第21話 熱が揺れる
泣いて。
泣き喚いて。
泣き腫らして。
私はリナにつられて立ち上がる。
「授業、いける?」
「……うん」
ほんとはもうこの部屋から出たくなどないけれど。
でも、外に出なくちゃ。
私がこれ以上、リナから何か奪うことなどしてはいけないのだから。
「終わったのかしら?」
扉を開けて外に出れば、そこにはエレラが立っていた。
私は俯き、リナの影に半分隠れて、赤くなっているはずの目を隠す。
「うん。ごめん。待ったよね」
「そうね。確かにもう遅刻だけれど……まぁいいわ」
やはりエレラの言葉に棘はない。
本当にリナとの関係は良くなったらしい。
それが何故そうなったのか、どうしてそうなったのかは私にはわからない。
「おはよう。あなたのおかげで仲直りできたわ。ありがとう」
「……いや、私は、何も」
小さく言葉を返して。
一歩、身を引く。
対してエレラは一歩を踏み出して語る。
「本当に感謝してるのよ。好きになってしまいそうなくらい」
息を呑み、焦点がずれる。
冗談だということは声でわかる。でも、冗談でもそんなこと言わないで欲しい。
「え、エレラ!?」
「冗談よ。ほら、早くいくわよ」
「もう!」
焦ったように素っ頓狂な声を出すリナと、それをあしらい先に歩き出すエレラ。
その後ろで私は俯むいたままでいたけれど。
「いこ?」
リナは私の手を取り、歩き出す。
それに抵抗することなく、つられて歩く。
手から感じる体温がまだ夢の中だと教えてくれる。
いつまで私は夢の中にいられるのだろう。
その日から、エレラとは時折話す仲になった。
学級は違うけれど、昼休みや、午後の演習、放課後、そういう時間にふらっと現れて、ふらっと去っていく。
多分、友達なのだろう。
でも、正確にいうのなら、エレラと私は友達ではなくて。
アオイのような友達であるとは言いにくい。
エレラはリナの友達であることはなんとなくわかる。
別にエレラと私の仲が険悪なわけじゃない。
彼女は私にも話しかけてくれるし、邪険にされているわけでもない。
どちらかといえば、私が悪いのだろう。
話せないわけじゃない。
けれど、どこかで。
心のどこで、引っかかる。
少し警戒してしまう。
『みゅ、ぅり……』
リナが心底怯えてエレラを見ていたのを忘れられないから。
私はエレラが少し怖い。
リナと彼女が和解していることは、2人を見ていればわかる。
楽しそうに話しているから。
エレラはもちろん、リナも。
私にいるときは違う笑顔を見せる。
私はまだうまく笑えない。
多分、私はまだエレラに慣れていないのだろう。
私が内向的な性格であることくらい、私は知っている。
幸いにも、私のぎこちない答えでもエレラは嫌な顔をすることはないから、あとは私の問題なのだと思う。
でも、私は早く慣れないといけない。
時折、リナが辛そうにするから。
多分、エレラを見て、昔を思い出しているのだろう。
それは私にはどうしようもできないけれど、私がいつまでもこの調子では、リナも心配するだろうから。
リナの大切な時間を私のためにこれ以上割かせるのは気が引ける。もうすでに十分以上のものを貰っているのだから。
彼女の時間は特別で、私だけのものじゃない。
いつの間に、とも思うのだけれど、彼女は多くの友達がいるようで、よく声をかけられている。
特に午後の演習の時間は、リナの周りに多くの人が集まる。
どこで仲良くなったのか、多くの女が来ては去っていく。
最初に私が原因で絡まれて以来、端に陣取るようになったけれど、それでもわざわざ隅まで来るのだから、リナはやはり人気者なのだろう。
そしてまた今日も、誰かが質問に来た。
あの子は確か昨日も来ていた子だ。
今日も目を輝かせて、リナに何事か質問している。
この距離では何を話しているかわからないけれど、多分魔法のことだろう。それぐらいのことはわかる。
リナの魔法技術は、卓越したもので、この学年に敵はいない。それどころか、この学校の上級生を含めた中でも一番かもしれない。
だから何かを質問しに来ているのだろうけれど。
けれど、あの子は本当にそれだけなのかな。
ただ質問しに来ているだけで、あんなにも笑顔になるだろうか。
あんなにも、楽しそうに話すのだろうか。
リナは。
リナも、どうしてそんな風に笑って言葉を返すのだろう。
そんなに魔法の話は楽しいのかな。
私とはできない魔法の話はそんなにも面白いのかな。
私よりもその子と話している方が楽しいのかな。楽しいよね。多分。
「あれ、どうなのかしらね?」
「ぇ? え? あ、えっと」
気づけば、隣から声がしていた。
そこにはエレラがいて、その口から発せられた問が私への問いであることを気づくのに数舜を要する。
「あれって、ど、どれ……?」
疑問を返す私に、エレラは少し苦笑する。
「あれは、あれよ」
エレラがすっと指を指す。
その先には、さっきまで凝視していたリナと誰かが話している図がある。
「あれが……どうか、したの?」
「リナのこと好きなんでしょう?」
視界が揺れた。
まさか私の気持ちを当てられるとは思わなくて。
「ぁ、いや。その……」
「違うのかしら」
「……そう、だけれど……」
別に隠していたわけじゃないけれど、エレラに私とリナの関係を話したことはない。話す機会もなかったから。
リナが話したのかな。
「あの子、多分、リナに惚れてるわよ。リナは気づいてないみたいだけれど」
「……そう、なんだ」
そうは返したけれど、薄らとそうなのだろうという予感はしていた。
多分、私と同じだから。
私もあんなふうにリナを見ているのだろうか。
いや、私の場合は多分、あそこまで純粋な目で見ているわけじゃない。そう思えば、私よりもあの子の方が良いのかもしれない……
「リナはどう思ってるのかしらね。恋人の前で誰かと2人きりで話し込んじゃって。大変なことになるとは思わないのかしら」
「……うん。でも、別にリナは悪くないから」
それどころか、優しいだけなのだろうから。
だから何も言えない。何も言いたくない。
ああやって誰かに優しくできるのがリナで。
その恩恵を私も受けているのだから。
それを止めようだなんて、そんなことはできはしない。
「……な、なに?」
気づけば、隣のエレラはにやにやとしながら私を見ていた。
何かおかしなことでも言ったかな。そんな覚えはないけれど……
「恋人、なのね。否定しないから驚いたわ」
あ。
ぁ、う。
え。
ぃぁ。
「ぃ、や……私、は……」
否定しようとしたけれど、それは違う気がして、言葉が出ない。
なんだかもう顔が熱くて、また俯いてしまう。
今からでも否定すれば、とも思ったけれど、別に隠していることではない。
でも、恥ずかしいものは恥ずかしい。初めて第三者にばれてしまったのだから。
なんだか折角抱えていた想いを暴かれ、心の内を見透かされたようになるから、とても顔をあげられそうにない。
「ごめんなさい。少しいじわるだったかしら。もちろん、言いふらしたりはしないわ。けれど、やっぱりそうなのね」
エレラは楽しそうに小さく笑う。
でも、なんとなくそこに悲しみが見えた気がして、私は恥ずかしい想いから目を逸らして、彼女へと振り向く。
けれど、そこにはにこやかに微笑むエレラしかいなくて、私は何も言えなくなる。
「あれなら、あたしからリナに後で言っておきましょうか。そんなことしてたら浮気だわって」
「い、いいよ。別に……あれぐらい、なんとも……」
思っていないわけじゃないけれど。
でも、わざわざ文句を言うほどじゃない。
私に文句を言う資格はない。
「信頼しているのね」
「……どうだろ」
信じているのかな。
いや。
どちらかと言えば私は多分。
「諦めてるんじゃないかな」
「……どういう意味なのかしら?」
謎めかして言ったつもりはなかったけれど、エレラは訝し気に私に問う。
私は俯いたままに答える。
「そのままの意味だよ」
そう。ただそのままに。
私は諦めている。
私の力ではリナの心は変えられない。
彼女が別の誰かを好きになった時に、私はそれを止めることはできないだろうから。だから私は、諦める。
諦めるしかない。
それ以外に私に選択肢がないことは私でもわかる。
今、嬉しそうに帰っていくあの女の子のことをリナが好きになれば、私にできることはない。私はただ今の恋人という立場を譲るしかないだろう。
それにそうしたほうが、リナも幸せだろうから。
「それって……」
「2人とも、何話してたの?」
エレラはまだ何か聞きたそうだったけれど、ちょうどリナがその質問を遮る。
すこしほっとする。これ以上深堀りされたら、少ししんどかった。
過程でもリナが他の誰かに移り気する話なんて、あまりしたいものではない。今しなくても、いつかは来るのだから。
「ううん。別に、何でもないよ」
「そう? なら、そろそろ帰ろ? もう日が暮れちゃうよ」
遠くの空は既に赤くなっている。
意外と長いこといてしまったらしい。
リナは確かに熱心だけれど、こんなにも長いのは久しぶりかもしれない。
「……あたし、少し残るわ」
「あ、うん。気を付けてね。もう暗くなるから」
エレラとはそう言って、別れる。
その姿がどこか物寂し気で、何か言おうかと思ったけれど、言葉にはならない。
悩んでいる間にも、リナは私の手を取り、歩き出す。
「それで、何話してたの?」
「大した……ことじゃないよ。ほんとに。その、リナは優しいよねって」
エレラとの会話をそのまま伝えるわけにもいかず、相当ぼかして答える。
それにリナはちょっと笑う。
「なにー、からかってるの? 私は優しくなんか」
その言葉に少し笑いそうになってしまう。
リナが優しくなければ、誰かが優しいというのだろうか。
私みたいな人を助けてくれるリナが優しくないわけない。
「リナは、」
どんな話をしてたの?
なんて、聞こうとしたけれど。
「ん?」
「……なんて言おうとしたか、忘れちゃった」
「そう?」
さっき話していた子とどんな話をしていたかなんて、きっと辛いだけだろうから。
ここはまだ夢の中なのだから、わざわざ現実のことなど見なくてもいいはずだから。
私は目を逸らして、リナの手の暖かさに集中する。