間話 積雪の後、その錯覚に解を
ミューリ先輩は私にとって特別な人です。
私が初めて好きになった人で、きっと私の初恋相手です。そう認識しています。少し照れることですが。でも、事実です。
きっと好きになったのは、先輩が私に初めて何かをくれた人だからでしょう。
私はこれまでの人生で色々な人に助けられてきました。子供の頃に娼館から逃げ出した時も、初めての任務で殺されかけた時も、助けられました。
けれどそれは、見返りを求めた救済でした。娼館から逃げ出した私を病院に連れて行った男はまだ子供の私に国属魔法使いへとなるように言いましたし、私を殺そうとした敵を殺した先輩は自らの評価があがると喜んでいました。
そんなものでしょう。人は皆そんなものだと思っていました。いえ、今も思っています。人は孤独なのですから、自らのためにしか動かないものだと。
きっと先輩もそうなのでしょう。でも、私にはわかりませんでした。あの時、私を助けることでミューリ先輩に何の得があったのか。
別に私に好かれようという気もなかったようですし。私に何かをしてほしいという気もないようでした。だから、それが私にはただの善意に見えたのです。ただの善意だと思えば、それがどこまでも摩訶不思議で、それを考えているうちに好きになってしまったのかもしれません。
今考えれば、多分先輩は私に嫌われたくなかったのでしょう。善意といった他の気持ちもあったのでしょうが、きっとそれがもっとも強かったのだと思います。
ともかく、当時の私にはそれがわからなかったものですから、初めて見返りもなしに何かを貰ってしまったことに困惑しました。そして芽生えた感情にも。
多分それは、好感というものでした。私はこの好感を恋だと信じています。信じてしまったのです。しまった、と言うほど悪いことではないのかもしれませんが。
そして、先輩に出会ったからの1年はその恋に振り回される1年でした。
元より、護衛対象とは仲良くする予定でしたけれど、それ以上に入れ込みました。任務に必要のないことまでしていました。
私は本当にただ先輩の親切心を独り占めしたかったのです。
先輩の心が私を向いて欲しかったのです。結局、それは叶いませんでしたが、でも私のなかの儚い恋心は残っています。そうでなくても初めての友達ですから。
私にとって先輩は、とても大切な人です。
「えっと、今日は来てくれてありがとう」
だからそう言われた時、どういうべきか悩みました。
感謝をされるほどではないと思ったからです。私にとって、先輩と会えるのは嬉しいことでしたし、それに私達は約束をしました。また会いましょうと。
それゆえに私にとっては先輩から通信連絡が来て、こうして会ってるのは当然の事です。少なくとも私が感謝を言うことはあっても、私が感謝を言われることはないように感じます。
「ほんとですよ。この街まで来るのも結構大変でしたよ。あの通信を見てから飛んできたんですから」
あの通信とは、今日会おうというもののことではなく、先輩の……言うなれば遺書のような通信のことです。少し婉曲な表現になりましたが、先輩には伝わったようで、先輩は少しばかり気まずそうに目を伏せました。
「それは……その、うん。ごめんね」
冗談めかして言ったつもりだったんですけれど。
そうも本気にされると伝わってないような感じがします。まぁ多分、先輩はわかっているのでしょうけれど。流石に鈍感な先輩といえど、私が本気で責めているわけではないことぐらいはわかってるはずです。
……はずなんですけれど。流石に分かってないのであれば、少し悲しいです。
「けど、いいです。焦りましたけれど、連絡をくれたのは嬉しかったですし。今日も招いてくれて嬉しいですよ」
「……そっか。それなら、良かった」
まぁ本気で責めているわけではないけれど、でも本当は少し怒っています。
先輩はどうにも自分の命を粗末にしすぎでしょう。今も後ろの物影から私達の様子を伺ってる彼女……あれがリナさんなのでしょう。
あのリナさんのために命を捨てようというのが、先輩の望みだったとしても、それは流石に看過できようがありません。まぁ……私の静止など意に返さないのでしょうけれど。
それでも私は任務を投げ出してまでここまで来ました。所詮、何故あんな命令がでたのかわからないほどに謎の任務でしたけれど。
でも多分、帰ったら怒られるんでしょうね。まぁ、先輩が知らない内に死んでしまっていることに比べたら、多少怒られるぐらいどうってことはないのですけれど。
最悪、命令違反で処分もあるのでしょうか……流石に即席とはいえ引継ぎも済ませましたし、そこまでのことにならないとは思うのですが。
「それで今日は話があるんでしたっけ」
「うん。ちょっとルミに話したいことがあって」
少し緊張します。
けれど、今日の主題はこれなんでしょう。
しかし話ってなんなのでしょうか。
……とぼけるのも難しいですね。
多分、この家の所有者でミューリ先輩の恋人、リナさんに関することなのでしょう。それはわかっています。どの話かはわかっていても、どんな話かは分からないのですけれど。
「えっと……」
先輩は言いづらそうにもじもじとしていました。
きっとどう言えばいいのかわからないのでしょう。初めて会った時からそうです。全部どうでも良いみたいな顔して、そのくせにひとつひとつのことを気にしている。そういう人なのです。
鈍感かと思えば、やけに鋭い時もあるというか。
おおらかで繊細だったりとか。
全部忘れてそうで、ずっと抜け落ちない記憶を持ってたりとか。
求めているものから逃げていたりとか。
そういう二律背反性を抱えている人なのです。
正直よく分からないこともありますけれど、そういうところも含めて好感を抱いているのですから、面白いものと思います。酷い錯覚です。本当に。
「……仲直りできたんですね」
沈黙を破ってあげましょう。
なんだか昔を思い出します。昔もこうして先輩と話しました。私の記憶では、毎回私から話していた気がします。先輩は会話が嫌いという風には見えませんでしたけれど、会話を始めようとはしませんでしたから。
そう思えば、こうして話そうと言われるのは、すごく珍しいことというか……先輩の変化なのかもしれません。多少なりとも私のことも考えてくれているのでしょうか。
きっとあの頃なら、魔法学校にいた頃なら、先輩は私に会おうとすることなどなかったはずです。嫌われていたとは思いませんけれど、好かれていたわけでもないでしょうから。
あの魔法学校での1年間は良い思い出です。まだ思い出にするには少しばかり情景が鮮明過ぎる気もしますけれど。
「うん。できたよ。話せた。ルミのおかげ……ルミが、リナと話した方が良いって言ってくれなかったら、ここにいないと思う」
きっとそんなことはないと思います。
結果的には、私が助け舟を出した形にはなりましたけれど、私がいなくても多分先輩はリナさんと仲直りできたでしょう。多分、ここまで早い形にはならなかったでしょうけれど。
「だから、感謝してるんだ」
「そうですか。それなら……良かったです」
良かったのでしょうか。
いや、先輩はまるで憑き物が落ちたように晴れやかな笑顔を浮かべていますから、きっと良かったのでしょうけれど。
私の恋路のことを考えれば、敵に塩を送っただけのような感じですし……良かったと手放しに言えるのかはわかりません。
まぁ、先輩が幸せそうなだけ良かったということにしておきましょう。もしも私の恋路が実っても、先輩はきっと幸せには成りませんし、それで私が幸せを感じるとも思いませんから。
「それでね。あの、うん……話さないといけないと思ったんだ。ルミとも」
すうっと息を吸う音が聞こえます。
先輩は緊張しているのでしょうか。何を言われるのでしょう。そんなに言いづらいことなのでしょうか。少し怖いですけれど……話したいことがあるというのなら、私に聞く以外の選択はありません。
「ルミと直接、2人で。だから、リナには少し離れてもらってるんだ。多分……その辺りにいると思うけれど。あんまり気にしないで」
……その辺りというか、先輩の後ろですけれどね。
影に隠れているつもりかもしれませんけれど、いえ実際、隠れてはいるんですけれど、魔力の流れを見れば簡単に分かります。先輩は魔力的感覚は鈍いからわからないのでしょうけれど。
……しかし、この距離でもはっきりと魔力の流れが変化するほどとは。それもこれほど綺麗に。ここまで綺麗だと、先輩ほど魔力的感覚が鈍くなくとも気づかない人は多いかもしれません。噂以上にリナさんの魔法能力は高いようですね。
「ルミは私の事好きって言ってくれたよね」
私が幾度かの思考を回った後に先輩はようやく沈黙を破りました。私はその言葉に頷きます。
「……はい。言いましたね」
先輩の後ろの物陰で影が動いて、がたりと音を立てるのが聞こえます。
そんなに驚くことでしょうか。リナさんもミューリ先輩のことが好きになったのですから、同じように好きになる人がいてもおかしくないでしょう。
「多分、返事がまだだったよね」
「そうでしたっけ」
恋人関係にはなれないとは言われましたけれど。
あれが返答でなければ何だったのでしょうか。
「……うん。まだだよ。多分、あの時は私何もわからなかった。何もわからなくて、わからないから、無理だって言った」
「そう言ってましたね」
「でも、今は話したから、想いがわかる。少なくともあの時よりは。だからね。えっと……ルミの告白にちゃんと返事をしないといけないって思ったんだ」
だから、この場を設けたと続くのがわかりました。なんだか真面目過ぎる気もしますけれど、でも先輩のそういう所は嫌いではありません。
あ、そうです。少し思いつきました。この思い付きは少しばかり悪いでしょうか。いえ、これぐらいは。
「なら、私ももう一度、告白します」
「ぇ? い、いやそれは」
「ミューリ先輩。好きです。私の恋人になってください」
先輩の静止を振り切り、一息に想いを告げました。
まぁこのぐらいは許してもらえるでしょう。
……少し、先輩の後ろがうるさいですけれど。もう姿を隠す気もないようで、純白の髪がふわふわと見えています。
一応、良い所なんですから、今ぐらい邪魔はしないで欲しいものです。今ぐらいしか先輩が私を見つめてくれることなどないのですから。
「えっと」
先輩は焦ったように、驚きに目を見開いていましたけれど、一息して落ち着いたようで、真面目そうな顔で私に向き合いました。
……昔とは違います。きっと私のことを考えて、そして。
「ごめんね。私はルミの想いには応えられない」
私の想いを拒絶しました。
はっきりと。
「どうして、ですか?」
「私はリナのことが好きだから。私の小さな想いじゃ、リナのことを想うだけでいっぱいになっちゃうから。だから、ごめんね」
「……そうですか」
わかっていた、はずです。
こう言われることは。一度、同じようなことも言われたのですから。
けれど、何故でしょう。どうしてこうも。
「はぁ……わかっています。わかっていますよ」
ため息を我慢できそうにありませんでした。
予想していた答えであっても、心への衝撃が少なくても、こうも気分が落ち込むものですか。
……これが恋のせいだというのなら、厄介なものです。自分でも思います。本当に厄介です。
「ルミのこと、嫌いなわけじゃないよ。多分好きか嫌いかで言うなら好きだと思う」
もういよいよ本格的に姿を現し始めていました。
けれど私はそれを視界の隅で捉えつつも、先輩から視線を外そうとは思いません。きっと本当に今だけなのでしょうから。先輩と視線が重なるのは。
「でも、リナへの想いほどじゃないから。まだ私には恋とか難しいけれど、でもリナよりは好きになれないと思うから。だから、えっとね」
「……大丈夫ですよ。わかっていますから」
ミューリ先輩は本当?と言いたげな顔をしていました。
本当に失礼なことです。私より先輩のことをわかっている人もそういないと思いますけれど。
……ここで1番の理解者であると思えないこと自体が、私が先輩に選ばれなかった理由なのかもしれません。因果が逆のような気もしますが。
「先輩……これからも友達で、いてくれますか?」
私はそれを確認せずにはいられませんでした。
先輩は気づいたら、私の手の届かない所へと消えていきそうでしたから。
言質に何の意味もないとしても、せめてそれぐらいは欲しかったのだと思います。
「うん。私もそうしていたい」
友達でいられる。先輩の数少ない友達で。
それだけで満足するべきなのでしょう。
だから早くこの荒ぶる恋心は収まって欲しいのですけれど。
「……リナさんとまた喧嘩でもしたら、私が慰めてあげます。友達ですからね。きっとその時は先輩も私のこと好きになりますよ」
ミューリ先輩は困ったように笑いました。
きっとそんな未来は訪れないと思っているからでしょう。喧嘩などしないということでしょうか。それとも……私の事など好きにはならないということでしょうか。
前者であると信じたいですけれど、きっと後者なのでしょう。
「だ、だめっ!」
「り、リナ……あ、えっと」
驚きました。
いつのまにか後ろの物陰にいたはずのリナさんは先輩のことを抱きしめていました。まるで自分のものだと主張するように。
「ミューリは渡さない……みゅ、ミューちゃんは私のだから!」」
自分のもの……リナさんがそう言い切れることと、それを先輩が否定しないことがもう完全に私の恋路の終わりを告げていました。いえ、ずっと前から終わっていたことだったのですけれど、今ようやく終結した……そんな気がしました。
「リナ、そんなに警戒しなくても。今のは冗談だよ」
「え、そ、そうなの?」
「そうだよね?」
先輩の視線が私から外れて、リナさんの方へと向きました。
そこは2人の世界で、先輩の質問に答えていいものかわかりませんでした。なんというか……手を触れ合って、髪が重なっている2人を見れば、私がそこに入り込む余地などないように思えたからです。
「ルミ?」
「あ、いえ。冗談などではないですよ。機会があれば貰っちゃいます」
「だめ、だめだよ!」
リナさんは先輩を抱きしめる腕に力を込めたのがわかりました。
まるでなにがあっても離すつもりはないというふうで。
「リナ、落ち着いて……ルミも煽らないで」
「ごめんなさい。少しばかり面白くて。冗談ですよ。もちろん。邪魔するつもりなんてありません」
「そ、そう……?」
……始めは半分ぐらい冗談ではなかったのですけれど、こんなのを見れば、多少のからかいとして冗談にするしかないでしょう。
……リナさんの焦った顔を見て、困ったような顔をする先輩を見れたから良しとしましょう。良しとするしかないのですけれど。
「先輩、今幸せですか?」
「え? う、うん。幸せ、だよ」
聞くまでもないことでした。
その顔をみれば。私といたときには見たことのない顔を見れば。
そんな顔を見ても、不思議と悔しくはありませんでした。嫉妬心というものはなかったのです。まぁその程度の恋で、そう思えば私が選ばれないことは当然だったのかもしれません。
その証拠に意外とそんなものというか……仕方がないという気がします。元より先輩にはリナさんといるしか幸せの道はないのですから。
そのせいか意外とすんなりと受け入れていました。まぁ元より数年前に断られているのですから当然だと思います。
ただ……少し寂しいですが。
「それでは、私はそろそろ任務に戻らないといけませんから」
「あ、うん。そこまで送るよ」
「いえ、構いません。その代わり、また会えますか?」
その言葉にはかなりの勇気を要しました。
毎回、怖くなるのです。これが拒絶されたらどうしようと。
けれど、先輩は毎回微笑んで。
「うん。リナ、良いかな?」
「……いいけれど。今度は私もいるからね」
リナさんは未だ警戒するように私を横目で見ていました。
そんなに警戒しなくても、先輩をあなたから取ることなんかできないから安心してほしいのですけれど。
「わかった。じゃあ、またね」
「はい。また」
そして家の外に出ました。
多分、また吹雪が来るのでしょう。遠方で大きな魔力の流れを感じます。それに伴って、酷い冷気も。
「……任務に戻らないと」
さっきの自分の言葉に笑ってしまいそうでした。
あまりにも自分に言い聞かせるような言葉でしたから。言い聞かせてる時点で、というやつです。
「はは」
多分それは空笑いでした。
けれど、私は確かに笑っていたのです。
妙に視界がぼやけていました。