ある死別
「まだ引きずってるみたいですね」
行き付けの店のカウンターにいた彼女にそう話しかけると、彼女は恨めしそうに顔を上げた。
「だって、彼のあんな最期なんて誰も予想しないじゃない」
「分かります。予想、できませんよね」
やはり彼女は引きずっている。
そう思い、今夜は聞き役になるために私はここに来たわけだが。
隣に座り、飲み物を頼む。
静かなジャズのスタンダードナンバーが今日はやけに悲しく聴こえる。
「前の週まであんなにピンピンしてたんだから、予想なんてできませんよ」
「彼は強くて、優しくて、周りから頼られる、理想的な先輩ってタイプだったのに」
とつとつと彼女は語った。見たところ少々酔いが回っているらしい。今飲んでいるグラスは何杯目だろうか。
「そうですね。あんな最期じゃ、彼らしくないっていうか」
「………らしくないってなに?」
「え?」
「死に方に、らしいも何もないでしょ!? らしい死に方だったら彼は死んでも良かったとでも」
「いや、そんなつもりは」
彼女はつり上げた眉尻をすぐに下げた。
「………ごめんなさい、やっぱり調子悪いのかな。このところなんだか、ずっとヒステリーっぽくて」
「ナーバスになるのも分かります。それだけ急な別れで……それだけ愛していたんでしょ」
「愛……ええ。愛していた。彼に限っては、口にしても恥ずかしくない言葉だわ。初めて見たときから、ずっと。恋い焦がれた、と言ったらロマンチック過ぎるけど。彼の全てを知りたくて、思えば結構な時間とお金をかけた」
「お金はそれこそ、車が簡単に買えるくらいでは」
「ええ、そういう額ね。すぐお金に換算するのは下品かもしれないけど、人生のどれだけを彼に割いたかが、その額から見えてくるもの」
「なら、もう立派な人生の一部ですね」
「そう。それが彼への愛の大きさだと思えば、自分への慰めくらいにはなる」
慰めに、なっているのだろうか。
その金額が悔いにはなっていないようだが。
オーダーした飲み物と簡単な乾き物を受け取っていると、彼女は頬杖をつき、それから頭をくしゃくしゃとかいた。
「彼、なんで死んじゃったのかなあ。意味なんて求めても仕方ないけど、やっぱり納得いかない」
「みんな、そう言ってますね」
「きっと一生、納得なんてできる日はこない。ずっと疑問になって、ことあるごとに話題にすると思う」
「でもそうして忘れずにいられると思うのも、また愛の深さじゃないですか」
彼女は素直に首肯した。
「好きじゃなきゃ、こんなに朝から晩まで考えないもの」
好きだからこそ心を痛め、そして悼むのだ。
「時間を見つけては、彼の活躍を思い出すの。あのときこうだった、ああだったって。でもふと、気付きたくない現実を突き付けられるの。もう思い出だけなんだって、思い出の中だけで、これから紡がれていく新しい物語に彼はいないんだって」
そして彼女は、深い穴を覗き込むような、そんな目をする。
「彼が死んで、あれから心の中がずっと空ろなの。穴が空いたようだって表現は、こういうことなんだって。本当に胸にぽっかり空洞があるようで」
「なにも、楽しくない?」
「他の娯楽じゃ塞げないくらい、埋め合わせができないくらいに大きすぎるのよ、その穴が。ロスなんて、そんなありきたりな言葉で表しちゃいけないくらい」
どう返したら良いだろうか。
ナッツをつまみ、飲み物で口を湿らせてから、
「その穴の大きさも、また愛の大きさなんじゃないですか」
響いたかどうかは分からない。
だが彼女は大きくため息をついた。
「……こんなに苦しむなら愛さなきゃよかった」
「……本当に、そう思いますか?」
嘘よ、と彼女は即答する。
「あなたの言葉を借りるなら、この苦しみも愛の大きさなんだから」
引きずってはいるが、受け入れつつはあるようだ。
彼女はグラスを持つと、
「乾杯、じゃないわね。献杯しましょう」
「誰に」
「聞くまでもないじゃない。彼によ」
献杯、と彼女が小さくグラスを上げた。
こんな夜の一時が、いささかでも彼女の癒しになればいい。
私は祈るように、そう思った。
彼女はもうしばらく悲しむだろう。
長年愛した推しキャラが死んだのだから。
「献杯」
私も彼女に倣うように、グラスを上げた。