神に比べれば、私の言葉など何の意味もない。
「だ、だって……私にはそうする資格がない……ミューちゃんみたいな人と関わっちゃいけない……」
「そんなことないよ……私はリナに選んでくれて嬉しいよ」
多分、私ができることはこっちに来て欲しいと願うだけで、あとはリナ次第なのだと思う。私ができることは祈ることだけ。
彼女が私を引っ張ってくれることはあっても、その逆はないのだから。
「だって私は人殺しで……誰かを守るための力なのに……誰も……誰も守れない……」
「そんなことないよ。今までも、今回も私を守ってくれたよね」
それは事実だと思う。
アオイからも、エレラからも、知らない先生からも、リナは私を守ってくれた。
だから誰も守れないなんてことはない。
そのはずなのに。
リナは首を横に振る。
「ミューちゃんへの攻撃も……私は……私なら護れた。でも、私が護ったのは、私のこと……咄嗟に防御障壁を張ったのは私自身のため……あの時と同じ……私はまだ私のことばかりで……」
息を呑む。
リナはあの奇襲に反応できていた。
でも、それはそうだ。
彼女は私の近くにいたのだから、攻撃の直撃はともかく余波による怪我すらないのは、防御できたからに他ならない。
でも、それは私が弱いせいだ。私が自分の身を自分で守れる人なら、こんなことにはなっていない。
「ちがう。ちがうよ。自分のために魔法を使うなんて当たり前でしょ? それに私はほら、生きてるから」
どうして生きているかはわからないけれど。
喉元まで出かけるその言葉を呑み込む。
「そ、それに……私、リナがいないとやだよ。リナがいてくれるから、私も」
息ができている。
リナがいてくれるから、生きているのだから。
「死んだら、やだよ。死んじゃだめ……」
それはただの懇願ではある。
彼女の命をどう使おうが彼女の勝手なのだけれど。
傲慢にも私はそれに指図する。
けれど、それが命令能力を持つわけではないから、ただの懇願に過ぎないことは私が一番わかっている。
「ずっと一緒にいて……私を独りにしないで……」
そう願ってみるけれど、多分、それは無理なのだろう。
そんな言葉が心に蔓延りそうになるけれど、それから目を背けながら、彼女を呼ぶ。
けれど、顔をあげたリナの目はまだ虚ろのままで。
「でも……一緒にいたら、また……」
彼女の呟きが遠くなっていく。
私の傍から離れていくようで。
「あれ……私……どこに……」
「り、リナ?」
唐突に彼女の視線が動く。
視線が私を見るけれど。
それは私を映していない。
「ミューちゃんだ。ミューちゃんがいる……あれ……なんで……?」
彼女の声色が途端に明るくなる。
けれど、言っていることはどこかおかしい。
彼女は何を言っているのだろう。
声色は明るくても、話が合っていない気がする。
「夢……なのかな……夢だよね……だってこんな……ミューちゃんとこんな風に過ごして……恋人にもなれるわけないもの……ミューちゃんに肯定されるなんて……ただの願望なんだから……」
私は悟る。
彼女の心はどこかへと行こうとしている。
きっといろいろなことがあったのだと思う。
私には想像できないほどに無数のことがあって、リナは色々な事を考えて、それで負担がかかりすぎて、色々なことを気にしすぎているのだと思う。
「だってまだお金もなくて……だから第八十八回古代研究所調査に行かないと……だから……あれ? カーナは? クライスとリオンも……そっか、私が起きないから先に行ちゃって……早く準備しないと……置いてかないで……みんな、待って……!」
息を飲む。
リナが大きく息を飲む。
目を大きく開いて。
でもその視線は虚空のまま。
「ちがう! ちがう……みんなが置いてくわけない……! 死んじゃって……私の、私のせいで……」
苦しそうに叫ぶ彼女をみて、私は小さな苛立ちを感じていた。
いつまで過去を気にしているのだろうと。
いつまでも過去を気にしている自分のことを棚に上げて思う。
いつもリナは誰かのことを気にしている。
それは過去の大切な人やその系譜に限らず、今の友人も。
それは多分、人としては美徳で、彼女が眩しい理由なのだろうけれど。
でも、私は。
私のことが好きなのなら、私を見てくれればいいのに。私だけを。
過去なんて忘れてしまえばいい。
私のことだけ考えてくれればそれで。
「リナ! リナ……! 私を見て……お願い……!」
そんな気持ちが抑えきれずに私は叫ぶ。
それに……独りになるのが怖くて。
でも彼女は虚ろなまま。
それでも視線はこちらに向く。
「ミューリのことも守れない……私なんかと一緒じゃだめだから……みんな死んじゃう……私のせいでみんな……」
「リナのせいじゃないよ! それに……それに私、そんなこと頼んでない! 私はリナがいればそれで! 誰も守らなくていいから、それで、いいから……お願い……私を見て……!」
不思議な苛立ちと心配と不安で。
もうわからない。
けれど私は必死に声をかける。
どうすればリナが帰ってきてくれるかわからなくて。
それでも、リナに帰ってきてほしくて声をかける。
「ミューちゃんと一緒にいれる夢……その夢を見れたんだから、もういい……この夢を見られただけで、私は満足するべきなのだから……満足しないと……それだけでも心底恵まれた……」
夢、それは確かにそうかもしれない。
私も今のこの状況が夢のように感じる。
リナが私を好きだと言ってくれて。
私もリナが好きだと言えて。
共に過ごして。
多少の問題はあったけれど、でも一緒にいた。
それが確かに夢かもしれない。
この状況は夢だという方が正しいのかもしれない。
実際夢のようなのだから。
でも。
「夢じゃ……夢にいちゃいけないの?」
でも、夢に浸り続けていてもいいはずだから。
現実なんて辛くて、苦しいだけだというのなら。
夢に逃げ続けたって。
「ミューリ……でも、そんなの……」
ほんのりとリナの目が私を映す。
それにほっと安心する。同時にやっと気づく。
私の中の心配も不安も苛立ちも、全部、リナに向けられていたもので。
それは彼女が夢から目覚めようとするからだったのだろうと。
私との夢を捨てようとするからなのだろうと。
「リナは……リナはどうしたいの……?」
それに気づけば、私はもう叫ぶことはできない。
ただ私はまた必死に動いて、ただ彼女を縛っていただけなのだ。
リナが現実と戦うことを選ぶのなら、それを止める権利などない。
止めていいとは思えない。
でも、私は。
私は、ずっとリナと夢で過ごしていたい。
その思いの熱が今にもあふれ出しそうになっている。
いや、溢れだした後か。
「ミューリ、泣いてるの?」
「ぁ、ぃやっ、これは……!」
違う。
私は本当なら祈るべきなのだと思う。
リナが真に幸福を掴むことを祈るのなら、私に寄り添うことなどあってはいけない。夢から覚めて現実に。
現実の中で立ち直るべきなのだと思うし、彼女ならそれを成せる。
でも私は夢が失われると思うと、怖くて不安で嫌で少しの苛立ちと共に悲しくて、泣きそうになる。
「……もう少し、ここにいてもいいかな……私、まだミューリといてもいいのかな……こんな夢みたいな生活を続けてもいいのかな」
だから、リナが目に光を取り戻していったとき、私は思わず。
「うん……!」
浮いた声をあげてしまう。
けれど、遅まきながら気づく。
リナの笑顔が眩しくないことに。
何かを諦めたような。
何かを捨ててしまったような。
何かから目を背けたような。
そんな小さな暗がりのせい。
それが何かは私にはわからないけれど。
でも、リナから輝きが消えたことが私は少し。
ほんの少しだけ、嬉しいと思ってしまった。




