第104話 重ねて
一晩眠って祭りの日が始まった。
朝起きてからずっと外は騒がしい。祭りらしいといえばそうなのだけれど。
一応、本番は夜の花火とはいえ、別に手をこまねる理由もなく、私達は早々と宿を出ることにした。いつかと同じようにポニリリアから着物を借りて。
「祭りといえば着物だよ」
相変わらずポニリリアはそう言っていた。あまりよくわからない因果関係のような気もしたけれど、リナも隣で強く頷くものだから、私達はまた着物を来た。
まぁ私もリナの着物姿を見れるのは嬉しいかもしれない。いつもとは少し違う特別なリナの姿が見れるのは、たしかに嬉しい。
「やっぱり、お似合いだね」
ポニリリアの言葉に私も頷く。
リナに着物はすごく似合っている。彼女はなんでも似合うから、別に着物に限った話ではないけれど。
「そうかな」
「うん。2人ともお似合いの関係だよ。時が経っても変わらなくて結構なこと」
あ、似合うってそういうこと……そう見えるのかな。
私はお似合いかと言われるとあまり自信はないのだけれど。どうにもつり合ってはいないだろうから。
「色々あったんだよ。これでも」
リナが隣で答える。
本当に色々あった。
きっとそんな一言ではくくれないほどにたくさんあった。
「そうなんだ。まぁ、あれから結構経ってるからね。当然か」
「ポニリリアは、どうなの?」
「私かー……」
リナの問いに彼女は軽く視線を外す。
軽い沈黙の後に、ポニリリアは明らかに無理した笑顔を浮かべる。
「特にはないかな」
きっと何かはあったのだと思う。
それがわからないほど鈍くはない。同時にそれを話さないことをポニリリアが選んだことがわかるくらいには。
「ほら、そろそろ時間だよ」
「あ、うん。行ってくる」
そう言って、リナは私の手を取る。
かじかんだ手がほかほかとしてくる。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
そんな会話をして、私達は外に出た。
今度は正面入り口から。
外の大通りはすごい人で、圧倒されそうになる。色々な人が見える。やはり祭りだからだろうか。
「人、多いね。ミューリは大丈夫?」
「……うん。平気」
そうは言ったものの、人が多いというのはあまり得意なものではない。
思わずリナと繋いだ手に力が籠る。
「……やっぱり、ちょっと騒がしいかな」
そのせいか、それとも私の軽い強がりを察したのかはわからないけれど、リナは横道へと入っていく。喧騒を背に受けながら、少ない街灯が照らしているだけの暗い道を進む。
「り、リナ。ごめんね」
「ううん。やっぱり静かな方がいいね。ミューリの声も良く聞こえるし」
そんな歯に衣着せぬ物言いが、私の心に熱を灯す。
ずっと一緒にいるはずなのに、どうしてここまで私の心は揺さぶられるのだろうか。これぐらいのこと、リナはいつでも言ってくれているのに。
「……嬉しい」
嬉しいから。
こんなに私が。こんなふうになるのは、嬉しいからかな。
そんな気がする。あれだけ動くことのない心だったのに、リナと再会してから本当に心は忙しい。けれど、そのほうが安心するというのだから不思議なもので。
なんとなく私は身体をリナに近づける。
「ミューリ?」
元々近いのに、そんなことをしたものだからリナも不思議そうに私の名を呟く。それに応えるように、私は髪をリナにこすりつける。
「どうかしたの?」
「ううん、別に……だめ、かな?」
こういう言い方がずるいことはわかっている。だってこう言えば、彼女は断らない。その予想通りに、リナは首を横に振る。
ほんのりと彼女の顔が赤くなってるいるのがわかる。多分、私も。
「えっと、どうしよっか。花火見えるところまで行く? それとも何か食べる?」
それを誤魔化すようにリナが話を始める。
その返答を少しばかり考えて、すぐに考えることを止める。
だってどっちでもいい。そこにリナがいるのならなんでもいい。
「リナはどっちがいい?」
「うーん……とりあえず歩いてみて、なにか食べたいものがあったら食べるってのはどうかな」
つまりはいつもの散歩と変わらない感じで行くらしい。
私はそれに肯定を返して、私達は歩き出した。
手を握り、指を絡ませて、身を寄せながら、歩き出した。
あの時と似ているけれど、大きく違うのは誰の目も気にしなくていいことだろう。すごく落ち着く。特別だけれど、いつもと同じようなことをしているからだろうか。
いつもと同じ。それをつまらないとは思わない。
とても安心する。それにリナの瞳の中の感情は千差万別で、飽きたりしない。
「あ、あれ美味しそうじゃない?」
「……あれ?」
歩いている途中で、リナが大通りの方を目ざとく指さす。
彼女は相変わらず変なものを好きになる性質らしくて、そこには青色の触腕を焼いたようなものがあった。
「美味しそうじゃないかな」
「……まぁ、美味しそうではないけれど。リナが良いっていうならきっと良いんじゃないかな。だから、私もあれがいい」
私の答えに彼女は口角をあげて、そして大通りへと共に進む。
大通りは酷い喧騒だったけれど、でも彼女とくっついてれば大丈夫だった。
……なんだか思い出す。
前は同じようにリナが付いていてくれたけれど、もっと怖かった。人混みが怖くて、しんどかったけれど。今はそうでもない。
彼女の声に、温度に集中していれば、全然怖くはない。前はもっと色々なことを気にしすぎていた気がする。私はリナの手の内で、彼女のことだけを考えていればよかったのに。
……まぁ、昔はそれも難しかった。
色々考えずにはいられないことがあって。
酷い不安や恐怖が思考の隅々まで流れていた。
こんなに綺麗に彼女のことを感じることはできなかっただろうから。
「どうかした?」
「ううん。リナと一緒で良かったなって思っただけ」
「私も。私もだよ」
ただ素直な言葉を溢す。
ただそれだけのことなのに、リナはとてもにこやかに笑う。
「美味しいね」
店で買い物を済ませ、薄明かりが照らす横道に戻り、触腕を頬張りながら放たれた彼女の言葉に頷く。
青い触腕は見た目に反してとても甘かった。
お菓子の類だったらしい。祭りと言えば、甘いお菓子らしいし、これも祭りらしい事の一種というやつなのかな。
まぁ祭りらしい事の本番はこれからなのだけれど。
「リナ、時間は大丈夫?」
「うん。大丈夫。まだまだあるよ。休んでも平気なぐらい」
前回は何か食べてからすぐに私が歩けなくなってしまって花火は見れなかった。
今回はそういうことにはならないようにしたい。私は別に花火を見れなくてもいいけれど、リナは多分楽しみにしているのだろうし……ううん、私も少しばかり気になる。彼女と一緒に見られるのだから。
幸いにして、私が疲労を訴えることはなかった。
……多分だけれど、前よりもリナがゆっくりと歩いてくれたからだと思う。気を遣わせてしまっている。こういう時に本当に私は彼女に甘えてばかりということを実感してしまう。
でも、甘えさせてもらえるのは。甘えることを許してくれるのは、嬉しい。最近、ようやくわかったけれど、多分リナは誰にでもこうするわけじゃない。私だから、気を遣ってくれている。すごい驕ったことを言うのなら……私と一緒にいたくて。
「リナ、ありがとう」
「えっと、どういたしまして?」
不意に感謝の言葉を言えば、彼女は当惑を隠しきれない声をあげる。それに応えるように、言葉を追加する。
「一緒にいてくれて、ありがとうって思っただけだよ」
「……それなら、私もありがとうだね」
そして互いに顔を綻ばせて
目的の場所へは少しばかり複雑な道を通った。リナはすいすいと進んでいたけれど、こんなの地元の人でも迷うぐらいなんじゃないかな。
多分、私だけじゃ辿りつけない場所。まぁ……全部の場所がそうなのだけれど。
「間に合ったみたい。でも、そろそろじゃない?」
そこは軽い高台になっている場所だった。
灯りが少ないけれど、同時に人の数も少ない。いわゆる穴場というやつなのだと思う。
「この辺りが見やすいんだって。昔、聞いたんだ」
「そうなんだ」
昔も同じ話を少し聞いた気がする。たしかその情報はカミラからの情報だとリナは言っていた。
結局、昨日も今日も彼女を見かけることはなかった。一応今もカミラがリナを慕っているのなら、私と彼女は恋敵ということになるのかもしれない。そう思えば、カミラがどうしているのかは少しばかり気になる。
「あ」
そんなことを考えていたからだろうか。
周囲の暗がりの中にカミラらしき影を見つける。
いや、違うかもしれない。だって、光が少なくて影しか見えないから。けれど、あんな姿だった気もする。
「ね、リナ、あれって」
「ん? どれ?」
「あの……」
リナに聞こうとしたら、その影はふわりと動いて、隣の影と重なる。
多分、そう言うことなのだと思う。カミラと誰かも、リナと私のように。別の人かもしれないけれど。でも、あれから6年。そうなっていてもおかしくはない。
「……カミラって、会った?」
「ううん。どうして?」
「その、会わなくて良かったの?」
まぁ、別にこれから会えば良いのかもしれないけれど。
でも、そういうことを聞いているわけじゃない。リナは友達と会うのも好きだと思ったのに。それこそ、ポニリリアとの話しているのも楽しそうだった。
「うーん。まぁ会いたくなかったわけじゃないけれど」
「なら」
「でも、ミューちゃんといるほうが良いから」
あ、そっか。
……私といるほうが楽しいのか。友達といるより。ううん。誰といるよりもきっと。
思わず口元がほころぶ。自分の思考の傲慢さと、リナの好意の大きさに。
「でも、まぁ。幸せだと良いね」
「……そうだね」
多分、きっと幸せだと思う。
カミラらしき影は見失ってしまったけれど、きっと。
彼女は誰かを好きになれる人なのだから。私はリナがいないと、好きもわからず幸せにはなれなかったけれど、きっとカミラは大丈夫だろう。
まぁ、もしもカミラが不幸でも、私はリナの隣を譲るつもりはない。
リナがカミラの方が良いっていうなら、仕方ないけれど。その場合は私はどうすrのかな……まぁ考えても仕方ないことではあるのだけれど。
「ん?」
「ううん。いつも見つめてくれてると思って」
「……まぁ。その、癖になってるのかも。ミューリのこと目で追うの」
多分、リナが私以外の人を選ぶことはない。
私を見つめる彼女の瞳を見れば、それはわかる。
こんなに素直な言葉と強い熱、そして幾度の遠回りでようやく理解したのは自分でも自分の馬鹿さ加減に呆れてしまうのだけれど。まぁでも、今こうして2人で影を重ねているのだから。
「私もリナのこと、見てるよ」
「最近よく目が合う気がするけれど……気のせいじゃなかったってこと?」
「うん。そうだと思うけれど」
うーん。
もしかしてあんまり伝わってないのかな。確かに私はわかりにくいかもしれない。きっと私もリナのように想いを素直な言葉にするべきなのかもしれない。
「だって、私もリナのこと好きなんだよ」
「……そっか。嬉しい」
リナの影がふわりと浮いて、私を抱き寄せる。
外だというのに、どうにも大胆過ぎるけれど。私がそれを拒否することはない。ちょっと恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しいし。きっとここまで暗ければ、わからないだろうし。
遠くで鮮やかな光が眩く。
同時に周囲で歓声が上がる。
きっと花火だろう。それはわかったけれど、なんだかリナから目を離せなかった。リナが私を見つめていたから。逆かもしれないけれど。
「花火、見なくていいの?」
「ミューちゃんこそ……でも」
「うん。今はね」
わかっている。
彼女の想いも。
多分、私と同じだろうから。
すごい喧騒が横から聞こえてくるけれど、遠くのことのようだった。
まるで私達だけみたい。そんな風に想えてしまう。
祭りの世界から離れて、私達2人だけの世界にいるような。そんな錯覚の中にいた。
人混みの中で、私達だけ。
いつもと同じような錯覚。
結局祭りと言っても、やることは変わらない。日常の延長でしかないのかもしれない。特別な日と言ってもそれぐらいで。
それぐらいでしかないことが、私にはとてもほっとする。リナとの特別な日常がこんな日でも続いている。
そんなことを花火の閃光の下で思いながら、私とリナはもう少し影を寄せた。