努力の子
主従訓練が始まって、早くも一ヶ月が経過した。
マリベルは――もう心労が限界に近かった。
「ウィニング様、もう一度挑戦しましょう」
「はい!」
森の中にある開けた場所で、ウィニングとマリベルは向かい合っていた。
この森は以前までウィニングがひたすら走り回っていた場所だ。最初の顔合わせ以来、マリベルは「庭を傷つけてしまうから」という理由で、この森を訓練に使っている。
「では……《炎弾》を発動してください」
マリベルの指示に、ウィニングは頷いて掌を前に突き出した。
「《炎弾》――ッ!!」
炎の弾丸を放つ、火属性で最も簡単な魔法――それが《炎弾》だ。
ウィニングは火と風の紋章を持っているため、火属性の魔法が扱える。
無属性魔法|《身体強化》をあそこまで卓越した技巧で制御できるなら、《炎弾》くらい簡単に発動できるはずだとマリベルは読んでいた。
しかし、ウィニングの《炎弾》は――。
「……あれ?」
ウィニングの掌から、炎がにょろっと出る。
そのまま炎は地面に落ちて、じゅう、と音を立てて土を焼いた。
「そんな、馬鹿な……」
失敗だ。
何度やっても《炎弾》が成功しない。
数え切れないほどの失敗に、マリベルは悔しそうな顔をする。
一方、ウィニングは申し訳なさそうな顔をした。
「で、ではウィニング様、次は剣術の練習をしましょう!」
マリベルが水で剣を生み出す。
ウィニングも、傍に置いていた鞘から剣を引き抜いて対峙した。
「いきますよ!」
「はい!」
マリベルがウィニングへと肉薄し、右薙ぎの一閃を放った。
これを半歩下がることで避けたウィニングの目前に、今度はマリベルの突きが繰り出される。
「そこです! そこでカウンターを!」
マリベルが指示を出す。
カウンターは、相手の動きを読む洞察力と、その上で敢えて踏み込む胆力が要求される技だ。
しかしこれは模擬戦。
この練習をする時、マリベルは二撃目で顔に向かって突きを繰り出すと宣言しているため、洞察力はいらない。しかもマリベルは本気ではないので胆力もいらない。
それでも――。
「せいッ!! …………あれ?」
ウィニングの手から、剣がすっぽ抜ける。
刃引きされた剣が、からんと音を立てて地面に落ちた。
「また、失敗……」
ウィニングよりも先に、マリベルが落ち込んだ。
「すみません。俺の覚えが悪くて」
「……いえ、流石にここで貴方のせいにするほど、私は落ちぶれちゃいません」
と口では言いつつも、マリベルは既に挫けそうだった。
この一ヶ月――ウィニングの進歩は思ったよりも遅かった。
ロウレンとシャリィは予定通り、着々と育っている。ロウレンは剣士として、シャリィは魔法使いとして、それぞれ新しい技や戦術を身につけていた。
しかし、ウィニングだけが思うように成長しない。
魔法と剣術、どちらも教えたものを全然習得できていなかった。
「……前提として、私は魔法にせよ剣術にせよ、子供が修めるには厳しい技を習得させようとしています。ですから、本当はできなくて普通なんです。特に剣術は、身体の成長も影響しますし」
地面に両手をつけながら、マリベルは冷静に分析する。
そう、ウィニングは何も悪くない。マリベルは最初から、ウィニングに難しい要求をしていたのだ。
(認めるしかありません……)
マリベルは難しい顔で考える。
レベルの高い要求をしていたのは、ウィニングに才能があると思ったからだ。
しかし、それが上手くいかないということは――。
(信じがたいことですが……ウィニング様には、才能がない。この子は……努力だけで、あそこまで速くなった)
マリベルの雇い主であるフィンドは、ウィニングのことをもしかしたら魔法の才能がある子供と評価していた。
今ならば、その評価を訂正できる。
ウィニングに――魔法の才能はない。
マリベルは最初、ウィニングのことを発現効率の高い子供だと認識していた。
だから初めて会った時の鬼ごっこでは、ただの《身体強化》なのに凄まじい出力を出せたのだと考えていた。
しかし、ウィニングの発現効率が高いのは下半身……脚部だけだった。
生まれ持った才能なら、そんな歪な形にはならない。下半身だけでなく上半身も、等しく発現効率が高くなるはずだ。
つまり、ウィニングは才能ではなく努力で発現効率を高めたのだ。
発現効率は、魔力をコントロールする精度で決まる。だからウィニングはきっと、魔力のコントロールをひたすら磨いてきたのだろう。
でも、ウィニングはまだ七歳だ。
マトモな思考を持ったのは何歳くらいだろうか。それから現在に至るまでの数年間で、これほど発現効率を高められるなんて信じられない。
仮にウィニングがマリベルと同い年だとしても、信じられない成長だった。
ウィニングの上半身の発現効率は殆ど人並みである。これがウィニングの本来の発現効率だとしたら、凄まじい成長を遂げていることになる。
これを……才能ではなく努力で手に入れたのか?
目の前にいる純朴そうな少年は、本当に努力だけでこの境地に到達したのか……?
だとすると、それは……。
――狂気。
マリベルの全身が粟立つ。
天才だと思った少年は、天才ではなかった。決して才能に恵まれているわけではなかった。
だが――化け物かもしれない。
とてつもなく地道な修練を、とてつもない集中力で続けてきたのだろう。
その精神力は驚嘆に値するが、同時に違和感も覚える。
何故、ただの子供がそのような修練に耐えられる?
その精神力はまるで――何十年もの間、ずっと溜め続けてきた執念のようだ。
「……少し話し合いましょうか」
頭の中を整理しながら、マリベルは告げる。
マリベルはフィンドから、ウィニングを鍛えるよう依頼を受けている。金銭を支払われた以上、たとえウィニングが何者であろうと、マリベルは依頼を遂行する義務があった。
「ウィニング様が学びたい魔法とは何ですか?」
「《身体強化・二重》です!」
ウィニングは即答した。
「ロイドさんにも教えてもらったんですけど、上手くいかなかったんですよね。……あと、ロウレンが使っている高速化の魔法、《加速》も気になります」
「なるほど。ちなみに何故それらの魔法を覚えたいんですか?」
「もっと速く走れそうだからです!」
正直でよろしい、とは今のマリベルには言えなかった。
(もう一つだけ……はっきりした事実があります)
魔法の才能がないこととは別に。
マリベルはこの少年の特徴を、また一つ理解した。
(この子は――走ること以外に興味がない!!)
マリベルは天を仰いだ。
ウィニング=コントレイルは、走ることを愛している。
このままではただ速く走れるだけの人間になってしまう。
教師の役割を担うマリベルにとって、それは看過できなかった。
「……ウィニング様。私は貴方を、次期領主として相応しい人物にしてほしいと頼まれています」
神妙な面持ちで、マリベルは言った。
「フィンド様は、領主が戦う必要はないと考えている方です。しかし最低限の……一般教養と言われるレベルの魔法は修めてほしいとも仰っていました。例えば《炎弾》は、身を守るための必要最低限な武器となるでしょう」
だから、できれば他の魔法も覚えてほしかった。
しかし……彼のモチベーションを削ぐことも憚られる。なので、
「私も仕事ですから、引き続きウィニング様には基本的な攻撃魔法を優先的に覚えていただきます。……それが終わったあと、個人的にウィニング様が覚えたい魔法も教えましょう」
「ほんと!?」
「ええ。ですから今後も、めげずに頑張りましょう。……お互い」
先に自分の心が折れてしまったらどうしよう。
キラキラと目を輝かせるウィニングに対し、マリベルは引き攣った笑みを浮かべた。




