第103話 懐かしくて
海傍街。
それは私達が魔法学校から抜け出して、始めに逃げ込んだ街だった。実際にはそれまでもいろいろあったのだけれど、まぁ2人で最初に訪れた街ではある。
駅に降り立てば、あの頃の記憶が蘇る……ということはない。まぁだって、私は駅にはほとんど来ていない。この街から逃げ出すあの瞬間しか見ていない。
でもこの街の雰囲気は覚えている。
「相変わらず大きな街だね」
「18区の方が大きかったよ?」
「そうだけれど」
なんとなく、大都会と言えばこの街の感覚がある。
実際には大都会というほど大きな街ではないのだとしても、多分私が初めてまともに訪れた大きな街だからだと思う。
「遠くまで見えるからかな」
「あ、そうかも」
リナの呟きに思わず同意する。
確かに言われてみれば、この街のほうが道が遠くまで見える。18区の方が大きな建物や人口の量は多いのだろうけれど、入り組んでいて大きさがよくわからない。
それに比べれば、ここの道は比較的、その広さがわかりやすい。
まぁ雲上の頂上は近く見えるということなのだろう。
わかりにくいとその大きさも感じにくい。
「えっと、これからどうするの? まだ時間あるよね」
「まぁ結構余裕もって来ちゃったからね」
ともかく私達がこの街に来たのは、逆時系列順に来たというのもあるけれど、それよりも大切な用があってきた。
この街では冬に祭りがある。花火もあがる。
私達が昔も参加して、そして花火を見逃した祭り。また見に来ようと言った祭り。それに参加するためにきた。
参加するといっても、ただぼんやりと眺めるだけだけれど。
遅れないように来たはいいけれど、明らかに早く着きすぎている。着きすぎているというほどでもないか。でも、祭りは明日らしい。一日ぐらいミューリといればすぐかもしれないけれど。
「それにしてもどうしてこんなに早く?」
「あー、うん。ちょっと寄りたいところがあって。いいかな。きっとミューリも懐かしいと思うよ」
「懐かしい? どこ?」
私の問いに彼女はにこりと笑うだけだった。
まぁ悪い所ではないと思う。リナは私をそんな場所に連れて行ったことはない。
それにこうしてリナとぎゅっと握り合った手があれば、どこへ行ったっていい。
「ここだよ」
そしてリナが私を連れてきた場所はとても見覚えのある場所だった。というより、私がこの街で知ってる建物なんて、ここぐらいしかない。
少し考えればわかることだったけれど、相変わらず私は流されるばかりらしい。別にそれでもかまわないのだけれど。
がちゃりと音を立てて扉を開く。
そこにはちょうど懐かしい人がいた。
「来たんだ。久しぶり」
ポニリリアはあの頃と同じようにほのかな笑みとともに私達へと手を振った。
ここは宿。私達があの頃泊まっていた宿。
懐かしい記憶が蘇る。色々なことがあった。そのほとんどが思い出となっている。それに自分でも少し驚く。
「うん。久しぶり。今って部屋って空いてるかな」
「空いてるよ。前と同じところで良い?」
「良いよ。ありがとう。ミューリ、行こ」
いつかと同じようにリナに案内されるままに階段を上り、部屋へと向かう。
食堂の方では小さな話声が聞こえる。飯時でもないのに客がいるのは、やっぱり彼女の手腕なのかな。カミラは……まだリナのことを慕っているのかな。
5年も……いや、もう6年前か。それほど経てば想いが消えていてもおかしくはない。せめて、薄れているのが普通な気もする。
……まぁ、リナに6年どころか15年も想い続けてもらった私がそんなことを言うのもどうかとおもうのだけれど。
ポニリリアは……どうなんだろう。
「ポニリリア、あんまり驚いてなかったね。6年ぶりなのに」
「そう? 結構嬉しそうだったよ。ミューリに久しぶりに会えて」
そうは見えなかったけれど。
というか、私のことなどもうほとんど忘れていてもおかしくはないと思う。
知り合いぐらいだったし。色々助けてもらったけれど、彼女はリナを助けたのであって、私を助けたわけじゃない。
「リナも、久しぶりでしょ? そっちほうが嬉しかったんじゃない?」
「どうだろ。何度か連絡はとったし、それこそ1度はあったし……でも、一応、エミリーの手紙もいってるはずなんだけれどね。訂正の連絡もしたけれど」
エミリーの手紙とはつまり、リナがそろそろ死んでしまうかもしれないというやつのことだと思う。それであの様子なのか。助かったことを事前に知っていても、もう少し質問とかしてきそうなものだけれど。
相変わらずポニリリアという人はあまり掴みどころがない人らしい。
「ここだっけ」
貰った鍵をくいと回し、中へと入る。
中は前と変わっていない。多分、変わらないために多くの努力がなされいるのだと思う。歩いてきた廊下も、変わっていなかった。観葉植物や灯があった。あとは祭りの張り紙も。
「今日はもうゆっくりしようか。それともどこか行きたい?」
「ううん。ここにいたい……」
本当はせっかくなのだから何処かにでも行くべきなのだろうけれど。どうにもそうする気はしない。
リナに触れて欲しいという想いがそこにあって、彼女もそれを察したように私を包み込む。
「懐かしいね」
リナの零した言葉に頷く。
昔、私達はここにいた。
あの頃はたしか……今と同じように想いがわかっていた。
リナを好きだって想いを失う前で、そして恋敵もいた。
あの頃はそんな感覚ではなかったけれど、でも向こうはそう思っていたと思う。私を嫌っていたと思う。今もだろうか……それはわからないけれど。
それにリナの想いもわかりやすかった。
いや、わかっていた気になっていたのか。
どうだろう。あの頃の真実を否定したくはないけれど。
でも、今の方がきっと傍にいる。心の距離が近い気がする。というのは今を美化しすぎかな。
「ミューリ……」
けれど、あの頃はこうしてリナに包まれていても不安があった。
強い不安が私の中にあった。リナの想いは信じ込めていたし、自分の想いもわかっていたけれど、それ以上に怖いことが多かった。何が怖かったんだっけ。
もううまく思い出せない。
くだらないことを恐がっていた気がする。
あの時は真剣だったのだろうけれど、でも、今はもう多分なくなった恐怖。リナのおかげで今はもうその恐怖はない。
たしか、あれは。
期限か。
あの頃、私は幸福な時間が終わるのを恐れていた。いつか私が死ぬことはわかっていたから。蘇生魔法の使い手にはそういう未来しかないとわかっていたから。
今はもうそれを気にすることはない。
命の保証があるとは言えないけれど、多分リナとの関係がもう消えることはない。彼女は何度だって私を好きになってくれるのだろうし、私もリナを好きでいられると思う。
……あれ。
でも、期限と言うのなら。
死が終わりだというのなら。
私達の終わりは……
「ふふ」
不意に彼女が少しばかり笑う。
朧げで不穏な影のような思考は、それだけで霧散する。
「どうかしたの?」
「……ううん。私達、遠出したのにやってること変わってないなって思って」
たしかに。
こうして宿でくっついているけれど、家でも最近は大概こんな感じだった。列車の個室でもそうだし、なんなら外でもリナはよくくっつきたがる。
でも、別に私は嫌じゃない。
「……私は、これで良いと思うけれど。リナに触ってもらえるの好きだよ」
「私も。ミューリと触れ合うの好き」
リナは言葉通りに私の首筋を撫でる。
少しこそばゆいけれど、それが気持ちよかったりする。
「ミューちゃんはもっと私に触って欲しいけど……」
リナは少しばかり口をとがらせて不満を訴える。
私はそれに応えるために手を伸ばす。
彼女の白い髪を私の指に巻き付けて、頬にこすりつける。
多分、こういうことは昔はできなかった。
リナも求めてはくれなかった。……いや、求めてはいても言ってはくれなかった。
こういう変化を考えれば、一度私達が分かれてしまったのも悪くはなかったのかもしれない。良かったとは、まだ言えないけれど。
「ミューちゃんって髪好きなの?」
「どうして?」
「私の髪、よく触ってるから、好きなのかなって」
うーん。
どうなのかな。
たしかにリナの髪は綺麗だと思う。よく私の前で舞い、そして私を覆ってくれる白。それを好まないわけはない。
だけれど、それだけかと言われると違う気もする。
「髪を触ったら……リナも触ってくれるから。私の髪、撫でてくれるから。それが好き……かな」
今もリナは私の髪を撫でてくれている。私を撫でてくれる。
すごく大切にされている。彼女の手の中で。
それを実感するから、好きなのかもしれない。
「リナも私の髪、好きでしょ?」
「うん。全部好きだもん」
視界の端で私の薄い青髪がふわりとさらわれる。
白と青が混ざる。私達の髪の毛がもつれる。
きっとほどくのは酷く面倒だろう。けれど、別に構わない。時間がかかっても良い。それだけ長くリナといられるのなら。
そして、私はリナに髪をこすりつける。