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信奉少女は捧げたい  作者: ゆのみのゆみ
第10章 色彩と幸福
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第116話 赤がもたらす燻る業火

 こんこんと音がする。

 扉を叩く音。玄関の方から。

 こんな時間に誰だろう。まだ朝も早いのに。


 ゆっくりと重たい身体を起こす。

 一応、時計を見るけれど、まだ朝早い。もう日の出はとっくに過ぎているだろうけれど。


「みゅ……り……」


 リナの身体がじろりと動く。

 起こしてしまったかと思った。

 流石にそれは悪い。リナも疲れているだろうに。昨日は夜遅くまで一緒に映像娯楽を見ていたから。


 まぁ私は起きてしまっているわけだけれど。

 一応、玄関の様子を見に行くべきかな……

 喉も乾いたし、ついでに見てみようかな。


 なるべく足音を立てないようにして、こっそりと動き出す。

 リナを起こさないように。それと玄関前の誰かに気づかれないように。


「う……流石に早すぎたかしら……」


 何か言ってる?

 大事な用なのかな。大事な手紙とか?

 でも、手紙とかなら投函するだけのはずだし……投函する位置がわからないとか?  いや、流石にそんなことはないと思うんだけれど。雪で隠れてたりはしないはずだし……


「仕方ないわね……少し待とうかしら」


 ……どこかで聞いたことのある声な気がする。

 なんとか覗けないかな、窓とかから。うーん、角度の問題かよく見えない。

 でも知ってる人な気がする。

 せめてもう一回話してくれれば……

 とりあえず水でものもうかな。


「あっ」


 手が滑った。

 滑り落ちた湯呑は床を転がる。

 ごとんという音と共に水が散らばる。


 音というものはそこまで大きなものではなかったけれど、でも同時にこの静けさの包むこの家の中では大きく響いて。

 

「リナ、そこにいるの?」


 訪問者にも、当然聞こえる。

 けれど、それでようやく声の主がわかった。

 多分、恐れる必要はないと思う。

 けれど、一応ゆっくりと扉を開ける。


「エレラ?」


 そこにはエレラがいた。

 赤い髪を携えた彼女は目をぱちくりさせ、目を伏せる。

 やけに強い雪風の音がする。

 

「えっと……」


 人違い、なわけはないはずなんだけれど。

 何か言ってくれないと、どうしていいかわからない。

 やっぱり間違えたかな、そう思うと同時ぐらいにエレラが顔をあげ口を開いた。


「ミューリ、久しぶりね。また会えるなんて。嬉しい誤算だけれど……」


 やけに長い沈黙の理由は考えるまでもなかった。

 私とリナの事の顛末を伝えていないから。正確には伝えたくても伝える手段がなかったわけなのだけれど。


「あ、そのことだけれど。えっとね」

「わかってるわ。大切な人を失くした気持ちはわかるつもりよ。辛いでしょう?」

「えぇっと……そ、そうじゃなくてね」

 

 エレラはゆらりと身体を揺らす。

 

「……もしかして、これからなのかしら。それなら、出直すけれど」

「ううん、その、もう終わってるよ。あの日に。それで、その色々あって。2人ともまだ生きてるよ。全部、大丈夫だった。リナが助けてくれて、あと運が良くて……」


 リナが生きていて、私も生きている。

 そんな単純な事を説明しているだけのことが思ったより難しい。

 私が酷く言葉足らずだからかもしれない。


「つまりあなたもリナが生きているってことかしら。病気も治って」

「うん。まぁ色々あって……」

「驚いたわ。ミューリが酷い顔をしていたから、てっきり」


 そんなに酷い顔をしてるのかな。

 手で触れてみても、見えないからよくわからない。


「でも、それでミューリがここに住んでいるってことは、よりを戻したのかしら」

「ええっと、そうなるのかな」

「良かったわね。ミューリにとって一番良い形でしょう?」

「そう、だね。うん」


 リナの手中で過ごしているのは、昔の私には想像できないぐらい幸せと安心がある。でも、だからこそ失うのが怖い。


「とりあえず中に入る? 外はほら、寒いし」

「そう、ね。そうさせてもらおうかしら」

「えっと、じゃあこっち」

 

 普段から使っている机を挟んで、腰を据える。

 なんだか不思議な感じだった。ルミの時もそうだけれど、リナ以外の人と相対してここに座るというのは、不思議な感じがする。私達の世界に異質なものが訪れている気がするからかな。


「あれを落とした音だったのね」

「ん? あぁ……うん、ちょっと手が滑って」


 エレラが指さした方には水が散乱している。

 湯呑は回収しておいたけれど、水を拭くほどの時間はなかったから。


「片付けた方がいいかしら」

「それはまぁ、そうだけれど。あとでやっておくよ」

「それには及ばないわ」


 エレラの左手がひらりと動く。

 それと同時に彼女の中の魔力も。

 何かしらの魔法が発動して、水が集まる。


「捨てておいていいかしら」

「あ、うん。ありがとう」


 水がひよりと動いて、水場へと消えていく。


「魔法、使えるようになったんだね」

「あの頃ほどではないわ」


 でも、きっと大抵の人よりも魔法が使える。

 魔法使いにだってなれるぐらい。

 もう魔力増強剤の後遺症はある程度回復したということなのかな。多分、それだけじゃない。

 私には想像できないほどに大変な訓練をしたのだと思う。今まで使ってこなかった魔力回路を使うわけなのだから。


「私のことはどうでもいいのよ。ここにきたのは私の話をするためじゃないわ」

「えっと、ならどうしてここに? しかもこんなに早く」


 エレラから誘ったような質問だったけれど、彼女は指を頬に当てて考える素振りを見せる。どうやら彼女自身もはっきりとわかっているわけではないみたい。


「そうね。やっぱり気になったからかしら」

「リナの事?」


 どうかしら、と言いたげにエレラは少し笑う。 

 リナのことじゃないとしたら、何が気になって。

 思わず首を傾げてしまう。


「……友達のことだからかしら。友達の行為の行方は気になるものよ」


 それが私の事を指しているというのは多分驕りにはならない。


「それでリナはどこに?」

「布団の中だよ。まだ寝てるみたい」

「やっぱり来るの早すぎたかしら。一応、学校の一限目ぐらいの時間にしたつもりなのだけれど」


 それは十分早い。

 あの魔法学校の一限目なのだから。

 少なくとも今の私達にとっては早すぎる。


「起こした方がいいかな」

「それには及ばないわ。ミューリと話せただけでいいもの」

「そっか。それならいいけれど」


 あ、でも。

 多分、私がエレラと2人きりで話したなんて知ったら、リナは多分悲しむ気がする。悲しむというか、嫉妬するというか……嫉妬してくれるというか。

 やっぱり起こしに行こうかな。


「それより、リナとは上手くやってるのかしら?」

「え、あ、うん。どうして?」


 私がリナを呼びに行こうと席を立ちあがるよりも早く、エレラは口を開く。

 その質問は私にはよくわからなくて、疑問を返すほかない。


「どうしてって……だってミューリ、酷い顔してるわ。辛いことがあったのかと思ったのよ」


 そうなのかな。

 でも、辛いことなんかない。

 ここにあるのは、ここに今あるのは、幸福ばかりなのだから。リナが私にくれる幸福ばかりなのだから。


「辛いことは、ないよ。ちょっと怖いだけ」

「怖い? リナが?」

「ううん。そうじゃないよ。リナは悪くない。ただ私が……私は、今幸福だと思うよ。でも、ただ……だから、怖い」


 私の答えにエレラは一呼吸置く。

 ゆっくりと瞬きをする。

 なんだか何かを思い出しているようだった。


「失うのが怖いのね」

「……うん」

「気持ちはわかるわ」


 それがなんのことを言ってるのかはすぐわかった。

 エレラのお姉さんのこと。リナの探索者仲間の。

 名前はたしか……カーナと言ったっけ。


「エレラも怖かったんだ」

「そうね。いえ、どうかしら。姉様なら大丈夫だと思っていたかもしれないわね」


 信頼というやつなのかな。

 でも、私が恐れているのは死別的な喪失なのだから、大丈夫とは思えない。リナが死ぬことはないなんて、そんな楽観はできるわけもないし。


「どちらだったのかしらね。もう忘れてしまったわ」


 多分、嘘を言った。彼女のその言葉は嘘だと思う。

 忘れてしまったなんて。


 きっとエレラにとってその記憶はとても大切なものだろうから。

 薄れてしまうことはあっても忘れるなんて。


「けれど、羨ましいわ。幸福だと信じられるなんて。私もそんな時期があったはずなのだけれど」

「今は、不幸?」

「そういうわけではないけれど」


 エレラの指が机の淵をなぞる。

 何かを考えるように。


「でも、つまらないとは思うわね。今の日々はつまらないわ。不幸というほど悲しくもないけれど、幸福というほど嬉しくもない」


 難しい。

 どちらでもない状態というのは、私にはほとんど経験がない。私の場合は、大抵どちらかに振れている時期しかないのだから。


「えっとエレラは、最近何をしているの?」

「そうね……固定の何かと言うと難しいけれど。でも、目標を探しているわ。これから何をするのか。何を目標にするのか」


 目標。

 それは私にもない。

 正確にはあるのだろうけれど、リナと幸福を維持するという目標はあるけれど……でも、それはきっと私の力で為されるものではなくて、リナの力によって実現するものな気がする。

 彼女の強い力によってものか、それか私達の力で。だから、私の目標というものはない。


「……目標があった方がいいかな」

「どうかしら。ミューリはもう目標を達成しているのではなくて? だって、もうリナと幸せな生活を掴んでいるのでしょう?」

「そうだけれど。でも、怖くて」


 目標があれば怖くなくなるかもしれない。

 その目標のために走っている内は。

 目標なんて持ったことないからわからないけれど。


「それも羨ましいことではあるわね。目標が達成できる人なんてほとんどいないわよ。だから、その先のことなんて私にはわからないわよ」

「そう、なんだ」

「でも、そうね。もう一度。幸福を手に入れたとしたなら、きっとその瞬間に世界が終わっても構わないでしょうね」


 ……幸福なら、終わっても構わない。

 エレラは薄っすらとした微笑みと共に呟いた。 

 その言葉は嘘には見えない。きっと本当に終わっても、後悔はないのだろう。

 なら私は……


「そろそろお暇するわ。今日は話せて嬉しかったわ。

「それなら良かったよ」

「最後にリナと少し話してもいいかしら」

「あ、うん。起こしてくるね」

「悪いわね」


 寝室の扉を開けば、ぽこりとした布団の盛り上がりがそこにはあった。

 まだリナは寝ているらしい。まぁ、昨日のことを考えればまだ眠いのは当然だと思う。眠いだろうリナを起こすのは悪いかもしれないけれど……きっとリナは起こさないほうが嫌だというだろうから。


「リナ、起きてる?」

「ぅ……ん……みゅーり……?」


 近づいて声をかけてみれば、リナは眠たそうな身体を起こす。

 まだ半開きの目の中に私が入るように、彼女の視線の前にしゃがみ込む。


「リナ、あのね。エレラが来てるよ」

「えれ、ら……エレラ? え、嘘」

「嘘じゃないわよ」


 気づけば、扉の前にエレラが立っていた。

 リナはさっきまでの眠たそうな目が嘘のように目を見開いている。そして少し手が震えている。きっとエレラにはわからないだろうけれど。


 怖いのかな。私からしてみれば、エレラは友人だけれど、リナからしてみれば後悔の象徴のひとつなのだろうから。

 気づかなかった。失敗したかも。リナを起こさないほうが良かったかな。

 いや、それより今は。


 私はリナの手を握る。

 意図に気づいたのか、彼女は私を見て、にこりとしてくれる。

 もう彼女は震えてはいない。


「リナ、久しぶりね」

「うん……久しぶり。元気だった?」

「元気よ。もう帰るけれど、1ついいかしら」


 リナは少し瞬きをする。

 まるで何を言われるのかわかってようだった。


「……いいよ。何?」

「ミューリのこと、何とかしなさいよ。まさか気づいていないわけじゃないんでしょう?」

「もちろん」

「それならいいわ」


 ……ばれてたんだ。

 まぁ私の隠し事なんか、簡単に暴かれちゃうか。

 エレラにも気づかれていたみたいだし、リナにわからないわけはない。リナは私以上に私のことを知っているのだから。


「それじゃあね。今度はまたと言わせてもらうわ」

「うん。またね」


 私は軽く手を振る。ひらひらと右手を振りながら、エレラの影は消える。

 少しすれば、扉が開いて閉じる音がして、また私達の世界は2人きりになる。


「リナ、あのね」


 さっきエレラの言われたことを、言おうとした。

 隠していたわけではなかったけれど、言おうともしなかったから。

 だって、リナを困らせるだけだと思って。でも、ばれていたのなら、話すべき。

 そう思ったのだけれど、彼女は私の唇に指を当て、私の言葉を封じる。


「私から言わせて。ミューリ、寝ていないよね?」


 そしてリナは私の秘密を言い当てた。

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