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第9話  最凶のスキル【憑依】

〈試しに一度、乗っ取ってみようではないか〉


 新たな力、《憑依》が宿ったフォードに対して、悪霊王エリゼーラがそう提案する。

 フォードは、訝しそうに訪ねた。


「乗っ取る、だと? 随分と不穏な響きだが、それはどういった能力だ?」

〈百聞は一見に如かずという言葉があるだろう? 我が説明するより、おぬしが身を持って知る方が良い〉


 脳裏でエリゼーラの声が木霊する。頭蓋の奥に、直接響く甘い女の声。

 どうやら、エリゼーラは自身の声を脳内に響かせる事が可能らしい。

 そして姿の鮮明さも、ある程度変えられるようだ。エリゼーラの姿が、目の前で消えたり、色濃く現れたりしている。妖艶な容姿の美女が、ふわふわと浮かび、楽しそうに笑っていた。


「判った。ではその力を使って脱獄してみよう」

〈ふふ。では使い方を教えよう。心の中で、自分と外界の檻を壊すが良い〉


 エリゼーラは優しく、子供に聞かせるようにさえずった。


〈自分が浮遊する、という光景を浮かべるのじゃ。鳥のように、ではなく、煙のような自分じゃ。形もなく、重さもなく、空気に流れるがまま、体から離れる光景――それを思い描くのじゃ。さすればぬしの体は、肉体という楔から解き放れ、我が力を行使できるであろう〉


 なかなかに難しい注文だったが、フォードはやり遂げることを決意する。

 その場で床に座り込む。瞼を閉じる。手足を楽に保ち、そして深く呼吸を繰り返す。

 瞑想の仕草である。フォードは、一度自分の中の感情や気持ちを切り捨てた。


〈うむ、良い状態だ。それを保て。ゆっくり思い描くのじゃ。おぬしの体と魂が離れる情景を――〉


 フォードは自分が人間であるという気持ちを一端捨てる。

 人ではなく煙であると定義する。

 煙は形がない。煙はどんな姿にもなれる。

 煙は千変万化の象徴だ。兎、鳥、蛇、犀、象、鼠、魚、馬、獅子……木々に山々に大河……この世にあるあらゆる物になれる。

 人ではない。人ではない。人ではない――ずっとずっと、あやふやで、曖昧で、どこまでも儚く、けれど、自由なもの――。


〈良いぞ。ふふ……その調子じゃ、我が契約者よ〉


 フォードの総身が、かっと熱くなる。

 重さが感じられなくなった。音が、匂いが、触感が、全て消え失せていく。血の流れから毛穴一つ一つまで、細胞の全てが別のものへと置き換わる。

 それはまるで生まれ変わりだ。脱皮という能力がもしフォードにあるのなら、それが一番近いだろう。


 古い体を捨て、新しい体へと生まれ変わる感覚。

 頭から何か抜け出すのを感じた。軽く、ふわりとした、何か掴みどころがない、曖昧で、半透明なもの。それが頭から音もなく、何もなく、ゆっくりと、湧き出るようにフォードの体から離れる。

 不思議なことに意識は一つなのに魂は二つ存在する。いや、一つなのか? 感覚が曖昧になり、存在が希薄になり、己が千切れそうだった。油断すれば空気の中に霧散し、永遠に消えてしまうような、根源的な、恐怖。


〈自分を強く保つのじゃ、我が主よ。無心になりすぎてはならぬ。おぬしは煙の如く自由だが、確かにここに存在する。己を強く保て。自身の名前や故郷、希望、絶望――何でも良い、おぬしを構成する強き記憶や感情を思い出すのじゃ〉


 このままでは消えるという恐怖のままに、フォードはエリゼーラの言葉に従う。

 厳しかった父と母。死なせてしまったメリル。ギルドでの鍛錬。冤罪の無念。詐欺師レミリアへの怨み。裏切りの探索者ルザへの怒り。鞭の激しい痛み。牢獄の辛い日々――。

 それらを思い描くことで、希薄だった己が再び鮮明になるのを感じる。


〈ふふ……よし、目を開けてみよ。これよりぬしは紛れもない煙――『憑依体』。自由にこの世を闊歩できる存在じゃ。フフっ〉


 ゆっくりとフォードは目を開けた。

 ひどく眩しかった。頭に直接映像が入る感覚。

 薄闇の牢獄の中なのに、鮮明すぎる。ここまでひどく明るい光景は、いったい何なのだろう。


 すぐに理解する。人ではなく煙の状態で景色を見ている。

 眼球ではなく煙という全体で景色を見ている。認識している。

 だから過剰なまでの情報が自分の中に注ぎ込まれているのだ。ほんのわずかな光でも、今のフォードには太陽を直視したかの如く激烈な明かりに変容している。


「う……少し吐き気が……めまいも……これは、なんだ?」

〈おぬしの意識が『憑依体』に慣れておらぬ証拠じゃ。こればかりは慣れるしかないな。なに、数日もすれば馴染む。肝要なのは新しき自分を受け入れること。人に戻りたい、後悔だのを感じるは禁物。あるがままの今を受け入れるのじゃ〉

「なるほど……彫像に封印されていた悪霊王の経験談は、頼りになる」


 軽口を言うと、エリゼーラは嬉しそうに笑った。


〈言うではないか。我が契約者よ。然り。我もかつては封印され、実体なき存在へ落とされた。その時は悩んだものじゃ。だが無形というものはな、慣れれば煩わしさとは無縁。どこへでも行けるし、どこにも制約はない。自由なのじゃ。ふふ……〉


 エリゼーラは空中でくるりと一回転しると、艶美な笑みを見せた。豪奢な衣装のスカートが、風のように揺れる。フォードは一瞬目を奪われた。


〈さて我が契約者よ。自分の抜け殻があるのが判るかのう? 完全に本体と離脱したとき、おぬしの『憑依体』は完成する〉


 言われて、フォードが真下を見てみれば、瞑想姿の自分がいるのに気づく。

 まるでへその緒のような細い煙が、今の自分と、本体である自分を繋いでいるのだ。

 瞑想状態の自分は微動だにせず、呼吸も、まるで感じられない。かといって死体のように冷たくなっているのではなく、生きている証である肌の赤みが見て取れる。


 フォードは、先ほど床に置いた魔剣、『冥王臓剣』の刃の反射で自分を見てみた。今は自分が、直径一メートルほどの『煙』になっていることが判る。

 フォードは、さらに天井付近まで上昇した。へその緒のような管が切れる。

 これで完全にフォードは煙として体から分裂したことになる。


〈説明しておこう。《憑依体》の煙と《本体》が分かれたとき、《本体》――つまりおぬしの元の体は、生きた彫像になる。おぬしが《憑依体》――煙の姿でいるうちは、呼吸せずとも、何も食わずとも生存できるが、元の体は、自律して動くことは叶わぬ〉

「なるほど。煙のうちは、俺の元の体はただの生きた彫像。……では、煙の方は?」

〈同じく何もせずとも、存在に支障はない。煙の状態でも、水、呼吸、肉、睡眠――いずれも不要。完全に人間を超越した存在というわけだ。ふふ、判ったかの?〉

「なるほど。お前と同じようなものになるわけか」

〈然り。我と同類の存在になれて、嬉しいのじゃ、我が契約者よ〉


 エリゼーラは艶やかに笑い、フォードを抱くために近づいた。


「うお、やめてくれ。まだこの状態に慣れていない。それに女性から抱きつくのは少し破廉恥ではないのか?」

〈むう。我は喜びを共有しようとしたというのに。なんたる言葉よ。……やはりレミリアのような豊かな胸の娘が好みか〉

「いや、あのな? いま彼女は関係ないからな?」


 心なしかすねたような表情で浮かぶエリゼーラに、フォードは焦った。

 というより、エリゼーラもドレスで体の輪郭はわかりづらいが、胸部に関しては結構盛り上がっていて、見劣りするようなものでは……。

 いや、何を考えているのだ。フォードは己の気をを引き締めた。


「さて。無駄話で時間をふいにしたくない。さっそく脱獄といこう」

〈やれやれ。我が契約者はいけずじゃのう。まあ良い。では……見えるか? 通路の端に一人の『番兵』がおる。その者の体を乗っ取り、この牢屋の鍵を開けるのじゃ〉

「了解」


 見れば、確かに通路端に、眠そうな顔をした番兵が立っている。

 彼の腰には鍵束があり、それでこの牢屋から出ろ――と言うことなのだろう。


〈おぬしは憑依体――『煙』の状態ではあらゆる生物に取り憑くことができる。あの者がたとえ一騎当千の強者つわものだとしても、おぬしにかかれば傀儡よ〉


 艶然と、笑みを深めるエリゼーラ。

 フォードは煙の状態で、移動することにした。

 人間のときとは違って脚を動かさずとも、「前に」と念じるだけでいい。鉄格子など関係ない。隙間からするりと抜け、空気のように、風のように、たゆたうことができる。


 どうやら『煙』は人間の視界には映らないようだ。他の牢屋から、囚人がフォードの方を向いたが、何の反応も現さない。あくまでフォードとエリゼーラだけが知覚できる存在。


 眠そうな番兵ももちろん、フォードには気づけない。

 その体の中に、フォードは煙のまま飛び込む。

 薄い壁のようなものを感じた。彼の肉体だ。だがすぐに突破する。フォードの煙――『憑依体』は番兵の内部に侵入すると体の隅々まで広がり、浸透し、指の先から髪一本にまで、余すことなく融合する。

 ハッと意識を切り替えれば、視界が変わっている。


 番兵の男の視界だ。彼の視覚を乗っ取ったのだ。

 いや、そればかりではない。今、フォードの体は完全に番兵の体を乗っ取っている。

 身長百七十八センチ、体重六十七キロ、利き腕は左で、耳たぶには古い切り傷があり、背中には戦闘で負った火傷の痕がある。肩に昔刺された毒牙の名残があり、虫歯によって失いかけた右奥歯が判る。左手の小指がないのは昔ヘマをしたのだろうか?

 憑依したことでフォードの二刀流や投擲技能こそないが、番兵の槍術が使えるのが判る。


 戦闘は長槍が得意で、牽制に投げ槍を使う技もある。突きよりは払いを好みとし、そのための筋力が発達している。

 なかなか強い――少なくとも一対一では今の弱体化したフォードよりは上回る。名前は……ロス――『ロスゲス』。番兵の中では中堅と上位者の間に位置し、それなりの修羅場をくぐってきたことが把握できた。


「エリゼーラ」

〈なにかな? 我が契約者よ〉


 悪霊王はフォードの真上にふわふわと漂いながら応えた。


「憑依した時、相手のことがある程度判るのは仕様か?」

〈ほう? いや、それは我もよくは知らぬ。《憑依》は通常、ただ相手を支配できるのみ。なんだ、おぬしはその者の記憶や戦術など、何となく判るというのか?〉

「……判るようだな。おぼろげだが……この番兵、『ロスゲス』は長槍の使い手。それなりの強さを持ち、なかなか良い体のようだ」

〈なんと! ほう! ……なるほど我が契約者は特別な素養を持つようじゃな。憑依に関して並々ならぬ才があると見た。では我が契約者よ。その力でもって己の呪縛を解くがいい。牢の鍵を開け、自由の身となるのだ〉

「言われるまでもない。そのつもりだ」


 フォードは番兵ロスゲスの体のまま、元の牢屋の前にまで移動する。

 腰の鍵束から合いそうなものを選び、鍵穴に挿入。回すと同時に、カチャリ、という軽い音が響く。

 格子が開いた。いとも簡単に。


 番兵を操り、鍵穴に鍵を差し込む――そんなあり得ない行程を経て、脱出が達成出来た。


「ふふ……」


 思わずフォード(ロスゲス)の口から、笑みがこぼれた。


「これは素晴らしい! ロスゲスの体は、まるで自分の手足のようだ! この目、この口、この体! 僕の思い描く通りに動く! 動くっ! ハハ、ハハハッ!」

〈気に入ったか、我が契約者よ〉


 宙に漂い、ドレスをなびかせ、甘い声でエリゼーラが問う。


「ああ。だが脱獄はこれからだ。俺の本体も連れ出さなければならない。バカ正直に、たとえば俺の体ごとロスゲスが運んでも、ただの不審者だ」

〈確かにな。おぬしの体はひとまず我が制御しておこう。歩行させるくらいの事は難なく出来る。――そして、道を切り開くならば『冥王臓剣』を使うのが良い。あれは冥界の『覇竜』の臓物から作りし魔剣。人間の番兵ごとき、容易く斬り伏せられよう〉

「了解だ。ではその『冥王臓剣』で脱出を試みるとしよう」


 そうしてフォードは番兵の体を乗っ取り、悪霊王から授かった魔剣により脱獄を開始する。



お読み頂き、ありがとうございます。

評価していただいた方、ありがとうございます!

とても励みになります。次回からいよいよフォードの無双が本格的に始まっていきます。


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