第100話 夢の先、極光の端で
リナは私の髪をさする。
温かな熱の籠った指先で。私の存在を確かめるように。
「ほんと良かった……」
彼女に抱かれながら、心から漏れたような声を聞いた。
頭の上から聞こえたその声に、私は思わず理由を問うように視線を向ける。
「その、なんていうか」
私の言いたいことは、その視線だけで彼女は察してしまう。催促したわけではなかったのだけれど。……いや、催促したのかもしれない。リナのことが気になったから。
「あの……別れ話かと思ったよ」
「ぇ、そんな感じだったかな……」
「その、ミューリは私といるのあんまり好きじゃないのかなって思って」
私を抱きしめる手に少し力が籠る。
それに応えるように、彼女の腕をさする。
「そんな風に見えた? たしかにちょっと戸惑っていたかもだけれど」
昔もそうだったけれど、私は多分リナのもつ真っすぐで大きな好意にどう受け止めればいいのかわからなくて、それを貰うのが良いのかもわからなくて、その戸惑いを消せそうにない。
「だって、いつも1人になろうとしてたから」
「そうだったかな」
「うん。朝とか、すぐ外に行くから。そうなのかなって」
まぁ、そうだけれど。
別にあれは、1人になろうとしていたわけじゃない。エミリーと気まずかっただけで。
「そういうわけじゃ、ないんだけれど。リナがついてきても止めなかったでしょ?」
「まぁ……そうだったけれど。でも、ミューリ、優しいから。許してくれただけなのかもしれないって……少し思ってはいたんだよ。怖がりだからかな」
優しい。
リナは私をよくそう評するけれど、決してそんなことはないと思う。まぁでもそう否定しても、さらに強く私を肯定する言葉が返ってくるだけだとわかっているから、わざわざ否定したりはしないけれど。
……でも、優しければ、こんなにもリナを困らせたり傷つけたり、不安にさせたりはしなかったはずだから。
「エミリーとも、何かあったよね? その話だけじゃなくて。ううん、話しなんだろうけれど、私の話意外もしたでしょ?」
「あー……まぁ。うん。あったね」
「やっぱり、私を眠らせてまで、ミューリと話したいことがあったんだね」
……気づいてたんだ。エミリーが自分を眠らせたことに。
「あれは……うん。まぁ」
あまりリナに話せることじゃない。
少なくとも私の口からは。
エミリーの想いを無下にすることになる。
「……あの、ね。えっと、もしかして、告白された?」
私の沈黙をどう解釈したのか、リナが言いづらそうに言葉を選ぶ。
その顔に私はおもわず笑ってしまいそうだった。どうにもリナは変な顔をしていたから。聞きたくないことだけれど、聞かずにはいられなかったことが見て取れる。
「そんなわけないよ。エミリーが私を好きなわけない」
「そ、そうなの? え、でも。2人はなんだか共通の秘密もあるみたいだったし……
「あー……」
共通の秘密、といえばまぁそうなのか。
たしかにリナに蘇生魔法をかけるために共謀したと言えるかもしれない。そう言う意味では共通の秘密ともいえるけれど。
「秘密がないわけじゃないけれど、でも、違うよ」
「……ち、違うの? ほんとに?」
私は頷く。
「違うよ。だってエミリーの好きな人はもう別にいるらしいし」
「そう、なんだ……なら、いいけど……」
言葉とは裏腹に、リナの声には不満が聴き取れる。
私でも簡単に分かるぐらい、不満そうだった。
「……あの、ね」
「うん」
「もし告白されても、エミリーを選んだりしないよ」
ゆっくり手を伸ばす。
震えるけれど、それをリナも求めてくれていると知っているから。
彼女の頬に触れる。彼女の髪がかかり、少しくすぐったい。
「私、リナ以外の人を選んだりしないよ。だって、このリナに抱いている感情が好きってことなら、他の人に同じような事感じたことないから」
やっと、私にもわかってきた。
本当に朧気だけれど。昔の私には、もう少し鮮明に見えていた気もするけれど。でも、好きって感情が掴めそうな気がする。今はまだ輪郭しかわからないけれど。
それはリナに対しての感情でしかなくて。他の人にはきっとこの感情を向けることはない。
「そ、そっか……それなら、うん……」
まだリナは不安そうに、自らの髪を梳く。
「それにね。私に告白する人なんて」
いない。
そう繋げようとして、言葉を詰まらせる。
いないわけじゃない。
今までに私はリナ以外からも好意を告げられたことがある。
それをなかったことにはできない。
「ミューリ?」
「あー、いや。あったなって。その、告白されたこと」
自分の頬をさすりながら、恐る恐ると言った感じで話してみれば、彼女の顔はみるみるうちに変わって、なんだかまたしても不思議な様相になっていた。
「え……え、あ、い、いつ? あ、そっか。うん。そうだよね。5年も経ってるから、ある、よね。それぐらい……え、で、あの。ど、どうしたの……?」
「えっとね……それが、その……本当に良くないんだけれど。まだちゃんと返事してないんだ」
ミューリの動きが固まる。
「今度、話さないと。話して断らないと」
「……断るの?」
「うん。ルミは、あ、私に告白してくれた子なんだけれど。ルミは友達だけれど、でも多分、好きな人ってわけじゃないから」
「そっか……」
リナはなんだか不満げだった。
それは、間違ってなければ嫉妬心で、私はちょっと嬉しくなる。でも同時に、そんな想いをさせたかったわけじゃない。彼女には安心していて欲しい。
「大丈夫だよ。リナの事、好きだよ。少し話すだけだから」
「……どうしても話さないとだめ?」
「うーん……まぁ、ね。ずっと逃げちゃってるから。ルミにも沢山助けてもらったし、せめてそれぐらいは」
まぁでも、リナが本当に嫌だと言うのなら、私はルミに会いに行かないかもしれない。けれど、彼女はそこまで私を縛ったりはしない。
……まぁ元々、彼女が心配するようなことなんてないんだけれど。
「やっぱり、優しいね」
「……そうかな」
「そうだよ。ちゃんと人に向き合おうとしてる。私には、上手くできないから……」
そんなことはないと思うけれど。
それこそリナの方が私を見て、そして想いを尽くしてくれているのだから、よっぽど得意な事のような気がする。私にはそれをするまでにここまですごく婉曲な道を歩いてきてしまったから。
「本当に、いいのかな」
リナがぽつりと呟き、足を止める。
「ミューリ。ほんとに良いの? 私でいい? その、ルミって子の方が良いなら、良いよ……その、私……私は、ミューリのことが欲しい。欲しいよ。ほんとに。でも、でもね。別にミューリに不幸になって欲しいわけじゃないから。幸せになって欲しい」
その言葉は不安に揺れている。
そして後半はともかく、前半が本心じゃないことぐらい簡単にわかってしまう。それぐらい彼女の声は震えていた。指先だって、落ち着きがない。私を手放したくないって想いが伝播する。
こうして触れ合っているのに、気づかないとでも思っているのかな……いや、前までの私なら見落としていたかもしれないけれど、でも今はそれを見落とすことはない。
「私は、リナと一緒にいたい、けど……えっと、やっぱり信じられない、よね」
昨日も同じようなことを言った気がするけれど、でも、リナは不安になっている。
多分、この疑心暗鬼は、私が産みだしたものなのだろう。
今まで、私はリナに嘘をついたこともあるし、傷つけたこともある。そのせいで、リナの中の不安はそう簡単に消えてはくれない。不安にさせたいわけではないのに。
もう本当に私のせいでしかない。もしもこれから一緒にいるなら、私はその不安をなんとかしたい。できるかはわからないけれど……
「ううん。違う。違うよ……信じられないわけじゃないけど。でも……うん。信じられないのかも。だって、こんなの夢みたいで……何かの冗談みたいな」
昨日も同じようなことを言っていた。
多分、そんな表情を私はしていたのだろう。
リナは焦ったように説明を追加する。
「だって、だってね。ミューリが私のことを好きなだけで飛び上がるぐらい嬉しいのに、それに加えて全部私のものでいいなんて……なんていうか、不思議で」
「そうかな……うーん」
そんなに私がリナのことを好きなのはおかしいのかな。
リナなんて、どんな人でも惚れさせることぐらい簡単だろうに。
……私、リナに惚れてるのかな。多分、そうなんだろうけれど。でも、改めて、そういう言い方をすると、なんだかちょっと照れる。
「私にはリナしかいないってだけじゃ、信じられないかな」
「……でも、さっき告白されたって」
「えっと、そういうことじゃなくてね。私が息をできる場所は、リナの隣だけだと思う。ずっと苦しかった。リナと別れてから、世界が灰色で息の仕方もわからなくなって……でも、今は」
私はほおっと、白い息を吐く。
あれだけ難しかった呼吸を簡単に。
「ほら。息ができる。リナのおかげで」
「……えっと」
「よく、わかんないよね。うん。私もよくわからないけど。でも、その、リナのおかげで、リナの隣にいるから、生きてて良いのかなって思えるから」
そんなこと言った自分に少し驚く。
私は、生きてて良いと思ってるらしい。
……そう思っていいのかはわからないけれど、その感情がリナのおかげで生まれたことぐらいはわかる。
「だから、昨日も言ったけれど……その、安心する。リナがいてくれると。だから、一緒にいたい」
まぁ自分本位な考えだとは思う。
でも、リナの想いを私は知っているから。
「その、リナが許してくれるなら、だけれど。リナが私と一緒にいたくないって言うなら」
「そんなことっ。そんなこと絶対ないよ。私も、ミューリと一緒にいたい」
「それなら、うん。一緒にいようよ。ね?」
私はそっとまた彼女の手を取る。
それをリナは拒んだりしない。拒まないことを私は知っている。
でも、こんな風にリナに触れようとできるなんて。
私も随分と様変わりしたような気もする。これが成長なのか、それとももっと早くこうなるべきだったのかはわからないけれど。
けれど、私が彼女に触れれば、とても嬉しそうに笑ってくれるから。
リナのその表情は、すごく幸せそうで。
その顔が見ると、私はなんだかすごく心の内になにか熱いものが現れたような気がする。いや、それを見つけたと言った方が良いのか。
「ね、何か光ってるよ」
不意にリナが窓の方を指す。
夜だと言うのに、何故か光っていた。淡い光が窓掛けの隙間から入ってくる。
「もしかして……」
窓掛けを開ける。
そうすれば、そこには鮮やかな光が溢れていた。
「魔極光……いつの間に……」
魔極光は緑や赤、青に空を染め上げている。夜だと言うのに、昼のように。
少し眩しい。魔極光はずっとリナが見たいと言っていたものだったけれど、意外と普通というか……綺麗だけれど、ただそれだけに見える。
「……そういえば、ここに来たのはこれを見たかったからだったね」
リナが呟く。
昔、そんな建前を言っていたような気もする。
……今は建前ではないと思うけれど。
「そうだっけ?」
「うん。ミューリとこれが見たくて」
「……それで、どう?」
「一緒に見れて、嬉しいよ。これから夜空を見るたびに、この時のことを思い出せると思うから」
リナは嬉しそうに笑顔を浮かべている。
なんだかそれを見ていると、このただ綺麗なだけの空も特別なものに見えてくる。
「……ミューリ、好きだよ。大好き。私といることを選んでくれてありがとう。これからもずっと一緒にいようね」
それがさっきの言葉への返答だと気づくのに少しばかり時間を要した。
その頃は、リナの顔はほんのりと赤くなっていて、きっと私の言葉を待っていた。
「リナも、私を好きになってくれてありがとう」
ほんのそれだけのことを言うのに、ちょっと時間を要した。
なんだかこの想いをどう伝えれば良いのかわからなくて。
「私もリナの事、好きだよ」
思ったよりもはっきりと言葉になった。
私のずっとわからなかった想いは、輪郭を見つけ、そして言葉になった。
言葉にしてみれば、すっと私の中に染みていく気がした。まるでずっとそこにあった想いのように。
いや、ずっとそこにあったのだと思う。ただ私は見失っていただけで。
「ぇへ、へ……嬉しい」
リナは少し変な声を出しながら、私を抱き寄せる。
抱き寄せるというよりは、腕を私の身体に絡ませると言った方がいいのかもだけれど。
彼女の笑顔を見れば、自然と私の口角もあがる。
景色も相まって、本当に綺麗な気分だった。
私達はふたりきりで、そしてひとつになって。
思い出をほんの少し増やした。