第106話 好いて
足跡を辿るという私達の旅の目的から考えれば、次に行くべき場所は簡単に決まっている。そこは私にとって人生の半分ほどを過ごした場所で、人生が大きく変わった場所でもある。
だからその場所に行きたかったのだけれど。
「やっぱり入れないよね」
「まぁ、魔法学校だから」
私達は魔法学校を遠目に、小さな石垣に腰掛けていた。
あれだけ囚われていた場所が今はとても遠い。
まぁ、入れないのは、当然と言えば当然のことだろうとは思う。
学校とは言うけれど、政府の管理下にある研究機関という側面も強いのだろうし。側面のほうが強いと言ったほうがいいか。
実際のところそこらの学校とは比較にならないほど警備が厳重にされている。それは魔法使いの卵を守るという意味もあるけれど、それ以上に研究成果を守るという意味が強いのだと思う。研究成果を外から守り、外に出さないようにするために、あの複雑で強固な防衛機構がある。
故にあそこが頑強な城にも牢獄にもなる。
私にとっては牢獄だった……牢獄というには少し広すぎたかもしれないけれど。
あの場所では色々あった。なんだかんだで人生の半分ほどをあの学校の中で過ごしたというのは、すごいことかもしれない。
「意外と小さいね」
「まぁ……遠目だから」
入れなかった私達は、とりあえず最寄りの町に来ていた。
最寄りと言っても、ここから学校までは半刻はかかるけれど。
学校に向かう列車はここからしか出てはいないけれど、私がここに来るのは初めてになる。ここから学校に入ったこともなければ、学校から出てここに来たこともないから。
けれど、大抵の生徒はここを通るのだと思う。多分リナも。
「こうしてみると思い出すよ。初めてここに来た時のこと」
多分それは私と再会する前日かその辺りの事だろう。ここはあの学校に来る用事でもなければ、来ることはありえないほどに辺境だから。
この町も随分と小さい。ほとんどあの学校への中継地点としての役割ぐらいしかない。人口もほとんどいない。多分元より田舎と呼ばれる土地だったのだろう。多分、雪端町よりも人がいない。
どうしてこんな辺境に第一魔法学校があるのかは知らない。多分、それなりの事情があるのだろうけれど。要所は他国から遠い場所におきたいとかそういう事情が。
「初めて来た時、ミューリに会えると思ってすごいわくわくしてね。それで、急いでここまで来たんだ。あの時はもう日が落ちていたから、学校の姿は見えなかったけれど」
たしか、リナは私が寝ているうちにあの学校に着いていた。リナに呼ばれて起こされたことを昨日の事……というほどではないけれど、一昨日のことのように思い出せる。
この町から学校までの列車がいつまで動いているのか知らないけれど、ほとんど最終便近いもので来たんじゃないだろうか。そこまで来たなら、この街で一泊してきたらよかったのに。
まぁでも、それだけ急いでいたのかもしれない。ただ私に会いに来るためだけに。
「学校は……いろんなことがあったよね」
リナの言葉に頷く。
結局、彼女はあの学校に1年足らずしかいなかったけれど、思い出すのはあの1年のことばかり。私は随分と長くいたはずなのに。
……またルミに怒られるかな。
同室の先輩にも呆れられた私のままなのかもしれない。
でも、きっと私には必要ない。リナとの記憶以外はいらない。
「護衛役ってことで再会できたのは良かったけれど、色々大変だったね」
その言葉の中にはきっとアオイ、エレラ、ラスカ先生……そういう人達のことが含まれている。みんなリナが来てから起きたことだった。
まぁ私が起点として起きたことはアオイだけなのだろうけれど。エレラはどちらかといえばリナに対して起きた出来事だったし、ラスカ先生もリナが引き合わせなければ会うこともなかっただろうから。
「学校の中なのに危ないよね。もう少し安全にしてもらわないと困るよ」
たしかに外からの物理的攻撃には備えているようだけれど、内部の人による犯行には甘いというか……怪しい人も学校の中に入れすぎな気はする。学び舎らしく門は広くということなのかな。いやまぁそれなりの備えはあるのだろうけれど。
けれどまぁ。
「でも、そのおかげで私達、逃げ出せたわけだし」
「……それもそうだね」
きっともう少しばかり内から外への警備が厳しければ、私達が外に出ることはできなかったと思う。あの不安と期待に胸を膨らませた逃避行のような旅はできなかった。
それが良いことなのかは、まだわかっていないけれど。
あの旅は今の旅とは違ってたから。今ほど気楽に動けなかった。結局ずっと何かに追われていて、すぐそこに死があった。それはとても怖かった。
死ぬことは怖くない……わけではないけれど。でも、それよりも怖いのは。
あの時、私がもっとも怯えていたのは、リナを失うことだったから、あの旅は心から楽しめなかった気がする。今のような想いと共にリナと過ごすことはできていなかったと思う。
「他の人の時はどうだったの?」
「他の人?」
「あのー、私以外が護衛だった時も、同じように危ないことがたくさんあったの?」
どうだろう。
考えたこともないけれど。
でも、リナ以外の護衛の時に直接目の前で戦いが起こることはなかった。けれど、それは何もなかったわけじゃなくて。
「多分だけれど、こっそり守ってくれていたんだと思う」
少なくともルミはそうだった。私の知らないところで、脅威を先んじて排除していたようだったから。
同室の先輩も同じだったのかな。先輩が部屋に帰ってこなくなったのは私があの学校に来て1年程度の頃だったけれど、それから4年間、先輩は護衛役だったはずで、その間守ってくれていた……という可能性もある。
もしもそうだとしても、先輩は私のことを嫌っていたというか……見限っていたはずだから、守ってくれていたのは仕事だからなのだろうけれど。
でも、守ってくれていなくても感謝はするべきな気がする。もう伝えることはできないと思うけれど。多分、先輩とは二度と会うことはないはずだから。
他の私が姿を見ることもなかった人たちもきっとそうだと思う。
大体学校という場所なのだから、直接戦闘を避ける人の方が多いだろうし。
「……私は、ちょっと護衛には向いてなかったかな。どうにも荒っぽいし」
「そうかもね」
「やっぱり、そう?」
たしかにリナは多分護衛向きの魔法使いじゃない。いや、戦闘能力は高いから護衛には向いていても、ああいう場所……学校のような閉鎖的で小規模かつ穏便に済ませることが美徳とされる場所に最も向いている魔法使いかと言われれば、そうじゃない。
多分彼女が一番強い状況と言うのは、ある程度の距離で正面から魔法戦をした時だと思う。もちろん私の見た限りでしかないのだけれど。
「でも、リナが来てくれて嬉しかった」
でも、そんなことは些細な問題だと思う。
というよりも、あんまり護衛の能力に関して求めたことがないというか……あまり自分が狙われていることにすらそこまで自覚的ではなかったし、守ってもらうことが……なんというか、あまり好きじゃない。
私のせいで誰か死ぬのは嫌だから。私のせいで、誰かに傷ついて欲しくない。リナに傷ついて欲しくない。
そう思えば、リナが護衛に来てくれたのは良くなかったのかな……もっと別の形のほうが……ううん。きっとどういう形で再会してもリナは私を守ろうとしてくれた。だからまぁ、あんまり変わらない気もする。
「リナと会えたのは嬉しかったよ」
だから、なんでもいいのかもしれない。
私達は再会したのだから。再会して、色々あったけれど……今こうしているのだから。
「あの学校で、きっと私が唯一笑えた時だと思う。リナが来てくれてからが」
正直、わからないけれど。
私は自分の感情にもあまり敏感ではないから。でも、リナがいてくれたあの頃が私にとって最も機敏に感情が動いた日々だった。
それ以外の日々は淡泊で妙に現実感がなかった。長い陰鬱な明晰夢のようだった気がする。
「そっか。私も行って良かった。今思えば、少し逃避のようなものだったのかもしれないけれど。でも、私もミューちゃんに会えて嬉しかったよ。間違いなく」
「知ってるよ」
「そう?」
「うん。だって、リナは私に伝えてくれるから」
言葉で、行動で、私の鈍い心に届くように。
私にもわかるように彼女は自らの想いを伝えてくれる。
「そっか。伝わってるなら、嬉しい」
ほっとしたような顔を浮かべ、私の指をなぞる。
幸せの熱が指先から伝う。
「好きって伝わってるよ。リナの気持ち。わかる……とは言えないけれど。でも、伝わってる」
好きって想いをまだ私は完全にわかっているわけじゃない。
リナが私に好意を抱いていることは知っているけれど、それがどれぐらいのものかわかっていない。彼女の想いがどれぐらい強くて、どれぐらい大きいのか、私の物差しでは測れない。
でも、だからこそ、その強大な想いが私を包んでくれる時の安心感は何にも代えがたいものになっている。
「だから、うん。リナが学校に来てくれてよかった。あの時来てくれなかったから、今の私達はないだろうから」
この幸せもきっとなかった。
あの時、リナが会いに来てくれなければ、私は今ここにはいない。
「ミューリも学校にいてくれてよかった。私が会いに行ける所にいてくれて」
「……私がどこにいても、リナならきっと会いに来たよ」
「そうだね。うん。そうしたと思う。でも、学校は簡単に会いに行けたから、助かったなって」
簡単……だったのかな。
きっとそうじゃない。比較的簡単でも、あの学校に入るのはそこまで容易なことじゃない。それこそ国属の護衛魔法使いとして入るのは。
私も詳しくはないけれど、臨時とはいえ国属の魔法使いになることがどれだけ難しいか知らないわけじゃない。同じ学級にいた生徒の中でもそうなれるのは、数人いれば多いほうだろうから。
「そういえば、ミューリはどうしてあの学校にいたの? たしか学校に行きたかったんだよね?」
「うん、まぁ……どうなんだろう」
改めてどうしてかと言われると答えに困る。
端的に言うのなら、学校に期待していたからということになるのかな。けれど、それだけで十分な説明になっているとは思わない。
「私は……誰かを探してた。だから、同世代が多くいる学校に行けば、その誰かが見つかると思って」
「誰か? それって……えっと、誰?」
「うーんっと……」
どういえばいいのかわからない。
あの時、私が求めていたものは、今の私には正確にはわからない。あの頃のことはあの頃の私でなければわからない。
いや……あの時も今も、私は自分のことを全然わかっていない。でも、だからこそ、余計に今の私ではわからない。もしも今の言葉で無理やり形にするのなら。
「誰かって言うのは、私が命を捧げても良いって思える人、かな」
言葉にしてみると何か違う気がする。
「いや、ちょっと待って。今のなし」
「え?」
「うーん。命を捧げても良いぐらい、私が好きになれる人……? とか。かな。多分」
「多分って」
リナは少し笑う。
でも、本当に多分でしかない。
過去のことは、もう過去でしかなくて。
今の私にはわかりようがないから。
「……今も、探してるの?」
「ううん。全然。だから、そんな不安そうな顔しないで」
「そう? でも」
リナは私を存在もしていない誰かに取られるとでも言いたげように、不安そうにか細い声をあげる。
なんだか可愛らしい。でも、リナには安心してほしい。
だから、私は彼女にもう少しばかり身を寄せる。
「理想の誰かは……朧げだけれど、でも、私のことを……蘇生魔法を知らない人で。でも、私を助けてくれる人だった。でも、リナが来て、リナは理想の誰かとは違ってたけれど、でも理想の誰かより、私の心を動かしてくれた」
多分、幻想だった。夢見ていた誰かとは結局夢でしかなくて。ううん、夢以下でしかなくて。
そんな夢よりも強烈な想いと共にリナが現れた。そして本物の夢のような日々を私にくれた。夢を……いや、夢より幸せな日々を現実にしてくれた。
「リナがいるから、もう誰かはいらない……だから、私の全部は、リナに捧げるって言ったんだよ」
「そう、だね。そう言ってくれた。ごめん。ちょっと、心配で」
「ううん」
不安にさせるのは、きっと私が想いを伝えるのが苦手だから。
もっと想いを伝えたい。私の心を。
私のこの好意がどれだけ弱々しくても。
「リナ、好きだよ」
結局、それ以外になんて言えばいいのかわからない。
多分、その言葉だけでは全部を伝えきれてはいないけれど。でも、これ以外の言葉はまだ私は見つけられそうにない。
でも、それだけで。
私の絞りだした言葉だけで、リナはとても嬉しそうに口角をあげてくれるものだから、私も何度も同じことを言いたくなる。
「好き」
同じこと。
何度も言って。
言われて。
それだけで満ちているはずなのに、想いを伝えずにはいられない。
本当に不思議なこと。
心なんて、本当にわからない。わからないけれど。
こうしてリナが甘い声で私を好きって言ってくれるだけで。
私が好きっていえば、リナが顔を綻ばせるだけで。
それけで私は幸せの熱に浮かされる。