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信奉少女は捧げたい  作者: ゆのみのゆみ
第10章 色彩と幸福
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第112話 灰まみれの夢

 どうにも世界が灰色すぎる。

 というよりもうまく前が見えないと言ったほうがいいか。

 頭が痛い。酷くもやもやとした感覚が私の心中を占めている。


 上手く思考が働かない。

 なんだかずっと誰かが思考の片隅で叫んでいるようで。

 それでいて不安になるほどの静寂が訪れている。

 霧中の中にいる感じがする。吐き気と苦痛と眠気ばかりで。

 

 ここがどこかすらわからなくなってしまって。

 私は死んでしまいたいと願うこともできなくて。

 自分が誰なのかもわからない。

 冷静に考えればわかるはずなのに、掴みかけることもできず、手の隙間からするりと抜けてしまう。自分という存在を確立するための要素が足りない。


 ずっと彼女に寄りかかって私という存在を把握していたから。

 私独りでは自分を見失うしかないのは当然で。


 私はどうしてここにいるのかな。こんな場所に独りで。

 こんなに寒くて誰もいないこの街に。

 ここでは、私は息をすることもできなくて。

 死にたいなんて。そんなことを思う余裕もない。

 何も考えられない。何も考えたくない。

 何かを考えれば、自らの孤独を目の当たりにしてしまうから。


 私はただ息をすることもできず、蹲って。

 暗闇の中で時が過ぎるのを待つだけ。

 消えてしまいたい。

 この世から。彼女いないこの世界から。早く私も消えてしまいたい。いずれ消えるその日を待ち望んでしまう。

 もう何もこの世界に希望はないのだから。

 

 彼女のいないこの世界は。

 何もない。

 寒い。とても寒い。

 震えてばかりいる。

 動きたくない。何もしたくない。

 何もできないから。


 ずっとぼんやりと家の椅子に座って一日を過ごしている。

 外へと繋がっているはずの窓を眺めても、見えるのは霜ばかり。

 なんだかもう外に行く気力も起きない。何もする気がない。

 ここにいる気がしない。この世界に存在している感覚を失っている。


 当然かもしれない。

 私はもう生きてはいないのだから。

 死んではいないかもしれないけれど、生きてもいない。


 リナのおかげで私は生きていた。

 ずっと彼女に寄りかかって生きてきた。依りどころにして存えていたのだから。


 リナがそれを許してくれて、それを望んでくれたから。

 けれど、彼女がいなくなって。私はもう生きてはいない。

 同時に死んでもいない。私にはもう自分の進退を決める力もない。多分もうすぐ訪れる死をぼんやりと待っているだけになっている。


 あとどれぐらいこうして目を覚ませばいいのかな。

 今日、寝たら。もう目を覚まさなければいいのに。


 味のしない固形食を機械的に口に運ぶ。

 こういうことをしているのだから、生きる気力がないわけではないのかもしれない。そういうところも中途半端なのだと思う。

 存在を維持したいのか、それとも崩れて欲しいのか。どちらの立場にも立てていない。酷く曖昧で朧げな位置に私はいる。

 結局私は、中途半端すぎる。何もかも。


 消えてしまいたいという思考も嘯いているよう。

 だってその思考も掴もうとすれば、霞のごとく消えていくのだし。

 私の中でふわふわと浮いている思考達は、その全てが霞みのようで掴ませては暮れない。散乱する思考が霧のようになっていて、私が今考えるべき思考すらどこにあるのかわからなくなっている。


 この感覚は初めてじゃないけれど。

 でも、もう二度と感じたくない感覚だった。

 こうなれば、私は生きてはいられないと知っていたから。

 もうその記憶も遥か彼方だけれど。


 私はなんなのかまたわからなくなってしまった。

 私は誰なのか。何のためにまだここにいるのか。

 実在感を失って、無数の後悔に苛まれて。


 全くの無意味なのに。

 彼女が消えてからもう何日だろう。

 何カ月か、何年かもしれない。

 時間がよくわからない。

 

 でも、酷く時間が経過している。

 リナのいない時間はとても苦しくて、永遠のように長くて。

 早く終わって欲しいと願っても、その願いは果たされない。

 もう私の願いを聞いてくれる人がいないから。


 私の想いを見つけて、私の願いを叶えてくれる人なんてリナしかいないのだから。もう彼女を失って、私はもう何もかも失っている。

 自分の心すらわからないのに、何かをできるはずもない。

 私の生きる理由で、生きる指針である彼女がいない。


 生きる理由……それは多分間違いではないけれど。

 私にとって、リナはそれ以上の何かだった。

 言葉になりそうなその感情は、形にしようとすれば霧散してしまうほどに薄れてしまった感情だけれど。


 リナは私にとってどういう存在だったのかな。

 リナのことをどう思っていたのかな。

 結局よくわからなかった。


 リナを愛していますか。

 誰かが私にそうやって問いかけたけれど。

 未だに私はそれに対する解を持っていない。持たないまま時間切れになってしまった。


 ぺたりと身体を机の上に突っ伏す。

 身体を起こす気にもならない。


 なんだか眠たい。

 ずっと眠たくなる。


 酷く世界が灰色で。

 魔力濃度が低すぎるような。そんな感じ。

 

 いつかは来ると思っていた。

 こんな日がいつかは来るって。

 でも、私は見ないようにしていた。

 リナのくれる想いの熱量に欺瞞されて、見ないようにできていた。


 でも、その日が来てしまった。

 ミューリと別れることになるその日が。

 だから、私は何もできなくなっている。

 

 恐ろしいだけの灰色の世界に私は逆戻りしてしまって。

 この恐怖と虚無の牢獄の中で、呻き声も上げることはできずにただ。

 やけに長い時間の果てにある死を待っている。


 そんな夢を見た。


「え、あ……ぅっ……」


 夢。

 夢、だよね。

 今のは夢。


 リナが先に死んでしまって、独りきりになってしまったという夢。夢でしかない。

 だって隣にリナはいるんだから。

 目の前にリナはいる。

 小さく手を伸ばす。リナに触れれば、彼女のほのかな寝息と共に上下する身体の揺れが感じられて、まだそこに彼女の命を感じる。まだ生きている。

 だから、あれは夢でしかない。ないのに。


「うっぁ……」


 息を呑む。

 震える身体を抑えて。揺れる視界を留めて。

 でも、上手くはできなくて。


「ミュー、リ……?」


 リナの身体がびくりと動く。

 私はそれを見て、もう何も考えられなくて。


「リナ……!」 


 彼女の身体に抱き着く。

 穏やかな熱を感じるけれど。

 でも何故かそれだけでは私の崩れた視界は元には戻らない。


「……ミューリ? どうしたの? 怖い夢でも見た?」


 こくりと頷く。 

 怖くて怖くて仕方がない夢を見た。

 私が独りになる夢を。


「怖かったね。もう大丈夫だよ」


 リナが私の頭を撫でてくれる。

 それだけでいつもなら安心に包まれるのに。


 今日はそれだけじゃ足らない。

 安心感と同時にさっきまでの夢のことを思い出してしまう。


 リナがいなくなる夢。

 考えないようにしていたけれど、リナもいつかは死んでしまう。そんな当たり前のことを考えないようにしていた。

 私達のこの永遠に続いて欲しい生活は永遠には続かない。必ずいつか終わりが来る。そんな単純な事が思考の片隅にこびりついて離れない。


「いなくならないで……」

「ここにいるよ。私はここに」


 リナを抱きしめる。

 多量の熱を感じる。

 そこにリナがいる。


 でも、ふとすれば消えてしまいそうで。

 そんな感覚が酷くて。

 私はどうしたらいいのかわからない。


「ミューリ、ここにいるよ」


 リナの声がする。

 穏やかで私をいつも守ってくれる声が。

 恐ろしい世界から私を救ってくれる声がする。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 彼女の音と熱。

 声と体温。

 言葉と想い。

 

 その全てが私の恐怖を少しずつ溶かして。

 心の揺らぎを沈めていくのがわかる。


「落ち着いた?」

「うん……でも、怖い。怖いよ」


 心の揺れは止まったと言っても、今にも再発しそうだった。

 こうして彼女に髪を撫でられていなければ、すぐにでも。


「私、今の生活が終わるのが怖い……」


 悪夢はいつか現実になる。

 それがわかっているから、こうして時が過ぎていくことが怖い。


「いつか、いつか終わっちゃう。いつか私達は別れちゃう。いつか、死んじゃう時が来て。それでこの生活は終わっちゃう……ずっと続いて欲しいのに」


 どうして永遠はないのかな。

 ずっとこうしていられたらいいのに。

 この家でリナと一緒に過ごしていられたらいいのに。

 どうしてそれが許されないのかな。 


「そうだね。いつか終わるね。死からは逃れられないから」


 人はいつか円環の理に還ることになる。

 何でもできるようなリナであってもそれは同じで。

 もしかしたら私より早く死んでしまうかもしれない。

 私の前から消えてしまうかも。

 それが果てしなく怖い。


「私も死にたくない。ずっとミューちゃんと一緒にいたいよ。でも、そうやって思えることも幸運なのかなって思ってるんだ」

「幸運……?」

「うん。死にたくないって思えるのって、ミューリに出会えたからだよ。それって、すごく幸せな事じゃないかな」


 そう、かな。

 そうなのかもしれない。


 たしかにリナがいない時は、私は死にたくないなんて口が裂けても言えなかった。

 死にたいとも、言えなかったけれど。ただ時が過ぎるのを待っていた。


 それが今は死にたくない。

 私は死にたくない、らしい。

 リナとのこの生活が終わってほしくない。


「でも、いつかが来たら?」


 そのいつかは必ず来る。

 今が幸運であるとしても、いつかは来る。


「別れる時が来たら、どうしよう。独りになったらどうしたらいいかわからない」


 リナがいなくなったら。

 悪夢の中で私は、生きているか死んでるかもわからないままに無為に日々を過ごしていた。きっとあんな風になってしまう。

 私はまた何もできなくなってしまって、何もわからなくなって、この怖い世界に怯えることになってしまう。


 そんなの嫌だけれど。

 でも、どうしたらいいかわからない。

 どうすればそうならないのか。


「リナは……私が先に死んだらどうするの?」

「うーん。考えたことないけれど……でも、一緒に死んじゃおうかな」

 

 え。


「そ、そんなの。でも」

「うん。ミューリは嫌だよね。多分」

「嫌って言うか……わからない。一緒に死ぬって……」


 いや、わかってはいる。言葉通りの意味でしかないのだから。

 私が先に死ねば、いつか私の前でしたように自刃するとリナは言っている。

 

「ど、どうして……」


 なぜそんなことを。

 その問いに彼女は即答する。


「ミューリがもういないから」


 それだけのこと。

 ただそれだけのこと、リナは自らの命を絶つと言っている。


「でも、少しもったいないかな」

「そ、そうだよ。リナが死んじゃうなんて、そんなの。すごくもったいないっていうか……」


 リナほどの心を持つ人が消えてしまうなんて、どれほどの損失だろう。私なんかの影響で、彼女の存在が消えてしまうなんて、あっていいとは思えない。

 そう考えたのだけれど。


「そうじゃなくてね。私の命はミューリに貰ったものだから。ミューリの行動が無くなってしまう気がして。そう思えば、自分からこの命を捨てることもないかな……みたいな?」


 私があげた命……リナの認識ではそうらしい。

 私としてはただ返しただけなのに。

 でも、それで彼女が生きようとしてくれるのならいいのかな。

 ……けれどそれは、私が悪夢の中でしたような想いをリナにもさせることになるのかもしれない。


「よくわかんないよね」

「ちょっと、その。私には難しいかも……」

「そうだよね。私もわかんない。うん……別れの時が来たら、私もどうすればいいのかわからないみたい」


 リナは少しばかり笑う。

 彼女でもわからないことなら、私が分かるわけはない。

 どうすれば。この恐怖にどう決着をつければ。


「考えないようにする……のは難しいよね」

「うん……どうしても、怖くて」


 恐怖がずっと思考にこびりついている。

 彼女と別れてしまう恐怖が。

 多分、今が分不相応に幸せすぎるから。

 この幸運な幸福を失いたくなくて、そしてリナのいない時間を覚えているから、どこまでも怖くて仕方がない。


「少し考えてみようか。どうすれば安心できるか」

「……うん」


 多分それはすごく難しい。

 私の心を詳しく理解しているわけではないけれど、私の恐怖は根深いだろうから。

 でも、リナならその恐怖を何とかしてくれる気もする。だって彼女は今までも、どうにもならないようなことをなんとかしてくれたのだから。


「今日はもう寝よう? ミューリも眠いでしょ?」

「……わかった。また、明日」


 眠るのは少し怖い。また同じような悪夢を見る気がして。

 でも、リナの腕の中にいるから少しは大丈夫な気もするから、私はくるまって目を閉じる。けれど、眠りたいとは思わない。

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