第22話 熱が広がる
「今日もいるわね」
「……うん」
もう名も知らない誰かがリナへと質問に来るのは見慣れた光景になった。
それを見て、私とエレラが話すのも。
「何も言ってないのかしら」
「……言ってないよ。言わないほうが、良いから」
それはきっと本当のことだろう。
何を言ったって、どこか責めているようになってしまうだろうから。
たくさん助けてくれたリナを責めたくはない。
私には彼女に何かを求める権利すらないだろうから。
「……そうかしら」
「そうだよ。きっとそう」
エレラは少し身体を起こして、リナを見据える。
私はその目が何故か気になる。
その目はいつものように穏やかな目だったけれど、でも別の何かも混じっているような。けれど、それはすぐに消える。
「リナもきっとあなたを大切に思ってるわ。少しぐらい何かを言ったって、嫌われたりはしないとと思うわよ」
「……そうかもね」
それは私もわかっている。
多分、私が他の人と話すことに文句をつけても、彼女は私を嫌いになったりはしない。それどころか、もう少し他の人と距離を置いてしまうだろう。
それは彼女を縛る行為で。
これ以上、彼女を私という籠の中に入れておくわけにはいかない。
もうたくさんもらっているのだから。
それに嫌われるかもしれないという不安感がないわけではないのだから。
「ミューリ。あなたが良いのなら良いのだけれど。言いたいことがあるなら言った方が良いと思うわ。私が言えた台詞ではないけれど」
明確な後悔の混じるその言葉に私は何も言えなかった。
そして午後の演習が終わり、もう帰ろうかとなったのだけれど。
「あたし、今日も残るわ」
エレラはそういった。
「最近いつもだね」
「そうね」
引き留める理由もなく、いつも通り私とリナは2人きりで帰る。
エレラはそんなに魔法試験に不安があるのかな。
まだまだ試験は先だというのに。
でも、私は試験のことなんてわからないから、そういうものなのかもしれない。
そう軽く思っていたけれど。
「どうしたんだろ。何か聞いてない?」
リナは心配そうに呟く。
それに胸の奥がちくりとするのを無視して、考えを返す。
「魔法の練習してるんじゃないの?」
「そう、なのかな。エレラは別に魔法の練習なんてしなくても、試験ぐらい通過できると思うけれど」
言われてみればそうかもしれない。
私もあんまりちゃんと見たわけじゃないけれど、エレラの魔法技術はそう低いものじゃない。それどころか、高い部類に入る。
けれど、それを言えば。
「リナも、でしょ? 十分、試験ぐらい突破できるよね」
十分どころか十分すぎるほどに。
彼女の実力は正直言って、過剰なほどだと思う。
学校で学ぶことなど、何もないのではないだろうか。
「まぁ、そう。だね。でも、ほら。鈍ったら困るし」
リナは少し答えづらそうに言う。
なんとなく、それが本当の理由ではないのは分かったけれど。
彼女があえて隠そうとした何かを暴こうとは思えない。少なくとも今は。
「気になるなら、リナから聞いてみたら良いんじゃない?」
というか私は、リナは何かを知っているものだと思っていた。
リナとエレラは仲が良いし。少なくとも、私よりは。
「……だって、ミューリのほうが最近は仲良いでしょ?」
リナが少し俯きがちにそう呟く。
そんなことはないと思うけれど。
「そう、かな?」
「だって今日も2人で話してたよね」
「それは……まぁ」
だってリナは別の誰かと話していたから。
そんなことを言えるわけもなく、ただ言葉を濁す。
「何を話してたの?」
「大したことじゃないよ。えっと、人間関係とか」
これもリナのことを話していたとは正直には言いづらい。
リナへの独占欲の話になってしまうから。
そう思って、ぼかしたのだけれど。
「誰の話してたの?」
リナはいつにないほどに矢継ぎ早に質問を加える。
これ以上隠しても不自然だと思い、半分ほど本当のことを言う。
「リナのだよ。たくさん仲良い人いるよねって」
「そう、なんだ……」
さっきまでの勢いはどこへやら。
リナの声はしぼんだように声が消えていく
「そんなに気になる?」
「……気になるよ」
沈黙が走る。
普段なら気にすることなどない静寂だったけれど、この時は少し違った。リナの声が普段よりも少し低い気がしたからだろうか。
ちょうど部屋に着き、扉を開き荷物を置く。
その間も私達の間に会話はない。
それが変なことだとは思わないけれど、やっぱり何故か空気が冷たい。
「ミューリは、」
珍しくリナが言葉を詰まらせる。
私は息を呑んで、次の言葉を待つ。
「気に、ならない?」
その少し責めるような声に視界が少し揺れる。
私はそれが怖くて、言葉を詰まらせる。
思い出すのは同室だった先輩のこと。
彼女が部屋を出ていくときも同じような声をしていた。
「ぇっ、と」
何かを言わなければとも思うのだけれど。
でも、先輩の姿がちらつく。
何を言っても、リナが私を捨てていくのではないかと。
怖い。
私を見捨てないで欲しい。
でも、同時にどこかで思う。
夢から覚める時が来たのかなと。
「ミューリは……私が他の子と話してても、気にならないの?」
追い打ちのように発せられたリナの声はとても弱々しいもので。
はっとして振り向けば、彼女は目に涙を浮かべていた。
「私は気になるよ……だって、最近エレラとばかり話してるもん。なんだか距離も近いし……」
涙目のままに放たれた言葉は穏やかなれど、確実に私を責めていた。
私は何と言えば良いのかもわからず黙り込む。
彼女は何を悲しんでいるのか。
私にはわからなくて。
彼女のことがわからなくて。
こんな私ならリナに愛想を尽かれたとしても仕方ない。
そんな諦めが心の中から溢れ出る。
「ぇっとね……」
諦めの中で辛うじて言葉を絞り出す。
けれど、彼女はいったい何を言いたいのだろう。
彼女は優しいから言えないのだろうか。私を見捨てるということに気が引けているのだろうか。
私に負い目など感じなくていいのに。
なら、私はきっとその背中を押すべきなのだと思う。
リナに助けられたのだから、せめて彼女の幸せを願うべきなのだと。
「あ、あの、ね。私が負担だったら……私のことは気にしないでいいから。もう十分だよ。たくさん助けてくれて」
ほんとは全然十分じゃない。
もっと私と夢の中で過ごして欲しい。
けれど、リナは現実で幸せになれる人なのだから。
私にいつまでも合わせる必要はないのだから。
上手く私は笑えているだろうか。
もう大丈夫だって思ってくれるだろうか。
「ち、違うよ。負担だなんて……私は……そう、じゃなくて……」
けれど彼女は焦ったように否定するだけ。
でも、それなら何を求めているのだろう。
「私、だめだね……ちょっと、欲張りすぎちゃった」
私はリナの言ってることがわからない。
ただ首を傾げる。
「ミューリがいてくれるだけで幸せだったのに……ご、ごめんね。ほ、他に好きな人ができたら言ってね……その時は、うん。私、離れるから……」
震えた声で吐かれたリナの言葉は。
その言葉が意味することはつまり。
「リナ……その、もしかしてだけれど……」
この推測が外れていたら、すごく恥ずかしいけれど。
でも彼女の言葉を読み取れば。
「私が、エレラのことを好きになったって……思ってる?」
おずおずとした問いに。
リナは数拍おいて、こくりと頷く。
「あぁ……なんだ……」
途端に息が漏れて、力が抜ける。
つまりは杞憂だったのだろう。
捨てられると思ったのも、彼女の心が私から離れていく気がしたのも。
「ち、違うの?」
「そんなわけないよ。どうして私がリナ以外の人を好きになるの?」
だって私はリナに生かされているのだから。
彼女の許しで私は息をしているのだから。
「だ、だって最近はずっとエレラと話してるし、エレラだって満更じゃなさそうだし、だから」
「そんなわけないよ」
彼女の不安を私は否定する。
だってそれはありえないことだから。
「別にエレラのことが嫌いってわけじゃないけれど……でも、私にとってリナは特別なんだから。唯一で特別な私の、恋人。だよね?」
リナは力強く何度も頷く。
それを見れば、なんだか頬が緩む。
なんだか気が抜ける。
私があれだけ恐れていたのは何だったのだろう。
「ミューリ……好き」
私の長い青髪に彼女は触れる。
その表情はとてもずるい。
そんな顔をしていたら、諦めていた感情が溢れ出そうになる。
そこにもいってほしくない。
ずっと私のそばに居て欲しい。
なんて。
そんな身勝手な思いが止められない。
「私も、リナが他の子のこと好きになったのかもって。ちょっと思ったよ」
彼女は驚いたように私を見てぶんぶんと首を横に振る。
「そんなの、ありえないよ……!」
「でも、最近よく話してる子、いるでしょ?」
「えっと、エレラってわけじゃないよね……?」
こう言えば伝わるかと思ったけれど、リナはほんとに思い当たる節がないようにとぼける。私にとっては毎日のように心揺さぶられることだったのに。
それだけお互いのことばかり見ていたと思えば、少し嬉しいけれど。
「ほら、今日も来てた子だよ。あの、金髪の。楽しそうに話してるから。もう私のことなんか興味ないのかと思ったよ」
あの子、リナのこと好きだし。
そう付け加えようと思ったけれど、それは名も知らない誰かには悪いかと思って、口を閉ざす。
「そんなの……! それこそ、ありえないよ。だって私、全然。取り繕うのに必死で。エレラがミューリに近づくから。私、不安で」
それこそ意外な話だった。
リナが私のことを気にかけている様子などなかったと思ったけれど。
毎日、魔法の練習に集中していてすごいとしか思っていなかった。
リナの演技力は高すぎるのかもしれない。私が見抜くのが下手なだけか。
「そんなに……」
この続きを言葉にできるほど私は自信家じゃない。
でも、リナはそれを察して、言葉を繋いでくれる。
「ミューリのことが、好きだよ」
そんなふうに言われてしまえば。
否応なく、私は熱を帯びる。
いや、リナの熱にあてられたのかもしれない。
頬を撫でられる。
私は布団へと倒れる。まるで押し倒されたかのように。
いや、ほんとは私が彼女を誘ったのかもしれない。それかその両方か。
「好き……ミューちゃん、大好き……」
穏やかに放たれたその声が。
私の中に甘い毒のようにじんわり広がる。
熱くて、暖かくて、安心する。
この感情を知ってしまえば、やっぱり私だけのものにしてしまいたくなる。
「やっぱりリナが特別……」
それを再認識する。
同時に私はリナがいないと生きてはいけないのだということも。
「ずっと一緒に居たいな」
「……うん」
そうは言っても、心のどこかではきっとそれは無理な気がしている。
多分私の好きはリナのものとは違うのだと思う。
リナの好きは、強く綺麗なもので。
私の好きは、多分に歪みを含んだもので。
でも、リナの眩い美しさに呑まれて、私達は夢を見られている。
今はまだその夢から覚めるときではないようだけれど、いつかは覚めてしまうのだろう。その予感はまだ消えてはいない。
「今日は、一緒に寝よう?」
「うん」
でも、今はまだ夢の中。
リナが現実を夢に書き換えてくれる。
だから私は嫌な予感から目を背けて、今に逃避する。